# 2+i 渇望

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 地下室に他人を入れたのは初めてだった。前任の店長から役割とともに引き継いで、自分の好きな機材類を持ち込んでコツコツと作り上げて来た。  ライブハウスの上階には自宅もあるが、この地下室は特別だ。自分が日々最高の状態に保っているライブハウスのさらに地下にあるいわば秘密基地。精神的に言えばコアになるような部分。  ロムを招いたのは気まぐれとしか言いようが無い。ただ、その場所で音を聴いて、純粋に喜ぶ顔が見たかった。 「これ……すげぇ古いスピーカー。」 「あぁ。ブツブツ雑音すんのがさ、聴いてる気がするんだよ。」 「まあなんか、それはわかるけど。」 「なんだよ」 「もうちょい、メンテしません?」入って音を聴くなり、ロムは文句を言ってきた。 「はっ、お前は良さをわかってねぇなぁー」 「だって埃とか、放熱悪くなったらせっかくのスピーカーが悪くなるの早まるだろ。」 「…………。」 「大事ならなおさら、メンテしようよ。」  自分よりも熱心に部屋の中を見回し始めたロムに、昌也は呆れながら笑い混じりのため息をついた。 「メンテ……気が済むまでやれ。」 「良いの!?仕事と関係なく?」 「……ど変態。」  普通、仕事じゃなく作業するのは嫌がるだろうが。何だよこいつ。  目を輝かせて振り向いたロムに、笑い顔を隠しながら手を振っておざなりにOKの合図をする。  きゅうきゅうに狭い部屋に無理やり持ち込んだラブソファに背中を預けながらその後ろ姿を見て、昌也は自分が気付かないうちに随分と色々なものを諦めていたことを知った。  "売れないんでバンド辞めます"  "今度のライブの動員数はキャパシティの2割に抑えてください"  "感染防止のためにシャウトは禁止です"  昔なら、そんなもの全て一笑に付してきた。  ライブハウスはもともとアナーキズムの塊だ。後ろ指を刺されるような連中が集まって、灰色も黒も全部飲み込みながら最高なものを生み出していく。その混沌とした汚さと、逞しさが好きだった。  ライブハウスにおいて、法律は昌也が決めていた。昌也が売れると思えばそれは売れたし、客の集まるバンドの組み合わせでブッキングするのも全て、昌也の手腕だった。だからテンペストが渋谷のライブシーンを引っ張ってこれたのだ。    それでもさすがに、バンドマンと客の命に関わると言われたら馬鹿が出来ない。いつか喪が空ける日まで生き残るためにも、ルールを守るのは最低限かつ最大の生き残り策になった。   「ねぇ、このレコード、聴いて良い?」    ロムは振り向きざまに、重たい前髪の下から満面の笑顔を覗かせた。  単純。すごく単純なんだ。  ……音楽が、好きだ。  久しぶりの感覚だった。  
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