其の一「あの話」

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『電気のつかない暗い部屋。朝日はまだ昇らない。暖房もつけられない。電気自体が停電しているのだから。 ずしん 部屋が重く揺れる。 寒い。吐く息が白くなる。外ほどではないけど、かなり寒い。 季節は冬。 ずしん 再び部屋が重く揺れる。 断続的な地震だ。 数日前、大きな地震があった。 布団を頭から被って寒さをしのぐ。 両親はまだ帰ってこない。いや、丁度昼間に地震があったから、働きに出ていた二人は道が遮断されて帰ってこられないのだった。 スマホに二人から連絡があった。 いつ帰れるかわからない。 おまえのことがすごく心配だ。 避難所で待っててくれてもいいんだよ。 私は返した。 もう高校生なんだから大丈夫! 不便があったら他の人を頼るし、タロちゃん(犬)もいるんだから怖くないよ! そっちこそ、ちゃんとしてよね! 本当はすごく不安だった。 不安じゃない方がおかしいよ 僕だったら発狂してる イマでも タロちゃんが布団の中に潜り込んできた。癒される。 ずしん ガタガタ 窓ガラスが音をたてる。 私はタロちゃんをぎゅっと抱き締めた。くぅんと鼻を鳴らしておとなしくしている。 ここ数日、雨が降っていて外の地面は乾ききっていなかった。この時間に外へ出れば余計に凍えることとなるだろう。 ずしん バキバキ 何の音だろう? 布団から顔を出す。 タロちゃんが、なんかおかしい。急に唸りだしたと思ったら、不安そうにきょろきょろと辺りを伺いだした。 そして、 そのときは 襲いかかった。 ずしん 「土砂崩れだーーー!」 誰かが、叫んだ気がした 隣の おにいちゃ わん おとうさ おかあさ 僕たちは飲み込まれた 時間が 止まった気が した 犬のなく 声が どこか遠くで 聞こえた 私、待ってるって言ったのに 誰か、僕を見つけて 寒いよ 暗いよ ダレカミツケテ ダレカ、ボクタチヲ ミツケテ 私たちはここにいるよ まだ、土砂に埋まった家の中で 帰りを待ってるよ 誰か見つけて 私たちを、見つけて』 ゆらゆらユラユラ、夢は揺れる。 『いつもの道。幼稚園に娘を迎えに走り、小さな手を引く。 いつもと違うのは町の雰囲気。みんな誰もが我先にと高台へ走っている。 「まま、はしれない」 「じゃあ、抱っこするから」 ママの鞄、ちゃんと持っててね? 私の足もがくがくいってる。でも、走らなきゃ。高い所へ、行かなきゃ。 数分前に大きな地震があった。 勤務先でそれを体験した私は、揺れが収まったところで上司からの大声を浴びた。 「お前、幼稚園に子どもいただろ? さっさと連れて高台へ行け! 津波が来るぞ!!」 テレビには津浪の恐れがあると出ていた。上司の勘はよく当たる。 私は急いで娘を迎えに行った。 幼稚園に着くと、娘はすぐに私に飛びついてきた。 「下がぐらぐらしてこわかったの」 私でさえあんな大きな地震は体験したことがなかった。 そして、更に怖いことが間近に迫っていた。 先生が 「すぐに避難してください! 警報が出ています!」 と、叫んでいた。 普段は大声なんて出さない先生。 子どもより先に逃げられないんだろうな、きっと 責任があるもんな みんな連れて逃げることは、 できないのかな? 数が多かったら動けないよ そもそも、レイセイになんていられナイんじゃないかな 冷静なヒトナンテあの瞬間にイタノカナ 私は娘の手をとって走り出した。 大丈夫 きっと助かる そう信じて走り出した。 そして、 今 真後ろには (ぅうううううウウウー) 低く、サイレンが街に響く。 後ろを走っていた人が、横をさっき抜けた人が、 悲鳴をあげた気がした。 後ろに顔を向けた娘が、泣きそうな声で、 ううん。私も娘も泣いていた。 「ままぁ」 私は最期に娘の名前を優しく呼んだ。 止まっちゃいけない 前を向いて もう、助からないってワカッテテモ? 前を向いて走り続けなきゃいけない 後ろを、絶対に向いちゃいけない 後ろには、 数秒後に訪れる自分達と同じ姿が、津波に飲み込まれた街が広がっているんだから 意識を失う最期の最期まで前を向いていないと ナンデソコマデ だって、だって。 私はこの子のママだもん。 さいごまで諦める姿を見せたくないの 地震発生から津波到達まで×分。 その時間を命終了までのカウントダウンにするか、生き残るための足掻きにするかは最後まで希望を持てるかに左右される。』 ゆらゆらユラユラ、夢は揺れる。 『勤務先、会社のデスク。今日も電話が鳴り響く。パソコンは俺と一緒に頑張り過ぎて発熱しそうだ。 何時間前に淹れただろう。ホットだったはずのコーヒーはアイスへと変貌している。 今日頑張れば明日から連休だ。 家族サービスしてやるぜ! 愛しい嫁と最近ハイハイを始めた息子を思い出す。 …よし。これで半日はもつだろう。 残っていた栄養ドリンクを飲み干し、足下のビニールを広げた小さい箱へ放り込む。ガチャンと音がしたが、はて、何本目のドリンクであったか。 これを社畜というのか こんな大人になりたくないな なるのか?なってしまうのか? 時計を見るとまだ昼前。 ぐぐっと体を伸ばし気合いを入れ直す。 よし、やるか。 そんないつもの時間。 いつもと変わらない日常。 今日も 明日も 明後日も ずっとずっと。 続くかと思っていた。 続くのが当たり前だと、当然なんだと。そう勘違いしていた。 幸せだとか、不幸だとか。 そんなの関係なしに。 生きていくんだと思っていた。 生きて、いけるんだと思っていたんだ。 ダレダッテソウダヨ マサカ、ジブンガナンテ思ってもいない 隣の席の先輩も、前の席の今年入ったばかりの新人も。 みんな、みんな。当たり前に生きていたんだ。 そのときまで。 ふと、ぐらりと足元が揺れた気がした。 「?」 「先輩、今揺れませんでした?」 「揺れ、た、か?」 「揺れてるぞ!?」 先輩も後輩も、もちろん俺も焦った。 確かに揺れている。 地震だ。 そして、 ガタン! ガタガタッ! ガタガタガタ! 始めの揺れは前兆だった。 初期微動。 大学を卒業したての頭を持つ後輩が呟いた。 ああ、そんなこと習ったっけな。 じゃあ、初期微動の次に来るものといったら 「机の下に潜れ!」 先輩が叫んだ。 俺たちは急いで潜った。足が緊張でもつれたのか、揺れが大きくなったのか。どちらかはわからないけど、椅子を倒しながら滑り込んだ。 次の瞬間 ぐら ぐら ぐら ガタガタ ガタタッ 大きな大きな揺れだった。 主要動。 立っていることなんてできるはずがないくらいの大きな揺れ。 そう、揺れというよりもう、 地面が「動く」感じ? 俺たちは机の脚にしがみついて動けなかった。上からはたくさんの物が滑り落ちてきた。ハサミがすぐ横をまっすぐ落ちるのを目で追ったときは、思考が止まった。頭の中が真っ白になった。 でも、まだこのときは余裕があったんだろうな。 金属の破片やガラスは降り注げば凶器にしかナラナイネ 防災頭巾、ドコニ閉マッタッケ 何度か体を揺さぶられ、とうとう俺の体が机からはみ出したとき、それは起こった。 「先輩、危ない!」 後輩の悲鳴とともに頭上を見れば 席の後ろにあったはずの棚が 倒れてきていた 地震は 続いていた 俺は、動けなかった。 いつも仕事が忙しくなると、帰りたいなーって思う。 カエリタイナ 棚の下敷きになるこの瞬間、俺は カエレナイネ ただただ、家族の元へ帰りたくなった。 妻と子の、愛しい笑顔が待つあの家へ帰りたくなった。 せめて、午前の休憩中にテレビ電話しておけばよかったな。 顔が見たかった。顔を見せておけばよかった。 この瞬間、皮肉にも彼の家ではその妻と子が棚の下敷きに今まさになりそうになっていた。彼女は最期に何もわからない息子を手に抱いてこう思った。 この子と笑ってあの人をお迎えしてあげたかったな。 一つの家族へ棚が倒れ込む。 家族が揃って休日を迎えることは、もう二度とない。』 時間は戻らない。何も起きていないその時に戻ることはできない。 地震が起き、津波が起き、土砂崩れが起きたあの場所にいなければ、きっと誰もが助かったのだろう。 大地は嗤う。 お前たちは運が悪かっただけなのだと。何も悪くはない。ただ、そこにいたことが不運であっただけなのだと。 ただ、それだけの話なんだ。 自然に対して抗えるはずがない。 だから、「あの場所」で地震が起きたことは全て不運としか言えない。 津波も、土砂崩れも同じだ。 予測不可能な事態はいつだって起こるもの。 でも、そこから発生する「災害」の大きさは人の努力によって少しは小さくできるのではないか。 あの時、こういう対処ができていたら。ここをこうしたら。必要な情報がちゃんと伝わっていたら。他の場所からこんな支援が送れていたら。 あの人は。あの人たちは死ななくてもよかったんじゃないか。 あんなに大変な思いをしなくてもよかったんじゃないか。 あんな。あんな哀しい思いをしなくても 哀しい思いをし続けなくてもよかったんじゃないか。 生き残った人も。亡くなった人も。 非情で冷たい空の下で、暗く冷たい土の下で泣き続けなくてもよかったんじゃないか。 そう思わずにはいられない。 災害が起こる度に、もっと自分に何かできたんじゃないか。 後悔せずにはいられない。 時間は戻らない。 亡くした人たちを生き返らせることはできない。 だから、生き残った人たちは忘れない。 過ぎた時間を繰り返し思い出して、未来へ繋ごうと歩き出す。 きっと、歩き出せるはず。 すぐには無理でも、きっといつかは。 消えていった人たちの灯火は、想いは直接手渡されることはなかった。 最期の瞬間に伝えたかった言葉は物に押し潰され、水に押し流され、土砂に呑み込まれた。 誰にも届かずに消えていった。 もしも。 もしも、その言葉を手にすることができたら、自分たちは彼らに何と応えるのだろう。 いなくなった彼らのために、生き残った自分たちは何ができるのだろう。 ゆらゆらユラユラ、夢は揺れ動く。 いなくなった僕らのために、彼らは何をしてくれるのだろう。 遺されたものは見つけてもらえるのかな? 誰かへのメッセージ。渡せなかったプレゼント。明日来るはずだった予定たち。どんなにボロボロになってしまっていても、それは大切な遺品なんだ。忘れないで。 置いていかれた形あるものたち。形ないものたち。忘れないで。今でもそこにあるよ。 ボクハ、ココニイルヨ。 今でも、そこにいるんだよ。 忘れないで。 忘れないで、いて。 僕はここにいる。 まだ、ここにいるんだよ。 ゆらゆらユラユラ、夢は揺れる。 見つけてね、僕の同級生。 ゆらゆらユラユラ、夢は揺れる。 僕は独り、夢を見る。 夢を、見続ける。
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