2 忘れられない人

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2 忘れられない人

 セイデリア王国第二王子、フェリクス・セイデリア。  いつの間にか時は過ぎ、僕も十九歳になった。  突然目の前で愛しい婚約者のエステル・ダンシェルドを連れ去られたあの日から、早くも五年もの月日が経っていた。 「……フェリクス! 今日の夜会で、今度こそ貴方の婚約者を決めますからね」 「国内の貴族のご令嬢に、軒並み集まってもらったのだ。きっと、気に入る娘がいるだろう」  朝食の席で、父上と母上が僕に詰め寄る。  僕に婚約者をあっせんするための夜会は、これで一体何度目だろうか。  興味も持てない相手に対して気を遣いながら、挨拶したりダンスをしたり。  そんな時間と金があるなら、もっと国民のためになる事業に使えばいいんだ。  すっかり食欲がなくなった僕は、フォークとナイフをテーブルにわざと雑に置いた。  五年前の争いがきっかけで、隣国ダンシェルド王国と我がセイデリアとは、完全に国交が途絶えたままの状態だ。  両国の国境にある森にはダンシェルドの手の者によって呪いがかけられ、通行することができなくなってしまっている。  僕は今でも、エステルの柔らかくて穏やかな笑顔が忘れられずにいる。  離れている距離も離れている月日も、僕のエステルへの気持ちを変えることはできなかった。  あれから五年経つということは、エステルは今頃十七歳になったはずだ。  僕たちの婚約はあのゴタゴタの中でいつの間にか白紙になった。新しい婚約者を決めようとしない僕に、父上と母上はいつも代わる代わる貴族令嬢を連れて来ては婚約を勧めて来る。  そんな毎日にも、もう飽き飽きしてしまった。 「父上、母上。私は婚約者を選ぶどころか、結婚するつもりもありませんよ」 「……フェリクス! お前はこの国の第二王子なんだぞ。王太子に万が一の事があった場合に補佐する立場にあるのだ。そのお前が独身のままでは、国の存続すら危ういではないか! 考え直しなさい」 「そうよ、フェリクス。少しはこの国のことも考えてちょうだい。ねえ、アンドリューからもどうにか言ってくれないかしら」  父上と母上から突然話を振られた兄のアンドリューは驚いて、飲んでいた水をぶっと吹き出した。 ◇    八歳年上の兄、王太子アンドリューには、王太子妃との間に既に五人の子がいる。  ……上から、女・女・女・女、そして女だ!  五人目の女の子が産まれた時に母上は、アンドリュー兄上にはもはや女の子しか生まれないのではないかと根拠のない心配をし始めた。  そんな不安な気持ちを紛らわせるかのように、こうして僕にも早く婚約者を見つけろとせっついて来るようになったのだ。  つまり、アンドリューの次の後継者作りのために、僕は望まない結婚を強要されているということになる。  妃は、男の子を産む道具なんかじゃないのに。  女の子を産み続けている義姉上にとっても、いい迷惑だ。  男の子を生めという母上の無言の圧力を、さぞかし負担に感じていることだろう。  男の子が生まれなければどこか親戚から養子を取ればいいし、何なら女の子が王太子になったっていいんじゃないか?  そんなことを考えもしないで安易に僕に結婚しろしろ言ってくる両親には、心の底からうんざりだ。 (今の僕をエステルが見たら、随分ひねくれた性格になったと怒るだろうな。昔とはすっかり変わってしまった僕を見たら、彼女は幻滅しないだろうか)  もう会えないはずのエステルとの再会を想像するなんて馬鹿げている。彼女のことを思い出せば思い出すほど、虚しい気持ちになるだけなのに。  結婚だの跡継ぎだの、そんな話題に全く興味が持てなかった僕は、今日の夜会もすっぽかすつもりでいた。しかし、「今日こそは結婚相手を見つけてもらう!」と息巻いた父上から徹底的に動きを監視されて逃げることも叶わず、無理矢理夜会の場に連れ出されてしまったのだった。 ◇  豪華なシャンデリア、美味しそうな料理、そして一流の楽団のオーケストラ演奏。  これでもかと言うほど(ぜい)を尽くした夜会会場に、全力でギラギラに着飾った貴族のご令嬢たちが次々とやって来る。グリーンのドレスのご令嬢が多いのは、僕の瞳の色に合わせたつもりだろうか。  ……エステルなら、絶対にそんな色は選ばない。  優しく穏やかで少し大人びたエステルには、薄紅色(うすべにいろ)のドレスがよく似合っていた。二人で遊んで息が切れるまで走り回った後の、エステルの頬の色、エステルの笑顔を思い出す。  二度と会えない、大切な人。 「フェリクス殿下、こちらは我が娘のアレットでございます」 「殿下、アレット・ミドルダムと申します。本日はお会いできて光栄でございます」  モスグリーンのドレスを身に着けたアレット・ミドルダム嬢が、僕の前で仰々しくカーテシー。 (何だ? これは出来レースか?)  年の近い高位令嬢であるアレット嬢の姿を見て、向こうの方で父上と母上がニヤニヤと見つめ合っている。なるほどな、やはりこちらのご令嬢が父上と母上の本命というわけだ。  そうは問屋がおろさない。周りの思うとおりになんて動くものか。  苛立(いらだ)った僕は、おもむろにミドルダム侯爵の方に向き直り、両腕を組んで低い声で言った。 「ミドルダム侯爵、そう言えば貴殿の領地では今、色々と問題が起こっているそうですね」 「フェリクス殿下。何のことでございましょう……! 特に大きな問題なく過ごしておりますよ。我がミドルダム領では、領民からの納税もきっちりと遅れなくしっかりと徴収できております。そんなことよりも、我が娘アレットの件でございますが……」 「……ですか。侯爵、もしかして貴殿は、自領で起こっている問題を把握すらしていないのですか? そんなことよりも、王家に娘を嫁がせることの方が重要ですか?」 「殿下……!」 「さあ、王都でこうして油を売っている暇はありませんよ。為すべきことを為すのが先決です。ミドルダム領では、呪いの森に住みついた賊が強奪を繰り返し、治安が乱れていると聞いていますが」  僕はでっぷりと太ったミドルダム侯爵に冷たく言い放った。  ざまぁ見ろ。これ見よがしに親子でゴマをすりに来るからこんなことになるんだ。  僕はこのあとミドルダム親子とは目も合わせず、一人でテラスに向かった。背後で侯爵が色々と言い訳しているのが耳に入ったが、僕の知ったことではない。 ◇  ――それから何週間かが経った頃。  例の夜会のあと、父上が勝手に話を進めていたのか、ミドルダム侯爵令嬢アレットと僕との婚約が成立しそうになっていた。  当の本人の了承も得ずに勝手に縁談を進めていたことに怒りを覚えたが、正直に言うと……もうどうでも良かった。  アレットだろうがガレットだろうがガジェットだろうが勝手にしろ。  そんなに僕を誰かと結婚させたいなら、いくらでも結婚してやるさ。  そんな投げやりな気持ちになっていた時、その報せは突然僕の耳に入ってきた。 「……国王陛下! ミドルダム侯爵領で強奪を繰り返していた賊を、我がセイデリアの近衛兵(このえへい)たちが捕えました!」  朝食の最中、宰相が父上の元に駆け込んで来て息を切らせながら言う。  賊を捕えたのは確かに大ニュースかもしれないが、何もわざわざ朝食の場でそんな血なまぐさい報告をしなくたっていいんじゃないか?  食後の紅茶を飲んでいた僕は、ティーカップをソーサーにカツンと置いてため息をついた。  父上は、宰相の言葉にうんうんと頷く。  しかし、良いニュースを聞いているはずの父上の顔は、どことなく残念そうな面持(おもも)ちだ。 「そうか。本来はミドルダム侯爵家が先導して何とかおさめて欲しかったのだが……結局近衛兵の手柄となってしまったのか。致し方ないな。近衛兵には怪我はないのか?」 「それが、賊が弓の使い手でして……先に捕えた賊の一味が山影に隠れており、近衛兵が何人か矢に当たってケガをしたようです」  宰相の報告によると、ミドルダム領に近衛兵を派遣して賊を捕える過程で、怪我を負った兵が数名いるとのことだった。  近衛兵は傷を負ったまま森の奥まで賊を追い詰め、最終的にはダンシェルドとの国境近くで賊を全員捕えたらしい。  しかし、森の奥深くでケガの痛みに動けなくなったセイデリアの近衛兵たちは困り果てた。  何せ、馬も入れぬと言われる、呪いの森の奥深くでの出来事だ。  五年前にダンシェルドとの(いさか)いがあった時に、双方の行き来がしづらいようにするために呪いをかけられた森なのだ。そんな森の奥深くまで迷い込んでしまっては、ケガをした兵士が無事にセイデリアまで戻ることは不可能に近い。  そんな絶体絶命のピンチを救ったのが、何とダンシェルド王国の兵だったらしいのだ。 「……何だと? 我が国の近衛兵が、ダンシェルドの者と、会ったというのか?!」  懐かしい国名が耳に入り、ついつい僕はその場で勢いよく立ち上がった。椅子が大きな音を立てて床に倒れる。 「はい、フェリクス殿下。ダンシェルドの兵が、我が国の近衛兵をミドルダム領まで送り届けて来ています」 「来ています……ということは、今この城に、ダンシェルドの兵がいるということか?!」 「殿下、仰る通りです。今、全員が治療を受けております」  呪いの森を通過するからには、自らが呪いにかかってしまう危険だってある。そんな命の危険も顧みずにセイデリア王国まで近衛兵を送り届けたというのか。  それだけではない。  無事に呪いの森を通過できたとしても、険悪な関係が続くセイデリア王国に一歩足を踏み入れれば、セイデリア兵から攻撃される可能性だってあったのだ。  そんなことさえ厭わずに、ケガをしたセイデリアの近衛兵を国まで送り届けてくれたダンシェルドの兵に対しては、セイデリア国内から大きな賞賛が寄せられることとなった。  この出来事をきっかけに、五年間途絶えていた両国の国交は再び結ばれることとなったのだった。
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