第43話 後日談

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第43話 後日談

 ロレンツォと結婚して、五年。  コリーンは国語教師として今も働いている。 「コリーン先生、子どもはまだ?」 「え、ええ、まぁ」 「教職が楽しいのはわかるけど、早く作った方がいいよ~。若く見えるけど、コリーン先生もう三十四でしょ」  そういう発言はセクハラに該当する場合がありますよ、と言ってやりたい。それに本当はまだ二十八だ。こちらは口が裂けても言えないが。  コリーンは溜め息を吐いた。ロレンツォとの間に子どもはいない。最初のうちはコリーンが教職に専念したいと思い、意図的に避妊をしていた。だが二年後には解禁したのだ。四年前に今度はグゼン国との戦争が始まり、その戦争が終結してロレンツォが帰ってきた三年前に。無事に帰ってきてくれてよかったが、急にコリーンは不安になった。子どもがいない生活に。 「コリーン!」 「あ、ロレンツォ」  帰りの途中でコリーンは夫から声を掛けられた。 「今帰りか」 「うん。ロレンツォも終わった?」 「コリーンに会えたから、このまま直帰だ。ロイド、後は頼む」 「わかりました」  騎士のロイドという青年が、真面目な顔をして去って行く。その姿を見届けてから、コリーンはロレンツォを見上げた。 「よかったの?」 「まぁ、たまにはな。どこか食べに行くか?」 「騎士服姿のままで?」 「そう、だな。……帰るか」  結局コリーンとロレンツォは、家で食事を取ることにした。  ロレンツォが平日の通常勤務の時は、帰りは大体同じ時間になる。なので一緒に晩飯を作るのが常だ。  この日は北水チーズ店のチーズが食卓に並んだ。ロレンツォとコリーンの収入を合わせれば、かなりの余裕ができる。 「あ~、やっぱり北水のチーズは美味しいね。毎日食べたいなぁ」 「こういうのは、たまに食べるから良いんだ。週に一度で十分だろう?」 「うん、まぁね」  長い長い貧乏生活が身についてしまっているのか、余裕が出ても贅沢をすることはない。特にロレンツォは将来の子どものためにと、稼いだお金のほとんどを貯蓄に回している。 「ねぇ、ロレンツォ。なにか欲しいものある?」 「どうしたんだ、いきなり」 「んー……」  ロレンツォは結婚してからというもの、自分のためにお金を使っているのを見たことがない。以前は女性とお茶をするためにいくらか使っていたようだったが、結婚してからはそれすらもない。そんなことがあっては困るのだが。  だから、ロレンツォの望む物をなんでも買ってあげたかった。 「そうだな……今欲しいのは、子どもかな」 「っむ」  お金では買えないものをねだられてしまい、コリーンは眉を寄せてしまう。 「なんだ、その顔は。嫌なのか?」 「嫌なわけじゃないよ。もちろん、私も早く欲しい。けど……」  なぜかできない。運が悪いだけなのかなんなのか、解禁してから待ち望んでいるというのに、子どもはできない。コリーンが肩を落として視線を下げると、ロレンツォは言った。 「コリーン、今度ノルトに行くか?」  なぜいきなりノルトのことを出してくるのかわからずに、コリーンは首を傾げた。 「誰かに『提供』してもらえばいい」  こともなげにそう言ったロレンツォに、コリーンは目を広げる。提供。それは逆夜這いをして、子種を誰かからもらうという意味だ。 「ノートン辺りなら提供してくれるだろう。あいつはまだ独身だし、コリーンを気に入ってたしな」  なに言ってるの、という言葉をすんでのところでコリーンは飲み込んだ。  ロレンツォはノルトの生まれで、その風習に慣れている。さらにはバートランドが、母親の逆夜這いでできた弟であるのだ。子どものいない夫婦に提供するのは、いたってまともな考えなのだろう。ノルトの人からすれば。  それを否定してはいけない。ノルトの人達を……バートランドの存在を、否定することになってしまう。  しかし、コリーンはノルトの人間ではない。どうしても提供ということに忌避感を覚えてしまっている。 「どうする、コリーン」  ロレンツォは嫌じゃないのだろうか。妻が別の誰かに抱かれるのは。子どもが生まれるならそれでも構わないのだろうか。例え、自分の本当の子供じゃなかったとしても。 「ロレンツォは、子ども欲しい?」 「そりゃ、いつかはな」 「例え自分の子じゃなくても?」 「コリーンが生んだ子なら、愛せるさ。欲しいよ」  価値観の違いというのは、いかんともし難いものがある。ロレンツォの価値観には合わせられないし、こちらの価値観を押し付けるわけにもいかない。 「でも、よく考えてみてよ。もし子どものできない理由がロレンツォにあったなら、それは意味のあることかもしれない。けど原因が私にあったら、まったく無意味な行為になるんだよ?」 「どっちに原因があるかなんて、試してみなきゃわからないだろう?」  試す、と軽く言われてムッとした。好きでもない人に抱かれるという覚悟がいかなるものか、まったくもってわかってくれていない発言だ。しかし怒ってはいけない。ロレンツォと価値観が違っていることを、明確に伝えなければ。 「私はね、ロレンツォ以外の人に抱かれたくないの。ロレンツォ以外の人の子どもを産みたくないの。バート君や、提供した人や、提供を受けて産んだ人達を否定するわけじゃない。それも有りだと思う。けど、私は嫌なの」  コリーンの言葉に、ロレンツォはややあってから「そうか」と一言呟いた。 「ごめんね。でも提供を受けるくらいなら、私は子どもがいなくてもいいよ」  コリーンの言葉に、ロレンツォは眉を寄せている。きっとロレンツォは、誰より子どもが欲しいと思っているに違いない。 「ごめんね、わがまま言って。もしロレンツォがどうしても自分の子どもが欲しいって思うなら……よそで作ってくれても、かまわないよ」  本当は嫌だ。ものすごく嫌だ。しかし提供を受けるのを拒む以上、これくらいの譲歩はするべきだろう。コリーンは胸から流れ出そうになる悲しい思いを、グッと喉で閉じ込めた。 「……嫌なもんだな」  ロレンツォは、そう言った。 「え?」 「他の女を抱いていいと、愛する妻から言われるのは」 「ロレンツォ……?」 「俺もすまなかった。コリーンの気持ちも考えず、安易に提供してもらえなんて言って」  分かって貰えた。そう思った瞬間、ホッとしたコリーンの目から、涙が一筋零れ落ちた。 「コリーン」  そんなコリーンを、ロレンツォはそっと抱き寄せる。 「子どもができなくても、ずっと一緒にいてくれる?」  コリーンの問いに、ロレンツォは頷く。 「ああ。子は(かすがい)なんて言うが、俺たちは鎹なんてなくても強く繋がっていられるさ。絶えることのない愛があるからな」 「くさいよ、ロレンツォちゃん」 「本当か? 俺もようやく調子が上がってきたかな」  そう言って、ロレンツォはコリーンの目元に唇を落としていた。
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