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なおも声は聞こえるが、辺りに人の姿はない。ぎゃんぎゃんと喚いている『声』の出どころを聞き分ければ、たしかにその声は辰彦が落とした書物から聞こえてくる。
「……なんなんだ、この書……」
思わずこぼれ落ちた言葉に、ぴたりと喚き声が止まる。辺りの護衛に気づかれた気配はしなかった。辰彦は微動だにせず、じっと床に落ちた書物を見つめている。
『お前……妾の声が聞こえておるのか?』
恐る恐る、窺うような声音は人間のようだった。けれど確かに、その問いかけは床の冊子から聞こえるものだ。ごくり、と生唾を飲み込んだ。
「お前が……喋ってるのか? 妖か?」
人を邪な道へと誘い最後には食ってしまうという妖。行いの悪い童は妖に食われるぞ、とは幼子に言うことを聞かせるための方便によく使われてきた。
けれどそれは決して方便だけではなく、実際に死した血痕だけを残して遺体が綺麗になくなるような事件も起きていた。妖が喰らった痕だと人々には恐れられている。
内心十分に警戒をしながら、それでも毅然とした辰彦の問いに書物はいたく憤慨した。
『妖? そんな低俗なものと妾を一緒にするでない。不敬者が!』
その威張り散らした声に、辰彦も眉をひそめる。
「……態度がでかい書だな」
がみがみと言われっぱなしなことに、だんだん腹が立ってきた。辰彦は歩み寄ると、床に取り落とした書物を拾い上げる。
『妾は閻魔帳。人の死と罪のすべてを記録する書よ』
人は死ぬと冥府へと下る。そこで生前の罪を裁かれ、六道いずれかの道を示される。そうして行き着いた先で罪を洗い流した後、再び生を得てこの世に戻ってくる。
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