IDLE OR DIE

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 キラキラが止まらないの。  だからわたしは歌うの。  数万もの聴衆が一堂に会するドーム。その巨大な空間は、今やたった一人の少女に支配されている。マイクを、各種コードを、そしてスピーカーを通じて拡散される彼女の歌は大気を震わせ、今日この場に立ち会うことを許された観客たちの鼓膜を、心を容赦なく揺さぶる。  アイドル。  ただそこに在るだけで無尽蔵の輝きを放つ、生ける偶像。彼女は、人間でありながらも人間ではない。人ならざる輝きは、人ではないからこそ放ちうるもの。ここに集う幾万の聴衆は、その輝きを求めてこの場に足を運び、さらに、その数十倍もの観客が、あらゆる媒体を通じてステージ上の少女を見守る。  わがままに自分勝手に  でも、そんなわたしが好きなんでしょ  少女の投げキスに、あざとく閉じられる片目に、どう、と湧く観衆。誰ひとり彼女のカリスマを疑わない。疑う余地などない。なぜなら彼女はアイドルになるべくして生まれた存在。アイドルとして生き、輝きながら死ぬその在り方は、まさに偶像ーー  だが、人は所詮、ただの人であり。  偶像だった彼女も、いつかはただの人に戻って。  そして悲劇は起こった。 『特定の表現行為の制限およびそれらの表現行為に基づく商行為を禁じる特例に関する法律』  などと長ったらしい正式名称をわざわざ用いるのは、今日日、法務絡みの人間ぐらいだろう。その他の、つまり世間一般では、その法律はこう呼ばれている。 『アイドル禁止法』  アイドルとは端的に言えば、歌やダンス等で観客を魅了するアーティストを指す。ただし通常のアーティストとは違い、多くの場合、そこには若さという条件が加味される。若さゆえの技術的未熟さ、人間的な至らなさも含めて価値として提供する。それがアイドルと呼ばれる存在だ。  この『アイドル禁止法』は、そうしたアイドル達の活動を文字通り禁じる法律である。活動そのものに留まらず、アイドルを応援すること、さらに、CMキャラクターなどのビジネスに利用することも含めて一切が禁じられている。違反者には最低でも十万円、最大で一千万円の罰金が科せられる。懲役も最大で十年と厳しい内容だ。  とはいえ、それまで当たり前のように許されていたものをある日突然禁止されたところで、そう簡単に切り替えが利かないのが社会という名の巨鯨だ。結局、法の施行後もなお多くのアーティスト達がアイドル活動を続行した。あるいは、子供の頃の夢を叶えるため。あるいは当局への反抗心から。だが、ひとたび国家の意志として示された禁則は強烈で、この法律を根拠に膨大な数のアイドルとその関係者が検挙され、結果、アイドルにまつわる経済活動は瞬く間に縮小していった。  法律の施行から十余年。今や、アイドルと呼ばれるアーティストは絶滅したとされているーー 「そう、禁止されたのです! 心身ともに未熟な青少年の、まさにその未熟さを消費する行為の悍ましさに気付いた心ある人々によって!」  故に、と、檀上の少女は一層声を高める。  講堂に集う全ての生徒、全ての教師の視線が彼女に集中する。挙措に合わせて颯爽と揺れる、青と白をメインとしたタータンチェックのプリーツスカート。それと同色、同柄の喉元のリボン。クリーム色のブレザーの胸元には、純潔を示す百合をモチーフとしたエンブレムが金糸で縫い込まれている。それは、この学園の高等部生が等しく身に着ける制服で、唯一、左上腕に装着された深紅の腕章が、彼女がこの学園で特異な役割を担うことを示している。  もっとも、彼女の姿を真に印象付けるのは、そんなちっぽけな腕章ではなく、さらに別の特徴ではあるが―― 「かつて、多くのアーティストをアイドルというかたちで輩出した我が燐光学園も、そうした過去を反省し、ハイカルチャーの揺籃として再スタートを切りました。今やこの学園生を、あのようないかがわしい興行の道具と見做す大人は一人もおりません。故に、新入生の皆さん。どうか三年間、安心してこの学園で学びを重ねてください。わが学園の生徒である限り、皆さんの若さが、未完成さが大人たちに収奪されることは一切ありません。本学の教師陣と、そして我々燐光学園生徒会執行部が、全力で皆さんをお護りすることを誓います!」  凛と響くその声に、一人、また一人とパイプ椅子から立ち上がる生徒達。ほどなく万雷のスタンディングオベーションが、狭くはない講堂を地鳴りのごとく震わせはじめる。ーー感動。ここに居合わせる誰もが、同じ想いに打ち震えている。この学校に入ってよかった。壇上の彼女に出逢えてよかった。  その中に、一人。  椅子に腰を下ろしたまま、壇上の少女をじっと見つめる新入生。冷めているわけではない。彼女もまた会場の熱気を総身に浴びながら燃えている。ただし、他の生徒よりもなお熱く。彼女の硬直は、高速回転する駒が遠目には静止して見えるのと同じこと。その心と身体は凍り付いたように硬直しながら、同時に、ここにいる誰よりも強く強く震えている。その証拠に白い頬は鮮やかに紅潮し、大きく見開いたハシバミ色の双眸には、銀河を思わせる煌めきが。  やがて彼女は、うっとりと称賛を口にする。 「すごい・・・アイドルみたい」  それは、この場では決して許されるはずのない賞賛だった。  ただ言及しただけで教師に咎められ、停学、ともすれば退学すら強いられる存在、アイドル。そもそも壇上の少女とて、あくまで否定的な文脈でと断った上で学校側の許可を得、その単語を口にしているのだ。さいわい、嵐のような拍手が彼女の言葉を掻き消し、当面の面倒事は引き寄せずに済んだ。が――  それでも運命は、確かにこの瞬間、動き始めたのだ。 「あの」  遠慮がちな声に呼び止められ、少女は廊下で足を止める。ヴィクトリア調の気品あふれる校舎、その瀟洒な造りの廊下を、真新しい制服に身を包んだ新入生たちが小鳥のように鳴き交わしながら各々の教室に向かっている。  彼女達の専らの関心事は、やはり先程の腕章の少女。生徒会長と名乗った彼女の凛とした声、威風堂々たる佇まいが、息詰まる入学式から解放された後もなお彼女たちの心を捉えて離さないのである。  そんな騒がしい流れの中で、呼び止められた少女と、呼び止めた少女だけが足を止めている。 「ん?」  呼び止められた少女は、栗色のショートボブを揺らしながら、これという疑念もなく振り返る。満天の星を宿した双眸は、講堂にいた時と変わらず眩い。そんな彼女の視線に気圧されつつも、呼び止めた少女は意を決し、キラキラ少女の腕を取る。 「あの、ここでは何なので、こっちへ」  そして少女は、キラキラ少女を廊下の片隅へと引っ張ってゆく。そうして人の流れから外れたところで、さっと周囲を見渡し、それから、押し殺した声で問うた。 「さっき、アイドルって言ったよね?」 「えっ?」 「だから、アイドルみたいだって。生徒会長の演説を聞いて、そう言ったよねって聞いてるの」  それは、あまりにも危険な問いだった。  そもそもこの学校では、アイドルという単語を不必要に口にすること自体禁じられている。先程の生徒会長の演説にせよ、教師陣、理事会など経営陣による原稿の事前チェックを受けることで、ようやくその単語を口にすることが叶ったのだ。  幸い、少女の問いは周囲に聞き咎められることはなかった。が、まだ安心はできない。問題はこのキラキラ少女。先程も無警戒にそれを口にした彼女だ。その返答も当然、不用心なものになることは充分予想がついた。  案の定、キラキラ少女はさして悪びれるでもなく口角を吊り上げ、「うんっ!」と元気よく頷く。 「すごかったよね、あの生徒会長! なんかこう、全身がキラキラしてて、声も聞いてるだけで頭がふわわわぁって! おかげで何の話してんのか全然わかんなかったんだけど、でもいいの。私にはわかった。あの人、アイドルになるために産まれてきたんだってー-」 「しーっ!」  慌ててキラキラ少女の口を塞ぐと、キラキラじゃない方の少女は乱れた髪を軽く整える。水泳部に所属するせいで塩素焼けした赤い髪は、お上品な黒髪が多いこの学校ではひどく目立つ。 「本当に、なんにも聞いてなかったのね。ていうか・・・あんた、この学校の主旨をちゃんと理解してる? 入学案内のパンフ、ちゃんと目を通した?」 「読んだよ! えーと、本校は、ハイレベルな教育と、あと、文化振興に努めており・・・何だっけ、あんまり面白くないから覚えらんなかった」 「いや、別に一字一句覚える必要は・・・そもそも、覚えられなくても内容の把握ぐらいはできるでしょ。この学校では、そうした活動は一切禁じられているの」 「そうした活動、って、何?」 「だから、アイドル活動だって!」  思いがけず声が響いて、周囲の視線が集まるのを背中に感じた赤毛の少女は慌てて口を噤む。さっと周囲を見回し、教師や生徒会などの厄介な面子がいないことを確認すると、ほっと息をつき、キラキラ少女に目を戻す。 「か・・・活動だけじゃなくて、応援したり、推したり・・・とにかく、そういうのが一切禁止されてるの。ていうか、学校に限らず普通そうでしょ。あんたひょっとして、帰国子女とか? 彼ら・・・ええと、アイドルが禁止されていない国から来たとか?」 「違うよ? 普通に日本人だし日本から来たけど・・・あ、うちの実家、もんのすごい田舎だからわかんなかったのかも。へー、東京じゃアイドル禁止されてるんだ・・・」  心底残念そうに肩を落とす彼女に、嘘や冗談を口にしている様子はない。いや案外、そのように装った高度な演技なのかも。アイドルに興味のある人間を吊り上げるために学園が用意した周到な釣り針。  だとしても、と、赤毛少女はごくりと息を呑む。  たとえ見えている釣り針にせよ、食らいつく以外に私が生き残る道はないのだ。だから・・・ 「・・・だからね、もしアイドルを推したいなら、みんなに見つからないようにこっそりやろう、ってこと」  さて、どう出る。喰いつくか、逆にこちらが喰われるか―― 「こっそり? どうして?」 「・・・は?」 「こそこそなんて、そんなの絶対に無理! だって、アイドルの人に失礼じゃん! 私は、たとえ捕まっても堂々と推しを推したい! 好きなものは好きだって胸を張りたい!」 「・・・」  何を言っているんだ、こいつ。  ただ、そう放言する彼女の目はどこまでも澄んでいて、もはや混ぜ返す気さえ失せさせる。本当に・・・何なんだこの子。怖くないのか。逮捕され前科を喰らって、人生を破滅させられるのが平気だというのか。 「そういえば、お名前聞いてもいい?」  そう尋ねるキラキラ少女は相変わらずうんざりするほど目をキラキラさせていて、赤毛少女は少し怖くなる。ひょっとしてこの子、絶対に関わっちゃいけないタイプかも。ところが彼女が躊躇する間にも、キラキラ少女は勝手に話を進めてしまう。 「あっそうだった。人に名前を尋ねる時は、まず自分からってのが礼儀だったよね。私は朝倉きらら! よろしくね!」 「・・・きらら?」  まさか、と赤毛少女は息を呑む。ひょっとしてあんた、その名前は。 「えへへ、これ、星屑きららちゃん推しのお父さんとお母さんが、きららちゃんみたいなキラキラな女の子になれるようにってつけてくれたの! いいでしょ」  ああやっぱり。と赤毛少女はうんざりする。つまり・・・両親共々筋金入り、というわけだ。  もっとも、彼女達が産まれた頃はアイドル禁止法など影も形も存在しなかった。だから、娘にその名を与えた朝倉きららの両親に反体制的な意図があったとは考えにくい。何にせよ・・・名は体を表すとは言い得て妙だ。少なくとも、このキラキラバカに限るなら。 「で、あなたのお名前は?」 「私? ええと、私は・・・あやめ。四辻あやめです。よろしく」  するときららは「あやめちゃん」と、早くも下の名前であやめを呼ぶ。そんなきららのまっすぐな双眸から、あやめはそっと視線を逸らす。  燐光学園。元は芸術系の女子大としてスタートしたこの学校は、その後、早期教育への意識の高まりとともに高等部、中等部を追加開設する。場所は小平に位置し、東京ドーム三十個分に相当する広大な敷地には校舎や図書館、グラウンド、体育館はもちろん、課題発表のための劇場や展示場、食堂にカフェ、それにコンビニや郵便局など生活に必要な施設も概ね揃っている。学校というより、もはや一つの小都市と呼ぶべきだろう。  この小都市の片隅には寮が設けられている。大学生は希望があれば入寮できる仕組みだが、高等部、中等部は基本的に全寮制を採る。  部屋は一人につき一部屋。食事は出るが掃除や洗濯など身の回りのことは自分でこなす仕組みだ。授業は難関進学校並みに質が高く、実際、この高等部から難関国立大や海外の有名大学に進学する生徒もいる。・・・もっとも、この学校の真の特色はそこにはない。この学校が他の教育機関に比べて抜きん出る理由。それは何を措いても質の高い芸術系の教育だ。  絵画、彫刻、書道、器楽、声楽ー-通常の学校では半ばおまけ扱いされるそれらアート系の授業が、この学園ではむしろ主役とされる。しかも、コース外の授業であっても希望すれば何でも受けられるのだ。必要な単位を取り、さらに課題さえこなせば、どの授業に参加すべきかは生徒の自主性と裁量とに任されている。ひとえにそれは、生徒自身に自らの感性を育てることを意識させたい、という学校側の方針によるものであり、例えば絵画コースでありながら、書道や器楽の授業に参加する生徒もいる。専門外の世界に触れ、より柔軟な感性を獲得するために。  とはいえ。 「さすがに取り過ぎじゃない? 授業」  午前の授業が終わり、一日のうちで最もカフェテリアが賑わうランチタイム。運よく確保できた窓際のテーブルで、お気に入りのBLTサンドにかぶりつきながら、半ば投げやりに四辻あやめは苦言する。 「そうかなぁ」  瞳のキラキラは相変わらず。ただ、ひどく蒼褪めた顔のまま朝倉きららはえへへと相槌を打つ。打ったそばから今度はぐううと寝息を立て、ぱちん、と鼻提灯が弾ける音にびっくりして覚醒。そのルーティンが、かれこれ五回も続いている。  そんなきららの目の前には山盛りのオムライス。その山に、六回目のぐううで遂にべしゃりとダイブする。慌てて身を起こすも、顔じゅうケチャップまみれで完全にスプラッタホラーの様相である。 「ほらぁ言わんこっちゃない」  テーブル越しにナプキンで顔を拭いてやると、きららは「いつもありがとねぇあやめちゃん」と涙ぐむ。いや感謝はいいから、その月曜から金曜までぎっしり詰め放題の時間割をどうにかしなさいよとあやめは思う。  そもそもこの時間割は、全てのコマを埋める前提で用意されているわけではない。通常は三分の二程度で、残る三分の一の空コマで課題を仕上げたり、次の実技に備えた練習をこなすのが一般的だ。ただ、そうした勘所をあやめが知るのは彼女が中等部からのエスカレーター組だからで、外部生のきららには理解できないのだろう・・・そう、先日までは疑っていた。そうではないと気付いたのは、同じ声楽科にいる別の外部生が、エスカレーター組と似たような時間割を組んでいることを知ったからで、彼女達なりに情報を集め、何とかこの学園のやり方にコミットを図っているらしい。  こいつが例外的にバカなのだ。  まぁバカでもなければ今日日、アイドルなんぞに憧れたりはしないか。 「貸して」 「え、何を」 「時間割。きららの」 「え・・・あ、うん」  ぼんやり頷くと、きららは鞄から時間割を挟んだクリアファイルを取り出す。それをあやめはテーブル越しに受け取ると、ペンケースからサインペンを取り出し、時間割の一つに大きくバツをつけた。 「えっ、な、何してるのあやめちゃん」 「何って。このままじゃあんた、一学期が終わる前に過労で死んじゃうよ」  言いながら今度は別の時間割にバツ。そうして五つほどバツで潰すと、ようやくきららに突き返す。 「後で学生課に行って、今バツつけた授業は全部キャンセルすること。必須じゃないし、要求される労力もでかい。大体、油絵なんて習ってどうすんの。あんた声楽科でしょ?」 「それは・・・だ、だって、全部大事だから。キラキラするには、その、私の知らないキラキラもいっぱい知らなきゃいけない、だから」  ふうん、と、あやめは冷めた顔で鼻を鳴らす。そんなことだろうと思った。というのも、同じようなコメントが過去、とあるアイドル雑誌に載っていたからだ。  コメントの主は、きららの最推しであり名前の由来にすらなる伝説のトップアイドル、星屑きらら。だからあの記事のことは、今でもよく覚えている。ただ、同時に彼女は同じ誌面でこうも言っている。  ー-二兎を追う者は一兎をも得ず。あまり手を広げすぎても、それはそれで駄目だと思うんです。 「あのね。あんまりあれこれ手を出しても、結局ぜんぶ中途半端で終わっちゃうよ。逆に、一つの課題にじっくり腰を据えた方がいいって〝先輩〟も言ってたじゃない」  さすがに星屑きららの名前を出すのはまずいので、二人の間でのみ通じる符牒を使って注意する。するときららは「えっ」と虚を突かれた顔になり、それから今度は「あー------!」とサイレンみたいに声を上げる。 「言ってた! それ! きららちゃんも! 月刊アイドリング三九号の巻頭グラビアのインタビューだよね!? ね!?」 「しー--------ー声がでかいっっ!」  慌てて手を伸ばし、きららの口を塞ぐ。こうしてあやめが気を利かせなければ、このバカはとっくの昔に退学処分になっていただろう。 「とにかく、私の指示どおり授業のコマは減らすこと。いい?」 「・・・ふぁい」  あやめの手に口を塞がれたまま、きららは渋々、という顔でこくっと頷く。  ランチを終えると、二人は腹ごなしに中庭に出る。庭はどこも溢れんばかりの花で満たされ、とりわけ初夏のこの時期は薔薇が美しい。 「花って面白いよねぇ」 「面白い?」 「だって、最初はみんな固くて小さな緑色の蕾なのに、開くと赤だったり黄色だったり、青だったりするの。凄いよね。面白いよね」 「そう・・・だね」  正直、惹かれない話題だ。今更そんな幼稚園じみた詩情に心が動く齢ではないし、何より、この時のあやめは全く違うことを考えていたからだ。 「あのさ・・・きららに、どうしても来てほしいところがあるんだけど」 「え、どこ?」  案の定ノーガードで食いついてくるきららに、あやめは「内緒」と笑いかける。その実、胸の内ではきららの馬鹿さ加減に怒りさえ覚えていた。  少しは疑いなさいよ。私は今、あんたを地獄に引きずり込もうとしてるんだから。  その週末、二人は外出許可を得て新宿に出かけた。 「そういえば外に遊びに出たの、入学以来かも」  中央線の上り電車。親子連れの姿が目立つのは休日だからだろうか。そんなわきゃわきゃと牧歌的な雰囲気の中で、一人、あやめは居心地の悪さを感じていた。  本当にこいつ、ついてきやがった・・・  そう苦笑するあやめが座るシートの隣では、ただでさえ鬱陶しいキラキラを五割増ししたきららが、星屑きららの代表曲『シューティングスター』をふんふんと鼻で歌っている。いや、だから法律違反だからね? 公共の場でアイドルの曲を聞くのも歌うのも! と、出かける前に再三繰り返した忠告もどうやら無駄だったらしく、はぁ、とあやめは聞こえよがしの溜息をつく。まぁいい。とりあえず〝彼ら〟に無事こいつを引き渡せば、そこで私の役目は終わり。帰りはどうせ一人だろうから、この不用心な鼻歌のせいで気を揉むこともない、はずだ。 「えへへ、実は新宿行くの初めて。一人だと怖くて」 「・・・そう」  向けられる視線から、つい目を逸らす。これは罪悪感、だろうか。でも大丈夫。苦しいのはきっと今だけ。すべてが終われば私は解放される。このどうしようもない状況からも。  やがて電車は、新宿に到着する。 「わぁ、人多いねぇ」 「そうね」  いかにも田舎人丸出しなコメントに、もはやこの人波に慣れ切った東京生まれ東京育ちのあやめは適当に相槌を打つ。  目的の場所は歌舞伎町の裏側にあった。ホストクラブなど未成年には刺激の多い店が軒を連ねる界隈は、しかし、昼間のこの時間は全体的に空気が弛緩して、ひと狩りを終えて眠りこける猛獣といった趣きがある。  むしろこの時間、警戒すべきはキャッチではなく警察の方だ。ここで補導でもされれば元の木阿弥。大事な〝商品〟を〝彼ら〟にお届けできなくなる。まぁ、それを見越してできるだけ大人びた私服を選んでは来たのだけど・・・ 「急ごう。危ないからさ、この辺り」 「えっ? あ、うん」  きららの腕を取り、半ば強引に目的地へと引っ張ってゆく。たまに酔い潰れたホストがアスファルトに転がっていて、そのたびにきららは「救急車を呼んだほうが」と健気にも足を止めるが「大丈夫、寝てるだけだから」と言い聞かせ、腕を引く。ていうか・・・そんな見も知らないホストを心配してる場合じゃないでしょ、あんた。  そうして歩くこと約十分。薄汚れたビル街の向こうに目的地が見えてくる。  そこは、一見すると何の変哲もない雑居ビルだ。間口も狭く、表からはそれほど大きな建物には見えない。しかし奥は意外と広く、その奇妙な特徴から、かつては違法カジノや人身売買用のオークションなどが開かれていたらしい。  そして今、そこの地下室はある用途に用いられている。 「ライブハウス?」 「そう。アイドル専用のね」 「アイドルの!? そんなトコがあるの!?」 「そう。ていうかここがそう! だからほら、行くよ」  ビルの入り口には年老いた守衛がいて、裏で出回るチケットを見せると、普段はロックされた奥の扉を開いてくれる。扉の奥は、いかにもメンテナンス用と思しき飾り気のないコンクリートの下り階段。まぁこいつの場合、これはこれですっごーい秘密基地みたい! っって呑気に楽しんじゃうんだろうなぁと思いきや、なぜか沈鬱そうに階段を見下ろしている。 「どうしたの」 「えっ? あ、ううん・・・なんていうか、この階段を見て、その・・・ああ、やっぱり違法なんだなって、人前で堂々と許されることじゃないんだって・・・」 「何それ。どういう感想?」 「だ、だってさ、もしアイドルが違法じゃなったら、もっと大きな会場で堂々とライブができたはずでしょ? こんな、見えないところに押し込めるみたいな・・・それがちょっと悲しくて」 「ああ、そういう・・・」  正直、こんな馬鹿に共感するのは悔しいが、こいつの言いたいことはよくわかる。  もっとも、いくらしんみりしようが何かが変わるわけでもない。こればかりは、無力な学生にはどうすることもできないのだ。  そもそもなぜ、アイドルは否定されるのか。  ただ歌って踊るだけ、むしろそれだけでたくさんの人を元気づける、そんな存在を。  そんなことを考えながら、地下に向かう階段を一歩、また一歩と下る。と、やがてその底から地鳴りに似た音が響きはじめる。ああ帰ってきた、と、身体を震わす振動にあやめはそう実感する。葛飾にある実家でも、寮でもましてや声楽科の教室でもない。ここが私の居場所。私の帰る場所。 「これ・・・歓声?」 「そう」  やがて地下フロアに到着。短い廊下の奥にある重い防火壁ー-に装った扉をぐっと押し開く、と。  おおおおおおおおおおおおおおおおっ!  鼓膜を襲う怒涛の歓声。合いの手と、闇の中で振り乱れる色とりどりのペンライト。お世辞にも広いとは言えないが、それでもテニスコート程はあるフロアを埋め尽くすのは、人目を忍んで詰めかけた数百人もの同志たち。メディアやSNSの助けもなく、信頼し合う同志との間でひそかに築き上げたコミュニティを頼りに拡散されたライブの情報。それらを頼りに、あたかもオアシスに集う砂漠の旅人のごとく集まった同志たちだ。 「・・・すごい」  そう、隣で感嘆の声を漏らすきららに不覚にもあやめは嬉しくなり、そんな自分を慌てて諫める。いや一緒にハシャいでどうする。そもそも今日は楽しみに来たわけじゃないんだ。  ステージでは、すでにアーティストがライブを始めている。今日の出演は確か『絶対領域ガール』。七人組のユニットで、かれこれ三年近くこの世界で一線を張るグループだ。ただ・・・ 「えっ、どうしてあやめちゃんはこのライブ会場のこと知ってたの?」 「どうして? どうしてって、そりゃ・・・」  ドン、と不意に弾けた爆音に、驚いた体であやめは言葉を打ち切る。正直、こちらの手の内はあまり明かしたくない。自分はただの案内役。それ以上の印象や情報を彼女の中に残したくない。・・・いや違うな。多分、そう、恥ずかしいんだ。彼女と同じアイドルオタクとして。  爆音の正体は、十五年ほど前にブレイクし、その後、法規制とともに解散したアイドルユニット『ベリーズ』の名曲『恋するモンスター』のイントロ。アイドルソングらしいポップさと洋楽的なクールさを兼ね備えた『ベリーズ』のナンバーは、今でも地下アイドルのライブ等では頻繁にカバーされる。 「わぁ、これ『恋するモンスター』!? 私この曲超好き!」  早くも全身を揺らしはじめるきらら。その、ステージを見上げる横顔からあやめはそっと目を逸らす。  あんたが悪いんだからね。そうやって法で禁じられたものに無神経に手を伸ばせば、いずれ待つのは避けようのない破滅。悪い連中に利用されて、しゃぶり尽くされて、やがて襤褸切れみたいに捨てられるの。  私がそうだった。だから、あんたもー- 「え?」  ふと、きららが妙な声を漏らす。見ると、なぜかきららはステージを見上げたまま怪訝な顔をしている。 「どうしたの」 「してない」 「は?」 「キラキラ、してない。・・・どうして? こんなのアイドルじゃない」 「え? いや何言って・・・?」  が、振り返ったきららの目はどこまでも真剣で、あやめははっと息を呑む。  まさか・・・彼女には〝視えて〟いるの。 「アイドルは・・・キラキラしてなきゃ駄目なの。見てるこっちがキュンってなれるような・・・あの人たちは違う。ただ、ステージの上で昔のアイドルを真似てるだけ。・・・そうじゃない、アイドルは、そんなんじゃない!」  絶望的に壊滅的な言語能力。代わりにその悲痛な表情が、きららの訴えたい意図を痛いほど伝えてくる。彼女たちはアイドルじゃない。そう、そうだ。事実、彼女たちはアイドルじゃないー-けど。 「な・・・何言ってんの?」 「え?」 「いや、どう見てもアイドルじゃん。ステージの上でさ、可愛い服着て歌って踊って、フロア沸かせて歓声浴びて・・・アイドルじゃん、どこからどう見てもさぁ」 「違う!」  次の瞬間、きららが取った行動にあやめは唖然となる。不意に前に進み出たかと思うと、目の前でペンライトを振り回す観客たちを無造作に押しのけ、ずんずんとステージを目指し始めたのだ。いや、いきなり何・・・? と見守るあやめをよそに、なおもきららはステージに歩み寄る。そして、遂にはステージにうんしょと乗り上がってしまった。いやいやいや、何なのあの子! さすがにこれはと慌てて止めに入るあやめ。だが時すでに遅く、きららは最寄りのメンバーに飛びつくと、強引にマイクを毟り取る。この頃にはもうフロアの観客は八割がた異変に気付いていて、歓声は戸惑いを伴ったざわめきへと急速に装いを変えてゆく。  そんな、どっちつかずの半端な空気を彼女のシャウトが突き抜ける。 「みんなぁー------------キラキラしてるぅー------------!?」  一瞬、水を打ったような沈黙がフロアに満ちる。想定外の状況への戸惑いと怒り、憤りと、しかし、その中に確かに含まれる新しい状況への期待。それは当初こそ小さな萌芽だったものの確実に育ち、そして、次の一小節で一気に花開く。  ボクを好きだってキミが言うから。  授業なんて手につかないよ。  教科書よりも大切なこと。  キミと一緒に触れてみたい。  流星が夜空を走り、そして弾けるような。  きららの歌声に、フロアの空気が瞬く間に染め直されてゆく。それは鮮烈で眩く、普段の彼女のキラキラすら、まだ兆しに過ぎなかったのかとあやめは思い知る。いやちょっと待って。いつもの声楽の授業じゃあんた、全然普通だったじゃない。声量も、それに表現力だってごく普通の凡庸な高校生のそれだったじゃない。  なんなの。  ほんと、なんなのあんた。  そういえば、と今更のようにあやめは気付く。これだけのアクシデントに関わらず、音楽はなお止む気配を見せない。相変わらずフロアは『恋するモンスター』のアップテンポなビートに満たされたまま。観客たちも、ごく自然にこの状況、否、彼女という異分子を受け入れている。警備員すら彼女を止める様子はない。  異様だ、と改めて思う。単に〝彼ら〟に仕組まれた状況なのか、それともー-そんな思考さえ、目の前で展開される圧倒的状況の前にはなすすべもない。突然ステージに舞い降りた飛び入りの歌姫は、居合わせた目撃者たちの目を耳を、どころか心さえ根こそぎ奪い取ってゆく。  これが・・・本物のカリスマだとでも言うの?  知りたいんだ。  いつもより少し大人びたキミと。  岬の向こう、二人だけの海。  繋いだ手が熱いよ。  そう、ここでターンからの拳をくっと顎に寄せてウインク。ベリーズのセンター、苺坂ありさちゃんの決めポーズに、かつて堕ちないドルオタはいなかったという。かくいうあやめもそうだった。この一連のシークエンスだけでも百回は繰り返した。大人たちの目を盗んで。  特別アイドルを目指していたわけじゃない。でも、これぐらいは女の子なら大概は通る道だ。動画を見て音楽を聞いて、ひととき画面越しのアイドルになりきる。両親に「おまわりさんに捕まりたいのか」と叱られるまで、この素敵な歓びが悪いことだなんて知る由もなかった。  知りたくなかった。  知らなければ私だって、こんなふうに素朴に、でも思いっきりキラキラできたのかな。・・・いや、それでも私のカリスマでは彼女には届かない。だから悔しいんだ。ムカつくんだ。そして眩しいんだ。  そんなあやめの感動はしかし、背後の声にすっ、と醒める。 「へぇ、いいじゃねーか。次の稼ぎ頭はあいつだな」 「・・・〝店長〟」  振り返り、背後の男を静かに睨む。  ああ、そうだ。私はここに、あの子を売りに来たんだった。  男は、このライブハウスを仕切る支配人であり、同時に、新宿を本拠地とするヤクザ、昇竜会の幹部でもある。その身分を示すかのように、男は、おおよそ堅気には見えない姿をしていた。だぼだぼの白スーツに柄物のシャツ、胸には太い金のネックレスと、腕には同じく金製の腕時計。  このアイドル専用の違法ライブハウスは、彼らが運営する一種のフロントだ。実はライブハウスだけでなく、ここのステージに立つアイドルが属する事務所も同時に経営している。  そしてあやめは、そこのリクルートにかれこれ二年近く加担していた。  きっかけは今から二年前。まだ中等部生の頃に渋谷の違法アイドルグッズ店で連中に目をつけられたことがきっかけだった。当時、どうしても欲しかった月刊アイドリングの星屑きらら特集号。親に黙って下ろしたお年玉を握りしめ、足を踏み入れたその店は地獄行きの一方通行路だった。店を経営する組織員に目をつけられたあやめは、親や警察に伏せることを条件に、アイドルに興味を持つ同級生のリクルートを命じられた。  今回と同じ手法で組織に売った同級生は、これまで四人。  皆、顔も歌唱力の抜群の少女たちだった。短いレッスンを経てステージに上がった彼女たちは、皆、アイドルとしては確かに成功した。が、同時にそれはヤクザたちに生殺与奪を委ねることも意味した。一度でもアイドルとしてステージに立った少女は、その瞬間から犯罪者としての人生が確定する。それが嫌ならヤクザの若い情婦として、連中の代紋に守ってもらうしかない。 「お前が連れてきたんだろ、ありゃ」 「・・・はい」 「ははっ。イイねイイ! 見ろよ絶対領域のババア共、完全に食われてんじゃねーか。ま、引退寸前の骨董品とピッチピチの新人じゃ、そもそも勝負にならねぇがなぁガハハハハ!」 「・・・」  冷たい言いようだ、とあやめは思う。そもそも彼女たちをプロデュースしたのはあんただろうに。  アイドル禁止法が施行され、国内の芸能事務所は軒並みアイドルとは契約を切るか、多少演技力のある人材は無理やり女優に転向させた。歌手ではなく役者としてなら芸能活動が許されるからだ。  芸能事務所がアイドルの扱いを止めると、地下ライブハウスを経営するヤクザはアイドルの工面が難しくなる。そうした中、ヤクザたちは自前でアイドルを囲い込むことを覚える。ただ、そのほとんどは自分たちの愛人に適当にアイドルを名乗らせる雑なもので、結果、粗製ユニットが次々と乱造された。急造ユニットなのでアイドルとしてのプロ意識は最悪。ようやく補給した有望な若手も、ヤクザが喰ってすぐに使い物にならなくなる。  結果、絶対領域ガールのようなビジュアルもパフォーマンスも微妙なアイドルばかりが残ってしまう、とはいえ、あのユニットがこいつらの都合で生み出されたのは事実なのだ。  その絶対領域ガールはというと、しばらく舞台袖で裏方に抗議をしていたが、やがて話がついたのか、ぞろぞろと奥に引っ込んでゆく。ファンからは抗議の声は一切ない。それどころか「ババア退場うぇーい!」などと下品な野次を飛ばす輩もいる。ひどい。  やがて曲が終わり、矢継ぎ早に次の曲がかかる。さすがに打ち合わせも無しにMCタイムは取れないと裏方の誰かが判断したのだろう。実際、この闖入者がどういう人間か、下手に喋らせたところで何を口にするか、この場の誰にもー-連れ込んだ当のあやめにさえ読めないのだ。  ふたたび湧き上がる歓声。震えるフロア。そんな中、流れるイントロにあやめは息を呑んでいた。まずい、この曲はー- 「・・・『シューティングスター』」  それは、星屑きららのテーマソングとも呼ぶべき曲だった。  今や伝説と化したアイドル星屑きららの、その引退コンサート。三度目のアンコールで満を持して歌われたこの曲は、その後、他のアーティストによって幾度となくカバーされたものの、それでも本家を超えるバージョンは遂に登場しなかった、と当時の音楽評論家に言わしめた最高傑作でもある。  曲自体は、特別難曲というわけではない。平易なメロディはむしろ歌いやすい部類だ。が、だからこそ歌唱力でのパワープレイが通用しない楽曲でもある。歌い手が持って生まれたカリスマが、イコール歌の魅力となって観客の前に露呈する、ある意味、もっとも残酷な歌。  形だけアイドルの体を成したいヤクザの情婦と、形だけでもアイドルという文化を守りたいファンなら、たとえこの曲でコケても文句はなかったのだろうー-でも彼女なら。  推しと同じ名を与えられた、あのキラキラバカなら。 「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」  キラキラが止まらないの  だからわたしは歌うの  誰にも追いつけないわたし  そう、空を駆ける流れ星 「・・・あ」  最初の一小節。違いを識るにはそれだけで充分だった。  同時に思い出す。生まれて初めて、母が隠し持つ記憶媒体で星屑きららのライブ映像を目にした時のこと。あの瞬間、あやめは確かに彼女のライブ会場にいた。手のひらサイズの携帯ディスプレイから迸り出る存在感は、それほどに圧倒的だったのだ。あの頃、日本中の人間が彼女に恋をしていたと、後に盗み読んだアイドル雑誌であやめは知った。大袈裟な、とは微塵も思わなかった。それほどに星屑きららのカリスマには説得力があったのだ。  そして、今ー- 「へぇ、こりゃマジでイイじゃねぇの。乳もでけぇし最高じゃね?」 「・・・は?」  下卑た台詞に、あやめの高揚は一気に冷え込む。・・・ああ、そうだ。自分には、このカリスマに高揚する資格はない。自分の弱さ軽率さのせいで、あの子をこんな事態に巻き込んでしまった。これまで捧げた生贄たちには、ついぞ抱くことのなかった罪悪感。  ごめんね、身勝手で。恨み言ならいくらでも引き受ける。それでもあの子は、あの子だけは私の手から奪わないで。 「逃げて」 「は?」 「逃げて! ここから逃げて、きらら!」  振り返り、ステージに向けて声を限りに叫ぶ。が、そんなあやめの決死の訴えも、すでに熱狂の渦に包まれたフロアの歓声にあえなく掻き消される。  それでも、すぐ背後に立つ支配人にだけはきっちり聞かれてしまう。最も届いてほしい人には届かず、届いてほしくない奴にだけ声が届いてしまう皮肉。 「何言ってやがる、てめぇ」  が、構わずあやめは叫び続ける。 「逃げてー-きゃっ」  今度は力づくで突き飛ばされ、強引に声を阻まれる。床につんのめったところを足蹴にされるが、ステージに視線を釘付けにされた観客は誰も彼女を顧みない。わかってる。助けなんか来ない。これまでもそうだったし、何より私自身、こいつらに斡旋した少女たちに一度も救いの手を差し伸べなかった。  だから、自分で何とかするしかないのだ。 「うるァあああああああァァ!」  立ち上がり、観衆を掻き分けステージに突進する。転がるように無様に。でも、いい。私はいくら無様になっても構わないから。 「きららぁぁぁァ!」  逃げて。  早く。あいつらに、捕食者どもに囚われる前にー-  逃げて、と、どこかで声がした。それはおそらく自分に向けられた声だろうと頭のどこかで理解しながら、それでもきららは、歌うことを止められずにいた。なぜならそこには、彼女が求め続けた全てがあったから。網膜に突き刺さるスポットライト。肌をびりりと震わすこれは、足元のフロアに集う観客の歓声か。  ずっと、こんな日が来ることを夢見てきた。  歓声を、スポットライトを浴びることをじゃない。見知らぬたくさんの同志と、ひとときアイドルという概念への愛を共有できること。こうして歌い踊る私はただの触媒に過ぎない。でも、だからこそ最高の触媒を務めたい。さもなければ、これまで愛したアイドルたちに申し訳が立たない。    わがままに自分勝手に  でも、そんなわたしが好きなんでしょ  うん、大好き。  最初にアイドルハマるきっかけを作ってくれたラビリンズ。圧倒的ダンスパフォーマンスで魅了してくれたBND。カワイイの概念を煮詰めた月島ベーカリー。日本初の男の娘オンリーユニットますらおーず・・・そして、私の中でアイドルの概念を決定づけた唯一無二の存在。キングオブアイドル。  星屑きらら。  これは、今はもう天国にいる彼女への鎮魂歌、いや賛歌だー-  瞬間。  バツッ、と耳障りな雑音とともにフロアの電源が落ちる。突然の暗闇に生じる短い悲鳴。と、ややあってそれが演出でないことに気付き始めたフロアが、次第に騒然としてゆく。会場の状況なら誰よりも知悉するはずの支配人さえ、この突然のアクシデントに面食らっていた。  そうした混乱を、しかし冷静に好機と見たあやめは、今なお灯り続ける観客のペンライトの光を頼りにステージを目指す。とりどりの光を浴びて闇の中にうっすらと浮かぶきららのステージ。そう、あれは紛れもなくきららの舞台だった。 「きららぁぁぁぁ!」  闇に向けて、無我夢中でその名を叫ぶ。この時、あやめはきららをここから逃がすことで精一杯で、だから気付けなかった。このフロアに、既に数多の思惑が実行力を伴って潜んでいたことに。  その一つが、護るべきもののために走る少女を絡め取り、そしてー- 「ー-お話があります。四辻あやめさん」  瞼越しに差し込む光が眩しくて、きららは目を覚ます。  一瞬、網膜に突き刺さる光が何かと重なって、何だっただろうと記憶を漁る。ああ、そうだ。あれはスポットライト。私は確かに、新宿にある地下ライブハウスのステージで歌い、踊った。でも不意に目の前が暗闇に包まれて、音楽も止まって、そして見た。フロアを埋め尽くすペンライトの海。色とりどりの、まるで光の海みたいな。そして、それからー- 「・・・んん?」  身を起こし、もぞもぞと目を擦る。見ると、そこはいつもの学生寮のベッドで、ひょっとして自分は夢でも見ていたんじゃないかときららは思う。実際、考えれば考えるほど頭に残る直前の記憶は現実離れしている。人目を忍んで作られた地下ライブハウスも、そのライブハウスで飛び入りで参加したステージも・・・  その中で、たった一つ確かなもの。  この身体に確かに残る、細胞が沸き立つような高揚。 「うん・・・夢じゃ、ない」  そう、これは夢じゃない。が、だとすれば問題は、なぜ自分は寮に戻ってこれたのかと、そして何より、同行していたはずのあやめの所在だ。そもそもあの瞬間、何が起きた? 突然フロアの明かりが落ちた。同時に音楽も止まったから、多分、ライブハウスの電源そのものが落ちたのだろう。何故? 誰が何のためにそんなことを? そして・・・ああ、そうだ。意識が落ちる間際、何かが鼻を覆って。 「あやめちゃん!」  ベッドを飛び降り、靴も履かずに裸足のまま部屋を飛び出す。あやめの部屋は同じフロアの五つ隣。表札に『四辻あやめ』と書かれたそのドアを裏拳でダダダダンッとノックし、ノブをがちゃがちゃと捻る。が、ドアには鍵がかかっていて押しても引いても開く気配がない。ふたたびダダダダダンッとノック。ドアに頬をくっつけて耳を澄ますと、ややあってドア越しにもぞもぞと人の動く気配がした。  やがて、カチャ、と錠の開く音がして、きららの焦りを嘲笑うほどの緩慢さでキイ、とドアが開く。その、薄く開いた戸口から覗いたのは、見るからに不機嫌そうな、ただし、これという異変のないあやめだった。 「うるっさいなぁ・・・なに?」  すでに髪を梳かし、制服もきっちり着込んだ彼女に昨日の騒動の名残はない。改めて、やっぱり夢だったのではと自問したきららだが、そんなはずはない、と自分に言い聞かせる。さもなければ、この高揚の名残はなに? 「・・・無事を、確かめたくて」  するとあやめは、あからさまな不機嫌顔で、はぁ、と溜息をつく。 「無事って何のこと? マジで意味わかんないんだけど」 「それは、昨日のラ・・・ええと、新宿で、その、ええと、」 「どうでもいいけど、早く支度した方がよくない? あんまりのんびりしてると、朝ごはん食べる時間なくなっちゃうよ」  言いながらあやめは、腕の時計をきららに見せつける。時計の針はすでに七時半を回っている。パジャマから制服に着替えて身だしなみを整え、プラス朝ごはんを摂る時間を考えると八時半の授業開始まではギリギリだ。一つ一つの作業は一瞬で終えられても、広い学園内は移動だけでかなりの時間が取られてしまうのだ。  このままのんびりしていれば遅刻は確定。だが・・・ 「どうでもいい、そんなこと」  両手で戸口を割り開き、無理やり部屋に押し入る。気圧されたようにのけぞるあやめ。ごめん、迷惑だよね。でも今は、どうしても話しておきたいことがあるの。  後ろ手でドアを閉じ、さらに鍵までかけてしまうと、きららは改めてあやめに向き直る。 「行ったよね、私たち。新宿に」 「・・・何の話?」 「はぐらかさないで。昨日、私たちは二人で新宿に行った。そこで、あやめちゃんに秘密の地下ライブハウスに案内されて、そこで私、歌った。星屑きららちゃんの『シューティングスター』。ステージで、確かに歌ったの。・・・忘れられるわけ、ない」  返答はなかった。あやめはただ、突き放すようにきららをじっと睨み据えている。  やがて。 「二度と、そのことには触れないで」  そう冷たく吐き捨てると、あやめはきららの肩を突き飛ばし、そのままつかつかと部屋を出ていく。その、すれ違う間際にあやめが見せた横顔の暗さに、きららは、自分が犯してしまった罪の大きさに気付いて暗澹となる。・・・ああそうか。私がステージを滅茶苦茶にしたから、それで。  自室に戻り、もたもたと制服に着替える。  考えてみれば、本当に酷いことをしてしまった。あのステージで歌っていたのは、確かに、アイドルと呼ぶにはあまりにもそぐわない人たちだった。ルックスやパフォーマンスの問題ではない。きららが〝キラキラ〟と呼ぶもの。かつてアイドルと呼ばれた人たちなら誰しも備えていたそれが、彼女たちのパフォーマンスからは一切感じられなかった。  だとしても、だ。それはきらら一人の主観であり、あやめにとっては唯一無二の推しだったのかもしれない。それを、きららは目の前で否定し、あまつさえ彼女たちのステージをぶち壊しにした。 「・・・最低だ、私」  結局、朝食を食べる気にはなれなくて、そのまま校舎に向かう。同じ声楽科に属するあやめとは、一般科目も同じ教室で学ぶ。が、普段は休憩時間に軽く声を掛け合ったりするのに、この日は声どころか視線すら一度も合わせてもらえなかった。  謝らなきゃ。  そう、ようやく決意できたのは昼休みに入ってランチを食べ終えた頃で、一度決意すると即断即決なきららはすぐにあやめを探しはじめる。が、普段は見かけるはずの食堂にも、彼女が好きな図書室にも、大穴のつもりで足を向けた自習室にも、彼女の姿はどこにも見つけられなかった。 「・・・どこに行っちゃったんだろ」  が、見つかるはずはないのだった。  何故ならこの時、あやめはきららが予想だにしない場所に呼び出されていたからである。  部室棟の最上階。その廊下を最奥まで進むと、扉の造りからしてすでに他の部室とは一線を画した部屋に行き当たる。丁寧な彫刻を施された重い樫造りの扉。その、ライオンを模した真鍮製のノッカーで来訪を告げると、中から涼やかな少女の声で「どうぞ」と返答があった。 「失礼します」  一揖とともにドアを押し開き、入室。そこには既に三人の少女がいて、うち二人は部屋の中央で島を作るパソコン机で何やら黙々と作業を続けている。その机も、教室にあるような生徒用のそれではない。まるで古い貴族が用いるような、木製の古風で立派なものだ。逆に、そんなものが普通の教室に置かれていればひどく浮きそうなものだが、この部屋に限ればそうはならない。扉と同じ重厚な造りの内装。ふっくらとした緋色のカーペットに、壁を覆う飴色の樫板。まるで高級ホテルのスイートを思わせるラグジュアリーな質感の部屋では、家具も、それに人も、最低限の品格がなければ存在を許されない心地がする。その意味で、あやめはひどく居心地が悪かった。  いや、多分、この部屋の造りのせいだけじゃない。 「さ・・・昨晩はその、助けて頂いて、ありがとうございます」  すると部屋の最奥、それまで窓越しに外のグラウンドを見下ろしていたもう一人の少女が、優雅な挙措で振り返る。ほっそりとしたシルエット。腰まで届く黒髪は触れるとさらさらと心地の良い音が鳴りそうだ。ただ、真の意味で少女の姿を特徴づけるのはそこではない。  今は逆光が作る影に塗り潰される顔。その半分は大判な眼帯で覆われ、そして、露わになったもう一方の顔は、熱か何かで焼かれたかのようにケロイド状に爛れているのだ。  辛うじて無傷のまま残った鼻と唇、そして頬の造作を見るに、本来は輝くばかりの美少女だったのだろう。ただ、今は傷の方が印象としては勝ってしまって、少なくとも、美少女、として見るのは難しい。が、実のところ学園内には、彼女のファンを自称する人間は多い。何なら密かにプロマイドなども出回っていて、扱いとしては完全にアイドルのそれだ。・・・なんてことを、地球上の誰よりもアイドルの存在を忌み嫌う彼女が知ったら、果たしてどんな顔をするだろう。 「私の顔に何か?」 「えっ? あ、いえ・・・」  つい緩んでしまった顔を慌ててあやめは引き締める。別に何かを厳しく咎められたわけではない。それでも彼女の声には、相手を否応なく支配する〝力〟がある。  カリスマ。  そうした目に見えない力を仮にそう呼称するなら、彼女は間違いなくその持ち主だ。しかも、途方もなく巨大な。 「昨日の件は、どうか気になさらないで。私はあくまで、私の都合で動いただけ。何より・・・我が学園の生徒を護ることも、我々生徒会の仕事だと申し上げたでしょう?」  きら、と輝く深紅の腕章。装飾として縫い込まれた金糸が、窓の光を受けて輝いて見えるのだ。それは彼女が、この学校の生徒を代表する立場にあることを示している。  生徒会長、として。 「ところで、朝倉きららには昨日のことを何と?」 「何も。本人も、夢だったと思い込んでいるようです」  予想していた問いに、シミュレーション通りの答えを返す。確かに、きららの方から昨日の件に関する言及はあった。が、あやめが夢だと突っ撥ねる限り、それは現実にはならない。ならないはずだ。  すると生徒会長、宵野ひびきは爛れた瞼をふ、と細める。本来は痛々しいだけの顔。なのに、彼女の表情は妙になまめかしい。・・・いいや、今は見惚れている場合じゃない。まずはこいつの本心を探らなくては。 「そ、その、ずっとお尋ねしたかったんですが・・・どうして私たちを逃がしたんです」  昨日、暗闇の中であやめを捉えたのは、実はひびきの手足である生徒会役員だった。  その直後、開け放たれたドアから明らかに刑事と思しき男たちがフロアに雪崩れこんできた。後で思い出したのは、あの会場に設置された、現行犯逮捕を防ぐための緊急装置の存在だ。あの会場では、警察官と思しき人間がエントランスをくぐると、警備員が即座に地下ライブハウスの電源を落とす仕様になっている。ライブ中に踏み込まれない限り、スタッフやアーティストが現行犯で逮捕されることはないからだ。  ただ、そんなことは知らない警察はライブが続いている体で踏み込んでくる。生徒会に保護されたのはその直前。まるで警察の立ち入り調査を予期していたかのような言動に疑問を覚えたあやめだったが、ともあれ捕まるよりは、と、薬で眠らされたきららと一緒に裏口からライブハウスを抜け出したのだ。  その後、彼らが足として使う自動車部の車で学園に連れ戻されたあやめたちだったが、二人に下された処遇はそれぞれ全く異なっていた。  きららは、そのまま翌朝まで何事もなかった体で眠らせる。  そしてあやめは、ライブハウスの件をきららに伏せる。 「まさか、その・・・学園の名前に傷がつかないように、なんてつまらない理由で助けたわけじゃないですよね?」  この女が、そんなつまらない理由でアイドル活動に手を染めた人間を許し、まして助けるとは到底思えない。すでにこの学園で三年を過ごすあやめは、この女がどういう人間かを、少なくとも外部生のきららよりは心得ている。 「つまらないだなんて。学校の名誉と品格を守ることも、私たち生徒会の使命の一つですよ。あのような穢れた活動に軽率に参加する生徒だとイメージがつけば、その悪名自体がリスクと化します。類は友を呼ぶ、とも言いますでしょ。ああいう連中に集られると、例えば、あなたのように非合法な連中に利用される、なんて事態も起きてしまう」 「・・・っ、」  知っていたのか。いや、だとすれば逆に辻褄が合う。  おそらくひびきは、以前からあやめとヤクザの関係を掴んでいて、その上でわざと泳がせていたのだろう。葛藤の中、あやめが苦しむ様などお構いなしに。  ・・・何て連中。 「じゃあ、どうして私を処罰しないんですか!? 売ったんですよ!? 同じ生徒を! 友達を! きららだけじゃない、他に何人も・・・そんな人間を、どうしてあっさり無罪のまま放免するんですか!」 「無罪? それは思い過ごしだわ、四辻さん」 「・・・え」  ひびきの言葉に、失望とも、安堵ともつかない奇妙な感情が胸を満たす。ああ、やっぱり罰せられるのか。それもそうか。あれだけのことを仕出かして、一人だけ逃げ切るなんてそんなこと、ほかならぬ私が許せない。 「じゃあその、私にはどんな罰を・・・?」 「罰? いいえ、特には」 「は?」  さすがに今度の返答は思いがけなくて、つい驚きの声を漏らせば、ひびきは形の良い唇をゆるりと左右に引く。 「その代わり、あなたにお任せしたいことがあるの」 「・・・朝倉きららの監視、ですか」  するとひびきは、今度はうっとりと微笑む。夢見る少女のような。だが、続く彼女の言葉はそうした愛らしい印象とは程遠いものだった。 「素敵ね。私、理解の早い子は好きよ。ええ、そう。朝倉きららを監視して。今回の一件で、おそらくすでに多くの組織が彼女をマークしたでしょう。そういう連中を、彼女を使って炙り出すの」 「それは・・・彼女を餌に使う、ということですか。彼女を泳がせて、今度は別の地下組織を潰す・・・と?」 「ええ」  躊躇なく、そう、ひびきは頷く。学園の名誉を守るべく、警察の手からさえも生徒を逃がした彼女が、今度は平然と、生徒をイリーガルな世界に放り込みたいという。 「実はね、以前からこれはと目をつけている組織があるのよ。巧妙で、ずる賢くて、こちらが情報を掴んだ時にはもうライブを終えている。しかも、昨日の組織と違ってその都度ステージを仮設解体するから、痕跡を辿ることすら困難を極める。まさにゲリラね」 「えっ、いや、待ってください・・・それって、朝倉さんをあえて危険な目に遭わせることと同義じゃありませんか。今回は運が良かっただけで、その、何なら警察に捕まっていた可能性も・・・」  それだけじゃない。  今時、アイドルを扱う連中が真っ当なはずもない。あやめが関わっていた組織もそうだ。そうした危険に、学園の生徒を晒しても構わないと? きららだって一応はこの学園の生徒なのだ。なのに。 「大丈夫。私が生徒会長でいる限り、警察には手を出させません」 「・・・え?」  どういう意味だ。まるで警察は掌握済みだとでも言いたげな。でも、たかがいち学園の生徒会長がそこまでの権力を持ちうるのかー-  いや。  この女に限れはそれも充分持ちうる。もっとも、あやめの想像が事実だとして、そこは決して踏み込んではならない闇だ。 「そう・・・ですか。それを伺って、安心しました。では、朝倉さんの安全は確保して頂けるんですね?」  そう。今のあやめにとって重要なのはこの一点。この一点さえ守り切れるなら、誰が何をしようが構わない。例えば与党政調会長の娘が、密かに警察権力を握っていようとも。 「それは、残念ながら確約できません」 「・・・え?」 「そもそも、ああいった組織とのつながりがリスクを孕むことは、四辻さん自身、よくご存じのはずです。違いますか?」 「それは・・・えっ、ちょっと待ってください。それを承知で、きららを餌に使おうと?」 「ええ。お恥ずかしい話ですが、この燐光学園にはあなたの他にも、現状、多くのスカウトが忍び込んでいます。それほどに、星屑きららが遺した呪いは強力なのです。彼女の出身校という、ただそれだけの理由で、この学校には多くの業が集まってしまう。アイドルという概念に触れるあらゆる活動を禁じられながら、それでもなおアイドルを志す人間、それを推したい人間・・・そして、そんな彼女たちを利用しようと目論む人間が。私は、生徒会長の責任のもと、そうした勢力を一掃しなくてはならない。もはやこの学園は、アイドルの聖地などではないことを行動で示さなくてはならない。そのためには・・・ええ、申し訳ありませんが、朝倉さんにはその見せしめとなって頂きます」 「み・・・見せしめ?」  思わず声が裏返ってしまう。それほどに、ひびきの言葉は信じがたいものだった。いや、信じてたまるか。そんな・・・ 「四辻さんも、協力して頂けますね?」 「・・・え?」  ああ、確かにそういう話だった。きららの監視とは要するにー-でも、こんな話を聞かされた今となっては。 「む・・・無理です。きららは、私の大事な友達です。彼女の安全を確約をして頂けないのなら、その・・・」 「ああごめんなさい。言い方がまずかったわね。ー-協力して。これは命令です。残念ながら、この件についてはあなたに選択権はありません」 「え?」 「そもそも、なぜ私たちが危険を冒してまであの場からあなた方を救出したと思っているの?」 「えっ? そ、それは、私たちが学園の生徒だからー-」  ー-違う。  そう、あやめの中で誰かが囁く。こいつは、端から餌として利用するためだけに二人を庇ったのだ。学園の生徒だからではなく。そもそも、この生徒会長にとって二人はもはや守るべき生徒ではない。あるいは最初から・・・  そう、最初から疑問だったのだ。  今や反アイドルの急先鋒でもあるこの学園が、なぜ、あんなアイドルバカの入学をあっさり許したのか。あのバカのことだ、面接で自分を偽るなんて器用な芸当ができたとは思えない。どうせ「星屑きららちゃんに憧れて受験しましたっ!」とか何とかぶちまけたに違いないのだ。  それでも、学園は彼女の入学を許した。だとすれば理由は一つ。最初から餌として用いるために、何かしらの意志があえて入学させたとしか。 「・・・協力しなければ、警察に売り渡す、と?」 「そういうことです。でも、できれば私もそのような選択は取りたくありません。あなた方が警察に捕まれば、当然、この燐光学園にも相応の汚名が着せられるでしょう。ですが、先にお伝えしたように、そうした汚名は他の生徒に多大な迷惑がかかります」  他の生徒、と、殊更に強調するあたり、彼女の頭の中ではすっかり〝朝倉きららと四辻あやめ、そして、その他の生徒〟という図式が出来上がっているらしい。前者の二人は、もはや守護対象ではない、ということだ。 「なので、できるかぎりそうした選択を私に取らせないでください。その限りにおいては、我々もあなたを全力でサポートします」 「いや待ってください。まだOKを出したわけじゃ、」 「では、昨晩の件を警察に通報いたします。朝倉きららがステージに立った証拠も添えて。私としては不本意な選択ですが、背に腹は代えられません」 「・・・っ」  駄目だ。  こいつは何もかも掴んでいる。私の心が、すでに朝倉きららに囚われていることもー- 「・・・き、昨日の、ことは、全部私が悪いんです。私が、朝倉さんをあんな場所に連れ出さなければ・・・そもそも私が、アイドルなんか好きにならなければ、こんな・・・」 「そうね。でも、残念ながらあなたの命乞いにはもう何の価値もないの」  そして、ゆるりと微笑む生徒会長はぞっとするほど美しくて、もはや爛れた肌など目に入らなくなる。・・・カリスマ。きららのような叩きつけるそれとはまったく違う、気付くと足元から頭の先まで絡め取られている、そんな。  だが、告げられていることはこの上なく残酷な内容だ。もはや彼女にとって、あやめはスパイとして以上の存在価値はない、と。・・・しかし、真に絶望的なのはそこではない。いずれきららは、この生徒会長の道具として使い潰される。あの、ステージで星よりも眩く輝いていたきららが。  あの煌めきが永遠に失われるのだ。  この、くそみたいな世界のせいで。 「お話は以上です。最後に何か質問は?」 「・・・これは、贖罪ですか」 「贖罪?」 「ええ。星屑きららの娘としての・・・かつて国民的アイドルとして人々を魅了した彼女の実の娘として、親が撒いた種を刈り取ろうと躍起になっていらっしゃるんですか」  それは、あやめにしてみれば火中の栗にあえて手を伸ばす指摘だった。  できれば触れずにおきたかった事実。燐光学園生徒会長である宵野ひびきが、かつてのトップアイドルであり、その後自殺した星屑きららの実の娘であること。そんな母の存在は、彼女にとっては間違いなくアキレス腱だ。弱みにせよ心の支えであるにせよ、その存在が娘の生きざまに何の影響も及ぼしていないはずはないのだ。  そんな決死の指摘に、しかし、ひびきはー- 「ふふ。ふふふふふ」  笑った。自分のしっぽを追いかけ回す柴犬を笑うかのように。 「残念ながら、それは誤解です。・・・そもそも、わたしが償うべき罪とは何です? 元アイドルの母のもとに産まれたこと? ですが、母が当時アイドルだったことも、わたしが母のもとに産まれたことも、いずれも何の罪にも当たりません。違いますか?」 「えっ? え、ええ・・・でも、」 「むしろ罪を償うべきは世界の方です」 「世界?」  するとひびきは、ええ、と頷く。相変わらず子供のような笑み。ただ、その爛れた瞼の奥に潜む瞳は、研ぎあげた刃の切っ先に似て鋭い。 「私の母は、世界に殺された。世界は一人の女性を、人ならざる偶像として持て囃し、崇め、理想を重ね・・・そして最後は、一方的に裏切られたと詰り貶めた。世界は、母に対して犯した罪を償わなくてはなりません。違いますか?」  四辻あやめが退室すると、例によって副会長の草壁かなえは、ひびきが何かを言う前からつかつかと入り口に歩み寄り、ばばばっと塩を撒く。 「ああもう忌々しい! どうしてこうアイドルを持て囃す連中は揃いも揃って考え方が下劣なのでしょう!」 「よしなさい、副会長。彼女たちも、自分が守りたいもののために必死なのです。その守りたいものが、私たちのそれとは相反するだけ」  するとかなえは、ですが、と不満顔をし、しかしひびきが一瞥を向けると、ええ、その通りですと衛兵のようにぴんと背筋を張る。その姿に、まるで犬ねとひびきは思う。ひびきが命じれば、昨日のライブハウスのような危地にさえ喜んで飛び込む優秀な軍用犬。  彼女に限らない。ひびきと出会った人間の多くは、その後、なぜかひびきの従順な下僕と化してしまう。幼い頃はそれが当たり前だと思い、少しずつ世の道理が見えてくるにつれ、それが父の権力を後光に仰ぐ人々の打算的な動きなのだと知った。ただ、その中にも稀に、ひびき本人に心酔する人間がいて、年を追うごとにそうした人間が増えてゆくのをひびきははっきりと自覚していた。  これも、ママの血のせいだろうか。  事実、そうなのだろう。だとすれば、そんなママから受け継いだアイドルとしてのカリスマを、ほかならぬアイドル殲滅のために揮う自分は何とも皮肉な存在だ。 「会長」  今度は、それまで黙々と事務作業に当たっていた書記に声をかけられる。 「あの、お電話が」  見ると、卓上でひびきのモバイルが小刻みに震えている。液晶画面には、発信者の番号と登録名。その表記はー- 「ああ、ありがとう」  モバイルを取り上げ、受話ボタンをタップする。 「もしもし。パパ?」 『ひびきか。どうだ、学校での生活は』  予想した通りの声に、苦笑を交えつつひびきは答える。 「ええ、楽しくやっているわ。ところでパパ、今回はどんなご用?」  現与党の政調会長として、日々忙しく飛び回る父に、こんな昼間から悠長に娘の声を聞いている余裕はない。何かしら喫緊の用事が出来たのだろうと娘なりに気を利かせて本題を急かすと、案の定、父は「それがな」と切り出す。 『急な話で悪いんだが、今夜のパーティー、ひびきにも是非出席してほしいんだ』 「あら、本当に急ね。でも、ええ、構わないわ。パパのお願いですもの」  むしろ願ったりな要求だ。父も参加するパーティーとなれば、当然、政財界の有力者もこぞって顔を出す。そこで、父だけでなくひびき自身の顔も売れば、将来それが役立つこともあるかもしれない。  そうでなくとも、こうして普段から父に恩を売っておけば、例えば前回のように〝特別な情報〟を回してもらえることもある。  昨日、歌舞伎町の雑居ビルで行なわれた一斉検挙。あの場にひびきたちが居合わせることができたのも、そして、検挙の直前に朝倉きららと四辻あやめを逃がすことができたのも、全ては父を通じて得た情報のおかげだった。もちろん、情報源は一つではないし、一つの情報をもとに動くわけではない。ただ、情報の量と出所は多いに越したことはないし、おかげで今回のような、針の穴にラクダを通すような無茶な作戦も叶ったのだ。  ただ、そのためにも普段から、そうした情報網のケアを怠るわけにはいかない。 『ああ、助かる。詳細は後でメールで送るから。よろしく』  そして通話は慌ただしく切られる。間際、電話の向こうで秘書の種田が「そろそろ記者会見が」と促す声が聞こえた。忙しい人だな、と娘ながらに思う。親子水入らずで会えるのは、それこそ母の命日ぐらい。 「副会長」  振り返り、かなえに告げる。 「急な話で悪いのだけど、私の夜間外出許可を取って頂ける?」  するとかなえは、はいいっ、と背筋を正し、それから弾かれたようにパソコンに取りつく。この学校では、夜間外出許可の申請はオンラインでも行なうことができる。そうした手続きのオンライン化も、ひびきが会長に就任してから断行したものの一つだ。  他にも多くの改革を、この学園で断行してきた。唯一叶わなかったのは、声楽科の廃止請求ぐらいだろうか。かつてアイドルの揺籃として機能し、母も所属したという声楽科を潰すことはひびきの悲願でもあった。ただ、元々は音楽系の芸術学校としてスタートした燐光学園にそれを飲ませることは難しく、さらに、法施行後はオペラやコーラスの教育に軸足を移した事情も鑑みて、結局、ひびきの方から要求を取り下げた。  ただ、実際は今なおアイドルを目指す少女たちの隠れ蓑にも使われていて、なので声楽家の生徒は全員、念のため要注意リストに放り込んでいる。ひびきに言わせれば、四辻あやめもそれに朝倉きららも、元よりこの学園の生徒ではない。強いて喩えるなら、くずかごに突っ込まれたまま回収を待つゴミだ。 「許可、取れました、会長」  やはり背筋を正したまま、副会長がきりりと告げる。幼少期からバレエを習い、今も舞踏科で特待生として遇される草壁かなえの、襟元からするりと伸びた首筋はいつ見ても美しい。その首筋に「ありがとう」と囁きキスをすると、副会長は「くぁwせdrftgyふじこlp!!!!」と椅子から飛び上がり、直立不動のままばたんと床に倒れた。可愛い子。  指定されたホテルの宴会場に着くと、すでに多くの人の姿があった。  男性は主にスーツ。女性はスーツとドレスがほぼ半々。ただ、その誰もが各種メディアで見かけたことのある各界の著名人で、俳優やモデルも含む集まりは全体的に華やかだ。その中にちらほらと、個性的な服装や髪型の人間も紛れている。こちらは学者か評論家、さもなければジャーナリストだろう。  そうした人々に狙いを定め、宵野ひびきはつかつかと歩み寄る。大人びた印象を与えるダークブルーのドレスとヒールは、半年前に父に仕立ててもらったもの。ただ、多くの人間はひびきと出くわした時、まずドレスではなくこの醜い顔に目を止め、それから一瞬、気の毒そうな顔をする。  この日も、ひびきに声をかけられた大人たちはひびきの顔を見るなり同情めいた顔をし、それから、気さくさを装った握手を求めてきた。 「やあ、宵野ひびきさん、だね」 「こんばんは。帝都大学の塚本教授ですね。先日は、父の法案に賛意を示すコメントを下さり、ありがとうございます」 「あ、いや・・・我々こそ、国民の意見を反映したお父様の施策には常々感謝しているよ。表現物を通じた他者の消費をこの国から排除し尽くすためにも、今回の法案は、一刻でも早く国会で可決すべきだ」 「ええ、わたくしも同意見です。全てのメディアから、報道を除く実在人物を用いた表現を排除する。これは、私たち父子の悲願でもあります」  そしてひびきは、額にかかる前髪を指先でそっと掻き上げる。露わになる爛れた顔面。その惨状に、いっそう同情の色を強くする教授。ほんと、大人ってちょろい。 「ああいった表現を放置すれば、人は、過大な期待と崇拝とを生身の人間に抱いてしまいます。その最たるものがアイドルです。が、そうした存在も、所詮は生身の人間です。全ての人間の理想に応えるなど不可能ですし、そもそも、彼らにだって自身の幸せを求める権利がある。・・・にもかかわらず、ひとたび理想から外れた途端に大衆から恨まれ攻撃され、不当な方法で傷つけられてしまう。こんな悍ましいシステムは、いっそシステムごと破壊すべきです」  昼間、四辻あやめにも告げたことを、言葉を変えて述べ立てる。あやめは呆れていた。何を言われているのか分からない、という顔で終始ぽかんとしていた。当然だろう。アイドルの無謬を疑いもしない彼女に、こうしたアイドルの負の側面を理解させることは難しい。  だが、ここに集まる人々は、アイドルが孕む問題をすでに理解し、共有してくれている。  教授はひびきの言葉に満足顔で頷くと、今度は進学の話を持ち出してきた。 「宵野さんには是非、わが校を志望していただきたい。君のような聡明な学生ならいくらでも大歓迎だ」 「恐縮です」  本当は海外の大学を志望している、なんてことはあえて口にしない。そもそもひびきは、リップサービスを振り撒くためにここに足を運んでいるのだ。  頭上には燦然と輝くシャンデリア。ロココ調の瀟洒な内装で行なわれるパーティーは立食形式で、そこかしこで料理やシャンパングラスを手にした招待客が名刺や歓談を交わしている。彼らは、ひびきの父の政策を支持する著名人、文筆家、学者にジャーナリストで、雑誌や新聞、その他の映像メディアを通じて父の政策の正当性を日々喧伝してくれている。  今度は、どこぞの出版社の記者と思しき男が声をかけてくる。この醜い顔は、こと、この界隈では知らない者はいない。 「ひびきちゃんだね? 僕は週刊文朝の中田といいます。はじめまして」 「・・・文朝」  その単語に、ひびきは爛れた瞼をひくりと痙攣させる。いけない、冷静に。ええ、今の私は父の宣伝塔。万に一つも粗相は許されない。 「ええ・・・はじめまして。父がいつもお世話になっております」 「いやいやこちらこそ。ところで今度、うちの誌面で星屑きらら・・・ええと、お母さんの追悼記事を企画していてね。ああ、もちろん報道というかたちで・・・で、さ、よかったらひびきちゃんにも、何かコメントを書いてもらえると嬉しいんだけど、どう?」 「・・・学業との兼ね合いもありますので即答はできかねますが、まずは父と相談させて頂きたく思います。よろしいですか?」  そう、やんわりと返すのが精一杯だった。記者は嬉しそうに名刺を突き出すと、そこに何やら番号を書きつけ、ひびきの手に無理やりねじ込んでくる。 「んじゃ、OKならこの番号に連絡して。待ってるから! じゃね!」  そして記者は、次のターゲットに慌ただしく駆け寄る。その背中が人混みの向こうに消えたところで、ひびきは手元の名刺を細かく引きちぎり、足元のカーペットにさっと撒いた。  何も知らないと思って。  母がアイドルを引退し、直後に父との婚約を発表したとき、日本中でそれこそ蜂の巣を突いたようなバッシングが起きた。  加熱する世論をさらに煽り立てたのが、今の週刊文朝をはじめとする下劣なゴシップ誌だ。連中は、それこそ連日のように両親の姿を追い、その姿を盗撮した。スーパーでコンビニで公園で。そうした写真には、決まって悪意ある注釈が添えられた。何気ない日常のひとコマにさえも。  全ては、ひびきが生まれる前の出来事。だが、図書館に行けばそんなものは後でいくらでも調べがつく。事実、ひびきは調べ、そして全てを知った。それらのゴシップ誌がどれほどの悪意を世間にばら撒き、父を、そして母を傷つけたのか。  連中のように他人を貶めて飯を食らう存在こそ、本来、潰すべきターゲットなのだ。 「・・・いけない」  昂りかけた感情を腹の底に収めると、ひびきは、続いて声をかけてきた芸能事務所の社長と名乗る男の会話に応じる。 「へぇ、燐光学園で生徒会長を? けど、あそこは昔からアイドルの巣窟と相場が決まってるだろ。どうして君がそんな学校に?」 「ええ、母の出身校ということで・・・風紀についてはご心配なく。今や燐光学園は、ハイカルチャーを担う人材の揺籃として新たな道を歩んでおります。ウェブサイトなどで最新の実績をご覧いただければ、そうした実情もご理解いただけるかと」 「ふぅん。・・・ところでさ、君、治さないの、その傷」 「・・・傷」  君、と、別の男が発言主の脇を小突く。見ると、周りの大人たちもおしなべて気まずそうな顔を並べている。  いやらしい。  ここにいる大人たちは誰しも、形はどうあれこの傷を利用してきた。世間の同情を集めるための餌として、あるいは正義の旗印として。その意味では、ひびきに整形を求めるこの芸能事務所の社長も五十歩百歩だ。醜かろうと美しかろうと、ひびきを利用したい、という意味において。 『お集まりの皆さん』  ふと、会場のスピーカーから聞き覚えのある声がする。振り返ると、前方の壇上に見慣れたスーツ姿の男が、堂々と、フロアを睥睨するように立っていた。すらりとした長身と、四十代とは思えない若々しさ。顔立ちも、娘の欲目を差し引いても整っている部類だと思う。実際、母の結婚時にもゴシップ誌などで〝イケメン官僚〟などと下世話な称号を頂戴していた。  その父が、すっかり政治家らしさが板についた声をフロアに響かせる。通りの良い、凛と響く澄んだ声。 『本日はお忙しい中、わたくしが主催する〝表現と人権について考える会〟に足をお運び頂き、まことにありがとうございます。皆様のご協力により、先日、わたくしが発案いたしました〝実在人物の肖像を用いた商品等の販売に関する法律〟が無事、衆議院で可決されました。これも、ひとえに皆様のご支援の賜物です』  パーティーが終わり、秘書の種田に教わった部屋へと向かう。同じホテルの一二〇七号室。カードキーはあらかじめ受け取っていたから、ノックの後はそのまま部屋に入る。  部屋の中は真っ暗だった。入り口のダウンライトが一つ灯る以外は、照明は全て落とされている。その、真っ暗な部屋の奥で、窓越しに広がる夜景の煌めきには目もくれずに、一人の男が黙々とラップトップPCのキーボードを叩いている。大方、新しく起案する法案の雛型でも打ち込んでいるのだろう。  あの日以来、父が笑ったことは一度もない。  もちろん仕事のために笑うことはある。が、プライベートで心から笑ったことは、ひびきが覚えている限り一度もない。あの日ー-そう、あれはひびきが四歳のときのこと。その日、ひびきは両親と一緒に遊園地に出かけていた。当時はまだ若手官僚として経済産業省に勤めていた父は、今ほどではないにせよ多忙で、その日は、久しぶりに取れた貴重な休日だった。  政治家と違い、いち官僚にいちいち警護などつくはずもない。何より彼らは、ごく普通の家族として過ごすことを好んだ。なまじ母親が有名人だったぶん、ごく普通の、静かな暮らしに憧れていたのだ。  だから気付けなかった。密かに迫りくる悪意に。  あれは、確かジェットコースターだったと記憶している。絶叫系が苦手な父におねだりして一緒に乗ってもらった。涙目になる父と、そんな父を「ひびきのために頑張って」と励ました母。今となっては、父には少し申し訳ないけど美しい思い出だ。直後、あんなことが起こらなければ本当にただの素敵な思い出で終わっていただろう。  その男はー-今では名前も思い出せないその男は、この日、硫酸を詰めた瓶を懐に隠し持っていた。後の捜査で明らかになったことだが、男は、以前から星屑きららを襲撃する機会を狙っていたらしい。それも、わざわざ夫の目の前で襲うべく、家族全員の行動パターンを調べ上げていたのだそうだ。  そうして遂に訪れたチャンス。男が狙ったのは、親子がアトラクションから出てきた直後の無防備な瞬間だった。  --死ねェェェ星屑きららッッ!  男がぶちまけた硫酸は、しかし母ではなく、その傍らにいた娘のひびきに直撃する。硫酸を浴びたひびきは、その後、救急車で近くの病院に搬送され、一方の犯人は駆け付けた警察官により署へと連行された。後の裁判で、犯人には執行猶予なしの懲役刑が科せられる。だが、母はこの事件がきっかけで、家から一歩も外に出られなくなってしまった。  ただ。  そこで悲劇が終わっていれば、父もひびきも、こんなことにはならなかったのだ。 「パパ」  部屋の電気を灯し、声をかける。ようやく我に返った父は、思い出したように振り返り、それから、「ああ、ひびきか」と目頭を揉む。 「すまない。気付かなかった」 「ううん、いいの・・・そんなことより、いつも言ってるでしょ。仕事の時はちゃんと部屋の明かりをつけてって。余計に目が悪くなるでしょ」 「わかってるよ。ただ・・・暗い方が集中できるんだ。余計なことを考えずに済む」 「それは、わからなくもないけど・・・ところでパパ、何か飲む?」  テーブルのメニュー表を眺めながら問う。ところが父は「いや」と答えたきり、また手元のPCに目を戻してしまう。 「さっきミネラルウォーターを注文した。そろそろ届くだろう」  折しも部屋の呼び鈴が鳴り、ボーイが二人分のグラスを持って現れる。まだ新人と思しきボーイは、ひびきの爛れた顔を見るなり一瞬ぎょっとなると、それから気まずそうに曖昧に微笑み、グラスを置いてそそくさと部屋を出て行った。  運ばれたグラスの一つを父はひびきに差し出すと、残る一つを一気に呷り、そしてまた仕事に戻る。まるで機械のよう。  でも機械だって、休みなく働けばいつかは壊れてしまう。  いや、あるいはもうとっくに壊れているのかも。父も、それにひびき自身も。 「悪かったな、急に呼び出して」 「ううん。塚本さんにせがまれたんでしょ。じゃあしょうがないわ」 「そう。どうしてもひびきに会いたいって聞かなくてね。まぁ、パパとしても、あの人にはいつも良い記事を書いてもらってるし、頭が上がらないんだよ」  彼の記事ならひびきも目を通している。が、典型的な提灯記事で、正直、読んでいるこっちが恥ずかしくなる内容だ。あんな人間でも大学で教鞭を執れるのかと呆れるが、この世には、〝正しい〟ことさえ主張していればそれなりの地位を約束される世界があるらしい。  だが、その〝正しさ〟は常に移ろいゆくものだ。  例えば、かつてはアイドルになること、それを応援することは、どちらかといえば正しい部類だった。少なくとも違法ではなかった。だからこそ、多くの少年少女がアイドルを夢見たのだし、それを応援する人間も数多くいた。トップアイドルになるべく努力する少年少女、と、それを全力で推すファンの関係は、時に美談として語られもした。  父が、その〝正しさ〟を変えるまでは。  父が政治家を志したのは、母の死がきっかけだった。事件の後、重度の鬱病を患った母は、ある日、自宅のベランダから飛び降り、死んだ。ハウスキーパーが目を離した一瞬の出来事だった。  その様子を、退院したばかりのひびきも偶然目にしていた。小柄な人だったから、一瞬、そのまま空に飛び立ってしまうかのように見えたことをよく覚えている。・・・でも、あの人は人間で、当たり前に墜落した彼女は、搬送先の病院で治療の甲斐もなく死んでしまった。  そんな母の死を、メディアはまたもセンセーショナルに報じた。  連日、顔写真つきの記事がゴシップ誌を飾った。父とひびきは毎日のようにマイクとカメラを向けられ、ひびきは悲しみのせいではなく、激変した日々のために口がきけなくなった。一体、私たちが何をしたのだろう。母は確かにアイドルだった。でも、同時にごく普通の人間でもあったのだ。ベランダから飛び出せば重力に負けて墜落する、同じ血肉を持つ人間だった。なのに。  ー-ごめんな、ひびき。  あの頃、父は毎日のようにひびきに謝った。  ー-こんな世界、間違ってるよな。ごめんな。  後で知ったことだが、この頃、すでに父は政党から立候補の打診を受けていたらしい。政党としては、ニュースで俄かに高まった父の知名度を利用したかったのだろう。何にせよ父は、直後の選挙で政界入りを果たす。連日メディアで報じられたことによる知名度と同情票とが追い風になったかたちだ。  だが、それだけでは単なる時の人で終わっていた。父を終わらせなかったのは、この世界の〝正しさ〟を変えてやるという鋼の決意だ。  その父は、今も走り続けている。  母を奪い、父とひびきを傷つけたこの世界を変えるために。 「・・・あまり、頑張り過ぎないでね」  向かいのソファに腰を下ろし、夜景に目を向ける。まるで銀河みたい。一つ一つの輝きが夜空に輝く星のよう。でも、あれは星などではなくて、どこかの家族が、あるいは恋人たちが営む暮らしの輝きなのだ。  あんなことが起きなければー-  世界がこんなかたちじゃなければ、私たちも、あの明かりの一つとして無邪気に輝いていられたんだろうか。パパとママと私の三人で。 「ところでさっき、文朝の記者がママの追悼記事を書きたいと言ってきたわ。どうする? パパ」 「いいんじゃないか。ただし、記事は今の法案が通ってからにしてもらおう」 「それってー-」  現在審議中の法案は、報道も含めて他者の肖像権を冒してはならない、というもの。事件直後の速報や指名手配の写真など、一部の例外は認めるにせよ、基本的に実在人間の肖像のメディア使用は禁止される。速報性のない文朝のそれには、母の写真の利用は当然認められないだろう。  さすがに文章にまで手を入れると、それは純粋な検閲になる。いま父を支持する人々も、そうなると一気に手のひらを裏返すだろう。父もそのあたりの勘所をわかっているから、これ以上の戦線拡大は求めない。一方で、写真の利用が叶わなくなると、どうあっても記事はインパクトを欠くものになる。売り上げが上がらなければ、いずれあの手のゴシップ誌は先細りになるだろう。最小限のリスクで最大の効果を上げる。父は、とても賢い人だとひびきは思う。 「そうね、それがいいわ」  やがて仕事がひと段落ついたのか、父はラップトップを閉じる。が、部屋の明かりはつけない。この夜景を今の状態でもう少し眺めていたいのかな、とひびきは思う。むしろそうであってほしい。 「先日、新宿でまたひとつ地下ライブハウスが摘発されたことは知っているね」 「ええ」 「そこで拘束された主催者が、取り調べで奇妙なことを口走っているそうだ。ライブ当日、ステージに燐光学園の生徒が飛び入りで参加し、アイドルとして歌った、と。事実だとすれば由々しき事態だ。何のために君をあの学園に送り出したか、ひびき、覚えているね?」 「アイドル文化の絶滅。聖地、燐光学園でその芽を根絶やしにすれば、復権を目論む連中にとっては大きなダメージになる。だから」 「そうだ。もう誰にも、ママのような悲しい運命は辿らせない。生身の人間が背負うことのできる想いには、そもそも限界があるんだ。限界が来れば、不本意にせよ誰かを裏切らずにはいられなくなる。そして・・・それまで寄せられた憧憬や崇敬、思慕は容易く憎悪に変わってしまう」 「・・・ええ」  事件後、警察署に連行された犯人は、そこで母に対するあらん限りの罵詈雑言を並べ立てたという。ファンを裏切った売女。金目当てでエリートの男と結婚した尻軽女。これぐらいはまだ優しい方で、調書には他にも、普通の女性ならまず耐えられない屈辱的な言葉が並んだ。  それらを取調室のマジックミラー越しに聞きながら、父は何度も奴を殴り殺してやると叫び、そのたびに捜査員に引き留められたという。それまで一度も声を荒げたことのなかった温厚な父が、だ。  アイドルなんて。  そう、あんなものは所詮、人の心と人生を狂わすだけの麻薬だ。 「調べによると、現場から逃走した人物の中には、組織に協力していた燐光学園の生徒も含まれていたらしい。こちらは、逮捕者の証言ですでに身元が明らかになっている。詳細は追ってメールで送る」 「逮捕するの?」 「判断するのは警察だ。ただ現状、逮捕者の証言以外にこれという証拠は挙がっていないようだ。現状、令状の請求は難しいから、引っ張るにしても任意同行というかたちでやるだろう」 「そう・・・ごめんなさい。私の力が及ばなくて」  すると父は、安易に慰めるでもなく「そうだな」とあっさり肯定する。 「改めて、生徒会長として風紀の引き締めに励んでもらいたい。僕の娘である君には、決して難しいことではないはずだ」 「はい」  僕の娘。母が死んでから、父はこの言い回しを多用するようになった。まるで、ひびきは母とは違うのだと言いたげに。それは多分、父なりの励ましなのだろう。君は、自ら死を選ぶような人間じゃない、と。  アイドルになって、集めた賞賛で自ら身を亡ぼすような人間じゃない、と。 「ひびき」  立ち上がった父が、ミニテーブルを回り込み、ひびきのソファに歩み寄る。そのまま身を乗り出すようにして、ひびきの額に軽く口づけてきた。硫酸で肌が溶け落ちた醜い額に。 「愛してるよ、ひびき。さっきはああ言ったが、本当は、ひびきが幸せなら、それだけでパパは充分なんだ」  ホテルからの帰り。秘書の種田が運転する車の中で、ひびきはぼんやりと、流れる景色を眺めていた。  思い出していたのは父のこと。近頃、会うたびに父の顔が険しくなっているように見える。確実に世界は変わっているのに、父だけは相変わらずあの頃のまま、何かに追い立てられているように見えるのだ。  いや、あるいは・・・  これは、ただの投影だろうか。本当に追い詰められているのは父ではなく、実はひびき自身なのかも。では、何がひびきを追いつめているのか。わからない。わからないが・・・  眼帯に手をやり、そっと留め具を外す。  車窓に映る、もう一人のひびき。彼女の顔の左半分は、普段は大判の眼帯で覆われている。この顔を見せたことがあるのは、父と、秘書の種田の二人だけ。とりわけ学校では人目を避ける意味でも隠している。というのも。 「本当に・・・そっくり」  成長するにつれ、かつての母の面影を宿してゆく顔。右半分の傷がなければ本当に瓜二つだったかもしれない。事実、左半身だけを映した車窓は、まるであの頃の母が隣に座っているようにも見える。  綺麗だった。  間違いなく、美しかった。日本中の誰よりもキラキラと輝いていた。そんな母が、ひびきは大好きだった・・・憧れていた。   「ねぇママ。ママはどうしてアイドルになったの?」  幼稚園に入って間もないある日、ひびきは母に尋ねた。この頃、ひびきは連日のように同じ質問を友達に浴びせられていて、わからないと答え続けることにもいい加減、申し訳なさを感じていたのだ。  ところが母は、しばらく悩んだ後で、 「うーん、よくわかんないなぁ」  と、困ったように答えた。 「わかんないの?」 「うん。だって考えたこともなかったから。生まれた時からママはアイドルになるんだと思ってたし、他の生き方なんて考えたこともなかった。だから歌も踊りもうんと頑張って、ライブで何曲も歌えるように身体も鍛えて、で、いろんな事務所のオーディションを受けたの。どうして、だなんて考えたこともなかったなぁ」 「へー・・・」  母の言葉は、この頃のひびきには難しすぎてあまり理解はできなかった。が、それでも一つだけはっきりしたことがある。アイドルは、生まれた時からそう生きるよう定められているのだ。アイドルだった頃もそして今も母が輝いて見えるのは、彼女が、そもそもアイドルになるべく生まれたから。  しかし、そうなると浮上するもう一つの疑問。 「じゃあママは、どうしてアイドルをやめたの?」  すると母は、ひびきの丸くてやわらかな頬を両手でふんわりと包み、それから、むにむにと軽く押しつぶした。事件でひびきの顔が傷つけられる前、母はよくそんなふうにひびきの顔に触れた。  そんな母の無邪気で温かな手が、ひびきも好きだった。 「あのね、ひびき。アイドルはね、一人の人を愛しちゃいけないの」 「どうして?」 「アイドルはね、みんなのものなの。だからアイドルは、みんなを愛さなくちゃいけない。応援してくれる人、愛してくれる人みんなのためにキラキラしなきゃいけない。それができなくなったら、アイドルは、アイドルを辞めなきゃいけないの。ママは・・・できなくなっちゃった」  週刊誌が母の婚約を報じた後、世間ではバッシングの嵐が吹き荒れた。引退から間を置かない婚約が、現役時代からの交際を疑わせたからだった。  それでも母は父と結婚し、そしてひびきを産んだ。  アイドルとしてではなく、人として誰かを愛するために。 「到着しましたよ、お嬢様」  いつの間にか車中で居眠りしていたらしいひびきは、種田の声で目を覚ます。見ると、すでに車は学園の寮のエントランスに着いていて、ひびきは外したままの眼帯を素早く付け直し、車を降りる。 「いつもありがとう。あと・・・パパをよろしくね」  種田の車を見送ると、ひびきはさっそく自室に向かう。深夜の廊下は人気もなく静かだ。今頃、寮生たちは自習に励むか、すでに眠っているのだろう。 「・・・」  なぜだろう。このまま部屋に戻りたくない。明日も授業が待っていて、早く休まなくてはならないのに心が言うことをきかない。パーティーの後に限らず、ひびきには稀にこんな夜があって、そんな夜は決まって学園の中庭をぶらぶらと散歩することにしている。  誰もいない夜の中庭には、むせかえるほど草の匂いが充満している。その匂いを肺いっぱいに吸い込みながら、今後のことをひびきは考える。  車を降りた後、モバイルを見ると父からメールが届いていた。内容は、先日の事件に関する情報。拘束された組織員が明かした協力者とは、やはり四辻あやめのことだった。となると数日中にも、警察はあやめの任意同行に動くだろう。が、彼女は今やひびきの貴重な手駒でもある。しかも、その手駒を入手する際にはそこそこ苦労を強いられた。こんなところで易々と奪われるわけにはいかない。  いっそ父に、任意同行は待ってほしいと願い出るか?  いいや、ただでさえ忙しい父をこれ以上患わせたくない。それに、この学校のことは全てひびきに一任されているのだ。その期待を裏切りたくはー-  それだけか?  ふと、そんな疑問が脳裏をよぎる。本当にそれだけか? 私が、父や警察の介入に抵抗を抱く理由は。 「・・・これ」  ふと耳に届く、夜風とは違う音。いや、これは・・・歌?  キラキラが止まらないの。  だからわたしは歌うの。 「えっ、これって」  気付くと、ひびきは走り出していた。パーティー用の洒落たハイヒールが、芝生の夜露に濡れるのも構わずに。  誰にも追いつけないわたし。  そう、空を駆ける流れ星。  次第に大きくなる歌声。それにしても、一体誰がこんな歌を。法律によって封印され、娘のひびきでさえ聞くことも歌うことも禁じられた母の代表曲、『シューティングスター』。・・・そう、禁じられている。だから罰しなくてはならない。生徒会長として、宵野征四郎の娘として私は。  わがままに自分勝手に。  でも、そんなわたしが好きなんでしょ。  す、きー----------ー--!  脳内で補完されるフロアの合いの手。それはうねりと化し、画面越しにも当時の熱気を伝えてくる。もう何十回、いや何百回リピートしたかもわからない母のライブ映像。直後、母が見せる通称乙女ターン(振り返りと同時に拳を顎に添え、上目遣いでウインク)まで、今のひびきはありありと思い出すことができる。  いや、それどころか。 「・・・っ」  疼く足。条件反射で動く手。違う、といくら頭で否定しても身体は覚えている。幼い日、母に憧れて何度も真似たアイドル時代の母の姿。そんなひびきを、母はいつも優しく見守ってくれた。  時には、アドバイスさえもくれた。ここではしっかり顎を引くの。上目遣いで、照れるのはNG。私が世界で一番可愛い女の子だって自分に言い聞かせるの・・・  キラキラが止まらない。  止まらないの。  溢れて、こぼれて、ねぇ、どうしよう。  ちょーだい! ちょーだい! きららのキラキラちょーだい!  曲中何度も繰り返されるコール&レスポンス。それが、この曲の特徴の一つでもある。フロアのレスポンス、ファンの協力があって初めて完成する曲。・・・でも、今のこの歌にはそれがない。たった一人、虚空に向けて放つ叫びは誰の胸にも届かないまま消えてゆくー-・・・  だから、ねぇ受け止めて、わたしの。 「いいよー---!」  ー-えっ。  それは、確かに闇の奥から聞こえた。返るはずのないレスポンス。そんなことは百も承知で、誰もいない夜の中庭で毎晩歌い踊っていた。なのに。  ここは、朝倉きららにとっては秘密の練習場だった。図書館の裏。中庭に続くテラスに面したそこは、まるで一面鏡張りのレッスン室みたいに、ガラスに映る自分の姿をチェックしながら踊ることができる。周囲は植栽のおかげで視界も阻まれてているから、うっかり歌声が聞かれでもしない限り、ここにきららがいることは誰にもわからないー-  はずだった。なのに。  だから、ねぇ受け止めて、わたしの。  みんなにも届けてあげる。  きららちゃん!?  そう、それは紛れもない星屑きららの歌声だった。声質もそれに節回しも、動画で聞いた彼女の歌そのままの。まさか・・・きららちゃんの幽霊? わぁどうしよう。本当に彼女の幽霊なら私、こんなキラキラじゃない普通のジャージで歌っていたこと怒られちゃうかな。あーもう、アイドルは年中無休でアイドルじゃなきゃいけないのにこれじゃダメダメだ! ・・・ううっ、でもせっかくきららちゃんがハモってくれたんだ。恰好はどうあれ全霊でハモり返さないと! いやハモり返すってそもそも何!? わっかんないけど、でも!  煌めきは一瞬でも永遠。  みんなにキラキラ届けるために生まれた。  私はそう、夜空を駆ける流れ星。  全く同じ節回し、同じ音程で重なる二つの声。いや、むしろ重ならないはずがない。もう何十回、いや何百回真似たか知れない彼女の歌。その何倍もリピートした彼女の動画。だから・・・だからこそ、皮肉だけども理解できる。この歌声は、きららちゃん本人じゃない。声も似ているし節回しもほぼ同じ。でも、ほぼであってそのものじゃない。いつもきららが歌いながら頭の中で再生するきららちゃんの歌声と、わずかに、でも確実にずれている。  何より、きららちゃん本人ならたとえ幽霊でもこの明かりの下にばーんと飛び出してくれたはず。だって、彼女はそういうアイドルだった。溢れ出すキラキラが抑えられなくて、だからこそアイドルの道を選んだ子。そんな子が、草葉の陰でりんりんと鳴く鈴虫みたいな歌い方をするはずがない。綺麗で、でもとても寂しげな。  ねぇ、あなた誰?  会いたい。きららと同じぐらい、いや、それ以上にきららちゃんを愛する同志。こんな世界でもきららと一緒にアイドルを愛してくれる人。ねぇ、あなたは一体、誰?  気付くと曲は終わって、謎の声もいつしか止んでいる。聞き間違いだったのだろうか。いや・・・そんなはずはない。この耳には今も、きららちゃんによく似た彼女の美しい歌声が残っている。 「また・・・会えるかな」    どうして。  どうしてどうしてどうして。  ノンストップで庭を横切り、ようやく寮に駆け込んだところでひびきは乱れた息を整えながらそう自問する。どうして歌ってしまった。どうして、重ねてしまった。とっくに捨てたはずの歌。封じられたはずの歌。こんなものがある限り世界は変わらない。人は、過大な愛を他者に求めてはいけない。アイドルは、その条理を壊す忌むべき存在。その壊れた条理を正すために、父もひびきもここまで戦ってきた。なのに・・・  裏切りたくない。  父を、今のひびきに残された、たった一人の家族を裏切りたくない。だからこそ、誰よりも率先してあの歌を捨て去らなくてはいけない、なのに。  ー-僕の娘である君には、決して難しいことではないはずだ。 「そう、そうだよね、パパ」  ふぅと一つ深呼吸すると、ひびきは顔を上げ、自室を目指す。  そう、私は何も歌わなかった。ただ夜陰に紛れて聞こえた禁歌と、その歌い手を確かめに行っただけ。  そう、これは、それだけの話。 「・・・は?」 「だから、いたの! 私たちのほかに、アイドルが好きな女の子!」  そして、キラキラと瞳を輝かせるきららを、あやめは冷ややかに見据える。近頃ではもう、こうした人目を憚らない彼女のアイドルトークにも慣れてしまった。そもそも、すでに生徒会にマークされている以上、人目を憚る理由もへったくれもないわけだが。  なので今、あやめが呆れているのは全く別の理由だった。この子、まだこんなこと・・・というか、まだ練習してたのか。あんなに口を酸っぱくして駄目だと言い聞かせたのに。  はぁぁぁ、と大きく溜息をつくと、あやめはバターを塗りつけたトーストにざっくりと噛り付く。  いい加減、アイドルを目指すのは止めて欲しい。そもそも、こんな情勢でアイドルを目指すとなると、それこそ反社会的勢力に縋るしか道はない。そうした現状も含めて、きららには何度も、何度も何度も何度も説明したのだ。そう、あやめ自身の過去の境遇や犯した罪も含めて、なのに。 「だからさ、何度も言ってんじゃん。そういうの、いい加減やめなって。こないだの件でわかったでしょ? 危ないんだよアイドルなんて」  突き放すように言い切ると、あやめは残りのトーストを口に押し込む。それをカフェラテで強引に流し込むと、トレーを手にさっさと席を立つ。ああもう気分が悪い。朝っぱらからこんな話を聞かされて、頭とか心を掻き乱されるこっちの身にもなれっての。 「うん、わかってる」  その言葉に、あやめは足を止める。 「わかってるなら、どうして・・・」 「でもね、それでも私、思ったの。あのステージで歌って、踊って、やっぱり私、アイドルになりたい。みんなにキラキラを届けたい!」  そうきっぱりと言い切るきららの瞳に、あやめは、今度こそ呆れてものが言えなくなる。・・・何がキラキラだ。何がアイドルだ。そんなものがあるからみんな不幸になる。事実なったじゃないか。あやめはヤクザに協力させられ、そしてー-そして星屑きららは自ら命を断った。 「ばっっっかじゃないの!」  唐突なあやめの怒号に、きららはびくりと首を竦める。にわかに静まる朝の食堂。訝る目、疎んじる目があやめの背中に何本も突き刺さる。  それでもあやめは、構わずに続ける。 「言ったでしょ。そもそもあれは、あんたをヤクザに売るための工作だったんだって。大体ね、今のアイドルはみーんなヤクザの道具なの。おおっぴらには活動できないから、ヤクザが運営する地下ライブでしか歌えない。で、人気が落ちたら今度はヤクザの愛人やらされて、齢を取ったら飽きられてポイ。それが今のアイドルの現実。それでもあんた、まだアイドルやりたいとか寝言をほざくわけ?」 「そんなの関係ない」 「は?」 「私は、アイドルになるために産まれてきたの。現実がどうとか関係ない。私には、これしかないの。他の生き方なんて想像もできない」 「・・・」  何、それ。  ははっ、と、乾いた笑みがあやめの口元を掠める。ほんと何それ。アイドルになるために産まれた? 知ってる。それ、星屑きららの受け売りよね。自叙伝にも書かれていた、産まれついてのアイドルというキラーフレーズ。ええ、ええそうよね。憧れているんだもの、影響ぐらいは受けるわよね。  ただ。  あんたが言うと、洒落にならないのよ、ほんと。 「意味わかんない・・・ていうか、前から思ってたけどそのキラキラって何? きもいんだけどマジで」 「えっ? き、キラキラは・・・っ、キラキラだよっ! こう、線香花火みたいに、心が、パチパチして、」 「わかんない」  わざと冷たく突き放すと、ひびきは今度こそテーブルを発ち、食器の返却口へと向かう。  わからないー-はずがない。  あの日、目の当たりにしたきららのパフォーマンス。ただのアイドル好きじゃない。あれは、もうアイドルそのものだった。手の仕草、足のステップ、姿勢に、それに表情。それら全てがアイドルとして完成していた。  だがあやめは、どんなに才能ある人間でも一朝一夕ではアイドルとして完成しないことを知っている。あの星屑きららさえ、血反吐を吐くような努力と根性でもって完成したのだ。自叙伝を紐解けば、そんな描写はいくらでも見つかる。当然、きららだって。  そう、だからこそ輝いていたのだ。あの日、スポットライトよりも眩く。  アイドルという概念そのものが封じられたこの世界で、それでもなおアイドルを愛し志すきらら。その愛は、星屑きららと同等・・・いや、あるいはそれ以上なのかも。その、愛から生まれる輝きが本気でわからない人間がいたら、むしろグーでぶん殴ってやりたいとさえあやめは思う。  それでも。  否、だからこそ私は、あんたのその輝きを絶対に喪いたくないの。  食堂を出る間際にそっと振り返ると、きららはまだ悠長にトーストを齧っていた。ただ、その顔は明らかにいつもの〝キラキラ〟を欠いている。ひょっとして、さっきの私の言葉に傷ついて・・・いや、あの程度でヘコむような子ならそもそも苦労はしていない。  それに、万一ヘコんでいたとして、それはそれで構わない。  ただでさえきららは生徒会に睨まれ、あまつさえ餌として泳がされている。それはすなわち生徒会に、あるいはこの学校にきららを護る意志はないことを意味している。仮にきららの存在が違法な組織にキャッチされ、それが原因できららに危険が及ぼうとも、生徒会としてはいっこうに構わない、ということ。  誰も私たちを護ってくれない。  ならばせめて、これ以上、危険な連中に利用されないよう息を潜めなくては。自分が嘗めた辛酸を、あの子にだけは味わわせたくない。そんなものであの子のアイドルへの想いを穢したくない。  そのためなら、いくらあの子に恨まれたって構わない。  護るんだ。私が、独りで。  その日は、朝からひどい雨が降っていた。東京都の気象台が梅雨入り宣言をして一週間。ここ数日はらしくない晴天が続いていたのが、ついに梅雨前線が本領を発揮してきた感触だ。  もっとも、こうも毎日のように本部に詰めていると、天気なんざどうでも良くなってくる。季節天候問わず、いつだってここ警視庁の本部庁舎は、刑事たちの発するひりついた空気と、饐えた汗のにおいとに満ちているからだ。  その本部庁舎にあるモニター室では、今日も映像の解析が進められていた。  映像とは先月の、新宿の地下ライブ会場で押収されたもの。どうやらヤクザ達は、ステージはもちろんフロアも含めて映像に残すことで、演者どころか客までも強請りの対象にしていたらしい。その、検証作業に当たる部下の背中を眺めながら、警視庁組織犯罪対策課長の水原警部は「妙な光景だな」としみじみ思う。  ノンキャリアとして巡査から這い上がり、今年で五十歳になる警部にしてみれば、たかがアイドルが麻薬と並ぶ危険物として扱われる昨今の状況は何かの冗談に見える。彼が若い頃、それはごく当たり前に社会の中で許され、何なら水原自身、流行りのアイドルソングを人並みに口ずさんでもいた。  あの男が政治の表舞台に現れるまでは。  宵野征四郎。現与党政調会長にして、かつてトップアイドルだった星屑きららー-本名、宵野星子の夫であり遺族。妻の自殺によって集まった同情と義憤とを追い風に政治の舞台へと躍り出たあの男は、議員バッジを手にするや、アイドル規制に関わる運動を活発化させてゆく。おそらく各方面に途方もない根回しがなされたのだろう。彼の発案は、一年生議員のそれとは思えないほどの支持を集め、有識者や各種団体の後押しもあって次々と可決されていった。そうして五年も過ぎる頃には、もはや公共空間からアイドルの姿は消えていた。  俺たちは、とんでもねぇ化け物を揺り起こしちまったんだろうな。  そう、あれは紛れもなく化け物だと水原は思う。水原自身、妻子を持つ身だから彼の身の上には同情もする。が、仮に水原が同じ立場に立たされたとしても、あれだけの執念を示すことはできなかっただろう。人並み外れた頭脳と意志とを併せ持つ人間が、これも並ならぬ憎悪を植え付けられることで生まれ落ちた何か。  何にせよ、その化け物のせいで水原たちの仕事は増え、昔は裏カジノや裏金、違法薬物の流れなんかを主に嗅ぎまわっていた対ヤクザのプロ集団は、今や地下アイドルのライブまで取り締まらざるをえなくなっている。三十歳を超えてもまだアイドルと自称しステージに立つヤクザの情婦どもを、取り調べ室で締め上げなきゃならない。  馬鹿馬鹿しい。  それでも、国民によって選ばれた議員が立てた法律なら仕方ない。いくら馬鹿らしくとも国民の意志ならそれに従う。それが、行政執行官でもある警察官の責務なら。 「おーい、どうだ里田、調子は」  なおも黙々とキーボードを叩く部下の背中に問う。ノンキャリアだが二年目にして早くも昇進試験に合格し、巡査部長を拝命した俊英で、本当なら花形の強行犯課や、頭を使う知能犯課の方が良かっただろうに、わざわざこんなドブ浚いじみた課を希望してきた妙な女だ。  その妙な女は、上司の声にはたと手を止めると、のろり、と振り返り、ずれた眼鏡を指で直しつつ答える。 「申し訳ありません警部。例の少女Aですが、顔認証ソフトで照合を試みたところ、やはり、昇竜会が抱えるどのアイドルとも一致しません」 「そうか。昇竜会の連中もこいつは飛び入りだとか言ってたが・・・ってことは未登録の新人か? それとも、マジでただの飛び入りだとか?」 「さぁ。現状、リストにはない、という以上のことは」 「オーケーわかった。んじゃ次は、燐光学園の全生徒の顔写真と照合してみろ」 「顔写真・・・あるんですか、データ」 「ああ」  頷くと、水原は昨日ようやく学園の理事長から捥ぎ取ってきたデータファイルを部下に手渡す。プライバシーがどうのと随分渋られたが、仮に学園生がライブに出ていたとしても、決してメディアに公表しないことを条件に何とか顔写真つきのリストを吐き出させた。もっとも、普段はもっと碌でもない連中を相手取る水原にしてみれば、まだ楽な仕事ではあったのだけど。 「中等部が一学年二〇〇人、高等部が三〇〇人。トータルでえーと、一五〇〇人か。加えて大学には二〇〇〇人の生徒がいるらしい」  自分で並べ立てながらうんざりしてしまう数字だ。ところが里田は意に介するそぶりもなく「了解です」と答える。いまいち真意を掴みにくいリアクション。最近の若者の考えることは、正直、よくわからない。 「頼む。いやぁ俺ぐらいの年寄りになると、いかんせんモニターを見続けるのがしんどくてなぁ。つい任せっきりになってすまねぇが」 「あ、いえ・・・こちらこそ、むしろ面倒な交渉事を引き受けて下さって、感謝です」  もごもごと小さく礼を言うと、さっそく里田はデータの入った記憶メディアをPCに繋ぐ。まぁ交渉事は年寄りが出た方がまとまりやすいからな、と、水原は苦笑いをする。  一方の里田は、さっそく解析作業を始めている。こいつの歳だと、思春期を迎える頃にはもうアイドルが禁じられていたのか。それが当然とされる世界で育った若者の目には、地下ライブで人目を忍んで歌い踊るアイドルの姿はどう映っているのか。  複数あるモニターの一つで、今も踊り続ける少女。恰好こそ普通のショートパンツにTシャツとラフだが、その立ち姿、佇まい、そして表情は完全に往年のアイドルのそれだ。しかも、この曲は・・・  みんなにキラキラ届けるために生まれた。  私はそう、夜空を駆ける流れ星。  憧れていたんだろうか。星屑きららに。  だとすれば皮肉なもんだ。彼女の死を引き金に、アイドルを取り巻く状況は一変してしまった。アイドルを応援することはもちろん、アイドル本人として歌い踊ることさえ法律で禁じられてしまったのだ。その元凶である星屑きららはしかし、今なお人知れず少女たちを魅了し続けている。まるで、彼女自身が掘った蟻地獄に獲物をいざなうかのように。  時代が時代なら、この子だってひとかどのアイドルとして成功していたかもしれない。少なくとも、ヤクザの情婦が暇つぶしにやるそれとは歌もダンスも完全に一線を画している。この子は・・・間違いない、本物だ。本物のアイドルだ。  ああ、だからこそ。 「・・・かわいそうになぁ」  どんな傑物も、生まれる時代を間違えればいずれ持て余され、破滅する。悲しいが、それが世の条理だ。 「あなた、朝倉きららに何を吹き込んだの?」  通り一遍の挨拶を済ませた後で、そう、背後のあやめに問う。普段は部活動中の生徒で賑わう放課後のグラウンドは、昨日から降り続く雨のせいでひどく閑散としている。その、グラウンドを見下ろす窓に映り込む自分を見つめながら、大丈夫、とひびきは自分に言い聞かせる。  大丈夫。ちゃんと繕えている。宵野征四郎の娘、燐光学園高等部生徒会長としての私を。  その私は、間違ってもアイドルなんかに憧れたりしないし、むしろ憎んでさえいる。憎んでいるから滅ぼすのだし、あやめもそれにきららも、そのための道具でしかない。 「何のことですか」 「ばらしたんでしょう、私の話を。その上で、あの子に自重するよう命じた。あの子さえ自重すれば、とりあえず当面は、あなたもあの子も無事でいられる・・・でもね、それじゃあ意味がないの。あなた、私が何のために苦労してあなた達という道具を手に入れたと思っているの?」  今度は返事がない。またとぼけるつもりか、と振り返ると、あやめは何故か途方に暮れたような顔をしている。反抗心ゆえの沈黙でないことは一目でわかった。が、だからこそ逆に、その不可解な無言が不気味でならない。 「・・・何か答えなさい」  その不気味さに耐えきれずに問えば、あやめは我に返ったようにはっとひびきを見つめ返す。 「会長じゃ、ないんですか」 「えっ」 「いえ、てっきり会長が、直接あいつに何か言ったんじゃないかって・・・だって、何かなきゃおかしいですもん。最近のあいつの様子。おかしいですよ。発声の授業でも、前はサイレンかって思うぐらい声が出てたのに、今じゃ 譜面捲る音の方がうるさいぐらいですし」  そう、だからこそあやめを呼び出し、事情を問うているのだ。  あの夜ー-思いがけずきららとハモってしまったあの夜、きららはまだ普通に歌えていた。むしろ、純粋に歌唱力だけを見れば見事だったと言ってもいい。  ところがそれ以降、きららを夜の庭で見かけることはなくなった。練習場所を変えたのかとも思ったが、別の情報筋によると、最近のきららは明らかに調子を崩しているらしい。レッスンのモチベーションは低く、教室でも塞ぎがちになっているという。あの歩く太陽のようだったきららが。  これでは餌として泳がせる意味がないと、事情を知るはずのあやめを呼び出したのが今。ところがそのあやめも、詳しいことは何もわからないという。  ごまかしや嘘の兆候はない。おそらく・・・本当にわからないのだろう。 「だったら、もっと煽ってちょうだい」 「煽る・・・?」 「だから、何でもいいからあの子がやる気を出すことを吹き込んで、そして焚きつけるの。あの朝倉きららが、そう簡単にアイドルの道を諦めるはずがない。今の不調も、おそらく一時的なスランプでしょう。少し背中を押してあげれば、どうせすぐに治るわ」  ともかく今のままでは、状況は何も動いてくれない。きららがアイドルとしての素質を示せば示すほど、それを嗅ぎ付けた不貞な連中が接触を試みるだろう。それをひびきが補足し、時には父の力を借りるなどして潰す。我ながらよく出来た仕組みだとは思う。が、死んだ餌ではなにぶん食いつきが悪い。  ところがあやめは、何が気に入らないのかあからさまに顔を顰める。 「・・・なぜです」 「と、仰ると?」 「きららが・・・あの子が、アイドルをやめてくれたらそれでいいでしょ? そもそも学校ってのは、未熟で幼稚な子供を、真人間に叩き直すための場所でもあるんじゃない。今まであの子は真っ当じゃなかった。私もそう。けど反省してアイドルを辞めたなら、それは教育として成功したってことにならない?」  なるほど。ひびきは素直に感心する。苦し紛れにひねり出した屁理屈にしてはよく出来ている。ただ・・・惜しむらくは彼女が、話の前提を間違えていること。 「あの子は、矯正などされないわ」 「・・・え?」 「あの子は、生まれついてのアイドルなの。私の母と同じ・・・今更その在り方を変えるなんて、できるわけがない」  もちろん例外は、ある。例えば父のような人間と出会ったなら。ただ、それでも輝き自体が失われるわけじゃない。父と結婚し、母になった後も彼女は美しく輝いていた。  逆に、それが曇ることがあるとすれば、それは彼女たちが死ぬときだ。事件後、母は人が変わったように塞ぎ込んだ。ひびきの顔の傷を撫でては、ごめんねと泣いて謝った。そして、その直後ー-・・・ 「とにかく」  乱れかけた息を整え、告げる。 「何が何でもあの子を焚きつけなさい。どうせ更生なんて出来ないのよ、あの手の人間はね」  するとあやめは、ひどく怪訝な顔をする。それから、今度はなぜかにんまりと笑った。何かを見透かしたような、ひどく気色の悪い笑み。 「随分と買っていらっしゃるんですね、あの子を」 「・・・何ですって?」 「まさかあいつを、あの星屑きららさんと重ねるなんて。しかも、彼女の娘であるあなたが・・・ひょっとして、魅せられましたか。あのライブで。もしくはそれ以外の場所で」  かっ、と全身の血が沸き立つのを感じた時にはもう、ひびきは足を踏み出していた。つかつかと執務机を回り込み、そしてー-  ぱんっ。  肉を叩く乾いた音。振り切った平手がじんじんと痛み、目の前には、やはり得意顔のまま片頬を痛々しく赤らめたあやめが立っている。殴ったのか。この私が。母が死んだ時にさえ涙ひとつ流さなかった私が。  だから、ねぇ受け止めて、わたしの。  みんなにも届けてあげる。  うるさい。  うるさいうるさいうるさいうるさい!  誰だ。私の中に母の歌を流すのは・・・いいや違う、これはママの声じゃない。あいつの、朝倉きららの。  人気のない夜の庭で、誰一人観衆のいない中で、それでもあいつは輝いていた。ママのようにキラキラと。・・・認められない。これから私達が滅ぼすべきもの。滅ぼさなくてはならないもの。なぜなら、あの輝きは眩しすぎる。あんなものがあるから人は歩むべき道を踏み外してしまう。カリスマに目が眩んで、狂ってしまう。 「・・・ねぇ、四辻さん」  振り切ったままの手をそのまま頬に添え、問う。 「私の顔、醜いでしょう。あなたならご存じでしょうけど、これ、アイドルに狂った異常者につけられた傷なの。ね? こういう事もまた起こりうるのよ。アイドルなんてものが存在する限り・・・嫌でしょ? 私は嫌よ。もう誰にも、こんなふうに傷ついてほしくはないの」  そう。  もう誰も、父や母のようには苦しんで欲しくない。だからこそひびきは、魅せられてはならないのだ。どんなに彼女が眩しくとも。 「いいえ綺麗ですっっ!」 「は?」  振り返ると、それまで黙って様子を見守っていた副会長のかなえが、なぜか瞼に満々と涙を溜め込んだままじっとひびきを見つめている。 「かっ・・・会長は、っ、この世界の誰よりも美しいですっ! だから・・・っ、たとえ自虐でも、そんなことは仰らないでくださいっっ!」  そしてかなえは、今度こそ本格的に号泣を始める。いや、何を言ってるのこんな時に。そもそも、この顔は醜くなければ意味がないの。この傷をつけた犯人を、それを生み出したドルオタと呼ばれる連中を私は決して許さない。これはその証。私たちの正義を示す旗印。だからこそ、度々あった整形の話も全て断った。  その、たった一つの私の存在意義を否定するの? 「黙りなさい! 副会長!」 「んひいいっ! ありがたいお叱りのお言葉っ・・・でもっ、それだけは・・・っ、それだけは!」  ああ、嫌だ。彼女ではなく、安易にこのカリスマに頼ってしまった私が。  ああそうだ。これは、母譲りのカリスマのせい。本来はただ醜いだけの私が、こうして誰かに慕われるなんてありえないのだ。  気を取り直し、あやめに向き直る。 「要するに、もう誰も傷つけたくはないのよ、私は」 「私ときららを除いて、ですか」  この子、いちいち痛いところを衝く。 「え、ええ・・・そうよ。変革には、多少の犠牲はつきものだわ。それを承知の上でなお変革を進める覚悟が、私にはある。だからお願いね、四辻さん。せいぜい餌として励んでちょうだい」  その後、すぐにあやめを生徒会室から下がらせる。余程ここが嫌なのか、退出を命じられたあやめは願ったりとばかりにそそくさと出ていった。 「一人になりたい。あなたたちも下がって」  すると、かなえと、それまで黙って作業に打ち込んでいた書記の清島あみは驚いたように振り返る。 「えっ、でも」 「いいから消えて!」 「んひぃぃぃ! かっ、かしこまりましたっっ!」  ようやく一人になったところで、ひびきはあやめとの会話を反芻する。  らしくなかった。私ともあろう者が感情的に掻き乱され、会話の主導権を奪われた。何という失態。宵野征四郎の娘としてあるまじきミス・・・いえ、ミスというよりこれは。 「違う、っ!」  魅せられてなんかいない。憧れてなんかいない。  ママのためにパパのために、私はこれからも戦い続けなくちゃいけない。この、醜く爛れた顔でー-そう自分に言い聞かせるほどに、しかし、胸を襲う痛みが増してゆく。息が詰まってたまらなくなる。・・・いえ、本当はもうずっと、ずっとずっと息が詰まって仕方なかったんじゃないの。 「・・・?」  何となしに目を向けた窓の外。雨に濡れるグラウンドを、黄色い傘が足早に横切っている。彼女が向かう先には図書館。だが、時間的に既に閉館しているはず。  まさか、と思った時にはもう、ひびきは駆け出していた。   「・・・はぁ」  今日だけでもう何度目になるか知れない溜息をきららは吐く。  今夜こそ歌わなければ。何かの雑誌で読んだ星屑きららのインタビュー。プロは、一日休んだ勘を取り戻すのに三日はかかるのだと。歌もそう。無理は良くないのだけれど、長すぎる休みも喉を衰えさせてしまう。だから歌わなければと思うのに、どうしても気持ちが乗らない。  こんな経験は初めてだ。だから逆に、ここから気持ちを立て直す方法がわからない。そもそも、なぜ気持ちが萎えたのかもはっきりしないのだ。・・・いや、本当は何となく気付いている。多分、原因はあやめだ。  ー-わかんない。  そう、あやめに宣告された時、きららはふと怖くなったのだ。この世界には、キラキラが見えない人間もいる。いやそもそも、きららの目に映るキラキラ自体、当たり前ではないのかもしれない。そのことに気付いた瞬間、ふときららは、足元に突然ぽっかりと大穴が空いたような心地がしたのだ。  怖い。  生まれ育った島を出て、そこで初めて本当にアイドル活動が法律で禁じられていることを実感した時も、ここまでの恐怖は覚えなかった。たとえ法律で禁じられていても、モバイルメディアで見る過去のアイドル達は相変わらずキラキラしていて、それだけできららは十分だったのだー-でも。 「キラキラって・・・何だろう」  こんな自問自体、初めてすることだった。キラキラは、キラキラだ。それ以外の何物でもない。でも、それじゃ駄目なのだ。もっとちゃんと考えて、突き詰めて・・・そう、自分に強いれば強いるほどまたわからなくなる。ねぇ、キラキラって何? そもそも私、ちゃんとキラキラできてた?  ふと脳裏をよぎる、地下ライブ会場で目にした〝アイドル〟達。  歌も踊りもトレースは充分だった。にもかかわらず、彼女達のパフォーマンスはキラキラとは程遠いものだった。あえて辛辣に言えば、そう、ただのモノマネ。そんな彼女達を見るに堪えなくて、ついステージに上がってしまってー-でも、そのきらら自身、過去のアイドルのモノマネではなかったと本当に言い切れるのだろうか? 「駄目だ、練習、練習っ!」  ぴしゃ、と自分で自分の頬をひっぱたき、勢いよく立ち上がる。すっかり暗くなった空からは、相変わらず篠突く雨が降りしきっている。こんな日は、実は練習にもってこいだったりする。人を遠ざけてくれるし、こちらの声も掻き消してくれる。だから、こんな日こそ頑張れ私、頑張れー-・・・ 「・・・駄目」  やっぱり駄目だ。そもそも、ガラスに映る自分の姿がもう気に入らない。顔も姿勢もしょぼくれて、くしゃくしゃに丸められた洗濯物のよう。こんな姿で歌っても、見本となる先輩アイドル達に申し訳が立たない。彼女達に学ぶ時はいつだって、完璧な自分で臨みたい。なのに。 「もう・・・歌えないのかな、私・・・」  そしてきららは想像する。アイドルとして歌うことを、もはや望むことすらしなくなった自分を。声楽の授業で、コーラス隊の一人として声を響かせるだけの自分を。  ・・・嫌だ。  それだけは、本当に嫌。だけど、本当にわからないのだ。どうすればいいんだろう。歌わなきゃいけないのに、どう歌えばいいのかわからない。そもそも私、どんなふうに歌っていたんだっけ。それさえも、もう何も思い出せないのだ。  物心がつく頃には、当たり前のように歌っていた。  きららが生まれ育ったのは、交番もないほどの小さな離島の漁村で、だから規制の対象とされるアイドルの歌も自由に歌うことができた。島の大人たちもアイドルに寛容で、むしろきららが昔のアイドルを真似て歌うと、ニコニコと笑いながら手拍子なんかも叩いてくれた。  大人たちは、きららの歌を聞くと元気が出るのだと言ってくれた。その言葉が嬉しくて、何よりきらら自身も楽しくて、また歌った。  みんながきららの歌を必要とした。あの島では。でも、今は・・・  キラキラが止まらないの  だからわたしは歌うの 「・・・え?」  ふと、雨音に紛れて聞こえた声にきららははっとなる。聞き間違い? いや、でも・・・  誰にも追いつけないわたし  そう、空を駆ける流れ星  聞こえた。今度ははっきりと。聞き間違いなんかじゃない。これは、あの夜ハモってくれた誰かの声。名前も顔も知らない、でも、この声がキラキラと輝いているのはわかる。この声の主は、心の底から歌を楽しんでいる。歌うことに喜びを感じている。  わがままに自分勝手に。  でも、そんなわたしが好きなんでしょ。  名前を問う代わりに、謎の声にコーラスを合わせる。重なる二つの声。一音だけでは届かない、完璧なハーモニーだけが作り出すことのできる音。・・・ああ、気持ちいい。授業でもコーラスは学ぶし、実際練習もするけれど、数ある声の一つとして響かせるのとはわけが違う。  ねぇ、あなたは誰?  あの夜、歌が止んだ後で周囲を探してみたものの、結局は誰も見つからなかった。シャイな子だったのかも。だから今回も無理には探さない。だけど、いつかきっと教えてほしい。その時まで、私、歌い続けるから。  ああ、そうだときららは思う。そのために自分は歌うのだと。表向きはアイドルを禁じられた世界で、それでもアイドルを愛する人々がいることを、あのライブ会場できららは知った。だから絶やしてはいけないのだ。アイドルの輝きを。  たとえきらら自身はキラキラできなくとも、いつか、誰かのキラキラを手助けできるかもしれない。その時まで歌おう。少なくとも、そう、この声の主が彼女の方から名乗り出てくれるまでは。  煌めきは一瞬でも永遠。  みんなにキラキラ届けるために生まれた。  私はそう、夜空を駆ける流れ星。  雨で濡れた頭に、バスタオルを雑に被る。  傘も差さずに飛び出したせいで服も髪もびしょびしょだ。足に至っては、何度も水たまりに突っ込んだせいですっかり泥まみれに。革製の靴は、早く洗って乾かさないと駄目になってしまう。いや、その前にまずはシャワーだ。早くこの濡れた服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びなくては。  わかっている。それが正解だと頭では。  なのに身体が動かない。・・・違う、あれはただ、きららを焚き付ける好機だと思っただけ。実際、あの子はもう一度歌ったじゃないか。これでまた、あの子は餌として働いてくれる。ならず者たちを惹きつけてくれる。  そして私は、父の役に立てる・・・ 「・・・パパ」  だから、ねぇ、見捨てないで。  パパは、今の私にたった一人残された家族なの。だから、ねぇ、お願い。私を見捨てないで。  もう誰も、私を独りにしないで。    翌日。まだ雨は降り続いていたものの、昨日に比べると若干雨脚は弱まり、正午を過ぎる頃には早くも雲間からうっすらと日光が差し始めていた。 「あんた、今日はちゃんと声が出てたじゃない」  手元のサンドイッチにかぶりつきながら、向かいに座るあやめが言う。 「え・・・あ、ごめん・・・」  自分でもよくわからないまま謝ると、きららはナポリタンを口に運ぶ。するとあやめは、「いや、何で謝るの」と笑い、それから、今度はなぜか暗い顔で溜息をつく。 「どうしたの、あやめちゃん」 「えっ? ・・・あ、ううん。こっちの話」  そして、へらりと笑うあやめはやっぱり少し変だ。少なくとも、この笑みは本物じゃない。無理に繕った何か。ひょっとして・・・本当はきららの復調を歓迎していないのか。本当は、きららを嫌っているのか。  いや、考えてみれば当たり前の話だ。今のあやめはアイドルを否定している。事実、そんなものが存在したからあやめは苦しんだのだ。当然、そのアイドルに憧れるきららのこともー-だとしても。  ああそうか。  さっき思わず口にした謝罪の理由。あれはきっと、そんなあやめの本心を薄々察していたから。そして・・・その上でなお、自分がアイドルへの憧れを捨てられないことがわかっていたから。  ごめん、ごめんねあやめちゃん。  それでも私は、アイドルになりたいの。たとえ独りになってでも。 「・・・ごめんね」  食べ終えた皿をトレーごと抱え、席を立つ。一人で食堂を出ると、午後の授業に出席すべく校舎に続く渡り廊下を渡る。  聞き覚えのない声に呼び止められたのはそんな時だった。 「朝倉、きららさん?」  足を止めて振り返る。見ると、廊下の隅に見慣れない女性が立っている。上下黒づくめのスーツは、パステル系の柔らかな色味の制服に見慣れていると、何だかひどく威圧感がある。纏う雰囲気も不穏だ。  首から提げているのは、来客用と書かれたネームホルダー。ということは、少なくとも学校関係者ではない。 「は・・・はい。そうですけど」  すると女性は、ずれた眼鏡を指先でくいと整え、ジャケットのポケットから手帳大の何かを取り出す。黒地に金色の紋章。あれは・・・まさか。 「警視庁刑事部組織犯罪対策課の里田と言います。申し訳ありませんが、先日の新宿で摘発された地下ライブハウスの件でお伺いしたいことがあります。どうか、我々にご同行願えますか」 「・・・え」  血の気が引く、とはこのことを言うのだろう。ざっ、と頭の中でノイズのような音がして、目の前が急に暗くなる。やっぱり・・・バレたのか。覚悟はしていた。していたつもりだった。けど、実際に逮捕されるとなると、こんなにも不安で、怖い。 「えっ、と、」 「お願いします。朝倉さん」 「・・・っ」  もはやお願いというより命令に近い口調に、きららはぎゅっと身を竦める。駄目だこれ、絶対にバレてる。たとえここで逃げても、どうせすぐに逮捕される。学校や家族に迷惑がかかる。 「わ・・・わかりました」  意を決し、里田と名乗る刑事に従う。昇降口を出ると、逃がすまいとばかりに目の前に車をつけられた。おなじみの白黒の車両ではなく、ごく普通の白の軽。ひょっとして、覆面パトカーというやつだろうか。 「じゃ、あなたは助手席に乗って」 「は・・・はい・・・」  言われるがまま、助手席に乗り込む。そういえば先生や寮母さんに何も断りを入れていなかったなと気付くも、その頃にはもう車は校門を抜け、一般道を走りはじめていた。  そういえば、学園の外に出たのはライブの日以来だ。あの時は、初めて見る本物のライブが楽しみで、こんな結果を招くなんて想像もしなかった。  ・・・嫌だ。  捕まりたくない。捕まって、有罪になって、そして刑務所だとか少年院に放り込まれたら、もう二度と歌えなくなる。大好きなアイドルの歌を。そんなの嫌だ。耐えられない。・・・けど、これは最初から運命だったのかも。どのみちアイドル活動が違法行為である以上、遅かれ早かれこうなることはわかっていた。その上で歌って踊って、そして捕まったのなら本望じゃない。  ああ、でも。それでも。 「・・・私、逮捕されちゃうんですか」  返事はなかった。運転席の里田は、無言のままハンドルを握っている。その沈黙が耐え難く、きららは膝に置いた手をぎゅっと握りしめる。  どうして。  ようやく、アイドルとして歌うことに意味を見つけたのに。いつか誕生する本当のキラキラのために、歌を、過去のアイドルたちの想いを繋ぐ。そのために歌い続けると心に決めたばかりだったのにー- 「いいえ」 「えっ?」 「あなたは、逮捕されません。我々が全力で守ります」  どういうこと? だってこの人は刑事で、罪を犯した人を逮捕するのが仕事だ。なのに・・・ 「あれ?」  ふと、きららは気付く。車窓の景色が、さっきに比べて寂しくなっている。明らかに車は人気のない郊外を目指している。でも普通、警察署は市街地に設けられるものでは? 「あの、どこに・・・」 「ステージです」 「えっ?」  一瞬、聞き間違いかときららは疑う。そんなきららに、里田は重ねて告げる。 「私たちが密かに運営するステージです。むろん、アイドル専用の」 「アイドル専用? えっ、まさかヤクザー-」 「ではありません。我々は、純粋にアイドルを愛し、その文化を次世代に繋げることを願うもの。アイドルを資金稼ぎの材料としか見なさないヤクザのような連中と混同されるのは、大変不愉快です」  どうやら冗談ではないらしく、里田は本当に不愉快そうに眉根を寄せる。ということは、この人は刑事ではないのか? 「えっ、じゃあ・・・里田さんって本当は・・・」  すると里田は、きららの問いを先取りするかのように「刑事ですよ」と答える。 「もちろん本物の。もっともそれは、私の数あるカバーの一つにすぎません」 「カバー?」 「仮面、ですね。世を忍ぶ仮の姿とでも言いましょうか。私の本分はあくまでも、アイドル文化を守るために戦うレジスタンスです」 「えっ、じゃあ・・・」  つまり、彼女はきらら達の仲間であり、とりあえずきららは捕まらずに済む、ということだ。 「じゃあ私、まだ歌えるんですね」  すると里田は、ふ、と口元を緩める。最初は怖い人だと思ったが、笑うと意外と可愛らしいことにきららは気付く。逮捕されないとわかって、緊張が解けたせいもあるのかもしれない。 「逮捕されずに済んだことより、まだアイドルとして歌えることを喜ぶなんて。やっぱり朝倉さんは、生粋のアイドルなのね」 「・・・あ」  そういえば。でも、里田の指摘はごもっともだ。実際、きららが逮捕を恐れていたのは歌えなくなるからだったのだし。逆に、歌い続けられるならそこがどこだろうと構わない。刑務所だろうと少年院だろうと。  ただ、一つだけ指摘に誤りがあるとすれば。 「私は・・・アイドルじゃありません。ただ、アイドルの真似をしてるだけ。それでも、いつか出会う本物のアイドルのために、その子にアイドルの素晴らしさを伝えるために歌いたいんです」  例えば、そう、図書館の裏庭でハモった彼女のような。もし、あの子がアイドルになりたいと願うなら、きららは全てを懸けて彼女の背中を押すだろう。 「いいえ、あなたはアイドルよ。間違いなくね」 「・・・え?」 「警察に押収された地下ライブでの映像。あそこに映るあなたは、紛れもなく本物のアイドルでした。だからこそ私達も、少なくないリスクを賭してあなたを迎えに来たの」 「それって・・・」  キラキラしていた、ということ? 私のキラキラは、ちゃんと届いていたということ? 「ところで、本当にいいんですか? このまま私についてくるということは、あえて法を犯すということでもあります。それを定めた国家に、あえて反逆するということよ。身近な人を巻き込まないためにも、友人や、それに家族とも縁を断たなくてはならない・・・いいんですか、それで?」  きららの脳裏を、懐かしい顔が走馬燈のようによぎってゆく。島の漁師で、いつも顔を真っ黒に焼いた父。アイドルに憧れるきららを咎めず優しく見守ってくれた母。子供の頃からきららを見守ってくれた島のみんな・・・燐光学園に来てからは、うまく友達を作ることはできなかった。でも、その中でたった一人、きららと普通に言葉を交わしてくれたクラスメイト。四辻あやめ。  みんな、みんな大好きー-でも。 「はい。キラキラしていれば、いつか、そのキラキラはみんなにも届くはずだから」  そう、例えば宇宙の彼方で輝く星の光が、何年、何十年と時を経て地球に届くように。  その光を、いつか誰かが見つけてくれればそれでいい。 「・・・わかりました。じゃあ、このまま行くわね」  それから車は一時間ほど走って、やがて、とある巨大な廃墟に到着する。  そこは、随分と昔に廃業した遊園地らしく、広大な敷地のそこかしこに、朽ち果てたアトラクションが雨ざらしにされていた。錆くれたジェットコースターのレール。塗装の禿げたメリーゴーランド。バイキングの乗り場では、すっかり塗装の褪せた海賊たちが、やはり色の褪せたお宝を抱えて何かしらのポーズを取っている。  元は花を植えられていたらしい花壇は、もうすっかり雑木林と化している。どころかアスファルトさえあちこち雑草に突き破られ、文明が崩壊した地球ってこんな感じになるのかな、なんてことをきららは思う。  本当に、こんなところでライブが・・・? 「ええと・・・ここで合ってます?」 「ええ。この奥に、元はヒーローショーなどをやっていたステージがあって、そこで私達は、月に一、二度ほど集まってライブを行なっているの」  やがて物陰から数人の男性が現れる。何かの機材を抱えた彼らは里田の顔見知りらしく、こちらに目を向けるや気さくに挨拶してくる。 「ああ、里田さん。どうも」 「ちわっす。あ、こないだのガサの情報、マジ助かりました」  と、今度はその目が隣に立つきららに留まる。 「あれ? ひょっとしてその子が例の?」 「ええ。間違いないわ。それとも高尾くんは、警視庁の顔認証ソフトの精度を疑うの?」  すると高尾と呼ばれた男性は「いやぁまさか」と笑う。そういえば里田はさっきも、警視庁に押収された映像できららを見出したと言っていた。どうやら里田は、表向きの顔の権限をなかなか上手く活用しているようだ。  そのまま男性達は、きらら達と並んで歩き出す。どうやら目的地は同じらしい。 「この子達は、都内の工学系の大学に通う学生さん。組織では、機材のメンテナンスや調整を主に担っているわ。この子達に限らない、私達の組織では、全てのメンバーが少しずつ、その人なりにできる方法で組織に力を貸している。例えば、そう、情報収集とかね」 「じゃあ、里田さんも・・・?」  そういえば、さっきも男性に礼を言われていた。おそらく里田は、警察内部に食い込み情報をスパイする役割を負っているのだろう。 「ええ。私達はヤクザと違ってライブで儲けようだなんて考えていない。ただアイドルを愛する人々が、人目を忍んで集まっているだけ。だから、大抵のことは自分達でこなさなくちゃいけないの。まぁ、それも含めて楽しんでいるんだけど」 「・・・え」  それはつまり、これから会う全員がアイドルを愛している、ということだろうか。  ほわ、と、胸の底が暖かくなるのをきららは感じる。まるで生まれ育った島に帰るような心地だった。そこではみんながきららと同じものを愛し、大切にしている。もう誰にも、キラキラを否定されなくていい。 「・・・よかった」 「どうしたの、朝倉さん」 「あ、いえ、何でもありません・・・」  さっきは、独りでも歌い続けてやると胸に誓った。あやめに否定されても独りで走り続けてやると・・・でも、こうして同志を見つけて、アイドルへの想いを誰かと分かち合えるのだと知って、やっぱり独りは無理だったんだと今更のようにきららは思う。だって、実際わくわくする。昔のアイドルのこと、ライブでのパフォーマンスやインタビューの内容、写真集やエッセイについて朝から晩まで語り合いたい。 「え、えと、ちなみに、里田さんは誰推しですか?」  やばい、と、傍らの男性陣が顔を青くする。一方で、当の里田はきらきらと目を輝かせていた。その表情にきららは見覚えがある。アイドルについて語りたくてたまらないときの自分の顔。 「そうねぇ、私の場合、どっちかっていうと男性アイドルの方がメインでー-あっ、ていうか語っちゃって大丈夫? 私、一度語り出すと仲間内でもうざいって言われるレベルなんだけど」 「えっ? い、いいですよ全然っ! 私もうざいぐらい語り倒しますから!」 「ほんと? じゃあー-」 「あ、俺ら仕事がありますんで」  言い残し、足早に消える男性陣。何だか逃げるみたいな足取りだったなとは思ったが、そんな疑問も里田との推しトークですぐにどうでもよくなる。  やがて。それは現れた。 「ここが、私たちのステージよ」  そういって里田が示したのは、広さとしてはテニスコート二面分ほどの広場だった。その奥に設けられたステージにきららは目を奪われる。それは仮設のステージだった。広さとしては体育館のステージよりもやや狭い。ただ、これが仮にきらら一人のために用意されたステージなら、充分どころかむしろ狭いぐらいだ。  ステージの周囲には、見るからに本格仕様と思しきライトや音響機材が並んでいる。これらの機材も、まさか、きららのために整えられたのだろうか。 「あの、今日、私のほかに出演するアーティストさんって・・・」 「いないわ」 「えっ」 「今夜は、あなた一人の純然たるワンマンショー。ふふ、初めての子に随分と無茶をさせるでしょ。でも大丈夫。あなたならきっと成し遂げられる」  そして里田は、ぽんときららの肩を叩く。何はともあれ、きららは信頼されているらしい。だとすれば考えることは一つ。彼女たちの信頼に全力で応えること。  改めてステージに目を戻す。そこに、これまで見た一流アイドル達のライブ映像を脳内で重ねる。そうだ思い出せ。そして落とし込め。彼女たちの空間の使い方、ステージどころかアリーナごと支配するパフォーマンスを。 「・・・曲は、私の方で指定させて頂けるんですか」 「ええ」 「ありがとうございます」  そう、口では礼を言いながら、頭では大車輪でライブの構成を始めている。曲の繋がり、その間のトークやパフォーマンス。せっかくのライブだ。出来ることは精一杯試したい。  独りの不安は、嘘ように頭から消えていた。  ただ、それはそれとしてきららは思うのだった。夜の裏庭でハモってくれた謎の声。あの子さえ一緒なら、このライブはきっと、もっとー-  「・・・そう、ありがとう」  報告を受けた会長が、モバイルホンの電源を切る。普段の彼女ならこの直後、背後に控える生徒会役員に鋭く指示を下達するはず。入学以来、一度として成績一位の座を譲ったことのない優秀な彼女は、電話を切り終える頃にはもう次の一手を編み出している。彼女の目的を果たすための一手を。なのにー- 「あの、会長」  長い沈黙に耐えかね、かなえはおそるおそる口を開く。本当は、会長なりに何かお考えがあるのかも。その、神聖で冒すべからざる長考を邪魔してしまったのかもーーところが当の会長は、たった今かなえの存在に気付いたかのように振り返ると、ぽかん、と、心ここにあらずという顔をする。 「・・・何かしら、副会長」 「あ・・・あの、今のお電話は・・・」  僭越。これが、普段の会長が相手なら絶対にこんな問いはしない。かなえが知るべきこと、知るべきでないことを判断するのは会長の役割である。質問とは、そうした会長の判断に異議を唱える畏れ多い行為だ。が・・・ 「と、どなたからの、お電話でしたか」 「えっ? え、ええ・・・朝倉さんの信号を追っていた子達からよ。どうやら青梅にある遊園地跡に入っていったみたい」  かなえの問いに、思い出したように答える会長。これが普段の会長なら、知る必要のないことよ、と受け流してしまうのに。ああ、やはり今の会長は尋常じゃない。・・・いや、今日に限らない。思えばここ数日、彼女はずっとこうだった。不調の理由はわからない。とりあえずはっきりしているのは、餌としてマークしていた朝倉きららが拉致された、ということだ。恐らくは、そう、会長が以前からマークしていた組織の手によって。 「それで・・・その、会長は、どうなさるおつもりで」 「どう、って・・・」  そしてまた沈黙。が、今度のそれは短かった。 「追いかけるわ。あの子を。副会長、車を手配してちょうだい」 「えっ? ま・・・まさか会長直々に尾行を? それは、しかし現地の人間に一任なさればー-」 「私が車を出しなさいと言ったら出すの!」 「ひんー-ー-・・・?」  いつもの歓喜の悲鳴を上げかけたかなえは、しかし、ふと違和感に気付く。数日ぶりに頂く会長の怒号に、本来なら全身の細胞がきゅううううん! と喜びに打ち震えるはずだったー-なのに、今回は。 「副会長」 「えっ? あ・・・はい! 今すぐ手配いたします!」  慌てて自分のモバイルを取り出しながら、しかし、かなえは気付いている。胸の底にうっすらと漂う不安。ここにいる会長は、もう、以前の会長ではないのではないかー-ああ、そうだ。思えば、あの問題児と出会ってから何かが狂っていった。問題児とはそう、四辻あやめー-ではなく、あの自称アイドル朝倉きらら。彼女を餌として入学させたことは理解できる。人員を割いてまで地下ライブ会場から救出したのも、あんなところでせっかくの餌を浪費したくなかったから。  でも。  そうした事情を踏まえても、この件に関する会長の肩の入れようは異常だ。ライブ以降は特にそう。例えば、気付くとPCで押収されたライブ映像を眺めている。純粋に資料や証拠として視聴していたにしては、その没入具合も不自然きわまるものだった。  魅入られていたのだろうか。  あるいは、そう、あやめが言うように、本当にお母様と重ねているのだろうか。・・・何にせよ、今の会長はおかしい。狂っている。だから正すのだ。アイドルを憎み、その殲滅のためにはあらゆる残酷な方法も辞さなかった彼女を取り戻すのだ。  私が愛する美しい死神を。  電話を終え、自動車部に話がついたことを報告すると、さっそくかなえは踵を返す。 「念のため、自動車部と直接話を詰めてきます。現状では台数に不安がございますので」  取って付けた理由を告げ、生徒会室を飛び出す。そうして自動車部に向かうふりをしながら、かなえは、ある場所に電話をかける。 「もしもし。宵野議員の事務所ですか。私、燐光学園生徒会のー-」  やけに学園内が騒がしい。  普段はお高く留まった生徒会役員たちが、今日はやけにばたついている。さっきも、自動車部の部室に役員の一人が駆けて行くのを見た。まさか、きらら絡みか。そういえば今日は、午後の授業できららの姿を見かけなかった。一応、午後の授業を終えたところで保健室を覗いてみたが、きららが運ばれた形跡はなく、保険医もきららの姿は見なかったとのことだ。そうして今度は、不可解な生徒会の動き。  まさか・・・  そう、嫌な予感を覚えた時にはもう、あやめは廊下を駆け出してた。  用意された衣装に着替えを終えた頃には、ステージの前に早くも多くの観客が詰めかけていた。  そんな、観客で犇めくアリーナ席ー-といっても、全面がアリーナみたいなものだがー-を舞台袖からそっと覗きながら、きららは、大粒の瞳をきらきらと輝かせる。 「すごい・・・本当に、こんな凄いところでライブができるんですね」 「ふふ。規制法の施行前に比べれば、なけなしみたいな規模だけど」 「そんな、規模なんてっ・・・一人でも観客がいれば、それはもう立派なライブです。なのに、こんな・・・」  詰めかけた観客は、ざっと数えても千は下らないだろう。ここにいる皆が、あの地下ライブでの動画を見て足を運んでくれたのかと思うと、叫び出したいほどの喜びが胸を突き上げてくる。  故郷の島を出てから、ずっと独りきりで歌っていた。  でも、その間にもきららの歌は、映像というかたちで拡散され、見知らぬ誰かの心を動かしていたのだ。あやめにキラキラを否定され、落ち込んでいた時も。 「みんな、あなたの動画に心を掴まれてここに足を運んだの。あなたの歌を生で聞きたくて。だから、今日は思う存分やりなさい」 「は・・・はいっ!」 「ふふ。ところでその衣装はどう? もしサイズが合わないようなら早めに行ってね。すぐに直させるから」 「えっ? い、いえ、むしろピッタリすぎてびっくりです・・・!」  言いながらきららは、身に着けた衣装をうっとりと撫でる。レースをたっぷりとあしらった、メイド服を基調としたピンクの衣装はまるでおとぎ話の主人公のようで、初めて見た時は思わずキュンとなった。こうして身に着ける今も実はキュンキュンしっぱなしで、早くこの衣装で踊りたくてたまらない。  着替えの後はメイクと髪のセット。こうしたスタッフも全て有志なのだそう。担当した美容師は、動画を見た時からきららのファンだったと言い、固い握手を求めてきた。 「私・・・てっきり、新宿の時みたいにどこかのビルの地下でやるんだと思ってました」  すると、隣でメイクを見守っていた里田が「でしょうね」と答える。 「警察もそう思うから、大抵は都心部のビルなんかを探しまわるの。だからこそ、こうした屋外ライブ会場は盲点になるってわけ。ここは周囲を畑に囲まれているし、そうでなくとも遊園地自体の敷地も大きいから、たとえスピーカーの音が漏れてもさほど困らないのよ。あとは・・・いえ、やっぱりいいわ。何でもない」  そして里田は、なぜか気まずそうに目を伏せる。どうしたんだろう、と鏡越しに見つめていると、今度はあからさまにそっぽを向かれた。余程言いたくないのだろうか。でも、隠されると余計に気になってしまうのが人間の性だ。  やがて里田は、観念したように口を開いた。 「ここは・・・私達にとっては因縁の場所でもあるの。何故だかわかる?」 「因縁? いえ・・・」 「ところで朝倉さん、今のようなアイドル規制の動きが生まれたきっかけは知ってるわよね?」 「えっ? ええと・・・確か、そう、きららちゃんが・・・」  切り出しながら、きゅっと胸が痛むのを感じる。  大好きなアイドルの死、それも悲惨なかたちでの死を思い出すと、どうあっても胸が痛くなる。ただ、それ以上に思い出すべきでないとも思っていて、というのも、星屑きららが見てほしかったのは、あくまでステージに立つ彼女だったはず。ステージを降り、ましてアイドルも辞めた後の彼女は、星屑きららではない赤の他人だ。その、赤の他人の死について勝手に憤ったり同情を寄せるのは、何かが違うときららは思うのだ。  それでも、こんな話題を振られると思い出さずにはいられない。というのも、今のアイドル規制の流れのきっかけを生んだのがー- 「そう。星屑きららの自殺。でも、あの男にとってそれは自殺なんかじゃなかったのよ。ええ・・・きっと、私達ドルオタに殺されたとでも思ったのでしょうね。だから滅ぼそうとした。私達が愛する、アイドルという概念そのものを」 「その事件は・・・知ってます。ひどい事件でしたね」  自殺の前、星屑きららは元ファンという男の襲撃を受け、そのことをきっかけに鬱病を患っていたのだという。怖かっただろう。当たり前だ。彼女はただキラキラを振り撒いていただけ。なのに一方的に恨まれ、襲われた。 「ええ。ちなみにその事件が起きたのが、この遊園地」 「えっ!? そ・・・そうだったんですか」  確かに、それは因縁の地と言えそうだ。あんな事件が起きなければ、そもそもアイドルが規制されることもなかっただろうから。 「ええ。もっとも、私達も面白半分でここを使っているわけじゃない。もう二度と、あんな馬鹿な真似をしないようにと自戒を込めて、あえてこの場所を本拠地に選んだのよ」 「そう・・・だったんですね」  確かに、いくらファンでもあんな行為は許されるものではない。  その一方で、元ファンという男の気持ちがわかってしまう自分もいるのだ。犯人は、大好きだったアイドルを奪われた。星屑きららだった女性とその家族に。辛かっただろう苦しかっただろう。もちろん、だから犯人の行ないが許されるとは思わない。ただ、自分が同じ立場ならと想像すると、同じことを仕出かさずに済んだ自信がないだけ。  そんな想像がわずかにせよ出来てしまうアイドルオタクは、やっぱり危険なのだろうか。 「あの人・・・宵野議員でしたっけ。あの人のやってることは、正しいんでしょうか」  すると里田は、ふん、と鼻で笑う。 「動機はどうあれ、特定の表現を弾圧する行為に正義なんてあるわけないでしょ。あれは、ただの八つ当たりよ。救えなかった奥さんと、娘の仇を取ってる気でいるだけ。わかりやすい敵を叩いているだけよ」 「え・・・あの時のお子さん、亡くなってるんですか」  確か、この襲撃の際にまだ小さかった娘さんが負傷している。ひどい怪我だったそうだ。顔に硫酸を浴びせられて・・・ 「・・・あれ?」  そういえば。  入学式、壇上で挨拶した生徒会長。彼女の顔は半分が眼帯に覆われ、もう半分は痛々しく爛れていた。その彼女の名前が、確かー- 「あら、あの子は今、燐光学園で生徒会長をやっているはずよ。朝倉さんも、顔ぐらいは見たことがあるんじゃないの」  メディアルームに籠っているはずの里田を探していると、廊下の奥から水原を呼ぶ部下の声がした。 「課長、お電話です!」 「おう」  早足でオフィスに駆け戻ると、水原のデスクで電話が鳴り続けている。ったくこういう時はまず電話を取って、本人が近くにいなけりゃ代わりに用向きを聞くか折り返しの番号をメモっとくもんだろうがと頭の中で部下を腐しつつ、表示を見ると珍しく外線からの番号だった。 「ったく誰だよー-はいもしもし」 『もしもし。組織犯罪対策課課長の水原さんで間違いありませんか』 「ええそうですが」  のっけからの慇懃無礼な口調に、ややむっとしつつ答える。 「で、おたくは?」 『ああ失敬。私は衆議院議員の宵野という者です。宵野征四郎。民主自由党で政調会長を務めさせて頂いております』 「えっ!?」  思いがけないビッグネームに、水原は思わず背筋を正す。与党の政調会長といえば、通常、こんな現場の兵隊がおいそれとは口を利けない相手だ。万が一失礼を働けば、水原本人ではなく、もっと上の人間が尻を拭わされる羽目になる。  そうでなくともこいつは、日本で最も怒らせてはいけない男だ。  私怨を義憤にすり替え、憎むべき対象を滅ぼすために社会すら変えてしまった男。この男に比べるなら、ルールの境界線上でちまちまと小金を稼ぐヤクザなど可愛いものだ。 「こ、これは、どうもどうも政調会長・・・それで、ええと、今回はどういったご用件で・・・?」 『ええ。実は娘の友人が、学校に隠れてアイドル活動を行なっている生徒がいる。どうか取り締まってほしいと私に陳情してきたのです』 「陳情・・・ですか」  何だか滅茶苦茶な話だ。学生なら相談すべきはまず学校、次に警察のはず。それを、いきなり現与党の役員に陳情? いや、まぁその子にしてみれば、友人の父親に相談しただけの話なんだろうが・・・いや待て。 「そういえば、燐光学園でしたか。娘さんが通っていらっしゃるのは」  そう、リストを見た時におや? と思ったのだ。聞き覚えのある名前と、何より、忘れようもないあの顔。硫酸で焼かれ、痛々しく爛れた顔の左半分と、対する右半分の輝くような美貌。・・・その、顔の傷が示す悲劇と彼女の名前とが繋がるのに、さしたる苦労はいらなかった。 「それで、娘さんのご友人からは他にどういったお話を」 『ええ。それが、ついさっき当該生徒が仲間とともに組織の本拠地に向かったらしいと。それで後を追いかけたところ、青梅の遊園地跡に入っていった、ということでした』 「・・・はぁ」  高校生が学園のある府中から青梅まで尾行? どうも要領を得ない話だが、このあたりは学園か、もしくは宵野が独自に持つ情報網を伏せるための与太だろう。真面目に突っ込んでも仕方がない。  問題は、何かしらの鍵が青梅にあるらしい、ということ。 『それで、急な話で恐縮なのですが、どうか捜査員を現地に派遣して頂けないでしょうか』  言葉では下手に出ているが、実質、これは命令だ。そもそも、政調会長なんて大層な立場の人間から直々に電話をよこされた時点で、拒むなんて選択は与えられていなかったわけだが。 「か・・・かしこまりました。すぐに手配いたします」  本音を言えば、こんな不確実な情報で部下たちを振り回したくない。が、相手はあの男だ。本当は、すでに上の方に根回しを済ませているのかもしれない。どこマターかはっきりしない以上、ここはすんなり腰を上げるのが無難だろう。  それに、と水原は溜息をつく。  振り回していると言えば、もうずっと、この社会は若い連中を好き勝手に振り回しているんだ。何を今更。  電話を切ると、さっそく水原はモバイルで地図アプリを立ちあげる。そうして件の遊園地跡とやらを見つけた水原は、ふと、ここが例の事件の現場であることに気付く。  もし、ここが本当に連中の拠点だとして、随分と皮肉な場所を選んだものだと思う。あるいはこの場所だったからこそ、宵野の動きも早かったのか。 「こりゃ・・・マジで気合い入れていかねぇとだな」  宵野のためではなく、自分の首のために呟くと、さっそく水原はオフィスに残る部下たちに号令をかける。結局里田は見つからなかったが、どのみちもう、顔写真の照合どころじゃない。  嵐の前の静けさ。  これは、そんな形容こそふさわしい静寂だった。あえて抑えられた声。それでもなお交わされる囁き。それらは、薄皮一枚で辛うじて押さえ込まれた興奮と熱気とをステージの上にも伝えてくる。  この熱に、私のパフォーマンスは応えられるか。  そんな不安と緊張はステージの袖に置いてきた。とにかく、ステージに上がった以上はやるのだ。どんなに怖かろうと不安だろうと。だって、この恐怖の先にこそ目指すアイドル達の背中はあるのだから。  いくよ、きらら。  こんな世界でも、いや、こんな世界だからこそ歌うんだ。  やがて流れる一曲目のイントロ。底抜けにポップなサウンドが持ち味の、乙女街道の代表曲『恋のはじまりは新四号』のイントロは、封印されたアリーナの興奮を解き放つにはぴったりのナンバーだ。  きららの読みはぴったりだった。キャッチ―な四つ打ちに会わせて次第にリズムを刻み始めるアリーナ。どこからともなく生まれ、瞬く間に広がる手拍子。その手拍子に合わせて身体を揺らしながら、きららは、すうううう、と大きく息を吸い込む。  ふと、脳裏をよぎる家族や友達の顔。それらの愛すべき面影に、しかし、きららは迷うことなく別れを告げる。  ごめんね。みんな。  それでも私は、アイドルとして生きたいの。  一台目は偶然だと思った。  二台目で違和感に気付き、さすがに三台目ともなると違和感は確信に変わる。けたたましくサイレンを鳴らしながら、ひびき達が乗るセダンを猛スピードで追い抜いてゆくパトカー。向かう先はおそらく、件の青梅遊園地。 「・・・誰が通報したの」  そう、後部座席に並んで座るかなえに問えば、普段はどんな質問にも即答のかなえは何故か素知らぬ顔で窓を眺めている。まさか、これは彼女の指示ー- 「通報は待つように言ったはずよ。まずは様子を見て、それから、」 「それは、本当に会長の目的にかなった指示ですか」 「・・・え?」  そこでようやく副会長は振り返る。その目は、なぜか真っ赤に泣き腫らしていて、不可解な表情にひびきは慄く。そんなひびきに、かなえはさらに言葉を畳みかける。 「これが本当に、会長のご悲願に沿う指示なら、私は、法だろうと躊躇なく犯します。ですが・・・今回の件に関して言えば、僭越ながら、どうあってもそうは思えないのです」 「そ・・・」  そんなはずはない。そう否定したいのに、なぜか反論の言葉が出てこない。彼女の献身とひびきへの忠誠は、ひびきが一番よく知っている。彼女なら冗談ではなく、本当にひびきのために罪すら冒すだろう。そんなかなえの問いだからこそ、口先だけで安易にこの場を凌ぎたくない。  では、そんな彼女に答えるべき真実とは。 「違いますよね、会長」 「・・・は、」 「四辻あやめの指摘は、間違っていたんですよね。会長は決して、お母様と朝倉きららを重ねていたわけではない。あんな問題児に心を動かされたわけではない・・・ですよね?」 「そ・・・れは、」  ええ、そう。そうよ。  なぜなら私は宵野征四郎の娘で、父の反アイドル路線を支えるためにも、あんなものに心を動かされるなど決して許されないのだから。  そう。だから。  それでも、わたしは。 「・・・すき、だったの、ママの歌」 「え?」 「ずっと、ずっと憧れてた。ママみたいに、キラキラして、ステージで・・・憧れてたの、ずっと、ずっとずっと!」 「・・・」  答えはなかった。代わりにかなえは、大粒の目を見開いたまま、じっ、とひびきを見つめている。カクンと落ちた肩が、美しく伸びた彼女の首を普段以上に長く見せる。 「ご・・・めんなさい、副会長」 「謝らないでください」  辛うじて絞り出した謝罪を、しかし、かなえは即座に突き返す。 「えっ・・・何ですかそれ。えっ? じゃあ、つまり会長は、今までずっと、父親の操り人形として生きていたわけですか。自分の意志とかそういうのゼで。・・・そんな会長に、私は、ずっと?」 「副会長?」 「車を停めて!」  今度はひびきではなく、運転席に怒号を飛ばす。と、程なく車は減速し、やがて路肩にゆっくりと停車する。幼い頃からカートレースで腕を鍛え、国際免許すら持つ自動車部部長の腕はこんな時でも確実だ。 「降りてください。会長」 「・・・え?」 「降りろっってんですよ! ・・・ていうか、降りろ。もう、あんたに生徒会を率いる資格はない。あんたみたいな中身からっぽの人形に、学校の自治なんか任せられるわけない! ええ・・・ええそうよ。ここから先は、あたしが会長として責任を果たす。燐光学園から全ての不穏分子を排除する。あんたのためじゃない。あたしが・・・あたしが憧れた会長のために!」  そしてかなえは、不意に身を乗り出すやひびきの側のドアを開き、強引に蹴り飛ばす。車外に放り出され、アスファルトに這い蹲ったまま呆然とかなえを見上げるひびき。だが、ただでさえ思考の鈍った頭では、副会長の突然の変節にただ戸惑うことしかできない。  その間にも車は再び走り出し、あっという間に豆粒と化してしまう。遠ざかるテールライトを呆然と見送っていたひびきは、ややあって、そこが車道だと気付いて慌てて歩道に避難する。  ー-今までずっと、父親の操り人形として生きていたわけですか。  そう。  思えばひびきはずっと、父が望むまま、そうあれかしという願いどおりに生きてきた。なぜなら、父は今のひびきに残されたたった一人の家族であり、そして家族なら、協力し合うのが当たり前だから・・・だから、期待に応えようと頑張った。頑張ったのだ。父の望む通り燐光学園に入学し、アイドル殲滅のために、生徒会長という権力の座を勝ち取りもした。  父が望むなら、見知らぬ大人たちの席にも顔を出した。そのたびに母のことを持ち出され、同情や、憐憫や、時にはこの顔への嘲笑も向けられて、それでも耐えてきた。耐えてきたのだ。ずっと、ずっとー-  でも。 「・・・ママ」  日が落ち、すでに夕焼けさえも西の地平に去った空を仰ぐ。市街地から離れていても国道沿いには店舗も多く、店内から漏れ出る明かりや看板の下品なネオンサイン、街灯のおかげで道は意外と明るい。だから空を仰いでも、半端に濁った色味の空に、星は数える程しか見当たらない。  その、わずかに輝く星を見上げながら、ひびきは問う。ねぇママ。私、どうすればいいのー- 「会長」  意外な声がひびきを呼び止めたのは、そんな時だった。振り返ると、路傍に一台の原付バイクが停まっている。ピンクの愛らしいデザインのバイク。そのライダーは、よく見ると燐光学園の制服を身に着けている。  やがてライダーは、フルフェイスのヘルメットを取り上げる。窮屈なヘルメットからこぼれる、やや赤みがかった栗色の長髪は。 「大丈夫ですか。なんか、いきなり車から放り出されたみたいに見えましたけど」 「よ・・・四辻、さん?」  三曲目を歌い終え、アリーナも、きららの喉も程よく温まりつつある。  生まれて初めて、自分のファンのためにする単独ライブ。おまけに何もかもぶっつけ本番で、セトリさえライブ直前にようやく組んだものだ。  聞けば、このライブの開催自体、昨日の夜に急遽決められたものらしい。押収した新宿でのライブ映像を解析し、謎の飛び入りアイドルの正体がきららだと判明したのが昨日。その後、生き急ぐようにライブの予定を組み、直前になってきららを連れ出した里田は、これも情報の漏洩を恐れる地下組織の宿命よねと言って笑った。  それでも、これだけの人が集まり、そして今、きららと一緒に一つのライブを作り上げている。 「えーと、じゃあ、そろそろ次いきますね。次の曲は、宮前坂シックスパックスの『きみが泣くからぼくは』です」  きららのトークを合図に、スピーカーからイントロが流れ始める。この曲のイントロは二分少々とやや長い。なので、ライブでは通常ここはトークに使われ、歌唱パートに切り替わるのに合わせてトークからそのまま歌に入る。 「宮前坂さんの曲は、新しいのにどこかレトロで私は何となく、子供の頃お祭りで食べたりんご飴を思い出します。宝石みたいにキラキラして、でも齧ると優しい甘さが口の中に広がって。今回も、そんなイメージで歌っていこうと思います。ではー-」  横隔膜を広げ、深く息を吸う。ブレスの入れ方やその技術は、学校の授業で習ったことも余すことなく活かしている。・・・そう、全てはこの日のために重ねてきたこと。  きみが泣くからぼくは  つないだ手を離せないよ  じんわり染みる汗を  拭うこともできない  スポットライトの中、きららが思い浮かべていたのはしかし、トークで語ったりんご飴ではなかった。図書館裏で聞こえたあの謎の声。叩きつけるような力強さを秘めながら、そのくせひどく怯えがちだったその声は、却ってきららに美しい期待を抱かせた。もし、この子が全てを曝け出してくれたならーー怯えや躊躇を乗り越えて、彼女の全部をきららに叩きつけてくれたなら。    ねぇ きみはどこに行きたいの  きみの心はどこにあるの  きみが願うならぼくは  あの空にだってつれて行けるのに  ああ、歌いたい。あの子と。  もちろん彼女は全力で、だから私も全力で合わせる。それが斬り合いになるのか、もっとタフな殴り合いになるのか、それはきららにもわからない。確かなのは、きらら一人では何一つ確かめる術がないこと。だから歌いたい、あの子と。私たちが出会うことで、どんなキラキラが生まれるのかを知りたい。  そうして生まれたキラキラを、あの子と分かち合いたい。  泣かないでなんて言わない  ただ寄り添わせて  つないだ手 じんわり染みる汗  ぎゅっと握りしめるよ  ー-ごめんね征ちゃん。  ー-でも私、みんなのためにキラキラしたいの。  あれはそう、星子がアイドルになると告白した日。危ないからやめろと忠告する宵野に、星子は、そう言って微笑んだのだ。  もっと本気で引き留めるべきだったと今なら思う。  だけどこの時、忠告する宵野もそんな言葉では彼女は止まらないだろうと半ば匙を投げていた。星子とは幼稚園時代からの腐れ縁で、だから彼女がどれだけアイドルに憧れているのかも、それに実際、向いているのかも知っていた。  カリスマ。  本人はそれを、キラキラ、などとふざけた名前で呼んでいた。  他者の心を否応なく惹きつける引力。実際、人前でマイクを握った星子には、視線を釘付けにする魔力じみた力があった。観客は沸き、その熱気に煽られた星子がまた客を沸かせる。事実、アイドルとして本格デビューした星子は、圧倒的なパフォーマンスと、何よりカリスマとで一気にスターの座に上り詰めた。  だが。  宵野は思い違いをしていた。いくらカリスマを持ち合わせようとも、本質的に、星子は偶像にはなれなかったのだ。  偶像とは、全ての人間の願いを引き受ける器だ。喜びも嘆きも自分本位であってはならない。常にそれは、誰かに望まれたものでなくてはー-が、そうした生き方には、何より、巨木のように揺るぎのない魂が必要なのだ。逆説的だがそれは事実だ。どれだけ他者の感情や願いを引き受けても、なお揺らぐことのない強烈なエゴ。それを、星子は最初から持たなかった。  星子は昔から、自分より他人を優先させてしまうタイプの女性だった。そもそもアイドルになった動機も、自分のキラキラで〝周囲の人間を〟元気づけるため。そんな他人本位の人間にアイドルなど務まるはずもない。事実、彼女が服用する薬の量は日に日に増えていった。  ある夜、彼女が大量の睡眠薬を飲んで救急病院に担ぎ込まれた時、宵野はついに決心した。子供の頃から曖昧にしていた彼女との関係をはっきりさせよう。どのみち負ける試合でも、それが、彼女にかけられた呪いを解く鍵になればいい。彼女が器ではなく一人の人間であることを、彼女自身に思い出させる鍵になればー- 「宵野様、今、よろしいですか」 「・・・ん?」  不意に追想を断たれた宵野は、もうずっと止まっていた画面のカーソルから、机越しに立つ種田に目を移す。 「どうした、種田くん」 「ええ。こちらをご覧ください」  そして種田は、執務室のテレビをつける。時間帯的に低俗なバラエティ番組が多く流れる頃で、本来ならコメディアンや本業歌手などが画面に現れるはずだった。  ところが実際に映ったのは、大勢の警察官とパトカー、そして、どこか見覚えのある廃遊園地の光景ー-ああ、なるほどそういう。 「あの、マスコミには・・・?」 「何も。だが、あれだけ警察が派手に動けば、当然マスメディアもそれを嗅ぎ付けて動くだろう。基本、下劣な話題に飢えた連中だからな」  そう。だからこそ星子は追い詰められたのだし、宵野と、そして娘のひびきは大衆の慰み者にされた。あの連中も、いずれ確実に潰す。が、今はまだ味方に付けておいた方がいい。 「しばらく好きにさせよう。僕としても、連中が今回の捕物劇を大々的に報じてくれるならむしろ願ったりだ」  潰すべき地下組織が、あの場所で何かしらの動きを見せているのは確かだ。あの場所に連中の本拠地があるらしいことは以前から掴んでいた。それが今回、ひびきの友人による情報提供でそれが確証に変わった。連中は、動くときは一息に動き、そして再び地下に潜る。だからこそ、こちらも素早く動く必要があった。モグラを捕らえるキツネのように。  警視庁の担当刑事に直接動くよう命じたのは、職権乱用と言われれば否定はできない。が、そうすることでまた一歩悲願に近づけるなら、躊躇いなくそれを実行する。宵野征四郎とはそういう男だ。 「ところで・・・あれから、ひびきお嬢様から何か連絡はございましたか」 「ひびきから? ・・・いいや」  現状、ひびきについて入っているのは、彼女の友人から寄せられた情報のみ。ひびきが、例の地下アイドルに心を寄せているらしいことー-・・・ 「例のご友人と名乗る方のお話は、その・・・事実なのでしょうか。もし事実だとすれば、その、今後の宵野様の活動にも支障が、」 「種田君」 「えっ、は・・・はい」  弾かれたように振り返る種田。そんな種田を机越しに見上げながら、宵野は、ゆるりと微笑む。 「僕はね、いつどんな時もひびきを信じている。ひびきは決して間違えない。彼女は、僕の娘だからね」  開けば車一台がやっと通れるぐらいの小さな鉄柵の門は、古い鎖と南京錠とでがっちりロックされている。その門を力業で乗り越えたあやめは、続くひびきが乗り越えた鉄柵を降りるのを手伝いながら、半ば呆れがちに問う。 「よくもまぁ見つけましたね、こんな入り口」  するとひびきは、どこか自嘲気味に笑う。 「ここには昔、来たことがあるから」  その答えに、あやめはしまったとなる。そういえばここは、あの悲惨な襲撃事件の現場じゃないか。 「あ・・・そうでしたね、すみませ、」 「しっ!」  あやめの謝罪をひびきは強引に封じると、今度はあやめの腕を取り、近くの、元はケータリングのショップだったらしい建物の影に引き込んだ。時をほぼ同じくして聞こえてくる複数の足音。物陰からそっと覗くと、盾を抱えた重装備の機動隊員が隊列を組んでどこかに走ってゆく。 「見つかったら間違いなく逮捕されるわ」  耳元で囁くひびきに、でしょうね、とあやめは相槌を打つ。よしんば逮捕は免れても補導ぐらいはされるだろう。こんな夜更けに人気のない廃遊園地をうろつく高校生なんて、彼らにしてみれば、むしろ捕まえてくれと言っているようなものだ。  隊列はなかなか途切れない。一体どれだけの人員が、こんな廃墟に投入されているのか。 「あの・・・本当なんですか。きららがその、拉致、されたって」  ひびきの耳元で、極力ボリュームを下げて問えば、ひびきは何故か面食らった顔であやめを見上げる。 「あなた・・・本当に何も知らずに私たちを尾行してきたの?」 「えっ? ええ・・・午後の授業にきららがいなくて、で、放課後やけに生徒会役員がバタバタしてたんで、まさかと思って」 「なるほどね・・・ヤクザ共があなたを重宝した理由が、改めてわかった気がするわ」  これは、褒められたのか貶されたのか。しかし、今はそんなことよりきららの状況だ。 「それで、きららは結局、拉致されたんですか」  するとひびきは、それまでの嗤笑を止め、ふ、と真面目な顔をする。 「正直、拉致か否かは現時点ではちょっと」 「は?」 「私はただ、朝倉さんの反応が学校の敷地を離れたので、急遽役員を動員して行き先を探知、尾行させただけ」 「反応って・・・ひょっとして、探知機か何かを?」 「彼女に限らないわ。学園は生徒の行動を監視するために、学生証と支給のモバイルに発信器を仕込んでいる。私の代で、そのデータを生徒会でも共有できるよう学園に働きかけたの」 「こわっ」  つい素直な感想が漏れる。いくら箱入り娘を多数預かるお嬢様学校でも、発信器まで使って生徒のプライベートを暴くのはちょっと。 「反応の移動速度を鑑みるに、徒歩や自転車の類じゃなかった。それで、車を持つ何者かに拉致されたのだと判断した・・・それだけの話。ただ・・・すでに連中と繋がっていた朝倉さんが、自らの意志で仲間の車に乗り込んだ可能性もある。だから、厳密には拉致かどうかは・・・」  なるほど。何にせよ、きららが連れ去られた点に変わりはないらしい。きららが強引に拉致されたのか、あるいは自分の意志で従ったかの違いはあるにせよ。  やがて警官の列が途切れて、周囲はふたたび静寂に包まれるー-かと思いきや、リズミカルな重低音は今なお途切れることなく続いている。てっきり警官たちの足音だとばかり思い込んでいたのが。 「これ・・・何の音ですかね」 「ライブよ」 「え?」  さっと物陰から飛び出すと、早くもひびきは歩き出す。てっきり箱入りのお嬢様だと思っていたのに、実際、下手なヤクザなんかよりよっぽど度胸がある。 「あっちから聞こえてくるみたい」  そしてひびきは、ふと顔を上げる。視線の先にはジェットコースターの乗り場。ただ、閉園から年単位で放置されたと思しき建屋は見るからに朽ち果て、なまじポップな外装や、描かれた動物たちが余計に物悲しさを醸し出している。  そんな建屋越しに広がる空が、なぜか昼間のように明るく輝いている。このリズミカルな重低音も、どうやら同じ方向から聞こえてくるらしい。  まさか、本当にライブが・・・ 「行きましょう」 「えっ? は、はい」  駆け出したひびきに、慌ててあやめも従う。当たり前だが園内の街灯は軒並み死んでいて、しかも今夜は新月。にもかかわらず周囲は思いのほか明るく、走るのに不都合はない。 「あの、そろそろ聞いちゃってもいいですか」 「何を?」 「え、ええと・・・そもそも、どうして副会長に置いてけぼりにされちゃったんです? 何というか・・・避難のためって感じでもなさそうでしたし」  尾行していた車が不意に路肩に留まり、その車道側のドアからひびきが飛び出してきたときは正直驚いた。あれは多分、無理やり蹴り出されたのだと思う。ただ、同乗していたのは副会長のはずで、あの女がそんな無礼を働くだろうかという疑問は残る。あの、ひびきを女神のように崇める女が。 「・・・?」  不意にひびきが足を緩め、つられるようにあやめも足を止める。  振り返ると、数歩前で立ち止まったままのひびきは、何故かじっと夜空を見上げている。その視線を追って顔を上げたあやめは、今更のように足元の明かりに困らない理由を知った。  濃紺の天蓋に燦然と煌めく、無数の星屑たち。 「要するに私も、星屑きららの娘だったということよ」 「えっ?」 「カリスマの濫用と、その結果としての自滅。・・・母と同じ失敗を、私もまた犯した。それだけの話」  そしてひびきは、空を見上げたまま、ふ、と自嘲気味に笑う。  失敗。それは、星屑きらら襲撃事件のことを指しているのだろうか。彼女と同じ失敗。カリスマの濫用。それが、星屑きららの娘の言葉だとすれば、あまりにも惨めで、悲しい。 「し・・・失敗だなんて! 悪いのは完全に相手側でしょ!? ただのファンとしての弁えを忘れて、あんなこと、」 「でも、ああいう人間は存在しうるし、現に実在した」 「それは・・・って、まさか、だからアイドル文化そのものを滅ぼそうとしてんの!? 父親と一緒に!?」 「さすが四辻さんは理解が早くて助かるわ。私、頭の良い子は好きよ」  そしてひびきは、ようやくあやめに目を戻す。その、静かに刺し貫くような瞳に、不覚にもあやめはどきるとなる。確かに・・・宵野ひびきには他人の心を鷲掴みにする何かがある。これが無意識的なものなら、本人に災いをもたらすこともあるのかもしれない。 「事件を機に父は考えた。アイドル産業とは、そうしたカリスマにまつわる人間の本能を商業利用した社会悪だと。もちろん、他の分野でもそうした要素は一部見られるけど、当時のアイドル産業は純粋に、カリスマによる搾取のためだけに存在した。例えば他の芸能やスポーツは、芸の練度や試合中のパフォーマンスで魅せるでしょう。・・・翻って、アイドルはどう? 本当にパフォーマンスで魅せていたの? いいえ、あれはカリスマによって〝このアイドルを推したい〟と思い込ませていただけ」 「それは・・・さすがに極論というか。そもそも何だってアイドルのパフォーマンスは質が低い前提なんですか」 「低いでしょ実際。オペラなどに比べたら」 「そりゃ・・・あれですよ。好みの差ってやつです」  とはいえ、ひびきの言わんとするところも一部理解はできるのだ。カリスマによって支持を集め、応援というかたちで金銭を集めることで成り立つ商売。いや、この際お金は問題じゃない。そのお金でもってアイドルに尽くした、とファンに思い込ませることが危険なのだ。  尽くしたら、やはり尽くした分だけの何かが欲しい。あやめは悲しいかな、推しのライブに参加したことはない。ファンになった頃にはもう、推しのグループは軒並み解散させられていたからだ。が、それでも、もし推しのライブに参加していたなら、やはり何かしらの見返りを欲していただろうと思う。たとえそれが、気紛れでフロアに投げられた一瞥であっても。  だから。  その感情が反転した際に起こりうる悲劇も、また容易に想像できるのだ。 「だとしても・・・辛くはないんですか。だって、昔はお母様もそんなアイドルの一人だったんですよね? それを否定するってことは・・・」  今度は、返事はなかった。さすがに怒らせたのかと思い、そっと反応を伺ったあやめは次の瞬間、思わず瞠目する。  泣いていた。あの鉄仮面のようだった女が、一つだけ覗く瞳からぼろぼろと大粒の涙をこぼしていた。 「えっ・・・か、会長?」 「ご、ごめんなさい。でも・・・っ」  スカートのポケットからハンカチを取り出し、爛れた目元に押し当てると、ひびきはなおもしゃくり上げながら続ける。 「それでも・・・っ、止まるわけにはいかなかった。私は、っ、臆病だから、ずっと、ずっと怖かった。父に見捨てられて、独りになったら私、もう、耐えられない。だから」  えぐっえぐっと肩を震わせ、それでも真摯に言葉を紡ぐひびき。そんなひびきを見つめながら、あやめは、こんなに小柄な人だったのかと今更のように驚いていた。普段はもっと大きく見えた。壇上で演説をぶつ彼女。生徒会室にあやめを呼び出し、冷酷な命令を下す彼女。・・・その全ては、あるいは彼女が必死に張り続けた虚勢だったのかも。 「・・・独りじゃ、ないですよ」 「えっ・・・?」  ハンカチから顔を上げるひびきに、あやめは柔らかく笑いかける。こんな女に、まさか自分がこんな笑みを向ける日が来るとは思っていなかった。 「あいつがいます。朝倉きららが。あいつは、絶対にあなたを独りにしない。そういうアイドルなんです、あいつは」  ー-独りにしない。  ああ、そうだ。彼女と、朝倉きららと声を重ねたあのひととき、私は、確かに独りじゃなかった。ママの生き方を肯定されたからに限らない。もっとシンプルに、私自身の〝そうしたい〟がそこにあったから。  キラキラしたい。ママのようにみんなを照らすため・・・ううん違う。単純に、私がキラキラしたいんだ。キラキラと、誰よりも強く輝きたい。  この、夜空に瞬く星みたいに。 「もう一度、あの子と歌いたい」  するとあやめは「もう一度?」と怪訝な顔をし、それから、ああ、と何故か得心顔で頷く。 「いいんじゃないですかね。あの子も待ってますよ、きっと」  不穏な怒号が、ライブ会場の方から聞こえてきたのはそんな時だった。これまでの歓声とは明らかに異質な、否応なく神経を逆撫でるこれは・・・  まさか。  そう、嫌な予感が脳裏をよぎった時には、ひびきはもう駆け出していた。じっとなんてしていられなかった。ママを失って消えたひびきのキラキラ。それを、彼女の歌がようやく思い出させてくれた。  その光を、キラキラを、もう二度と失いたくない。 「ふ・・・不覚だったわ。私としたことが」  重装備の警官隊に包囲された会場を見渡しながら、里田はぎりりと奥歯を噛む。すでに会場はライブどころではなく、観客もスタッフも極度の恐慌状態に陥っている。当然だ。これまではヒットアンドアウェイ戦法で警官隊との直接的な衝突を避けてきた仲間達にしてみれば、今回のこれが初めて目の当たりにする警察の〝本気〟だろう。  ただ、だとしても何故漏れた。尾行は念入りに洗い落とし、位置探知に使用される恐れのあるきららのモバイルは、電磁波を通さない専用の袋にしまわせた。つまり・・・あのモバイル以外にも、きららの位置を特定する発信器なりが仕込まれていたとしか考えられない。それを里田は、不覚にも見落としてしまったのだ。  何にせよ、この事態を招いたのは私だ。ならばー- 「朝倉さん!」  それまで袖から見守っていたステージに飛び出し、きららの手を取る。こんな状況でもなおきららは歌い続けていて、しかも、里田に手を取られてもなお止める気配を見せない。 「に、逃げるわよ、朝倉さん。早くここからー-」 「里田っ!?」  不意に鋭い声で名を呼ばれ、里田はぎくりとなる。振り返ると、声からイメージされた通りの人間が、今まさにステージによじ登ってくるところだった。 「・・・水原課長」  やがてステージに上がりきると、水原は、里田の前に仁王立ちになる。 「やっぱり・・・てめぇだったのか、里田」 「何の話です?」 「とぼけるなッッ! てめぇ、俺に黙って燐光学園に行ったろ!? あれから、まさかと思って学園に問い合わせたら、電話口でお前の名前が出てくるじゃねぇか。嘘だろと思ったよ。まさか、ウチの誰よりも真面目なお前が・・・けど」 「この状況を見て、疑う余地はなくなった、と?」  水原は、今度は何も答えなかった。ただ里田を睨みつけたまま、飛び掛かる隙を伺っている。そんな水原に、里田もまた身構える。スパイのために入った警察組織だが、体術の訓練は人並みにこなしている。むしろ同期に比べても里田のそれは上に褒められることが多い。  とはいえ、この水原という上司も逮捕術にかけては一流だ。まして本気の彼は、こちらが死ぬ気で挑んでも勝てる見込みは少ないだろう。それでも、せめてきららを逃がすための時間を、僅かにせよ稼げるなら。 「・・・こうするしかなかったんですよ、水原さん」 「なに?」 「元は、何の違法性もなかった。悪いことじゃなかった。なのに、ある日突然悪のレッテルを貼られて、あれよという間に社会から抹殺されて・・・じゃあ、アイドルなしじゃ生きられない人間は、アイドルを愛してやまない人間は、結局、こうするしかないじゃないですかッッ!」 「し・・・知るかッ! 何にせよ、俺達はただの行政執行官だ! 定められた法と手続きに従って権力を執行する! それが無理だってんなら、お前はもう警官じゃねぇ!」 「警官・・・じゃ、ない」  ふふ、と、覚えず乾いた笑みが里田の唇から漏れる。それを言えば、そもそも最初から警官なんかじゃなかった。 「何がおかしい、里田」 「えっ、だって・・・私、警官である前にドルオタなので」 「は?」 「ていうか、アイドルのためなら社会とか法律とか正直どうでもいいです。私の大事なものを平気で踏み躙る社会なんて、私に言わせればただのでっかいゴミ箱なんで」  言ってやった。  ずっと、鉛を呑んだように重かった胸の奥が、溜め込んだ粗大ごみを出し終えたみたいにすっきりしていた。今の里田は、五月のよく晴れた空にはためく一枚の、洗濯済みの真っ白なシーツだった。もういい、このまま組み敷かれ踏みつけにされても構わない。それでも私の〝好き〟は決して揺るがない。誰にも奪わせない。  絶対に、だ。  一方の水原は、そんな里田の決然とした目を呆然と眺めていた。事実、彼は面食らっていた。そして同時に、申し訳なさも噛み締めていた。水原は、アイドルには人並みの興味しか持たなかった。少なくとも、なくては困るほどのものではなかったし、だから宵野がアイドル規制に関する法案を国会に提出したときも、まぁあんな事件が起きちゃしょうがねぇよな、と、特に深い考えもなく賛同した。  悪かったよ、里田。  俺達の無関心が、お前らを追い詰めちまったんだなー-が、それはそれとして。 「ー-っ!?」  一瞬の踏み込み。次の一瞬で里田のジャケットの襟を素早く捉える。すかさず足払いを仕掛けながら、胸の内で部下だった女に告げる。  それでも俺は警察官だ。だから警察官として、犯罪者は逮捕する。  視界の隅で、里田と男の刑事が取っ組み合っている。  その里田が逃げずに応戦を選んだ理由も、自分を逃がすためだときららは理解している。  確かに、逃げたほうが良いのだろう。ここで捕まってしまえば、もう誰にもキラキラを届けられなくなる。それを防ぐためにも、里田は身を挺してきららを守っているのだ。きらら個人ではなく、きららが未来に繋げるだろうアイドルの輝きを守り抜くために。  それに、ここで逃げてもいつかまた別のステージで歌うことはできる。同じセトリ、同じ演出で今夜のステージを再現もできる・・・  でも。  できない。できるわけない。だって音楽は今も続いている。スポットライトは輝いている。ひとたび幕が上がったなら、たとえ隕石が落ちてもステージに立ち続ける。そこに、歌を待つ観客がいる限りー-それがアイドルだ。  だからきららは歌う。歌い続ける。 「早く逃げなさい朝倉さん! 歌は、また、歌えるわ!」  刑事と揉み合いながら、またしても里田は叫ぶ。でもー-ごめんね里田さん。私はアイドルだから。  ようやく曲が間奏に入る。と、ほんの一瞬刑事の手を逃れた里田が、きららの身体を強く突き飛ばす。倒れた弾みでマイクが手を離れ、ステージの袖に転がり出てしまう。 「いいから早く逃げて!」  そう叫ぶと、里田は駆け寄ってきた刑事に、その進路を阻むように飛びかかる。それでもきららは、なおも頭の中で次の流れを考えている。  この『ハイレートクライム』は、間奏からの突き抜けるようなサビが爽快感を与える楽曲だ。戦闘機の急速上昇を意味するタイトルに恥じない力強さと、多少の音のハズしは厭わない蛮勇を要する曲。元は『乙女軍七〇七飛行隊』の楽曲で、彼女たちのライブでもここが一番盛り上がる。  逆に言えば、ここでキメなければその時こそライブは死んでしまう。だから早く、早くマイクを回収しに行かないと。 「ー-っ!?」  蹴り出そうとした足がずきりと痛む。さっき倒れたときに痛めてしまったのかもしれない。それでも痛みを堪えて立ち上がるも、踏み出すたびに脳天を貫くような激痛が走る。 「っ・・・く」  ライブのためならこんな身体、たとえぶっ壊れても構わない。だから走るの。走って、早くマイクを拾うのー-そう自分に言い聞かせるも痛いものは痛い。  ああ、腹が立つ。大事な時に足を痛めたことじゃなく、この程度の痛みも堪えきれない弱い自分が。だって、他のアイドル達ならきっと、これぐらいの怪我は何でもなくてー-  やっぱり私、本物のアイドルにはなれないんだな。  どんなに歌を頑張って、こんな舞台を用意してもらっても、少し足を捻っただけで動けなくなる私は、どのみち本物のアイドルにはなれなかたのだ。  フロアでは、包囲した警官隊と包囲された観客との小競り合いがあちこちで勃発している。・・・ああ、終わらせなくちゃ。これ以上ライブを続けたら、状況はいっそう悪くなる。早くライブを切り上げ、みんなにも警官隊に従うよう促そう。それが、常識的に考えてベストな選択。だからー-・・・ 「・・・えっ?」  ふと、目の前を横切った人物にきららははっとなる。見慣れた燐光学園の制服。その腕には金糸で縁取られた紅色の腕章。何より、あの特徴的な顔と眼帯、さらりと流れる長い黒髪は。  あたしはぁぁぁぁ!  ここにぃぃぃぃぃ!  いるのぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおお!  それまでの不穏なざわめきが、一瞬、水を打ったようにひたりと止む。観客も、それに突入した警官隊も、その視線を例外なくステージの少女に向けている。そんな数えきれないほどの視線の中で、彼女は目元の眼帯を勢いよく脱ぎ捨てる。乱れる髪。それを手櫛で無造作に掻き上げる仕草さえ、彼女のそれは美しい。  何より・・・露わになったその横顔は。  どういうことだ。  新たにステージに現れた少女を見つめながら、そう、水原は自問する。あの痛々しく爛れた顔と、何より、星屑きららに瓜二つの顔立ちは間違いない、宵野議員の娘じゃないか。 「てめぇ、彼女まで巻き込んでやがったのか!?」  が、里田は答えない。ただじっと、魂を奪われたようにステージの少女を見つめている。  その目には、今にも溢れて零れそうな、涙。 「うそ・・・でしょ。こんなこと・・・」  そんな数多の視線を一身に受けながら、少女はふたたび歌声を響かせる。  強さこそ存在証明  残酷なこの世界で  それでもあたしは飛ぶことを選んだ  突き刺さる視線 痛み乗り越えて  誰も追いつけない あの空へ 空へ   「よ、宵野様、これは・・・」  画面越しに届けられた信じがたい光景に、種田は半ば呆然と呻く。全てのチャンネルは、もう三十分近くも青梅での強制捜査を生中継で追い続けている。そうして遂に、警官隊によって一網打尽にされた不貞分子達。混乱と恐慌の中、それでもなおしぶとく続く少女の歌唱。  しかしそれも、ステージに飛び込んだ刑事によって遂に断たれるかに思われたー-ところが。 「種田さん」 「は・・・」  おそるおそる、種田は振り返る。これまで十年以上、ただアイドル文化殲滅のためだけに邁進してきた宵野。その彼が今、どんな顔でテレビに映る娘を見つめているのか、想像するだけでも心底恐ろしい。 「車を出してください、今すぐに」 「か、かしこまりました!」  逃げるように種田は宵野の執務室を飛び出す。結局、宵野の顔を確かめることはできなかった。ああ、どうしてこんなことに。本来なら幸せな家庭を築けていたはずの親子がー-・・・  曲が終わると、不意に静けさが耳を襲った。   見ると、観客どころか警官隊までもがステージ上の宵野ひびきに魅入っている。やがて、どこからともなく拍手が生まれ、それが兆しとなって沈黙は瞬く間に万雷の拍手によって掻き消されていった。中には熱心に手を叩く警官もいて、その姿を目にした水原は、その場にどすんと胡坐をかく。  負けた。  そもそも最初から、なぜアイドルをとは思っていた。ただ、気付くとそういう法律が出来ていて、出来た以上は従わなくちゃならない。だから水原は従った。それだけの話だった。・・・が、本当は知ろうともしなかっただけ。失われゆく歓びや感動に、ただ無頓着でいただけ。  こんなにも魂を揺るがすものだと知っていれば。 「・・・ははっ」  おそらく今、水原と同じ感動をメディアを通じて多くの人間が感じ取っているだろう。無関心ゆえに潰したものの価値を噛み締めているだろう。それは、やがて大きなうねりとなって社会を呑み込むだろう。現行の、アイドル規制に対する反動を伴いながら。  さて、どうする宵野さん。  奴が反アイドルの旗印に用いた娘は、今この瞬間、そのバックラッシュのアイコンと化した。これから起きるだろう強烈な反動の中、徒手空拳でどうやって戦うつもりだ。なぁ、宵野さんよ。 「次の曲は?」  それまで呆然とひびきを見つめていたきららは、その声にふと我に返る。見ると、こちらに向き直ったひびきが、逆光の中、明らかに微笑みを浮かべてきららを見つめていた。  あれ? でも・・・たしか生徒会長は、反アイドル派じゃなかったっけ? 「え、ええと・・・次は『ロマンスキャンディ』・・・です」 「ああ。原宿ランナーズのデビュー曲ね。・・・えっ、あれってデュオで歌うやつじゃない。サブの録音は?」 「えっ? あー・・・急に呼ばれたライブでして、そういうのはちょっと」 「嘘でしょ。なのに一人で歌おうとしたの?」 「え、ええと・・・可愛いから?」  するとひびきは、ぽかんと埴輪みたいな顔をする。よっぽど呆れたのだろうー-が、やがて。 「ふふっ」  くすくすと、鈴を転がすみたいに笑い始める。その笑顔に、きららは確かに見覚えがあった。  ああ、この顔。私の大好きなきららちゃんのー- 「何なの、それ。・・・ああもう、しょうがないわね。私がサブをやるから、あなたはメインを歌って。いつもの要領で」 「あ、はいー-って、いつもの?」  思わず問い返すと、ひびきはニッといたずらっぽく笑う。その笑みに、きららは確信する。そうか。いつも図書館裏で私にハモっていたのは。 「朝倉さん」  肩を叩かれ、振り返ると里田がもう一本のマイクを持って立っていた。うかりマイクをステージの下に落とした時でもすぐに歌を再開できるよう、あらかじめテストを済ませステージ袖に準備していた予備のマイクだ。 「さっきはごめんなさい。それと・・・勝手ばかり言うようだけど、やっぱり、最後まで歌い切って。残念だけど私もあなたも逮捕は免れない。だからせめて、この状況を目にする人たちに、できる限りアイドルの素晴らしさを伝えて。お願い」  そうして里田は、最後にもう一度「ごめんなさい」と謝る。巻き込んでしまったことを詫びているのだろうか。だとすればそれはとんだ勘違いだ。少なくともきららは、このステージに立たせてくれた里田に感謝している。アイドルとして輝く場所を与えてくれたことに感謝している。  あんなに辛かった足の痛みも今は嘘みたいに引いて、これってアドレナリンのせいかな、なんてことをきららは思う。ここで無理をしたら後で余計に痛むんだろうな。でも構わない。たとえ足がちぎれても、あるいは命が尽きても、今は、自分のやりたいことを全力でやりきろう。 「きららぁぁ!」  どこかできららの名を呼ぶ声がする。見ると、いつの間にかステージのすぐ足元に懐かしい友人の顔があった。懐かしい? そういえば、たった半日前にも言葉を交わしたばかりなのに。でも今は、何故だろう、ひどく懐かしく感じられる。それほどに、きらら自身が思う以上に遠くに来てしまったからかもしれない。 「ぶちかましたれぇぇッ!」 「ありがとうあやめちゃん!」  マイクを握り直すと、隣に立つひびきに目線を送る。折しも流れ始める次のイントロ。この『ロマンスキャンディ』は、可愛くなりたい女の子と、彼女が思い描く理想の女の子との対話を歌にしたもの。女の子なら誰でも共感する悩みや戸惑いをポップな音楽に乗せて歌ったこの曲は、発表当初のセールスこそ振るわなかったものの、その後、多くのアイドルにカバーされる名曲となった。  メインボーカルは主人公を。  そしてサブボーカルは、彼女が描く理想の女の子を代弁する。きららにしてみれば、ひびきはまさに理想の女の子だ。顔もスタイルも完璧。頭も良くて歌も上手い。何より、あのきららちゃんの実の娘さん。・・・凄い。凄いなぁ。こんなに凄い人と私、ステージで一緒に歌ってる。 「憧れるだけじゃダメ」  それは不意に聞こえた。一番のサビが終わって、短い間奏に入った直後。その、僅かな間隙を縫うように、隣に立つひびきが耳打ちしてきたのだ。 「超えるの。憧れを。大丈夫、あなたなら出来る」  そしてひびきは、にっと笑う。・・・そうだ。無意識のうちについ、彼女の存在に委縮してしまっていた。でもこの曲は、メインボーカルが縮こまっていては成立しない曲。主役の少女が理想を乗り越え、新しい自分を手に入れる物語。  二番では、それまで引きずられがちだった歌い方を改める。グルーブもビブラートもきららが主体で創ってゆく。引きずられるのではなく引きずる。そこに、ぴったりと息を合わせてくるひびき。やっぱり上手い。おまけに器用でクレバーで、つくづく敵わないなときららは思う。それでもこのステージでは私が主役。センターは絶対に譲らない。  ようやく本調子を取り戻したきららを横目で確かめながら、ひびきは、それまで味わったことのない感情を噛み締めていた。  楽しい。  楽しい楽しいたのしい! 大好きなアイドルの歌を、誰に憚ることなく歌い上げることが、こんなにも楽しくて歓びに満ちていたなんて。きっとそれは、今の私が間違いなく私だから。父のために演じる宵野ひびきではなく、素朴な憧れをアイドルに抱く一人の女の子だから。  その時、きららが何かを言いたげに目配せを送ってくる。ああこれは、原宿ランナーズが『ロマンスキャンディ』のラストで必ずやっていたあれ。二人のボーカルが額を合わせ、至近距離で見つめ合うー-正直少し恥ずかしいし、何より、こんな醜い顔を間近で見られるのは気が引ける。でも・・・意を決し、小さく顎を引くと、きららは嬉しそうにニッと微笑んだ。そうとも、今まで散々この顔を武器として振り回してきた。何を今更。  遂に歌唱パートが終わり、二人は額を寄せ合う。湧き上がる歓声が大気を震わせ、まるで本物のライブみたいだなとひびきは思う。ママも昔、こんな歓声の中で歌っていたのかな。辛いことも多かったと言っていたけど、それでもアイドルを続けていたのはきっと、こんな歓びや充足を日々感じていたから。 「次は、何を歌うの?」  ぜいぜいと肩で息を整えながら問う。きららも相当息が上がっているらしく、鼻先を撫でる彼女の息は燃えるように熱い。 「えっと、次が『吸血鬼さんこんばんは』で、その次が『恋せよ日本列島』。んで『マカロンの初恋』。そしてトリがー-」 「『シューティングスター』?」  えっ、ときららが顔を上げる。おかげで鼻先が触れ合う距離で、彼女の瞳と見つめ合うことになる。まるで銀河を浮かべたようにキラキラと輝く彼女の瞳と。 「どうしてわかっちゃったんですか!?」 「あなたが、あの曲を歌わずに済むわけがないからよ」  突き放すようにきららから離れると、ひびきはフロアに向き直る。残り四曲。学園では進学コースに通い、きららほどにはボイストレーニングを積んでいないひびきが歌える曲数としてはギリギリの数。喉をセーブすれば余裕だろう。が、今はそんな小手先芸には頼りたくない。ママに憧れ、さらに乗り越えようとするきららの全力に、ママの娘である私も全力で応えたいのだ。  私は、星屑きららの娘だ。    警官隊の隊列のさらに後方で、人垣の間から辛うじてステージを覗き見ながら、かなえは途方に暮れていた。  あんなにも愛していた。心の底から慕っていた。なのに、あの人の本質には何一つ届いていなかった。社会正義のためにアイドルの殲滅を目指す、冷酷で聡明な指揮官。それが、かなえの目に映る宵野ひびきの姿だったー-  なのに。 「私は・・・何を見ていたの」  誰に問うでもなく呟きながら、しかし、かなえはうっすらと気付いている。全てはかなえが作り出した幻想だったのだと。目に映る現実を、自分が見たいと願う景色とすり替えていただけ。そうして、己の幻想と現実との差に勝手に困惑し、憤っていただけ。  同じじゃない。これじゃ、あの犯人と・・・  膝を崩し、その場にくずおれる。足元の割れたアスファルトに爪を立てながら、かなえは声を殺して泣いた。  もう私には、あの人を愛する権利すらないのだわ。   「いよいよ最後の曲になってしまいました。  このライブが終わったら、私は、今回の罪についてちゃんと罰を受けようと思っています。きっと、しばらくは皆さんの前で歌えなくなってしまうでしょう。あるいは、これが皆さんの前で歌う最後の曲になってしまうかもしれません。  なので、次の一曲に私は全てを懸けたいと思います。偶然にもそれは、私が誰よりも尊敬するアイドルの引退ライブの大トリとして歌われました。その後、彼女はとても悲しいかたちで私達の世界から旅立ってしまいました。彼女のニュースをお父さんに教えてもらったとき、私はすごく、すごく悲しくて、ご飯もほとんど食べられなくなってしまったのを覚えています。  でも、いちばん悲しかったのは彼女のご家族だったんですよね。辛くて悲しくてたまらなかったから、アイドルそのものをこの世界から失くそうと思ったんですよね。わかります。だって、ただのファンだった私でさえあんなに辛かったんだから・・・  それでも、どうかお願いします。  私達には、アイドルが必要なんです。ステージの上でキラキラと煌めくアイドルを見て、応援して、時には一緒に歌って、そうして私達は、明日を生きる力を補給できるんです。キラキラできるんです。キラキラを失ったら、私達は死ぬんです。心臓は動いても、魂は死ぬんです。もちろん反省はします。もう二度と、あんなひどい事件は起こさないと約束します。だからどうか、私達にアイドルを、キラキラを返してください。  それでは歌います。・・・『シューティングスター』」  キラキラが止まらないの  だからわたしは歌うの  誰にも追いつけないわたし  そう、空を駆ける流れ星  重なる二つの声。一つは、人知れず地底を流れる澄んだ地下水脈のような。そしてもう一つは、いまだ眠りにつく海をきらきらと煌めかす朝の太陽のような。そんな二人のー-陰と陽、静と動、炎と水にも似た二人の歌声は、真逆だからこその相乗効果を作り出し、聴く者の心を否応なく呑み込んでゆく。もはやフロアの誰も、彼女たちを犯罪者とは見なかった。眩いスポットライトの中、汗を散らし、喉を振り絞る二人の少女は紛れもないアイドルだった。警官隊すら本来の職務を忘れ、少女たちの魂が熱く燃えるさまを見守る。 「なぁ、あの子達、名前何て言うんだっけ」 「えっ? さぁ・・・とりあえず黒髪の子は宵野議員の娘のひびきちゃんだろ。で、もう一人は・・・とりあえずみんなきららって呼んでるから俺もきららって言ってるけど」 「ええー、ま、いっか。きららー----こっちにも目線くれー----!」  まるで夢のようだったな、と、手首にかけられた冷たい金属の錠を見つめながらひびきは思う。  自分は確かに、アイドルとしてステージで歌ったのに、その証拠である心地よい疲労や喉の痛みは今も残っているのに、終わってみると何もかもが夢のようで、どこか現実味に欠けている。だから今のひびきには、たとえ屈辱的なはずの手錠であっても、ここにあることがただ嬉しかった。あの夢のような時間が、決して夢ではなかったことの証だから。  これからひびきは被疑者として警察に拘束され、裁判にかけられ、そこで何かしらの罪を言い渡されるのだろう。が、そんなことはもうどうだっていいとひびきは思う。今夜この場所で手に入れた〝私〟は、これからも、あるいは一生、ひびきを照らしてくれるだろう。唯一の心残りは父だ。ひびきがこんなことを仕出かした以上、いくら父であっても反アイドルの旗は振りづらくなるだろう。あるいは、議員生命すら絶たれてしまうかもしれない。 「・・・何て謝ろうかな」  そもそも謝罪の言葉なんて、今のひびきに残されているのか。許される余地はー-いいや、たとえ許されなくともとにかく頭を下げなくては。  乗せられたパトカーの外では、報道記者やカメラマンが何度警察に追い払われようとも懲りずに食い下がっている。確かに、反アイドルの急先鋒の娘が、アイドルとしてステージに立ったなんて、彼らに言わせればさぞ弄り甲斐のあるゴシップに違いない。とはいえ、こうも不躾にカメラを向けられていると、さすがに嫌気がさしてしまう。  そんな報道カメラマン達の焚くフラッシュにいい加減うんざりしきった頃、報道陣を掻き分けて一人の婦人警官がパトカーに駆け寄ってくる。  彼女は、背後の報道陣から守るように薄くドアを開くと、言った。 「ひびきちゃん。お父さんが見えたんだけど、会う?」  顔を上げたひびきは一瞬だけ躊躇し、しかし、次の瞬間には怯えや躊躇を振り切り「はい」と頷く。すると婦人警官は、今度は持っていたブランケットをひびきの頭に被せ、庇うようにパトカーから下ろした。そうしてひびきの肩を抱いたまま、強引に人混みを突っ切ってゆく。  やがて案内されたのは、祭りやデモの時に見かける青い護送用のバスだった。その中で、父は娘を待っていた。 「・・・パパ」  冷たい蛍光灯の明かりを受け、ひびきを見つめる父はいつにも増して無表情で、いかなる感情もそこから読み取ることはできなかった。いっそ、開口一番殴りつけてくれた方が良かったとさえひびきは思う。たった一人の肉親に、見知らぬ他人として突き放されてしまうよりは・・・  何を勝手なことを。  先にパパを裏切ったのは私なのに。 「ご・・・ごめんなさい、パパ・・・」  俯き、せめてもの謝罪を口にする。言い訳の言葉など見つかりもしない。今はただ、父を裏切ってしまったことを心から謝るしか。 「ごめんなさい。本当にごめんなさい。パパを裏切って・・・ごめんなさい」  再び顔を上げることはできなかった。これ以上、あの無機質な視線に心を晒せばきっとひびきは壊れてしまう。だから俯く視界の隅に父の靴が覗いた時、ひびきは思わず身を竦めた。殴られる? ううん、それならまだ良い方。ひょっとするともっと怖い罰がー- 「ひびき」 「・・・え」  包み込むような温もりに、一瞬、ひびきは呆然となる。それが実は父の腕で、彼の広い懐に抱きしめられているのだと気付いたひびきは、安堵するよりも先に涙を溢れさせていた。 「パパ・・・っ、どうして・・・」 「どうして? ひびきが自分で選んだ選択なら、何であれそれが正解だ。それに、いつも言っているだろう。ひびきが幸せなら、それだけでパパは充分なんだよ」  そうして父は、なおいっそう強く娘を抱きしめる。そんな父の肩に顔を埋めながら、ひびきは泣いた。母の葬儀の時ですら涙ひとつ見せなかった少女が、まるで子供のように、声を上げて泣いた。
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