淡恋

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第二章  人の気配もない路地が、迷路のように広がり、夜の闇と月影が、諧和していた。櫻子は、夜の支配のなかですら、見事な輝きを放ち、彼らを解放するジャンヌ・ダルクのような聡明さを持っていた。古の叡智の美が、彼女の純粋無垢な美と調和を成して、私は現実の世界とは思えないほどの世界で、彼女という澪標を頼りに、生を成していた。私の色を持たない魂の端から、生が心おきなく侵食を始め、ついには三日月が満月になるような、歓びが私の魂を駆け抜けていった。  転瞬、彼女の美と私の魂が、異様な呼応を始め、私の胸は激烈な動悸に襲われ、これが愛なのかしら? と私は、自問を迫られた。    櫻子は、薺が淡く咲いた、木の香りがするカフェへと、私を誘った。胸の鼓動を隠すように、私は胸の高鳴りと、歩を合わせた。  開け放たれた扉を抜けると、店内はまさに木のなかであった。床、壁、天井に至るまで、すべてが甘い香りの木材で作られていて、私の激しい動悸を鎮静するには充分なほどの癒しが、そこにはあった。  私と彼女は、アールグレイを注文し、人目も憚らず、愛に身を任せていた。愛する若い恋人たちにとって、この世界は、なんら意味を持たないが、目の前に煌めく恋人の眸は、無限の意味を秘めながら、自分自身を映す鏡となるものである。櫻子の瞳のなかに映る私は、彼女に所有され、また私の瞳のなかで、彼女は私に所有されていた。私たちは、全ての所有物から抜け出して、互いだけを所有しあっていた。私の愛の自問は、殆ど確信の域へと、達し始めていた。 「貴方に、不思議な経験をさせてあげるわ」 幻想的な、彼女の言葉に私は目を丸くした。彼女は、不思議の国のアリスの、白いウサギのように、私の答を待たずに、秘密の世界へと私を帯同した。木で出来た階段をよじ登りながら、櫻子は後ろを振り向き、無邪気に手を引っ張った。私は、崖から落ちそうな人さながら、彼女に命を任せて、上へと登った。
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