# 1 落日に火花が散る

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 2階にある事務所から外廊下に出ると、昌也はすぐ向かいのこざっぱりとした扉を開けた。  廊下の途中に楽屋があり、階段を降りると1階の受付兼バーカウンターに繋がり、さらに地下にはライブハウス。  それは他のほとんどのライブハウスと同じように、床は黒塗りで壁という壁にはボロボロの張り紙が貼ってある。急な階段を降りるために壁際に手を付けていたが、いちいちその剥がれかけの紙が手に当たるので、ロムはそれを辞めた。  ………狭いし、汚い。    何故かご機嫌風の昌也の背中を追いながら、ロムは複雑な気持ちを隠せないでいた。  大学を一年で中退して音響の専門学校に入った頃、世の中はフェス全盛期だった。  冬が終われば5月頃から、全国各地で大小のフェスが開催される。それにアーティストのコンサートも多く、優秀なエンジニアであればそれなりに仕事はあった。  最初は機材スタッフとして、機材の搬入、整備、搬出を裏で支える。徐々にPAエンジニアとしてモニター音響やトラブル対応を任され、最終的にはコンサート全体の音響コントロールをまとめるチーフになる。  ロムは異様にその耳と堪が良かった。  だから、たとえ若くてもサウンドギークのトップエンジニアの一人に数えられ、数々の有名アーティストからは指名で仕事を受けた。将来は順風満帆、なはずだった。 「テンペストさんが金曜の夜にライブ無しだなんて、珍しいすね。」  思わずその上機嫌な背中に水を浴びせかける。  白々しい。わかってる。この業界の人間なら、もうしばらくはあんな日々が戻ってこないなんて。  2年前の冬に、世界的に感染症が流行した。飛沫による感染をルートとしたその病気は、三密の極みで汗と唾と呼吸を共有するライブシーンを直撃した。  だだっ広いコンサート会場ですら、ほとんどの予定がキャンセルになったのだ。2年たった今も、全盛期に比べたら3割にも回復していない。だからこうしてロムも、コンサートのPAスタッフではなく音響設備の出張整備をして食いつないでいる。  いくら渋谷の老舗ライブハウスとはいえ、キャパ200程度の小さいハコだ。  そんなハコがこのご時世に、まともにアーティストや客を呼べている訳が無い。  少しくらい、自分の言葉で昌也が動揺したりしないだろうか。  そう思って返事を待ったが、昌也はホールに繋がる防音扉をバウンと開けながら、あくび混じりに「音響整備の日にケツ決めたくねえ。」と言った。
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