壱 地上の送人

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「あっ、里の方!おはようございます、中々姿が見られませんでしたので、来てしまいました。」 「(しず)!其方が、この布を…?」 「ええ、お腹を冷やしてしまわれないかと…」 「ありがとう。」 静は近所に住む若い独り身の女である。焔岳は里の方に住んでいることから“里の方”と呼ばれており、共に水汲みなどに行く仲である。 「ところで、少々うなされていらっしゃったような…?」 「いや、気にしないでくれ。ここ数日、あまり寝られなかったためであろう。」 「左様ですか…お元気になられたならば幸いです。」 静は明るく優しい女性だ。彼女といると、焔岳は仕事の疲れがどっと飛ぶように感じるのだ。故に送人の仕事を続けられていると言っても過言ではない。それ程までに、静の存在は焔岳の心の拠り所となっていた。焔岳は静を見送ると、晴れやかな気持ちで朝の支度を始めた。  それから数日後。もうすっかり体調を回復させた焔岳は、いつものように水汲みや炊事など、家のことを済ませていた。焔岳は収穫した大豆を抱え、静の家を訪れていた。 「あら、里の方。どうされました?」 「いやはや、先日とった大豆を是非食べて頂きたいと。」 「ありがとうございます。ですが、私これらの野菜を奉納しに行かねばなりません。」 「かなり量があるだろう。我も共にいいか?」 「良いのですか?」 「ああ。」 季節は夏、連日猛暑が人々を襲うのだ。静の家は貴族の荘園の一部を貸与されており、いくらかの野菜を育てている。一方、焔岳は狭いながらも土地を開墾しているので、そこで米と大豆を育てているのだ。そのため負担は静より少ない。それに、焔岳は女ではない。焔岳は彼女の作物を一部持ってやり、共に領主のもとへと向かっていった。 「それにしても、今年の大豆も美味なのでしょうね。」 「ああ。食したところ、美味であった。我ながら満足だ。」 「きっと、阿弥陀さまもお喜びになられることでしょう。」 「この野菜も、艶もあり元気そうだ。神々にも感謝せねばな。」 「ええ。」 二人はそんなことを語りながら、無事に領主へと奉納した。  しかし、焔岳が平穏に過ごせたのはこれが最後であった。その帰路、二人は林道で雨に降られてしまった。熱さは随分とマシになったが、地面がぬかるんで歩きづらい。それに、辺りも暗くなってしまった。 「もうすっかりお天道様も沈んでいらっしゃる…」 「だが此処を抜ければ家に着く。もう少しだ。」 「ええ。」 そう言って、再び歩みを進めた。が、それから数刻後、焔岳は突如意識を失ってしまった。ドサ、と音を立てながら倒れていき、やがて何も見えなくなってしまったのだ。  それから暫く経ち、焔岳は目を覚ました。未だ林の中、もう美しい満月が見えている時間である。 「随分と眠っていたのだな…ん?」
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