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第3話 「役に立たないセクサロイドと、キス」
★★★
花であふれる庭は、今日も優しく輝いている。
ノイはご主人様と並んで座っている。
おとなしく。
つつましく。
役に立たないセクサロイドとして。
タイチが言う。
「この青い花は、夏の花かな?」
「はい。瑠璃唐草(るりからくさ)です」
「この花は、来年も咲く?」
「咲きません。瑠璃唐草・ネモフィラは一年草です。秋に種をまき、春から初夏にかけて青い花を——」
ノイがそこまで言ったとき、ご主人様はぎゅっとノイの手を握った。
「ノイは、次の夏も、ここにいる?」
「います」
ノイは簡潔に答えた。
「ノイの所属先は、ここですから」
うん、とノイのご主人様はじっとノイの目を見ていった。
「そうだよ。ノイの家はここにある。ここなんだよ」
「はい」
「ノイ――女の子はキスするとき、目を閉じるそうだ」
「閉じたほうがよろしいですか。それから、キスをするんでしょうか」
ノイが尋ねると、ご主人様は笑った。
「どうしようかな。きみがキスしたければ、しよう」
「ご主人様、アンドロイドに“○○したい”という言語はありません。人間のオーダーに従うのが役目です」
タイチは少しだけ黙った。
美しく青い花の上を、風が通っていく。
「――質問を変えよう。ノイは、どこにキスされたい?」
コンマ2秒ほど、万能セクサロイドは何も言わなかった。それから、答えた。
「――ひたいに。ご主人様」
「うん。ひたいに。それから?」
「まゆに、目に、鼻に、頬に、あごに」
「うん。順番にやろう。ほかには」
「耳に。首すじに。鎖骨に。でも、大事なところが。まだ」
ノイがそういうと、タイチは笑って立ち上がった。
「そうだね。僕としては、真っ先にそこにキスしたいよ」
タイチのきれいな顔が、ゆっくりとノイの上に落ちてきた。
硬い鼻筋、ほんの少し出ている頬骨、うすい耳たぶ。
タイチの目は、くっきりと開かれたままノイを見ていた。ノイのご主人様が、もういちど、尋ねる。
「ノイ。どこにキスされたい?」
ノイは目を閉じた。切れ長の目を伏せて、ささやく。
「——くちびるに。しゃべったことがないことを話している。唇に」
「やっと。僕が聞きたい言葉が出てきた。あいしてるよ、ノイ」
タイチの唇はちょっと冷たく。
ノイの口に入ってきた舌は、温かく、柔らかかった。
★★★
タイチの身体は、ノイが驚くほどなめらかに動いた。
シャツを脱ぐと肩甲骨と背骨があらわれ、美しく深い影を作った。
タイチがベッドの上に肘をつくと、肩甲骨の下に深いくぼみができた。ノイは、そのくぼみに手を入れる。小さな手が、すっぽりとくぼみにはまる。
「どうやったら、こんなにきれいな骨になるんですか、ご主人様」
「うーん。トレーニング。僕は身体でもなんでも、自分でコントロールできないといやなんだ」
コントロール、とノイはつぶやいた。
人間はコントロールすることができる。たとえば身体の動きを。
それから感情を。
自分の生活を。
人生を。
未来を。
アンドロイドはコントロールできない。ただ目の前にあるものに、対処していくだけだ。
お茶を入れ、料理を作り、掃除をして、ご主人様を手伝う。
夜になれば眠り、朝になれば起きる。
それが70年続く。耐久期限が来たら終わりだ。ノイの機能は止まり、アンドロイドラボから出荷された状態に戻る。
初期化。あるいは廃棄。ノイはこの世になくなり、別の個体が現れる。
それが、これほどつらいと、ノイは考えたこともなかった。
そもそも。
アンドロイドは考えない。
アンドロイドは意志を持たない。
ノイは、何かを望まない。
しかし今、ご主人様の肩甲骨を両手で包みながら、万能セクサロイドは、初めて何かを考えた。
ノイのどこかが、キシリとゆがむ。
「ノイ、抱きしめて」
ご主人様が言う。ノイは背中に回した手に力を入れる。
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