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やっと身体ごとこちらに向いたのを待って名刺を差し出す。
「は…じめまして。サウンドギークの宮下です。この度は機材整備の依頼を頂き――」
「ロム君。待ち給えよ。電話、聴いてたか?」
人の言葉を遮って、しかもわざわざ下の名前で呼び直す。判を押したように失礼な挨拶に、ロムは思わず眉間に皺を寄せた。
「伝統あるライブハウス、テンペストは小さいハコだけど音響がウリなんだよ。そんでその定期メンテに、俺は『サウンドギークさんで一番耳の良いエンジニアを寄越してくださいね♡』って言ったんよ。それがなんで、こんな流行りの暗い顔を詰め合わせただけの若ぇやつを寄越して来たんだ?大塚の狸ジジイんとこは禿げ頭だけじゃなく人材まで焼け野原か?」
ローデスク越しに前のめりになってサングラスの上から睨みつける姿はどう見ても治安が悪かったが、売られた喧嘩をむやみに買うほどロムは癇癪持ちでは無かった。
「26なんであんまり若くも無いすけど、耳と技術には自信があるんで心配しないでもらえればと。」
ニコリと笑って受け流す。
どの道結果は仕事で出すものだし、費用に見合った期待があるのも当たり前。それにロムには、仕事においては絶対の自信があった。
「……お前…。」
上手くかわせたと思ったのに、何故か昌也は無表情のまま、ロムの顔に手を伸ばして来た。
「……なんすか?」
少し身体をのけ反らせて顔が寄せられるのに構える。
まとわりつくような視線がまるでロムの顔をスキャンするように上下に動く。
……近い。
前髪にかかった息は清潔なメンソールの香りがした。そのせいで手を払おうとしたタイミングを失い、ロムは肩を竦ませたまま固まるしかなかった。
顎に触れる指はサラリと乾いてロムの輪郭をなぞり、唇の下で止まってから、無言。
「………?」
目を合わせるつもりなどなかったのに、その不自然な震えに思わず目を上げると、バチンと視線が交わった。
昌也の視線は不可解だった。どう考えたって、サングラス越しに見えるアーモンドより少し目頭側に深く切れた瞳は、ガラの悪い男の挑発だ。
それなのにその奥にある感情が読めない。興味とも脅しとも違うのに覗き込むような視線に射られる。ロムは吸い込まれるようにそれをマジマジと見つめてしまった。
「お前、ド変態だな。」
………は?
いつの間にか真っ直ぐ睨みつけていた昌也の目がニヤリと半月型に崩れて「ほんと、これだから音楽に狂った人間はどうしようもねぇなぁ。」と言った瞬間まで、ロムは仕事においてあるべき人間関係を忘れていたらしい。はっとすると自分のペースを取り戻すべく、咳払いをした。
「………今日のライブの入りは何時すか。ギリギリまで作業させてもらいたいんで、終わりの時間を知りたいです。」
昌也は机の上に置かれた煙草を取り上げて火を点ける。その仕草は、一挙手一投足の色気を見せつけるようにゆっくりしている。
それから深く息を吸い込んで、「今日は予定が無い。気が済むまでやれ。手を抜きやがったら犯すぞ」と不穏なセリフを煙とともに吐いた。
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