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フードの男はじっと雪乃を見ている。雪乃は動揺したことを恥じるように自嘲の笑みを浮かべて肩を竦めた。
「何となく書いていただけだよ。誰でもできるでしょ」
「何もなきゃ書かないでしょう」
「何もない」
「読んでくれる人もいるんでしょう?」
雪乃はぴくりと眉をひそめた。確かにオンラインに投稿しているから星が届いたりする。けれど大勢に読まれているわけじゃないし、大衆受けするような話を書いているわけじゃない。気が向くままジャンルを問わずに書いている。思えば小学生の頃からずっと続けていることかもしれなかった。
「大していないよ。読んでほしくて書いているわけじゃないし」
「じゃあ、神になりたいんですか?」
「なんで神?」
「思うままに世界を作れるじゃないですか」
「思うまま? あんなに好き勝手に動く連中が? ないない」
「……薬を飲みながら、体調を崩しながら、それでも書いているのに?」
フードの男に責められているような気がして雪乃は座っているものに拳を叩きつけた。柔らかいからぼふんと鈍い音が鳴っただけだったけどフードの男が後退ったから良しとした。
「どうでもいいじゃない。あいつら、書かないとずっと頭の中で騒いでいるんだから」
電磁波過敏症と診断されてスマホもパソコンも使うのは体調不良との戦いになって10年以上。現に何年かは書くことを諦めたのだ。手書きなんてのろまなツール、頭の中で動く世界をキャラクターを表現するには間に合わない。書かないと気持ちが悪いから書いている。それだけのはず。なのに、しっくりこないのは何故なのか。フードの男はうつむいて、拳を握り締めて泣いているようだった。
「あなたが書かなきゃ……」
「?」
「好きなんじゃないんですか……」
滲む声に瞠目した。物語を書くことは気が付いたらずっとやっていた。けれど根暗だ、金にならないことだと周囲の声は否定ばかりでそれでも書いてしまう自分は書く理由をずっと探していた気がする。書かないのが気持ち悪い。書いていると呼吸ができる。あいつらと生きている気がするから。そのひと時は少しだけ苦しくて、躍動していて、楽しいのだ。文章にして、自分しか知らなかった彼らの声を形のあるものに。彼らの物語を紡ぐ。それはとても――
「私にしかできないこと」
雪乃はすくっと立ち上がった。フードの男と高さが近くなって彼の髪の毛が朱色なのを見て取る。既視感があったはずだ。だって彼は
「夢辿りの救済者、バクト」
「!」
ずいぶんと途中で停止したままの物語の主人公。雪乃は仕方なさげに、複雑そうな笑みを浮かべた。これが妄想なら自分のメンタル大丈夫かって思うけど、彼に会えて話せてうれしいと思ってしまっている自分がいる。死んだら物語は書けない。彼が、彼らが死んでしまう。
「あんた達を顕現させる。私の頭の中にしかいない物語を紡ぐこと。仕方がないから宣言してやる。これが私にしかできないことだと」
強い風が吹いた。目を庇うのに挙げた腕の隙間から雪乃は確かに見た。フードが飛ばされて朱色の髪が乱されるのを。そして彼は確かにうれしそうに笑っていたのだった。
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