1日目(1)

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1日目(1)

………………  船底に叩きつけられた波の音を聞きながら、オクトは目を覚ました。  こんなにゆっくりと身体を休めることができたのはいつぶりだろうか。  眠気をほとんど感じないスッキリした目覚めにしばらく懐かしさを感じていたが、それはすぐに焦燥感に変わっていく。  「しまった! 俺はどれぐらい寝ていたんだ? これじゃ1、2時間の遅刻じゃ済まされないぞ!」  慌てて体を起こすと、そこには見知らぬ部屋が広がっていた。  畳10畳分ほどの広さだろうか。素人目でも分かる程の高級な家具によって装飾されている。  天井には小振りのシャンデリアが吊るされており、壁には50インチはありそうな大型テレビが取り付けられている。テレビの下には何処ぞの貴族が使うような洋風の机と柔らかそうな椅子、その横には立派なタンスが置かれていた。  ダブルサイズはありそうな広いベッドから立ち上がり、異様なほど柔らかいカーペットの感触を足下で感じながらオクトは窓へ歩いた。  シルクのような手触りのカーテンを開けながら、オクトは絶句する。  波の音で薄々勘づいてはいたが、やはり窓の外には海が広がっていた。どうやら、船に乗っているようだった。  「どこだここは? 俺は夢でも見ているのか?」  目の前のあり得ない光景に思わず独り言を漏らしてしまう。  それもそのはず、今さっきまで駅のホームにいた確かな記憶がある。にも関わらず、どう見ても今は駅から遠く離れた海の上に自分はいる。  今の状況を解釈するとしたら、夢を見ていると言うのが一番合理的であるだろう。  しかし、足下に伝わるカーペットの確かな感触がその解釈は間違いであると語る。  ならば、なぜ目を覚ましたら全く身に覚えのない場所にいるのだろうか。オクトは自分の気を失う直前の記憶を懸命に探し出そうとする。 (そうだ、俺は確か何者かに何かを注射されて……それで気を失ったんだ……)  ならば、自分が今この場所にいる可能性として一番高いのは、何者かに船の上に誘拐されたというところだろうか。  駅にいたオクトを注射によって気を失わせ、目を覚ますまでの間にここに誘拐したと解釈するのが今のところ、一番合理的だろう。  だが、もしこれが誘拐だというのなら、手足を拘束されていない理由が分からない。試しに外に通じると思われるドアのドアノブを回すと、それは下までスムーズに回った。  つまり、その気になれば部屋から出ることもできるということだ。  窓の外を一瞥したオクトはすぐにその答えに辿り着く。ーーそう、犯人はオクトを拘束する必要がないのだ。  窓の外は見渡す限りの大海が広がっており、陸の影すら見えない。例え船から飛び降りても、泳いで何処かに逃げるのは不可能だろう。  つまり、この船自体がオクトを閉じ込める大きな檻だと言えるのだ。  窓の外に見える、本来救命艇が設置されるべき場所から、ご丁寧に救命艇が外されていることがオクトの考えを裏付けていた。  ならば、なぜ自分が誘拐されたのか。その理由が分からない。  地位も権力も、金も無いオクトに誘拐される価値など一体何処にあるというのか。  それとも、犯人は自分をどこかの御曹司にでも間違えたのだろうか。  ふと、オクトは自分の左腕にスマートウォッチのようなものが括り付けられていることに気がつく。  「なんだこれ……」  一見すると高級そうな代物ではあったが、どのボタンを押しても反応はない。外そうと留金を探したが、いくら探しても見つからなかった。  「なぜ誘拐犯はこんなものを俺に付けたんだ? 居場所を把握するためのGPS代わりなのか?」  とりあえず、まだ右も左も分からないこの状況で、無理矢理外そうとするのはあまり得策だとは思えない。兎にも角にも今は、自分が現在置かれている状況を少しでも多く把握することが何よりも先決だろう。  そう考えたオクトは、他に状況把握に役立つものはないか、部屋の中を弄り始める。  すると、机の引き出しからラジオペンチなどの工具類と、小刀と大型のサバイバルナイフがそれぞれ2本、ハンマーとノコギリ、そしてメリケンサックがそれぞれ一本出てきた。  それとーー  「なんだこれは……、拳銃の模型か? にしてはかなりの重量だな。それに、やけにリアルな銃弾も置いてある」  犯人が置き忘れた武器類だろうか。それにしてはあまりにもあからさまに配置されている気がする。  工具や武器が置かれていた引き出しは全てに鍵穴が付いていたが、そのどれにも鍵がかかっていない所が不自然さに拍車をかけていた。 (……これでは、まるでどうぞ自由に使ってくださいと言われている気分だな)  犯人の意図が分からないが、とりあえず護身のために小刀を一本ポケットに忍び込ませておく。  タンスの引き出しを開けると、どの引き出しからも衣類が出てきた。外着から下着まで丁寧に揃えられており、数枚広げてみたが、どれもオクトの体のサイズに合っているようだった。  もしかすると、犯人はオクトを長期間船内に閉じ込めるつもりで、これらの衣類はそのための着替えといったところだろうか。  「くそ……!!」  今まで冷静を装って状況把握に努めていたが、ついに堪忍袋の尾が切れる。  オクトにはこんな場所で無駄に費やす時間などない。一刻も早く彩の側に戻らなければという想いが彼を苛立たせる。 「目が覚めたらいきなり誘拐されているだと? ……ふざけんなよ!!」  運命に弄ばれ、家族を失い、ただ妹と少しでも長い時間共に有りたいという、そんな細やかな願いすら無情に踏み躙られる。  なぜ自分ばかりに理不尽なことが続くのか、意味が分からない。  「くそ……!!!」  怒りに任せて壁を思いっきり殴りつける。  すると、腕から痛みが段々伝わるにつれ、少しずつ冷静を取り戻すことができた。 (……ここで嘆いたところで運命が変わるわけじゃない。今俺にできることは、少しでも早く彩の元へ戻るために、ここから脱出できる可能性を僅かでも見つけることだけだ)  自分自身にそう言い聞かせ、オクトは部屋の探索を続けた。  やがて部屋の探索を一通り終えたオクトは、いよいよ外に通じると思われるドアノブに手を掛ける。  ドアの鍵が予め外されていたことや、手足を拘束されていないことなど、今まで集めた状況を鑑みるに、部屋から出ても恐らく問題はないだろう。  だが、部屋の外に出た瞬間待ってましたとばがりに犯人に捉えられる可能性もゼロとは言えない。  もしそうなれば、例え自分は人違いですと、丁寧に説明して誤解を解かせることができたとしても、犯人側はオクトを安全な場所までわざわざ連れて行って逃してくれるのだろうか。  いや、そんな面倒なことはしないだろう。情報隠滅的な意味でも、オクトはそのまま海に捨てられる可能性の方が高い。  オクト自身が死ぬということは、必ず彩の死を早めることに繋がるだろう。それだけは、絶対に起きてはならない。  そのことが、オクトのドアを開ける手を鈍らせる。  だが、いくら可能性を恐れたところで、部屋から出ない限り、一生彩の元には帰れないのもまた事実だ。  結局、焦りに背中を押される形で彼は覚悟を決めてドアを開けた。  そこには案の定通路が広がっており、部屋の中から覗く限り人の姿は見えなかった。  オクトは慎重に部屋の外に出る。  …………。 (どうやら、やはり誰もいないようだな……)  一先ず危険はないことを確認し、オクトは一息つく。  「……貴方も攫われてきたの?」  だが、ほっとしたのも束の間、オクトは背後から声をかけられる。  すると、開かれたドアの影から、一人の女性が現れた。  急に声を掛けられたことに驚き、反射的にオクトは声の主の顔を覗く。  「な……!?」  再び、オクトは目を見開いて驚いた。  「!! せっ、……誠一!?」  なぜなら、目の前の人物は、彼のよく知っている顔をしていたからだ。  「……まだ寝ぼけているのね。私の名前はありさ、白幡 有紗よ」  そこで、オクトはやっと自分が人違いをしていたことに気がつく。  誠一はオクトの中学時代の友達であり、人間嫌いな彼にとっては珍しく気が合った人物である。  確かに、目の前の人物は彼のかつての親友に酷似していたが、残念なことに性別が違っていた。  「すまん、人違いをしていたようだ」  すぐに冷静を取り戻したオクトは、彼女に語りかける。  「ところで、お前はさっき『貴方も』と言っていたのだが、お前も誘拐されたのか?」  彼女はオクトを見かけた際、第一声に『貴方も攫われてきたの?』と発した。つまり、彼女もオクトと同じく、いきなり攫われてきた者同士なのだろうか。 (……いや、もし攫われたのが俺とコイツだけなら、コイツは俺も同じく攫われたという事実に気がつくはずがない)  オクトはすぐに自分の思い違いに気がつく。 (むしろ、俺を攫った側だと認識する方が自然だろう)  いきなり見知らぬ場所に誘拐されて、目の前に急に見知らぬ人が現れたら、普通はその人を自分を誘拐した犯人ではないかと疑うのが自然な反応だろう。  にも関わらず彼女はオクトを見つけた瞬間、一瞬でオクトが自分と同じく攫われたの者だと確信していた。    ならばなぜ、彼女は一瞬のうちにオクトを誘拐した犯人ではなく、彼女と同じく誘拐された側ということを見抜けることができたのか。  ここまで考えれば、もはや答えは一つしかない。 (恐らくこの船に攫われたのは、俺とコイツ以外にも複数人いるのだろうな)  つまり、彼女はオクトと出会う前に、既に同じくして攫われた人間に何度も出会っているのだ。  そう考えれば、彼女がオクトを見つけた時も、攫った側ではなく、攫われた側だと一瞬で判断できたのも頷ける。  「……そして、こんなに堂々と歩いて来られることからして、攫った側は船に搭乗していない、乃至は隠れているのだな」  「……あら、なかなか鋭いわね」  どうやら思っていたことが口から思わず漏れていたようだった。オクトは咄嗟に口を閉じる。  さっき出会ったばかりの他人に自分の考えを漏らすほど愚かなものはない。事実、目の前の女性が実は攫われたふりをしているだけな可能性だって全くないとは言い切れない。  「私が起きてから今までに2人、貴方や私と同じく攫われた仲間に出会っているわ」  思考を巡らせるオクトと対照的に、目の前の女性はただ淡々と話を続ける。  「彼らとは出会った後暫くして、他に人がいないか探すため、また船からの脱出手段を探すために手分けして船内の探索を始めたわ」  「………………」  「皆それぞれ、自分の担当する場所を調べ終わったら船内のラウンジに集合することになっているの」  そこまで言うと、彼女ーー白幡はオクトに向かって手を差し出した。  「この状態を打開する為に、皆で情報共有をする必要があるわ。このフロアは貴方のいた部屋で突き当たりだから、これから一緒にラウンジに戻りましょう」    美人に手を優しく差し伸べられたら、思わず握り返してあげたくなるのが男のサガだろう。  まして白幡が提案しているのは、攫われた者同士協力しようという、ごく当たり前なものだ。  もはや、断る理由などどこにもないようにすら思える。  だが、オクトは違っていた。  「断る」  差し出された手を素早く払い除け、オクトはただ、それだけを冷たく言い放った。  こんな至極当たり前の提案をまさか断られるとは思っていなかったのだろう。  白幡は思わずきょとんとした顔で聞き返す。  「……なぜ?」  説明するのすら億劫だとばかりにオクトはその場を離れようとしたが、きょとんとした顔のままついて来ようとする白幡をうざったく思い、仕方なしに彼女の質問に嫌々答える。  「皆が攫われている時点で、情報共有したところで時間の無駄だ」  自分を覗き込むように見つめる白幡の大きな瞳を不快に思いつつ、オクトは話を続ける。  「それに、ここは海の上だ。打開策など大勢で集まったところでそう簡単に見つかるはずもない。むしろ大勢で一ヶ所に集まったら、それこそ攫った側の思うツボだろう」  「なるほど……」  白幡を説得する為に理屈を並べ立てたものの、オクトが彼女について行きたくない本当の理由は他にある。  それは至極単純な理由からだった。  ……オクトは単に、他人と馴れ合いたくないだけなのだ。  人間嫌いな彼にとって、他人との無駄な議論ほど嫌いなものはない。目の前の女もさっさと追い払って、早く一人でじっくりと彩の元に戻れる方法を模索したいぐらいだ。  「……ふふふ」  それじゃ、と言ってその場を離れようとするオクトだったが、急に白幡が発した含みのある笑いを怪訝に思い、歩みを止める。  様子を伺おうと振り返るオクトに、白幡は話しかける。  「私たち、気が合いそうね」  「は?! んだと…………」  このクソアマが!と言いかけたところでオクトは慌てて口を閉じる。  オクトにとって、何かにかこつけて同感を示そうとする輩などヘドが出る程嫌いだ。  だが、ここで白幡に感情を剥き出しにして、下手に自分に敵意を向けさせでもしたら、後で他の仲間にオクトは悪い奴だと言いふらされないとも限らない。  そうなれば、彼女達に協力したくないとはいえ、万一皆で協力しなければならない場面になったら厄介になるだろう。  そんな険悪感を向けられていることに気がつかない白幡は、オクトの姿を大きな瞳で真っ直ぐ捉えながら、颯爽と話を続ける。  「事態は恐らく、貴方が考えているほど単純ではないはずよ」  「…………何の話だ?」  「だって、おかしいとは思わない? ただの誘拐ならなぜ、犯人は姿を隠しているのかしら」    確かに白幡の言う通り、単なる誘拐ならば犯人が姿を現さない理由が分からない。  思えば、他にも不自然な点は幾つもある。    「………………」  気がつけば、オクトの白幡に対する嫌悪感が一部、疑問心にすり替わっていた。  「更に、誘拐した私たちを拘束すらしないで、船の中を自由に歩き回らせている。肝心の船も、先程調べた限りどこか目的地に向かうわけでもなくただ海の上を浮かんでいるだけのようだったわ。…………それにこれ」  白幡はオクトの前に、自らの左腕を掲げてみせる。  そこにはオクトと同じく、黒いスマートウォッチのようなものが嵌められていた。  「私たち以外にも、誘拐された全ての人に嵌められてあったわ。…………思うにこれは、犯人が私たちにこの船の上で何かをさせるための道具じゃないかしら」  「何かをさせる? なぜそんなことをする必要があるんだ? 普通誘拐の目的といったら身代金か何かだろ」  確かに誘拐の目的といえば、普通は身代金の要求や仲間の解放など、何かしらの要求を無理矢理通す為のものだと考えるのが普通だ。  今置かれている状況と比較すると、かなり矛盾が孕んでいるようにも思えるが、それでもオクトにはそれ以外に目的が思い浮かばなかった。  オクトは白幡を一瞥する。どうも、目の前の女は自分とは違う考えを持っているらしい。  ならば、もしかすると有用な情報を得られるかもしれないと、オクトは白幡の言葉に耳を傾ける。  そうね、と言いながら白幡は首を傾げて少し考える素振りをする。  そして、オクトが予想もしていなかった言葉を口にした。  「犯人の目的を明白に知る術は今はまだないわ。…………だけど、この状態から邪推することはできる」  「邪推…………?」  「………………」  それだけ言うと、白幡は黙ってオクトを見つめた。    「貴方はデスゲームって聞いたことないかしら?」  「…………ゲーム? いや、知らん。ゲームなんて殆どやったことがない」  「要は殺し合いだわ。例えば私たちは、これからこの船の中で殺し合いをさせられるとかね」  「はぁ…………?」  オクトは白幡の出した答えに唖然する。  一体どんな思考回路を持っていれば、自分達が誘拐されたのは殺し合いをさせる為という、意味不明な答えに辿り着けるというのだろうか。  「いやいや、そんなわけないだろ。そんなことをさせて、犯人に何の得がある」  そんなオクトの呆れた反応を気に留めることなく、白幡は窓から覗く青々とした大海を眺めながら、ゆっくりと口を開いた。  「あくまで可能性の話よ。メリットはそうね……例えばベタな解釈だけれど、お金持ちたちの見せ物として、私たちの命がチップ代わりに使われるとかかしら」  「何言ってんだお前……、バカバカしい」  白幡の出した答えに思わずため息が出る。 (たまに居るんだよな……、こういう、自分を小説の主人公かなんかと思い込む輩が)  そんな展開今時三流小説でも出てこないだろ、と言いかけたオクトはやっと白幡に対する違和感の正体に気がつく。  白幡は恐らく今起きているこの、非現実的な状況に、小説のような七転八起する展開を期待しているのだ。  そう考えれば彼女のその意味不明な考えにも頷ける。  つまり、オクトが今まで真面目に聞かされていたのは全て彼女の『こうなったらいいな』という願望だったということになる。  何か有用な情報でも持っているのかもしれないと思って聞いていたオクトにとって、白幡の答えは期待はずれもいいところだ。  別に目の前の女が何を妄想していようとどうでもいいが、そのせいで自分の大切な時間を十数秒も無駄にされたのは許せない。  このイカれた女のためにこれ以上時間を浪費するのは勿体ないと、オクトは踵を返して有紗から離れようとした。  だが、またもや白幡の背中から飛んできた一言によって行手を阻まれる。  「ならなぜ、私たち一人一人のいた部屋から武器や、凶器になり得そうな工具が置かれてあったのかしら」  「は……?」  「部屋だけじゃない。ラウンジにもデッキにも、船中の至る所に凶器に使えそうなものが、まるで使ってくださいと言わんばかりにあからさまな場所に置かれてあったわ。…………それに一人一人の部屋に一丁ずつ置かれていた拳銃。私は銃を扱った経験があるから分かるのだけれど、あれは間違いなく本物よ」  言葉が出ないオクトの目を真っ直ぐに見つめながら、白幡は話し続ける。  「もし今、ここに犯人が現れたら、これらの武器はそのまま私たちの抵抗手段になる。……ならなぜ、何のために犯人はわざわざ私たちに武器になるものを残したの?」  「それは……」  白幡の問いにオクトは言葉を詰まらせる。  確かに、思い返せばこれを単なる誘拐と決めつけるには不自然な点が多い。  例えば、誘拐されたのに手足を縛られていないのはなぜか。  白幡の言っていたことが本当だとすれば、犯人の姿が見当たらないのも不自然だ。  それに、もしオクトが考えていたように犯人の目的が身代金なら、無一文なオクトが誘拐されるのはあり得ない。例え人違いだと仮定しても一度に複数人を誘拐した理由が分からない。  極めつけは部屋に武器が置かれていたことだ。先程白幡が言っていたように、もし今ここで犯人が現れたら、これらの武器はそのまま抵抗手段となる。それこそ犯人にとって何一つ利点がないだろう。    事実、オクトにはこれらの不自然な点に合理的な根拠を見い出すことはできなかった。  「いや、でも。だがらって……」  あり得ないと言おうとしたが言葉が出ない。  先程白幡が述べていた邪推はとても正気なものとは思えないが、それを否定できる証拠が見つからないのもまた事実であるからだ。  それに、もし誘拐の目的が殺し合いをさせるためだと仮定すれば、手足を拘束されていない点、複数人を同時に誘拐した点、部屋に武器が置かれていた点など、不思議と不自然な点の大半は説明が付いてしまう。    兎にも角にも、証拠もなしに頭ごなしに否定するのはこの状況において判断を鈍らせることに繋がりかねない。ならば白幡の言ったこの推測は、あくまで可能性の一つとして取り敢えず頭の片隅に置いておくほうが良いのかもしれない。  「……まぁ、一応心に留めておくよ。因みにこの考えは今まで会った奴らにももう伝えているのか?」  「いえ……、まだ伝えていないわ。彼らは貴方ほど冷静ではなかったかから、更にパニックになるのを避けたかったの。だから頭を冷やしてもらうために、とりあえず手分けして船内を捜索してみることを提案したわ」  「ならばなぜ俺だけにお前の考えを伝えたんだ?」  これだけの状況証拠でそこまで大胆な考えを示せる白幡に若干の違和感を覚えながら、オクトは自分の疑問を素直に吐き出す。  「それは、貴方が彼らと比べて冷静でいたからよ。勿論、彼らとも落ち着いた後できちんと意見交換しようと思っていたわ」  素直に話を聞くようになったオクトを相変わらず無表情で見つめながら、白幡は話を続ける。  「私たちが誘拐された理由は何にしろ、やはり皆で協力したほうが脱出できる可能性は高いと私は思うし、貴方のような判断力のある人には尚更手を借りたいわ。それに……」  「……それに?」  「それにもし、万一私が先程言った最悪の可能性が図星だったとしたら、尚更皆で協力する必要が出てくる。なぜなら私たちに仲間意識があれば犯人の思惑である命の奪い合いにはそう簡単に発展できないはずだわ」  「……確かにそうだな」  白幡が言いたいことはつまり、例え犯人の目的が殺し合いをさせることだとしても、こちらに充分な仲間意識と団結心さえあれば、殺し合いへと発展しにくいということだ。  だからこそ、できるだけ早く誘拐された者同士協力する必要がある。  これには、オクトも賛同した。  「どちらにしても、私たちが全員でここから逃げる為には攫った側の予想のつかない行動をする必要がある。その為にも、皆で協力した方が犯人の裏をかけるはずよ」  暫く間が空いたのち、オクトは深く頷いた。  「確かにお前の言うことは全て正しいな。…………分かった。ぜひ協力させてくれ」  「うん、理解して貰えてよかった。それじゃ、ついてきて。一緒に待ち合わせ場所に向かいましょ」  それだけ言うと、白幡は前に向かって歩き出す。  今度こそ、オクトはラウンジへと向かう白幡の後ろを素直について行く。  だが、白幡は知らない。  オクトが彼女に対して賛同を示したのも、頷いて協力を申し出たのも、全て表面的なものにしか過ぎないことを。  前を歩く白幡の背中を見つめながらオクトは思う。 (……犯人の裏をかいて逃げる? そんなことを成功するわけないだろ)  相手は何人もの人間を誘拐した上に、こんな高級客船まで用意できる奴らだ。そんな奴らを相手に数人ぽっちで協力して小細工をしたところで逃げられるはずもない。  逆に逃走に失敗したら犯人側の逆鱗に触れ、全員処分される可能性の方がずっと高いだろう。  (だが…………)  だが、もし万が一白幡の考えた通り、自分達に殺し合いをさせることが誘拐された目的だとしたら………… …………希望は見えてくる。  仮に誘拐の目的が自分達に殺し合いを演じさせたるためなら、一人以上の生存枠が存在する可能性がある。  なぜなら、勝っても負けてもどちらにしろ殺されるのであれば、皆が最初から諦めてしまい殺し合いには発展しない。  要するに、殺し合いを演じさせたければ、殺し合いへと発展するような『動機』として少なくとも一人、生き残れる人がいる可能性が高いということだ。  白幡の後ろをただ黙って歩きながら、オクトはポケットに入っている小刀を撫でて決意を固める。  もし、万が一白幡の推測が当たっているのなら、その時は彼女を、そしてこれから会う全ての『仲間』を容赦なく殺してやろう、と。  …………例え、どんな姑息な手段を使っても。  どんな命も彩の命と比べれば、ゴミにすら劣る価値しかない。  (俺は彩のためにまだ死ぬことはできない。だから、お前らが俺の代わりに死んで行け……!!!)
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