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4 姫の呪い
古城。マリアは去っていく馬上のファビオの背を愛しそうに見ていたが、やっと婆やに振り返った。
「婆や。ファビオは帰ったわ。もう見えないもの」
「まだです……戻って来るかもしれません」
「どうして?私を送ったから、もう彼はすることがないでしょう」
東の太陽。風に髪を靡かせていたマリア。婆やはため息をついた。
「何を言っているのです。あの男はあんな怖い顔をしていますが。姫様を心から心配していましたよ」
「いいえ?彼はただ、使命感で、そうしていただけよ」
「おお、姫様……」
婆やに見せた一瞬、悲しげな顔のマリア。ここで笑顔を見せた。
「もういいのよ。さあ、本当に行きましょう。天気がいいうちに」
「はい」
ここで。マリア一行は馬に乗った。昨夜運んだ少ない荷物をまた馬に乗せた。馬車はもう無いマリア。自ら馬に乗った。そして古城を後にした。
やがて。マリアと側近達は森のさらに奥の田園地帯にやってきた。
「爺や。まだ進むの?」
「姫様。あの塔でございます」
「あの教会ね。やっと着いたわね」
ここで。一行は馬を降りた。中から老齢の神父が出てきた。マリアは挨拶をした。
「神父様。これからお世話になります」
「おお姫よ。こんなところで、何も用意ができていませんが、どうぞお過ごしくださいませ」
「もう姫はよしてください。どうかリリーと呼んでください」
そして。彼女は側近と一緒に荷物を運んだ。
ここは村はずれの教会。老齢の神父とシスターが管理していた古い教会である。マリアはミドルネームのリリーとして今日からここに住むことにしていた。一緒に住むのは年老いた爺やと婆やと侍女一人だけ。あとは故郷に帰すことにしていた。そんなマリアは必死で支度を整えた。そして、側近達を翌朝、笑顔で送り出した。
「さて!畑に行ってくるわ。爺やは薪割り、婆やはシスターと一緒にパンをお願いね」
「かしこまりました」
「姫様。無理なさらずに」
「もう。二人とも姫は無しよ?行ってきます」
マリア。笑顔で畑にやってきた。まずは草取りだった。
……よかった。みんな無事で。
呪い姫と言われた自分。幼い頃から離宮で人知れず育った。自分の身分は異母姉達から散々嫌味を言われながら育った。そんなマリア、人とは違う力が備わっていた。それは人に取り憑いたものが視える、という能力だった。
それは人の強い念。亡くなった人の思い、生きている人の嫉妬、妬みそして殺意。それらが彼女に視えていた。
幼い頃のマリアは、霊と生きている人との違いがわからず、何もないところで話をしたり、本人も知らない出来事をいい当てたりするため、人々は彼女を呪い姫といい、人から避けて育てた。
しかしマリアが五歳の時、転機が訪れた。それは同じ能力を持つこの教会のシスターの訪問だった。シスターは別件で離宮を訪れた際、マリアの気配に気づき彼女に会った。シスターはこの霊能力のコントロールをマリアに伝授してくれた。これをマスターしたマリア。霊に怯えていた日々を卒業した。
だが。一度ついたレッテルを剥がずのは難しく。マリアは呪われ姫として今まで過ごしていた。このマリア、離宮での暮らしは冷遇であるが、面倒なパーティーや外面だけのお茶会も行かずに済んでいた。これを楽に感じていた彼女、あえて呪い姫のままで過ごしていた。
……良い土ね。ここは何を植えようかな。
離宮で暮らしていた時から庭で草花を植えていた彼女。日差しの中。気持ちの良い汗を流すマリア、ふと彼を思い出していた。
……やっぱり、優しい方だった。
マリアは彼の腕の中を思い出していた。
……強くて、暖かくて。そしてなんていうか、居心地の良い……あ?恥ずかしい。
一人頬染めるマリア。ファビオの香りを思い出しながら、また畑の草をむしりだした。
離宮で過ごしていたマリア。暇だった当時の彼女、何気なく城内の人物を霊視していた。その時、彼女は信じられない人物を目撃したのだった。
◇◇◇
半年前、離宮にて。
……どうしよう。あの騎士……とんでもない霊がたくさん取り憑いている……
密かに見回りの騎士を見ていたマリア。それは今まで見たことがない、恐ろしい黒い塊だった。思わず隠れてしまうほどの恐怖のマリアであるが、その騎士は霊には気が付かず、肩を痛そうに動かしていた。
……ああ。右肩が痛むのね。お気の毒。体に呪いのものが入っているせいだわ……
それを伝えても不気味に思われるだけと知っている彼女はただ、見ているだけだった。こうしてマリア。全身呪われている彼を目で追う日々が続いていた。
彼は悪霊の力があまりに強く、霊感のない人々も彼を恐れていた。これほど悪霊に取り憑かれているのにそれに気が付かない彼にマリアは、すっかり興味を抱いていた。
そんな彼女に王から連絡が来た。
「マリア姫にはこの離宮を移っていただきます」
「……それは、チャールズ王の命ですか?それとも王子の」
チャールズ王は老齢であるが、マリアの異母兄である。王は老齢のため、王子に政治を任せていた。この使者はサラリと説明をした。
「これは王子の命令です。本来であれば、姫は結婚されるお年ですが。この離宮は古過ぎます。姫様は空気の良い古城に移っていただき、そこで花嫁修行も良いかと」
使者の巧な言葉。呪い姫の自分には縁談など来ないこと、マリアは知っていた。彼女は静かに書を閉じた。
「……わかりました。王子の御心に感謝申し上げます」
「では。そのように」
使者が帰った部屋。マリアはため息をついていた。ここに爺やが血相を変えて入ってきた。
「姫様!ここを出るのですか?」
「爺……私の言った通りでしょう?いつか追い出されるって。でも、なぜ今なのかしら」
その後、マリアの侍女が噂を嗅ぎつけてきた。
「姫様。それは王子のお子さん問題のせいです」
「カルロス王子は去年、結婚されたけれど、確かにお子さんがまだね」
「それなんですよ!現在、お妃様が祈祷治療を受けておいでですが。噂によると王子の方に呪いがかかっているという噂で」
「カルロス様が……ああ。確かにそうかもね」
第一王子のカルロスはマリアにとって甥になるが、彼の方が十歳年上である。幼い頃から病弱だった彼をマリアは思い返していた。
「王子には歴代の王の怨念というか、期待がのしかかっている感じだもの」
「恐ろしいです。あ!そしてですね。話を戻しますが、王が王子のために占い師を呼んだところ。その、あの」
「子供ができないのはこの私がいるせい、ということになったとね。なるほど」
マリアは満足そうにうなづいた。しかし侍女は打ち消すように首を横に振った。
「そんなの言いがかりです!姫様はただ幽霊が視えるだけですもの」
「興奮しないで?理由がわかれば納得できるわ、さて。これからが問題よ」
……チャールズ王は。今まで私をそっとしておいてくれたけれど。カルロス王子は私のことが気に入らないのね。
離宮から移ることになったマリア。そんな自分の移動の護衛の騎士を知らされた。
「え?離宮の騎士ではないの?」
「はい。この通達によれば、王子派の騎士のようですね」
「見せてちょうだい……おお、爺や。この騎士達はね、お酒を飲んで暴れたり、禁止の賭博。それに喧嘩が原因で、謹慎中の騎士達よ」
「なんと」
……この騎士達が護衛だなんて?王子は私を守るんじゃない。殺す気なのね。
離宮を去れと言われた時から。マリアは王子が自分の暗殺を狙ったものも想定していた。しかし。これが確証に変わった。王子は自分を殺すつもりなのである。
ここ離宮にて。マリアを暗殺するのは容易いであろう。しかしそれをしないというには何か理由があるとマリアは思った。
……占い師の指示か。もしくは城の警備の不手際を指摘されるからかな。
「でも、弱ったわね。護衛が信用できないなんて」
「姫様。他の騎士にしてもらいましょう」
「爺。そう簡単にいうけど。誰も知り合いなどいないわ」
「あの悪霊の騎士はいかがかですかな」
「え」
爺や。姫のために調べてきたと書を開いた。マリア、なぜか胸がドキドキしてきた。
「あの悪霊騎士って。あの、あの方?」
「そうです。姫がいつも見ているあの強面の大男です。ええとですな。姫様。あの男の名前はファビオ:ロシターといいます。ロシター卿は剛腕で知られていますが、現在、治療中のため城内の事務仕事とのことです。それにですな。彼の家は昔から王派に仕える信用できる騎士です」
「……ファビオ:ロシター卿、とおっしゃるの?」
「え。ええ」
何やら怪しい王子の策略の空気の中、これに対抗する王派の騎士なら心強いはず。これにマリア、頬を染めていた。
「でも。引き受けてくれるかしら」
「ダメで元々。早速爺が申し込んで来ます」
マリアが心配で必死に動いた爺であるが。ファビオはこの護衛を健康上の理由から断ってきた。マリアはソファで崩れていた。
「そう、か……」
「姫様!申し訳ございませんでした」
「いいのよ。こうなるって、思っていたから」
……あんなに悪霊がついているお方だから。私のことを気にしないと思ってけど。やっぱり無理ね……
夜のバルコニー。マリアは星を見ながら涙に暮れていた。
しかし。数日後、彼が引き受けてくれると返事が来た。爺やの前、マリアはこの知らせを胸に抱いた。
「姫様。よかったですね」
「うん!嬉しい……」
……ああ。私はこれでもう思い残すことはないわ……
憧れの大男に会える日を、マリアはこうして待ちわびていたのだった。
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