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狸は追いかける
春樹と連絡が取れなくなってから1週間。
昴はどうしたものかと頭を抱えていた。
先週の土曜日、春樹の様子がおかしいことは明らかであった。それは、カフェで春樹と同い年くらいの男に出会ってからだ。
親しげな愛称で呼び合っていた男。
彼との関係はなんとなくの予想はつくが、あまり深くは考えたくない。醜い感情が溢れてしまいそうだから。
でも、もし彼と春樹との関係性が、連絡が取れない現状と関係があるのならば、そうも言ってられない。
そう思い立ったのが昨日の出来事である。本当だったら春樹に会えていたはずの金曜日。
想像以上に空虚感があり、行動を起こすことを決意した。
ただ、家に押しかけるのはさすがに抵抗があった。癇癪を起こした子どものような行動をとるわけにはいかない。
そして、今、昴は喫茶店ナポリタンに居る。例の男がまた訪れるのではないかと予測しての行動だ。
ただ、勢いでやってきた。
実際会ったら何を話すかなんて、何一つ考えていない。
それでも、彼と話すこと、彼と春樹との間に何があったのか、それを知ることが春樹との距離を縮めるには必須であるような気がしたのだ。
そして、それは彼も同じではないかと、だからこそ、ここに来れば、彼と会えるような確信にも似た予感がある。
店内に響いた乾いたベルの音が、その予感が的中したことを知らせる。
「「あ……」」
扉が開くとすぐに目が合い、同時に言葉をこぼした。
引き寄せられるように、こちらへとやってくる。
「……この前、春と一緒に居ましたよね? 今日は春は居ないんですか?」
「春樹さんとはお知り合いなんですか?」
「あ、高校の同級生で」
「高校時代の春樹さんか。想像つかないな。いつも大人の余裕みたいなの醸し出してるからな」
「あー。春は案外人見知りだからな」
目の前の男が切れ長な瞳を細めながら言う。
親しげな呼び名、自分の知らない高校時代の春樹。
醜い感情がじわりと体に広がる。
しかし、昴はそんなことはおくびにも出さず、笑みを浮かべる。
「へー。そんなイメージ全くないな。よかったら春樹さんの学生時代の話とか聞かせてもらえませんか?」
「ぜひぜひ。逆に大人っぽい春ってどんな感じか気になるな」
男は楽しそうに笑いながら、昴の前に座る。それは、面を貼り付けたような、不気味なほどに綺麗な笑みだ。そして、恐らく自分もその面をつけているだろう。
男はサーブされたコーヒーを一口飲み、ふぅと一呼吸つく。
そして、本題といったようにこちらへまたニコリと微笑みかける。
「とりあえず名前からかな。俺は秋山友晴って言います」
なるほど、それで「とも」か。
「伊藤昴です」
「昴くんは学生?」
「はい。大2です」
「へぇ、若いな。そんな若い子がなんでまた。春とはどこで知り合ったの?」
急にタメ語で馴れ馴れしく聞いてくる態度にイラつく。
まぁ多分、理由はそれだけではないが。
そして、この質問にどう答えるのが正解か。正直に言うべきか否か。
逡巡している昴より先に、友晴が言う。
「もしかして付き合ってる?」
「え」
「ただの友達ではないでしょ?」
何も答えない昴に友晴は続ける。
「雰囲気でわかるよ。この前春が出てった時、すごい心配そうに追いかけてったし」
「別に友達でも心配すると思いますけど」
「そこまで親しくなってて、春が友達で満足するはずないからね」
ポロリと友晴の仮面が一欠片落ちる。
「春樹さんが隠してたらどうするつもりだったんですか。人の性思考をそんなにペラペラ話すのはいかがなものかと」
「春は学生の時からオープンだったから。もちろん隠してたら配慮してたよ」
「学生の頃と今とじゃ違うでしょ」
「人間そこまですぐには変われないよ。まぁ職場の人とかだったら流石に言わないけど。学生とただのお友達やってるわけないでしょ」
ポロポロと、友晴の仮面がどんどん剥がれていく。
春樹の仮面の下はきっと綺麗で可愛くて愛しいが、この男の仮面の下はきっと醜くておぞましい。
「まるで春樹さんのこと何でも知ってるような口調ですね」
「まぁ、10年以上の仲だしね」
再び、じわりと言いしれぬ不快感が広がる。
「……つきあってたんですか?」
「後半3年くらいはね」
じわりじわりと、ゆっくりと、とめどなく広がっていく。
「俺のことなんも聞いてない?」
「はい」
「そっか」
呟き俯いた友晴の顔にはうっすら笑みが浮かんでいた。作り笑いではなく、安堵の気持ちが滲み出た笑顔。
春樹にとって昴は大した存在ではない。
まるで、そう思ったのかのように。
「なんで別れたんですか」
「俺が結婚することになったから」
友晴は本当になんでもないように、当たり前のようにそう言った。
ふと、春樹の両方いけるやつとは付き合わないというセリフが頭によぎる。
「別れたから結婚したんじゃなくて、結婚するから別れたってどういうことですか」
「そのままの意味だよ。両親が厳しい人でね。結婚しろって圧がすごかったんだ」
「だから春樹さんを捨てたんですか? 男だから、結婚できないから、春樹さんを捨てたんですか?」
不快感が怒りに変わっていくのを感じる。
「まぁ……そういうことになるね。でも、しょうがなかったんだ。あの時は、ああするしかなかった」
その瞬間、店内に大きな音が響く。周囲の視線が一気に集まり、自分が机を思いっきり叩いたことに気づく。
「昴くんはゲイ? バイ? 俺はね、基本ノーマルなの。男と付き合ったのは春が最初で最後」
友晴は落ち着き払った様子で言う。友晴がこれから言わんとすることがなんとなく予想でき、心臓がざわつく。
「つまりね、結婚しようと思えばできるし、子供も作れるの。どっちの方が世間的には生きやすいかはわかるよね?」
ああ、わかる。痛いくらいにわかる。
自分もそう思っていたから。
両方いけるのに、男と付き合い続けるメリットなんてないと、そう思っていたから。
友晴への怒りは、そっくりそのまま、自分への怒りだ。
「だから、あの時は別れるしかなかった。でも、もう、俺はちゃんとやった。1人の人間としての役目はまっとうした。結婚もしたし、子供も作った、親に孫の顔を見せた」
次第に、友晴の声色が変わる。落ち着いた大人っぽい、説くような声から、激しい熱っぽい声に変わっていく。
「もう、俺には春しか居ない」
「どういうことですか」
「先月離婚したんだ。円満にね。これからも子供とは会えるし、お金も入れるし。親も納得してる。これでもう、自由だ」
「……だから、春樹さんのとこに戻るってことですか?」
「そう」
「自分の都合で捨てて、今度は自分の都合でヨリを戻そうって、そう言ってるんですか?」
「まぁ、そういうことになるね」
「……ふざけんな」
──ふざけんな、ふざけんな。春樹さんがどれほど傷ついたと思ってるんだ。今更、都合よく戻りたいなんて……ふざけんな。
昴の腹の中で怒りが沸々と煮えたぎり、溢れそうになる。
「昴くんは若いね」
「は?」
昴は鋭い目つきで友晴を睨みつける。もう互いに仮面は取れている。
昴も友晴も、互いへの嫌悪感を隠さない。
「そうやって熱くなるとことか特に」
「俺、今喧嘩売られてます?」
「いや、そんなつもりはないよ。ただ、なんか眩しいなって」
そう言って微笑む友晴の瞳は、真っ暗だ。
なんだろう。先程から感じていたが、友晴の瞳は感情のないブラックホールのような瞳だ。
何かを諦めたような、そんな瞳である。
「それで、結局昴くんは春とは付き合ってないんだよね?」
「付き合ってはないけど、好きです。大切にしたいと思ってます」
口に出してみると、ぴたりと心にはまった。春樹のことが好きだ。これまで、感じたことのないほどに。
大人っぽい春樹も。常に何かに耐えているような痛そうな春樹も。そして、春樹の弱い一面を見れば、さらに好きになるだろう。
大切にしたいと思う。どろどろに甘やかしてあげたいと、そう思う。
「あなたに春樹さんは渡したくないです」
「昴くんがそう思ってても、春は違うと思うな」
「捨てておいて、よくそんなこと言えますね」
「春はいつも優しく俺の選択を受け入れてくれるんだ。春だけがいつも本当の俺を受けれいれてくれる。弱い俺も、醜い俺も。あの時だって、春が寝ている間に黙って出ていったのに……。あんなに酷いことしたのに受け入れてくれたんだ。今回もきっと受け入れてくれる。神谷春樹はそういう人間なんだよ」
なんの疑いもなくそう言う友晴に、苛立ちを超えて恐怖すら感じる。
そして、不思議と全ての点と点が繋がったような気がした。
春樹が頑なに本気で付き合おうとしないこと。特にバイを毛嫌いしていること。
いつも自分より先に起きていること。
春樹の寝顔を見たことがないこと。
ああ、そうか。
全部、こいつのせいだ。
春樹の仮面の下はどんなものが隠されているだろう。出会ってからずっと考えていた。
今ならわかる。
きっと、泣いている。
1人で泣いて、ずっと耐えているだろう。
今すぐ抱きしめて、拭ってあげたい。強い感情が身体を埋め尽くす。
何が子供っぽく思われたくないだ。何が必死だと思われたくないだ。
自分は春樹に比べたらまだまだ子供だし、友晴に比べたら春樹のことは何も知らない。それでも春樹にこっちを向いて欲しくて必死だ。
そんなの今に始まった事ではないじゃないか。でも、そんな自分だからこそできることがある。きっと、必ずある。
もう、迷いはなかった。
昴は荷物を持ち、机に1000円札を置き、立ち上がる。
この男から聞けることはもう聞いた。これ以上話しても無駄だ。
──それより、今すぐに春樹さんに会いたい。
「あれ、帰るの? もしかして春のとこ行くのかな?」
「はい。貴重なお話ありがとうございました」
「いえいえ。また機会があれば」
互いに再び不気味な笑顔の仮面をつけ言う。
昴は、店を出ると春樹の家へと駆け出した。
目の前には見慣れた木造の扉がある。数年前まではほぼ毎日来ていた場所。
最近になって、再び来るようになった場所。そして、中には思い出したくない過去の人物がいる。
いつもはなんとも思わない扉が、ひどく重たく感じる。
なんとか扉を開けると、からんからんと聞き慣れた乾いた音が鳴る。
「春」
入るとすぐに、視界に入るだけで頭の痛くなる人物が微笑みかけてきた。
何もかもを忘れたかのように、いつもの笑顔で微笑みかけてきた。
「……昴と会ったってどういうことだよ」
友晴の方へとずんずんと歩みを進め、心臓が飛び出るかと思ったメッセージの内容を投げかける。ずっと友晴からの連絡は無視していたのに、このメッセージだけは無視できなかった。
「ついさっきまで一緒に居たよ。まぁ、とりあえず座りなよ」
そう言う友晴は、不気味なほど、綺麗な笑みを浮かべていた。
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