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其の三「あの友人」
小さい頃、一緒に遊んだ友人。
ねえ、最後に別れを言った後のことを覚えている? 最後の別れの言葉は「さよなら」だった? 「またね」だった? それとも、何も言えずに終わっちゃった?
ねえ。最後に見たその友人の顔、覚えている?
ホントウニ、オボエテイル?
これはね、大人になった僕の友人の話。友人から聞いた、友人だった人への話。
『私が小さい頃。小学生の頃の話。
もう、昔々の話だね。
道路を挟んで向い側。私の家の前には同い年の友人がいた。クラスは結局、一回も同じにはならなかったけど、私たちはよく遊ぶ友人だった。
学校から帰ってすぐ、習い事とか用事がなければ会いに行った。
「◯◯ちゃん、あーそーぼ」
私が小学校卒業と同時に引っ越すまで、そういう繋がりは切れなかった。
たくさん遊んだよ。
近所を歩き回って小さい世界を冒険した。流行りのアニメの話をした。この歌は何の歌か、歌当てクイズを二人でやった。神社の下に流れる沢でザリガニやカニを釣った。仲間を誘ってごっこ遊びに夢中になった。
たくさんたくさん遊んだよ。
中学生になってからもたまに電話をした。いつだって長電話になっちゃったけど、しょうがないよね。
互いに部活で忙しくなった。話せる機会も少なくなった。両親も学校の先生も勉強しろってうるさくなった。ああ、これは私がもともとしなかったせいだな。
受験生になってからは互いに塾に行くようになった。どこの高校にいくのかな。気にはなったけど、結局連絡できなかった。
高校生になって、たまたま登校中に会った。自転車ですれ違った瞬間、誰だかわかったよ。
私たちは振り向いて名前を呼び合った。
あの学校に進学したんだね。
将来こういう道に進みたいんだ。
本当に少しの時間だった。でも、私はすごく幸せだった。
最後に私たちは言った。
「じゃあね」
また会えるかもしれないし、会えないかもしれないけど、その時会えてよかったと思うんだ。
「じゃあ」の次に来る言葉はさよならでも、またねでもどっちだっていいはず。
私たちは、笑って別の方へ走っていった。
大人になって、私たちは会うことがなかった。でも、まだ会えてないだけだと思うんだ。
また、小さなあの頃みたいに玄関のチャイムを鳴らして。
「久しぶりだね、◯◯ちゃん」
扉を開くこともきっとできる。
そう思うんだ。』
さよならを言った後で、一回でもいいよ、再会することができたら、たくさん言いたいことがあるよね。積もる話も積もる積もる。
読まない本みたいに積まれていく。
そういうのってさ、いつかは誰かに言いたいものだよね。再会できたその子だったら最高。再会できなくても、その後で出会った誰かに言いたい。
誰にも言えずに心の中に仕舞いっぱなしでさ、そのままあの世にまで持って逝くなんて。
ソンナノヤダ
ソンナノヤダ
ダレカキイテ
ダレカオボエテテ
話したいのは、自分以外の誰かにそれを覚えててもらいから。そうなんだよ、きっと。
だからね。
オボエテロヨ
『私がまだ小学生の頃、家の近くに友人がいたんだ。同い年ではなくて、家の場所もちょっと離れていたけど。
その友人たちは二組の姉妹弟だった。片方は姉妹、もう片方は姉弟。
姉の方が私の一つ下。妹弟はどうだったかな。覚えてないな。でも、同い年だったよ。
姉は姉同士、妹弟も同い年。彼女たちの家も道路を挟んで向い側。
つまり、四人は仲がよかったんだ。
その中におまけとして私が紛れ込んでいる時がたまにあった。
友人扱いされていたかはなんとも言えないな。でも、私が中学に上がって引っ越すまで何回も呼んでくれた。
一緒に遊ぼうって。
「××ちゃん、いますか?」
実はね。引っ越してからその子たちとは一回も会ってないんだ。だから名前も曖昧で、顔も声も全部が記憶の中でぼんやりとしているんだ。
あの子たち、どうしてるだろうな。
きっと大人になってるんだろうな。
なんでか、その場所のことはやけにはっきりと覚えているんだよね。
その子たちの家は新築で、他にも同じような新品の家がいくつか並んでいた。それは、分譲地というものだったのかもしれない。
すぐ近く、姉妹の家の裏の方には森があった。そう思っていた。
でも、今考えると違う。家が建っていた所が森だったんだ。森を拓いて住宅地を作った。
見えていたのは残りの木たちで、その向こうは崖になっていた。崖っていうのかはわからないな。そこにも木が生えていたし。でも、当時の私は「崖」っていう認識だった。
家が並ぶ区画に入る直前には小さな鳥居があった。その子たちに聞くと、そこにはお稲荷さんがいると言っていた。確かにキツネの石像があったかもしれない。赤い前掛けをした石のキツネ。
私たちは絶対にそこを遊び場として使用しなかった。面白半分でお参りみたいな真似はしたけど。
何であんなところにあったんだろう。
お稲荷さんの側にも森があった。ただ、そこから下に下りることができるくらい緩やかな坂になっていたから、私たちはよくそこを探検した。奥へ行くと竹林に変わって、子どもでも進めないほどではないちょっとしたダンジョンだった。
更に下へ行くとぽっかりと開いた穴があった。人が余裕で入っていける位大きく掘られた穴。入り口には入れないように柵がされていた。
なんとなく、近づいちゃいけない気がした。その子たちのお母さんたちにも行っちゃいけないと注意された場所。
その場所が防空壕と呼ばれる戦争の置き土産だと知ったのは、社会科の授業で暗い気分になったときのことだった。
どんな気持ちで穴を掘ったんだろう。この穴にどれだけの人が逃げ込んだんだろう。
この暗闇の奥は、どうなっているんだろう。
私は一人でよくその穴を見つめた。ただぼんやりと、見つめた。
誰もいないはずの暗闇に、幼い私は何を感じていたんだろう。
見つめるだけで何かかえってくるわけでもないのに、私はただその穴を見つめた。』
ちょっと待って。ちょっと待って。
やけに詳しくない? 子どもの頃の話でしょ? どれだけ記憶力がいいの? いったい何年前の話?
そういうことじゃなくてね。「思い出」っていうのはずっと覚えてる状態のものじゃないって、僕は思うんだ。
例えば机や箪笥の引き出し。例えば特別なものを入れておくための宝箱。例えばアルバム。
いつもはずっとしまっておく。それでね、何かの機会で取り出す。思い出す。そうしてまたしまっておく。
そういうのが「思い出」っていうものなんだって僕は思うんだ。
だからこの彼女もね、何かのきっかけでこの記憶を思い出したんだ。きっと、丁寧に丁寧に、キレイに残されていたんだろうね。だからこんなに詳しく僕らに語ることができるんだ。
僕にもあるよ。キレイに手付かずのまま残ってる「思い出」。
絶対にダシタクナイ、フレタクナイ思い出。
いいじゃないか、その話は。
ほら、続きを聞こう。彼女の大切な思い出話を聞こうよ。
『懐かしい思い出だよ。
たくさん遊んだし、たくさん笑ったし、ケンカもしたし、おやつも一緒に食べた。
もう昔の話だよ。ずっと昔の話。
懐かしい雰囲気だけが心に刻まれて残ってるんだ。じんわりあたたかくなって、過去を思い出して浸る。
だんだん忘れていく記憶の中で、微かに残っているもの。
そういうものが生きていく中で大切な宝物になるんだろうな。
ぼんやりと、小さな子どもの彼らは思い出の中で生きている。
いつまでも。
キレイな記憶の中で。
たまに思い出す。彼らのことを。
あの子たち、どうしてるだろう。
きっと大人になってるんだろうな。』
みんなが同じように大人になる。大人になれる。
それは「なってもいい」っていう権利だよ。
なれなかった人もいる。
ボクミタイニ
この子のこれは、誰もが持っている思い込み。当たり前すぎて当然だと思っていた、彼女の思い込み。
ボクハ、ミンナトオナジヨウニオトナニナルミチヲイケナカッタ。
アイツニジャマサレタ、カラ。
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