1 隷従への道

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1 隷従への道

 佐々木惟幾(これちか)は1985年、非課税世帯(マジで貧乏な家)の四男としてこの世に生を享けた。  佐々木一家は昭和中期に住宅公社(税金の浪費筆頭候補)が野放図に建設した、低所得者向けの墓場のような団地に棲みついていた。団地内にはつねに小便と酒気と嘔吐物の臭気が立ち込め、1日規則正しく朝昼晩、どこかしらでケンカ騒ぎが起きるような場所であった。  住人たちは熱心な植物愛好家でもあった。ほとんどすべての世帯で、南面に突き出た猫の額ほどのベランダに小規模の家庭菜園が営まれていた。むろんそれはありきたりなプチ野菜畑ではない。栽培されているのは例外なく、ケシであった。  子どもたちの身なりは戦後の混乱期を彷彿とさせた。誰もが垢で黒ずんだタンクトップと膝小僧を露出した半ズボンといういでたちで、季節感は皆無、オールシーズンにわたってその格好であった。  団地の子どもたちは高確率で蟯虫検査に引っかかり、頭にはシラミがたかっており、給食費は生まれてこのかた一度も支払ったことがなく、学力はクラスの最低ラインを寡占しているようなあんばいであった。彼らはいわば、意図しない慢性的なネグレクト状態に置かれていた。  佐々木家もむろん、例外ではなかった。両親にとって子どもとは、避妊を面倒くさがった唯一の娯楽(セックス)の望まれざる結果にすぎなかった。もはや子どもたちは、両親の視界にすら入っていなかったふしすらある。  惟幾にとって幸いなことに、家庭には反面教師が十分すぎるほど供給されていた。両親と上の兄弟たち――すなわち彼以外のすべての人間だ。反面教師たちの所業がいかなるものかの詳細は省くけれども、惟幾少年に危機感を植え付けるには十分だったとだけ、付言しておこう。  彼は誰に言われるでもなく、教育が生涯年収に大きく影響することを小学五年生という若さで喝破していた。団地に住む先輩たちのほとんどすべてがを(事実上)中退しており、その後の進路はよくてフリーター、悪ければ極道、麻薬の売人、恐喝やカツアゲで生計を立てるプロのゴロツキなど、そうそうたるラインナップであった。少年はここでも反面教師たちに助けられた格好となった。  惟幾少年は教科書だけを頼りにひたすら猛勉強に打ち込んだが、おのずから限界があるのは否めなかった。さらなる高みを目指すには、どうしても先導者が必要だった。  転機は新米教師である杉浦明日香(あすか)教諭との出会いとして訪れた。明日香教諭は廃棄物の最終到着地のごとき公立小学校にほとほと嫌気が差していた。彼女はすっかり教師生活に倦んでいた。  生徒たちは率直に言って、痴呆状態に近かった。勉学そのもに対する徹底した無関心。彼女の授業は生徒たちの右耳から左耳へ、一片の情報を脳へとどめることなくすり抜けていった。明日香教諭は着任してからわずか1か月後、離任式をいまかいまかと待ち望むようになっていた。  そんな灰色の毎日を送る彼女はある日、教室に放課後まで居残ってひたすら教科書を読んでいる一人の少年がいるのに気づく。 「佐々木くん?」教諭は幽霊でも見るかのような気分だった。この学校に進んで勉強をする生徒がいるはずがない。「なにしてるの」 「勉強」少年は顔も上げなかった。 「わかんないところ、ない?」 「わかんないことだらけです、先生」  かくして明日香教諭は放課後の専属教師となった。  明日香教諭の協力もあり、佐々木惟幾は遠方の国立大学へ授業料免除の特待生として入学することに成功する。両親の了承を得るには、仕送りをいっさいあてにしないという条件を呑めば事足りた。彼らは金さえかからない限り、息子がどこへいこうがなにをしようが、まるで無関心であった。  のちに〈8.11帰省ショック〉と惟幾自身が名づけた事変は、19歳の夏、起こった。起こるべくして起こった。  実家の団地に住んでいる人びと(クズども)と接していなかった半年間、惟幾青年はいわば、完全に解毒された状態で帰省したといってよい。怠惰で、下品で、税金(人さまの金)を濫費するのが当然の権利と勘ちがいしている連中の生態を、すっかり忘れていたのだ。  彼が悪夢を見るには、たったの1日、団地で過ごすだけで事足りた。  佐々木惟幾は夢のなかで、数メートル四方の狭苦しい室内に閉じ込められ、彼をつぶそうと圧力をかける吊り天井を支えていた。  全身の筋肉は悲鳴を上げ続け、血管が次々と破裂している音すら聞こえてくるかのようだ。  もうとても支えていられない。吊り天井に押しつぶされる瞬間、彼は確かに目撃した。無機質な天井の一画になにやら文字が刻んである。  、と読めた。  つぶされたと同時に目が覚めた。  この悪夢を彼は、一種の啓示であると解釈する。つぶされたのは疑いようもなく日本(彼ら自身)であった。  彼は世界を支えたアトラスになることをこのとき、決意した。佐々木惟幾、19歳の夏であった。
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