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俺も、思い返してみれば厳しい躾をされて来たと思う。父は武士で、母は武家の娘。お前も武士の息子なんだからと礼儀作法から躾られた。それでも毎日一緒に居られたし、話しかければ優しく接してくれた。
姉も、兄も、末っ子の俺を甘やかしていたと思う。周は、それさえも受け取れなかったのか。一番甘えたい時に、両親から引き離されていた。だから、たまに俺の腕を引き寄せるのか。まるで子供みたいに。追いすがるように。遠くに行かないで、と言わんばかりに俺を引き寄せていた。
俺は、どこにも行かないというのに。
「そんなある日、長老たちが集まって何かを話していた。私は幼くてよく理解できなかったけれど、不意に母の名前が聞こえてきたからきっとこれは大切なことなんだとすぐに分かった」
そうして、周は深くため息をつく。少しだけ手が震えていた。
「無理しなくていい。苦しいならまた今度でもいいから」
「いや、話すよ。話したいんだ。君に知っていて欲しい」
「……わかった」
ここから先はきっと周の人生で一番苦しかったことなんだろう。無理に思い出して、苦しむことはないのに。そこまでして話したいという気持ちに、俺はどう向き合えばいいんだろう。
ただ抱きしめることしかできない俺は、必死になって腕に力を入れた。
「生まれた子供がお狐様じゃなかった。本家の血を入れたのに駄目だった。それなら他の血を入れたらいい。ちょうと本家にはあと一人、未婚の男性がいる。その人となら良い結果が得られるかもしれない……長老たちは、自分たちの都合で父と母を結婚させ、また自分勝手な理由で他の男を当てがおうとしていた。私が、お狐様じゃなかったばかりに」
「そんな、周は悪くないだろう!」
「うん、でも、その時はひどく後悔したよ。私に力があれば、とも思った。でもそれは父も同じだったようだ。寝室に戻ると、父と弟が揃っていて、私に座るよう言ったんだ」
幼い子供を前にして、彼の父は何を思ったんだろう。大人たちの都合で振り回される子供に、何を感じたんだろう。胸が、張り裂けそうに傷んだ。
「父が話してくれたのは簡単なことだったよ。私たちに、生きて欲しい。ただそれだけだった。もう以前から覚悟は決めていたんだろう、売れば金になるような宝物を袋にまとめていて、それを渡された。それから江戸までの地図と、何日分かの食料も。生きてさえいればきっと何とかなる。でもここに居たら生きていけない。だから逃げなさい、と」
生きろ、だなんて。それはあまりにも重たい願いだ。
「それから先のことはよく覚えていない。弟の手を握って山を降りる道まで辿り着いた時、本殿から大きな音が響いた。振り返ると大きな火柱が立っていて、建物だけじゃなく森まで燃えていたんだ。両親は、愛する人を愛したまま生きたかった。そしてこれ以上の不幸が続かないよう、命懸けで断ち切ろうとした。私と弟は、二人ぼっちになってしまったけれど」
これで終わり、と言う周は、普段とあまり変わらない表情をしていた。困ったように笑う顔も、優しく俺の髪を撫でる手つきも。何もかも、いつも通りに感じた。
でもそれが周の優しさだってことはよく知っていたから、癖のある柔らかい髪を何度も何度も撫でてやった。
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