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『じゃ、新作入荷したAVで抜くから俺は事務所にいる。監視カメラは切っとくから好きにやれ。』
ロムは、もはや下品な昌也の台詞にいちいち嫌悪感を感じはしなかった。それがポーズだとわかるくらいには、昌也がこの場所に対して抱いている思い入れが大きいのだと理解してしまった。それは、ロムに本気を出させるのに十分だった。
出ていった気配を防音扉の閉じた圧力差で感じ取る。
……準備OK。
「始めるからな。」
ホール全体の機材に話しかけるように呟く。
目を瞑る。呼吸を整えて、思い切り吸い込んだところで息を止め、パアンと手を叩いた。
立っている位置から発した音の振動が、同心円を形成して広がっていく。まずは床、そして天井、壁。反射してくる音の変化と微妙な時間差を耳が感知する。
……振動に慣れた部屋。でも、低い天井のわりに高音の反射が弱い。天井の材質が湿ってる。真ん中のはずなのに右よりも左からの反射が弱い。防音壁の剥離があるかも。
大体、部屋の構造を理解したところでやっと息を吐いて吸い直し、動き始める。
ステージ上の脇に寄せられた機材類を全て手際よく配置する。パールのドラムセット、Ampeg、マーシャル、ジャズコにツインリバーブ。どのライブハウスにもあるセットを繋ぐ。
……?
汚いはず、と思っていたのに、ステージ上の隅々に汚れが少ないのに驚く。漏電に繋がりやすいコンセント周りの埃やテーピングの剥がれもあまり無い。それだけで、ここのスタッフのレベルが高いのがわかる。
"転がし"、つまり演奏者に音を返すためのモニターアンプの位置と配線を確認する。接続の端子の潰れも無い。傷んではいるが想定の範囲。
血流のようにステージ周りの配線を全て済ませて、次に客席裏のPAブースに移動する。そこでも全ての配線を外してまたやり直す。配線の順序から、音の流れを頭に叩き込む。シンプルに、立体的に。
いつの間にか頭の中には"Tempest"のホールの全体像と詳細が浮かび上がる。
「良い子だ、鳴らすぞ。」
チェック用に用意した楽曲をセットし、ミキサーのボリュームを一気に上げる。
瞬間、空間が光るような気がした。
照明も照らしていないのに、音が無数に広がる。あちこちで乱反射して増幅して、宇宙の星々みたいにキラキラ光りながら、開放された喜びを叫ぶみたいに全方向に音が動き出す。
「すっげぇ………。」
思わず、笑う。口元から無邪気な笑いがこみ上げる。
どうやら、老舗を語るテンペストの実力は嘘ではないらしい。小さいライブハウスであることも、大して問題ではない。むしろ…
ここに魂がある。音楽を愛した人達の、爆発と恍惚が、詰まっている。
「やるじゃん、あいつ。」
すっかりアイツに格上げした昌也の後ろ姿を思い浮かべながら、ロムはしばしその音の狂乱に身を預けた。
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