# 3 終わりを決める人は

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 初めての出勤では、入りに指定された14時よりも30分早くホールに到着した。しかしそこにいたのは昌也ではなく、長髪を青く染めた不健康そうな男だった。 「……君、今日からうちで働くんだっけ。」 「はい。宮下ロムと言います。よろしくおね…」 「聞いてる。俺は竹内って呼んで。君サウンドギークのPAエンジニアだったんだって?なんでうちなんかに。」  声が小さいクセに人の話遮るなよ、とか、このライブハウスは昌也も含めてせっかちなのか、とか、そんな台詞を思い浮かべながら曖昧に微笑む。  それでも、以前感じていた挫折や優越感のような不愉快な感情が消えていることに気付く。  ライブハウスに大きいも小さいも無い。ましてやこのライブハウスは、自分が選んでここに置いてもらうのだ。それにこの竹内という男だって、こうして"うちなんか"と卑下するが、テンペストが好きに違いない。  ロムは勝手にそう割り切ると、自分なりの満面の笑みで「俺、ここのハコ好きなんで。こういうとこで仕事すんの、やってみたいなと思ったんです。」と言った。  しかし竹内は長い前髪の隙間からチラリとロムを見ただけで笑いもせず「へえ」と便宜的に口を動かす。だからロムも、安売りした愛想笑いを早々に引っ込めた。 「あーー……今日、俺がミキサー立って良いすか。」  普通、新人にいきなり中央のミキサーなんて任せない。もはや挑発に近い賭けだったが、竹内はまるで響かないようにさらりと言った。   「どうぞ。今日だけは横についておけって言われてる。」  どうやら元サウンドギークのPAエンジニアは、初日でも新人扱いでは無いらしい。長く現場で下積みをして来たロムにとって、それはありがたいことだった。それに……  昌也さんが、俺のことを気にしてくれた。  ここにいない人を思ってズキンと胸が痛む。  早く会いたい、会って名前を呼んで欲しい。  そんな気持ちが湧いてきて、はっと自分の口を押さえる。 「……色々、重症だ。」  慕情とは違う。性欲だけでもない。それよりもっと深い場所で、昌也を求めている自分がいる。救いだとか支えだとか、そんな穏やかなものでも無い。  激しく、苦しく、頭を揺さぶられる感覚が身体の記憶に刻まれている。それこそが今、ロムがまともな生活をする糧だった。  どろどろした不安を飲み込むように、深呼吸をする。 「ちわーす!今日、よろしくお願いしまぁーーす!」  時間ぴったりにホール入りして来たバンドマンに会釈で挨拶を返すと、ロムはミキサーの前に立って仕事に着手した。
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