セーフワードは、愛してる。

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 以後、俺はカタギではない世界に足を突っ込み、公的な医療に預かれない怪我人を診ている。中には、Normalと称して生きているから、D/S専門医にはかかりたくないといった悩みの持ち主もいた。俺には俺なりに、出来る事が存在したらしい。  今は、これで良いと思っている。  あるいは今の俺の所業を知ったら、今度こそ仁科先生は俺を見放すかもしれない。  だが――あの事件から五年も経った現在、既に俺は子供では無い。  ◆  もう、俺は一人で立っていられる……そのはずだった。例えば海老の出汁の味になんて気付かなければ、バニラの香りさえしなければ。霧生がいなければ。一人だと気付かなければ。そこに寂しさを覚えたり、愛されたいと感じ願う事が無かったならば。けれど、俺が犯した罪は重い。決して、あの少年は帰ってこない。葛藤と諦観と絶望と――……ああ、自分の思考がまとまらないのが嫌になる。俺は唇に力を込めた。  指先からどんどん温度が消えていく。気づけば珈琲は冷め切っていた。 「じきに、アオヤマ総合病院に一斉捜査と摘発が入る」 「っ」  霧生の言葉で我に返った俺は、慌てて顔を上げた。
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