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6 離れていても
エステルも少し落ち着いた様子で、肩をひくひくさせながらもこちらをじっと見つめている。
僕は意を決して、自分の気持ちを少しずつ言葉に紡いでいく。
「エステル、聞いて。あの日、僕たちが離れ離れになった日のことだけど。君のことを守ってあげることができなくて、本当に申し訳なかったと思っている。ずっとあの時のことを後悔していたんだ。君を守れなかった自分の不甲斐なさに、情けない気持ちでいっぱいだよ」
「フェリクスでん、か……それは、違います。あの時はダンシェルドの兵がセイデリアを……っ! だから、殿下が情けなく思うようなことは一つもありません」
エステルの瞳に、再びじんわりと涙が込み上がった。
「エステル、違うんだ。国と国の問題はもう解決したし、これからお互いに前向きに関係を築いていけばいいことだ。僕が言っているのは、僕と君との問題。君に不安な思いをさせてしまった上に、その後の六年間もずっと、君のために何一つできなかったことが情けなくて」
「でも、それもダンシェルドが森に呪いをかけて行き来をできないようにしたからじゃないですか。呪いのかかった森に入ることは危険ですから、フェリクス殿下が森に入ることなど、絶対に許されなかったはずです。私は全部分かっています……」
「エステル。この六年間、僕は一日たりとも君のことを忘れたことはなかった。あの日の十二歳の頃の君の姿を思い出しては、またいつか君に会いたいとずっと願っていた」
「殿下……ありがとうございます」
もしかしてエステルは、化粧が落ちると人格が変わるのかな。
今、僕の隣に座って涙をこらえている彼女は、紛れもなく僕の好きだったあの頃のエステルだ。
「実はもう一つ話があるんだけど……。エステルがさっきみたいに分厚い化粧をしたり強がった態度をしていたのは、なぜなのか聞いてもいいかな? 正直に言うと、ちょっと驚いてしまってね。本当は再会した時にこうして普通に話をしたかったんだけど、君の姿を見て驚きが大きすぎたというかなんというか…」
「フェリクス殿下……」
しまった! 混乱と動揺を隠すために喋りすぎた!
「殿下、驚かせて申し訳ありません。私もきちんとお話しますね」
エステルはもう一度涙を拭くと、僕の方をしっかりと見た。
◇
エステルと僕が離れ離れになったあの日、イルバートに馬に乗せられたエステルはそのまま何日もかけてダンシェルドまで連れ戻されたらしい。着の身着のまま、何の準備もないままの帰国はとても過酷で、ダンシェルドに到着した頃には意識を失って倒れる寸前だったそうだ。
国に戻った彼女が何日も寝込んでいる間に、ダンシェルドはセイデリアとの国交を断絶した。森には呪いがかけられ、屈強な騎士でもない限り無事に森を通過することはできない状態になってしまった。
僕との婚約は解消だと、ダンシェルド国王陛下から一方的に告げられた。
二度とセイデリアには行くな、とも言われた。
「でも、お父様にそう言われても、どうしてもフェリクス様のことを諦めることはできませんでした……!」
僕の腕を両手でつかみ、懸命に自分の気持ちを伝えてくれるエステル。
……ごめん。そこ、さっき君に思い切りつねられたところなんだ。
結構痛いんだよ。
ダンシェルドで新しい婚約者を探そうと、エステルは社交界デビューをさせられる。
(ここはイルバートからも聞いていた話だな)
王女と縁戚関係になりたいと野心を持った貴族たちに次々に声をかけられたエステルは、色んな貴族のご令息たちにつきまとわれることに疲れ切った。
そんな日々が続いて自暴自棄になりかけていた頃、再びセイデリアと国交を結ぼうという話が降ってきた。
再び僕に会えるかもしれないという希望を持って、前向きになったのも束の間。
国交正常化の手続きや森の呪いを解くのにはかなりの時間がかかり、その間もエステルには沢山の縁談が舞い込んで来る。
「でも私はフェリクス殿下以外の方との結婚なんて考えられなくて……それならいっそ、みんなに嫌われるような悪役になればいいんじゃないかと考えるようになったのです」
「……悪役? それはどういうこと?」
「フェリクス殿下は、悪役令嬢ってご存知ですか? 何も悪いことをしていない善良な令嬢をイジメたり、高笑いをしながらハイヒールで弱者を踏んで楽しむという趣味を持った令嬢のことです。私も本で読んで知ったんですけど」
「悪役令嬢か……僕はそういう本は読んだことないかな」
世の中には、変わった趣味を持ったご令嬢もいるものだ。
腕をつねられただけで弱ってしまう僕にとっては、ハイヒールで踏まれるなんてただの拷問だ。心の底からご遠慮したい。
「それで、元の顔が分からないほどに厚い化粧をして周囲に悪役令嬢のごとく接していたら、誰も縁談を持ってこなくなったんですよ!」
「そ……そうなんだ。つまり、縁談除けのためにわざと悪役デビューしたってことだね」
「はい! この一年間、一日も欠かさず悪役令嬢になり切って生きてきました。化粧をしていると、どうしてもその癖が抜けなくて……フェリクス殿下にも悪役令嬢として接してしまい、申し訳ありませんでした」
両国の国交が正常化されることが決まってからのこの一年。
僕はエステルに嫌われまいと勉学や訓練に励み、エステルは悪役令嬢としてのキャラを必死に磨いてきたわけだ。
頑張る方向は違えど、僕たちはお互いのことを想い合いながら過ごしてきたのだと思うと、先ほどまでのケバケバ顔も最高に可愛く思えてくる。
おっちょこちょいがチャームポイントの一つだったエステルのことだ。自分の性格を器用に演じ分けるなんてことは、できなかったんだろう。
化粧をしている間は悪役令嬢になり切り、化粧を落とせば元の可愛らしいエステルに戻る。
そういうことなんだ。
……あれ? 納得したのは、僕だけかな?
お互いに素直な気持ちを伝えあい、僕たちはスッキリとした気持ちで夜空を見上げる。
「エステル。本当は会った瞬間に言いたかったんだけど……僕とまた、婚約してくれるかい? 今度こそ、君と幸せになりたいんだ」
「フェリクス殿下! こんな私でよろしければ、おそばに置いて下さい。あっ、でも……」
「でも、何?」
「先ほどのオムレット様はよろしいのでしょうか。殿下のことを慕ってらっしゃるご様子でした。私ったら、ついあの方に嫉妬してしまってあんなに泣いて……恥ずかしいです」
「あはは、エステル。彼女はオムレットではないよ。ハムレット・ミドルダム侯爵令嬢だ。彼女のことは全く気にしなくていい。僕はこれまでもこれからも、ずっとエステルだけを愛してる」
「フェリクス殿下……!」
月明かりに照らされた僕たちの二つの影が、一つに重なる。
これからはセイデリアとダンシェルドをつなぐ架け橋として、ずっと二人で一緒に生きていこう。
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