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「夜明けまで、もう少し時間がある。昔話に付き合ってくれるかい?」
「俺でよければ」
「君に聞いて欲しいんだ」
そう言われて、小さく頷く。ゆっくりと頬を撫でられる。気持ちよくて瞼を閉じると、穏やか声で周は話し始めた。
「私の実家は、多摩の奥深くにある神社なんだ。本家はとても由緒正しいけれど、うちは分家だったから本筋とはかなり離れてしまっていたらしい」
「離れていた?」
「そう。有り得ない考えが常識としてまかり通っていた。狐憑きが大切にされていたんだ。そのために大きな屋敷も作られていた。分家として、本家に負けたくないという気持ちもあったんだろう。俗世間から隔離され、狭い世界で生きていた」
狐憑きだなんて。子供の頃はまだしも、今は誰も信じちゃいない。本気で言っていると逆にその人の方がおかしいと思われる。
でも、周の生きてきた世界ではそれが当たり前だったのか。
「外から人が来ることもない。だからどうしても身内同士で結婚する。そうすることで狐憑きが生まれやすいと考えていたんだ。……本当、恐ろしい話だけど」
何と言ったらいいか分からず黙り込んでしまう。笑い飛ばすことも、同情することも、どちらも正しくないと思ったのだ。
「私の母はとても綺麗な人だった。薄い色をした瞳は、まさしく「お狐様」だと言われていたらしい。だから、祖父母は母を完璧な狐憑きにしたかった。そのために、本家の次男を婿にした。それが、私の父だった」
「政略結婚?」
「まあ、そうだね。本家の血が混ざればより強い霊力を持った子供が生まれ、その子も狐憑きになると思っていたんだろう。二人の気持ちなんか考えもせず、お互いの名前も顔も知らないまま結婚した。でも、幸か不幸か父と母は本当に愛し合うことになる」
周の母親は瞳の色が薄かったらしい。だったら、周は母親似なのかもしれない。驚くほど整った顔立ちもきっとその影響だろう。
それに、どこか世間知らずな一面があったのも、ずっと狭い世界にいたからだ。俺は周のそんなところが可愛らしいと思っていたけれど、もしかしたら周にとってみれば触れてほしくないことだったかもしれない。
「私が生まれ、その翌年には弟が生まれた。母に似た薄い色の瞳と、父そっくりの白い肌に長老たちは大喜びだったそうだ。ようやく本家を越えられる、素晴らしい狐憑きが生まれた、と」
「でも、貴方は狐憑きなんかじゃ」
「……そう。当然ながら私も弟も、極めて普通の子だった。霊力なんか持っちゃいない。占いも、幻視も、憑依も出来ない。でも長老たちは諦めなかった。元々女系の一族だから、女として育てることになったんだ。そして昔から霊力が高まると言われる秘薬も飲まされた」
「阿片とか……?」
「いいや。土地の作物で作られた酒だ。一体何が入っていたか知りたくはないけれど、少なくとも五感が鋭くなる作用があったことは事実だね」
そこでようやく腑に落ちた。周が酒を苦手としていた理由は、これだったんだ。それし少しでも酒を口にすると五感が鋭くなってしまうのも。
全て、幼い頃にされていたからだ。
「毎日、両親から引き離されて狭い部屋に入れられていた。美味しくない秘薬を飲まされ、訳の分からないことを何度も尋ねられる。分からないと言えば殴られ、適当なことを言ったら蹴り飛ばされた。夜になると親の元に返されたけれど、朝が来ればまた同じことの繰り返し。そんな日々を過ごしていた」
「そんな……」
たまらず、周を強く抱きしめる。少しでも今が幸せだと思えるように。今更こんなことしても過去は変えられない。でも、そうすることしか俺には出来なかった。
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