愛合傘

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愛合傘

「……あ、まだいる」  雪が積もりだし、道や街路樹が白く染まり出した12月のある日、下校中に通りかかった近所の公園の中に視線を向けると、そこには見知った顔がいた。 その人は同い年くらいの見た目の綺麗な藍色の和服姿の長い黒髪の女の子で、今日は雪が降っているからかいつもは手に持っているだけの緑の蛇の目傘を差して一人で立っていた。 「今朝もあそこに立ってたけど、この季節じゃ流石に寒くないか……? 時間的にも冷えてるわけだし……」  その人は厚着をしてるわけじゃなかったため、見てるこっちまで寒くなってきそうだった。けれど、口から白い息こそ吐いていたものの、その人は寒そうにしている様子はなく、その事がとても不思議だった。 「……でも、このままじゃ風邪引くよな。お節介かもしれないけど、とりあえず声をかけてみるか」  小さく頷きながら独り言ちた後、俺は公園の中に入っていき、傘の下から空を見上げるその人へと近づいた。 「あ、あの……」 「はい……ああ、貴方ですか」  その人は声をかけてきたのが俺だと気づくと、とても嬉しそうな笑みを浮かべ、俺はその笑みにドキリとする。けれど、すぐに気持ちを切り替え、俺は再びその人に話しかけた。 「厚着もしていないのにここにいたら寒いですよ。貴女さえ良かったらウチで少し温まっていきませんか?」 「ふふ、大丈夫ですよ。私、こう見えて寒さには強いですし、そろそろ帰ろうと考えていたところですから」 「あ、そうだったんですね」 「はい。今日も目的は達成しましたから」 「目的……ですか?」 「ええ。では、そろそろ失礼します。お気遣いありがとうございました、声を掛けて頂けて嬉しかったです」 「あ……は、はい……」 「ふふ……では」  その人はとても綺麗なお辞儀をしてからそのまま公園の入り口へ向かって歩いていったが、俺は不思議とその人から目が離せず、その人がいなくなってからも歩いていった方をボーッと見つめてしまっていた。 「……なんだか不思議な人だったけど、すごく綺麗な人だったなぁ。でも、今年の梅雨の辺りからあの人を見かけてたけど、本当にどこに住んでるんだろう……? 少なくともここ以外では見かけた事はないし……」  首を傾げながら俺はあの人を初めに見かけた時の事を想起した。あの人がここにいるのを初めて見かけたのは、雨がしとしとと降る梅雨の頃だった。 その日、俺は今日も雨かと残念に思いながら下校をしていて、何か面白い事でも無いかと考えていた。そして、通学路にあるためいつものようにこの公園を通りかかると、今日と同じように傘を差しながら空を見上げるあの人が立っていたのだ。 その時はきっとあの人は雨音を聞くのが好きな人なんだろうと思って特に気にせず帰宅したが、翌日もあの人は同じところに立っていて、公園の入り口に視線を向けていた。 そして、あの人は俺が公園を通る度にいて、もしかしたら他にもあの人を見かけてるかもしれないと思って家族や学校の友達にも聞いてみたが、不思議な事に誰もそんな人は見た事がないと言い、とても不思議に感じていたが、遂に今日ようやく声をかける機会が出来たのだった。 「……そういえば、俺がまだ小さかった頃は、祖父ちゃんが公園の入り口で俺の帰りを待っててくれた時があったな。今では祖父ちゃんも足腰が弱くなって、家の中くらいしか歩けなくなったけど、帰ってきた時に祖父ちゃんの姿を見た時はホッとしたっけ……」  そんな小さかった頃の思い出に浸りながら俺はそのまま家に帰った。そしてその日の夕食時、あの人に声をかけてみた事や小さかった頃の祖父ちゃんの事を話していると、それを聞いていた父さんが納得顔で頷く。 「なるほど……道理でなんだか優雨(ゆう)が嬉しそうにしてたわけだ」 「道理でって……そんなに嬉しそうにしてたかな……」 「少なくともいつもよりは嬉しそうに見えたわ。でも、まだ声をかけた事すら無かったなんてね。話を聞く限り本当に可愛い子みたいだから、照れて声をかけられなかったのかしら?」 「お、そうなのか?」 「違うって! まあ……たしかに綺麗な人ではあるけど、見かけるのが大抵登下校中だったから、声をかけられなかったんだよ」 「そうかそうか。それにしても……この辺りの若い人で蛇の目傘を愛用してる人は相変わらず聞いた事が無いなぁ。一応、ウチには昔から伝わってる蛇の目傘があるけどな」 「え、蛇の目傘なんてどこにあるんだ?」  父さんの言葉に俺は疑問を抱いた。少なくともこの家の中で蛇の目傘を見かけた事は無いし、誰かが差してるところも見た事は無い。それを見かけていたら、流石に覚えているはずだからだ。 「たぶん、今は親父の部屋の押し入れにあるはずだ。なんでも親父の祖父が子供の頃から使ってる物らしくて、この玄蛇家(げんじゃけ)の子供が大きくなったら受け継がせるように言われてたみたいだ。 けど、俺には似合わないと思って、蛇の目傘を受け継ぐのを断ったんだよ。だから、今でも親父がしっかりと和紙の張り替えや骨の修繕をして使ってたんだけど、足腰が弱くなってからは使ってないだろうし、あるとしたら押し入れじゃないか?」 「そっか……因みに、その蛇の目傘の色って緑色か?」 「ああ。そういえば、お前が見たって言う人の蛇の目傘も緑色なんだったな。まあ、偶然だと思うけど、次に会った時にでもそれを話題にしてみても良いかもな」 「そうしようかな。ただ……」  俺は少し不安を感じながらテレビに視線を向けた。画面には明日の天気予報が映っており、そこには夕方から吹雪の恐れという不安を煽るような文があった。 「前に少し強めの雨の時でもいたけど、流石に吹雪の日にはいないかもしれないな。本人は寒さには強いって言ってたし、何か目的があるようだったけど、それでも吹雪の中では難しいだろうし」 「そうだろうな」 「でも、その目的って何かしらね……その人、ただ公園の中で立ってるだけなのよね?」 「それはわからないけど、あの人は絶対に悪い人じゃない。こんな簡単に判断するのは良くないと思うけど、そんな気がするからさ」 「……そう」 「まあ、お前の意見を否定する気もないし、その人が近所で迷惑をかけてるわけでもないようだし、俺達も特には何も言わない。その人の存在はお前にとって良い刺激になってるようだしな」 「そうね。それと、もしその人が何か困ってるみたいだったら、助けてあげるのも良いと思うけど、しっかりと話を聞いた上で判断しなさいね?」 「うん、わかった」  父さん達の言葉に返事をした後、俺は夕飯を再び食べ始めた。話をしたのも今日が初めてで、あの人にはまだまだ謎が多い。でも、父さんの言う通り、あの人の存在は俺にとって良い刺激になっていると思う。 面白味もなかった登下校が、あの人の存在によって色づき、またいるかなと思いながら登下校をする事で楽しい毎日を過ごせているからだ。 そして、父さん達には違うと言ったが、今日少し話した時のあの人の表情や上品さの漂う仕草に俺は少しずつ惹かれつつあり、もしあの人と付き合えたらとても幸せだろうなと感じていた。 「……まあ、あんなに綺麗な人なら、もう恋人くらいいそうな気はするけど、訊ける機会があったらちょっと訊いてみようかな。いないなら少しアタックしてみたいし……」  そんな事を独り言ち、あの人と付き合えた場合の様々な想像をして胸の奥がポカポカしてくるのを感じながら俺は少し旨味が増したように感じた夕飯をゆっくりと食べ続けた。 そして翌日、前よりもあの人がいるかを気にしながら学校に向かって歩いていた時、視界に小さな白い物が見え始めた。良く見ると、それは雪であり、起きた時にはまだ降ってなかった雪がちらちらと降り始めていた。 「もう降り始めたか……まあ、昨日の天気予報のおかげで折りたたみ傘は持ってきてるし問題ないな。ただ、あの人はどうかな……」  あの人の事が心配になり、俺は公園に向かって駆け足で向かった。そして到着後、公園の中を見てみると、そこにはあの人の姿があり、雪が降っているからか昨日と同じように蛇の目傘を差していた。 「いた……!」  あの人が今日もいた事に嬉しさと安心感が込み上げて来た後、公園の中に入って近づいてから声をかけた。 「あ、あの……!」 「はい……ああ、貴方でしたか。おはようございます、今日も雪が降っていて冷えていますね」 「あ、はい。あの……もしかしたら知っているかもしれませんが、今日の夜は吹雪になるようなので、その辺りは外に出てない方が良いですよ。寒さには強いって言ってましたけど、流石に風邪を引いてしまいますから」 「ふふ、心配してくださるんですね」 「え……ま、まあ……話したのは昨日が初めてですけど、半年くらい前から姿は見かけてたので、まったく知らない人というわけでは無いですから……」 「そうだとしても、相手の健康を気遣って声をかけるのは中々出来る事ではないと思いますよ?」 「あ……ありがとうございます……」  突然の言葉に気恥ずかしさを感じて頬をポリポリと掻いていると、その様子を見ながらクスリと笑ってからその人は軽く空を見上げた。 「貴方はやはりあの人に似ていますね。容姿もその性格も」 「あの人……あの、もしかしていつもここにいるのってその人が関係してます?」 「はい。共に歩く事はもう叶いませんし、言葉も交わせませんが、私にとってはとても大切な相手です」 「……あ、あの……その人って、もしかして恋人だったりしますか?」  不安を感じながらした問いかけにその人は一瞬きょとんとしたが、すぐにクスクスと笑いながら答えてくれた。 「……いいえ、違います。あの人には心から愛していた人がいましたし、そもそも私ではあの人と恋仲にはなれません」 「そうなんですね……」 「貴方はどうですか? いつもお一人で登下校をしてるようですが、どなたか気になる方はいますか?」 「え……い、いますけど……」  貴女の事です、とは流石にまだ言えなかったため、少しぼかした感じで答えると、その人は少し安心したように微笑む。 「それはよかったです。あの人もそうでしたが、やはり愛しい相手が出来ると、それだけ人生は華やぎ、潤った物になるようですから」 「人生が華やいで潤った物に……因みに、貴女には好きな相手はいるんですか?」 「私……ですか? ふふっ、いませんよ。強いて言うならば、あの人や貴方くらいなものです」 「え……」 「私は誰かと恋に落ちる事など出来ませんが、あの人や貴方ともし恋仲になれたなら、それはそれで素敵な事だとは思っています。お二人とも素敵な方ですし、きっと最後まで大切にしてくれると信じていますから」  その人の笑みからは嘘やお世辞などは感じられず、心からそう思っている事がハッキリとみてとれた。 意識している人からの思わぬ告白のような言葉に俺の心臓の鼓動は速くなり、口の中はカラカラ、それに対しての返事すらままならないというとても恥ずかしい状態になっていた。 今、俺の気になっている人は貴方ですと言うのは本来は簡単で、それを口に出来たならもしかしたら付き合えるかもしれないという想いはあった。けれど、緊張と嬉しさで乾ききった口と速くなった鼓動で苦しさを感じる程の心臓ではその言葉すら紡げず、俺が何も言えずに悔しさを感じていると、その人は空を見上げてから俺に対してにこりと笑う。 「さあ、早く学校へ行った方が良いですよ。このままここにいても寒いだけですし、遅刻をさせてしまっては申し訳ないですから」 「あ……わ、わかりました」 「では……」 「あ、あの……!」 「……はい、なんですか?」  ようやく出てきた声の大きさに俺自身驚いたが、今言わないといつまでも言えないという気持ちがあったため、俺は自分の胸に手を置き、心臓の鼓動と気持ちをゆっくりと抑えながら静かに口を開いた。 「……今日も夕方はここにいるんですか?」 「……そうですね。昨日もお話ししたように私には目的がありますから、そのためにここにいる予定です」 「それなら……その時にお話ししたい事があるんです」 「お話……ですか?」 「はい。まだ話して二日くらいの奴からそんな事を言われても迷惑かもしれません。でも、話そうと思えたタイミングで話さないと、たぶんこれから先はもう話せないと思うんです。 だから、貴女の時間を少しだけ俺に下さい。その分、何か俺にやってほしい事や言いたい事があったら、遠慮なく言ってくれて構いませんから」  ようやく紡げた言葉は正直拙い物だった。けれど、その人はとても優しい笑みを浮かべて静かに頷いた。 「はい、それではその時を楽しみにしながら待っていますね」 「え……い、良いんですか?」 「ええ。何やら大切な事のようですし、待つのは慣れっこですから。それに、真剣な顔で私の時間をくれとまるで婚姻の告白のような事を言って頂きましたしね」 「あ……そ、それは……」  自分の言葉を思い返して恥ずかしさから顔が熱を持ち始めると、その人はクスクスと笑いながら俺の手を優しく握った。 「それでは、学校頑張ってきて下さいね? 私はここから貴方の御武運をお祈りしてますから」 「は、はい……ありがとうございます」 「ふふ、どういたしまして」  その人が俺の手を離した後、俺は手を振ってもらいながら頭がボーッとする中で学校へ向けて歩き始めた。歩いている最中、俺の頭の中はあの人の微笑みや握ってきた手の柔らかな感触でいっぱいになっており、俺があの人に惚れているのは明らかだった。 けれど、公園を出た辺りで俺は気持ちを切り替え、その日の授業を頑張るために気合いを入れ直した。あの人の事を考えたい気持ちはあったが、考えてばかりだと学校生活がうまく行かなく、夕方に会った時にそれに気づかれて気を遣われても仕方ないからだ。 「……よし、頑張るか」  両頬を強く手で叩き、気持ちが引き締まると同時に頬がヒリヒリするのを感じた後、俺は学校へ向けて歩き始めた。学校にいる時も俺はあの人の事ばかりを考えそうになっていたが、その度に授業に集中しろと自分に言い聞かせ、放課後にあの人と会える時を楽しみにしながら授業に意識を集中させた。 そして待ちに待った放課後、俺はすぐに荷物をカバンに詰め、友達からの雑談の誘いを断ると、そのまま昇降口へ向かい、そのまま公園へ向けて走り始めた。 天気予報通り、空からは今朝よりも雪が降り、風が強くなった事で目の前すら見えづらい程の吹雪になっていた。いつもならこんな吹雪の日は早く家に帰ろうとしていたが今日は違う。今日は俺の都合で待たせている人がいるからだ。 「はあっ、はあっ……寒さには強いって言っても、こんな天気じゃ絶対に風邪をひかせる事になるし、早く行ってこの想いを伝えないと……!」  冬の寒さと襲ってくる吹雪の冷たさで手足はかじかみ、目の前がうまく見えない事で諦めたくもなったが、今も傘を差しながら待っているであろうあの人の事を考えていると、胸の奥がポカポカとしてきてその寒さすらも忘れられた。 それくらい俺があの人に惚れているのは間違いなく、あの人の事を大切にしたいと思っているのもたしかだった。これまで異性を好きになった事がない俺だったが、この想いは嘘じゃないと断言出来た。 そして走り続ける事数分、あの公園が見え始め、俺はすぐに公園内へと入った。すると、あの人の姿はあったが、いつも差している緑色の蛇の目傘を両手で持ち、吹雪に飛ばされないようにしながら耐えているのがハッキリと見てとれ、俺は待たせてしまった事への後悔と助けたいという思いを胸に駆け寄った。 「だ、大丈夫ですか!?」 「……あ、貴方ですか……」 「待たせてしまってすみません。ここまでの吹雪になるとは思ってなくて……」 「だ、大丈夫ですよ……この程度、大したことは……ありません、から……」 「大丈夫じゃないですよ! 話は後にして早くウチまで来てください。このままじゃ本当に凍えますから!」 「……も、問題ありませんよ。なので、お話を──」  その時、強い吹雪が俺達を襲い、その風圧で蛇の目傘が手から離れ、吹雪によってそのまま公園内を転がっていってしまった。 「あっ……!」 「傘が! ま、待っててください……今、取りに行って来ますから!」 「待ってください! この吹雪の中では──」  あの人の制止の声が聞こえたが、俺はそれには答えずに転がっていく蛇の目傘を追い始め、吹雪で顔が痛くなる事や降り積もった雪で歩きづらい事を我慢しながらひたすら追い続けた。 そして、どうにか蛇の目傘に追いつき、中棒を手に掴んで蛇の目傘を離さないようにした後、俺は急いであの人の方を見た。すると、さっきまでとは違って苦しそうに地面に手をついており、その姿を見た瞬間に俺は焦りと不安でいっぱいになってしまった。 「大丈夫ですか!?」  蛇の目傘を離さないようにしながら急いで走りだし、しゃがみこみながら様子を確認すると、綺麗な白だった顔は具合が悪そうな青白い物になり、額に汗を浮かべながら苦しそうに荒い息をしていた。 「そんな……やっぱり、こんな中で待たせてしまったから……!」 「はぁ……はぁ……ち、違います。決して貴方のせいではないので、気に病まないでください……」 「そんな事言われても気にしますよ! とりあえず傘と一緒にウチまで運びますね!」 「だ、大丈夫で……すか、ら……」  苦しそうにしながらも断ろうとしていたが、遂に疲労と寒さが限界まで来たのか静かに意識を失い、ゆっくりとその場に倒れこんだ。 その姿に更に焦りと不安が強くなったが、俺はすぐに気持ちを整えてから蛇の目傘を持ちながらその人を背負い、急いで家まで走り始めた。 寒い中で待っていたからか背中からは冷たさが伝わり、後悔と不安が強くなったが、この人を助けたいという思いを強く持っていた事で俺の足は止まるどころかそのスピードが上がり、これまでで出した事が無い程のスピードで俺は家まで走り続けた。 そして、どうにか家に着き、ドアを開けると、そこには両親の姿があり、母さんが帰ってきた俺の姿を見てホッとする中で父さんは俺に背負われている人の姿を見た瞬間、信じられないといった表情を浮かべた。 「え……お、お袋……!?」 「お袋……? 父さん、この人は俺が話してた人で亡くなった祖母ちゃんじゃないぞ?」 「いや、それはわかってる。けど、その人はあまりにも若い頃のお袋にそっくりなんだ」 「言われてみればたしかに……」 「それに、その傘も親父が大切にしている蛇の目傘だ。一体これはどういう事なんだ……?」  父さんがわけがわからないといった様子を見せる中、俺も突然の事に混乱していたが、この人を助けたいという思いが強まった事で気持ちは落ち着いていった。 「……俺にもわからない。でも、まずはこの人を暖めないといけないんだ。さっきまでずっと吹雪の中にいたからか体も冷たくて気も失ってるからさ」 「……わかった。それじゃあとりあえず優雨の部屋に運んで布団に寝かせよう。俺がすぐに布団を敷きにいくから、お前は揺らしたり落としたりしないように気をつけながら運んでこい」 「それじゃあ私は何か温かい物を淹れてくるわね」 「うん、ありが──」  ありがとう、と言おうとしたその時、物音を聞き付けたのか祖父ちゃんがゆっくりと玄関へと歩いてくるのが見え、同じく祖父ちゃんの姿に気づいた両親はその足取りを心配そうに見つめた。 そして、祖父ちゃんが父さんの隣に立ち、俺が背負っている人の姿を見ると、哀しそうな表情を浮かべながら首を横に振った。 「……まったく、だから良いと言ったのだ」 「良いって……祖父ちゃん、この人を知ってるのか?」 「ああ、当然だ。今は少し気を失っているだけだから、とりあえずワシの部屋まで運んでくれ。こうなった以上、お前達にも知る権利はあるからな」  その祖父ちゃんの言葉に三人で頷いた後、父さんが祖父ちゃんと一緒に一足先に部屋へ、母さんがキッチンへと向かう中、俺はしっかりと背負ったままで若い頃の祖母ちゃん似の人の草履を脱がせ、俺も自分の靴を脱いでから祖父ちゃんの部屋へと向かった。 祖父ちゃんの部屋に着くと、そこには既に布団が敷かれており、父さんに手伝ってもらいながらゆっくりと布団の上に下ろした後、父さん達が用意していた座布団に座り、五人分のお茶を運んできた母さんも座布団に座った事を確認すると、祖父ちゃんは座布団に座ったままで俺達を軽く見回した。 「さて……それでは話すが、お前達はこの灯雨(ひあめ)の事をどこまで知っている?」 「どこまでって……この蛇の目傘を差して半年前から公園に立ってる事くらいしか知らないよ。何か目的があるとは言ってたけど……」 「そうか……まあ、目的を話すつもりはないと言っていたからそれも仕方ないか」 「……それで、その子と親父はどんな関係なんだ? 親父が大切にしている蛇の目傘を持っていた事と言い若い頃のお袋にそっくりな事と言い少なくとも普通の知り合いでは無いんだろ?」 「……まあ、そうだな。こう言っても中々信じられないだろうが、灯雨はワシの昔馴染みで公園に立っていたのはワシの代わりに優雨の帰宅を見守っていたからなんだ」  祖父ちゃんの口から出てきた突然の言葉に俺達が驚いていると、気を失っていた灯雨さんの目が静かに開き、軽く声を上げながら身体を起こすと、祖父ちゃんはホッとしたように息をついた。 「……目が覚めたか、灯雨。まったく……無茶はするなと言っただろう」 「……すみません、時雨(しぐれ)さん。寒さには強い自信があったので大丈夫だと思ったんですが、吹雪には流石に勝てませんでした」 「そうだろうな……さて、目覚めて早々悪いんだが、話をする事は出来るか? こうなった以上、お前の事についても話さないといけないんだが……」 「……大丈夫ですよ。本当はずっと話さずにいるつもりでしたが、私が判断を見誤った事で起きてしまったのなら話さないわけにはいきませんから」  灯雨さんは微笑みながら言った後、俺達を見回してから静かに口を開いた。 「まず私が何者かなのですが、私はこの蛇の目傘の付喪神で、この姿を借りているのは優雨さんに姿を見られた場合、少しでも警戒されないようにするためです。 時雨さんの奥さまである灯陽(ともひ)さんの姿をお借りするのは少しだけ申し訳ないと思いましたが、そのお陰で時雨さんにも私の正体を話しやすかったですし、優雨さんにもあまり警戒されずに済んだので結果的に良かったと言えます」 「蛇の目傘の付喪神……つまり、見た目は若い頃の祖母ちゃんだけど、人間じゃない、と……」 「そういう事です。付喪神に成ったのは春頃で、初めは姿を見せずにずっと傘として皆さんの姿を見守るつもりでしたが、時雨さんが優雨さんの事を心配していらしたので時雨さんに姿を見せました。 そして、私が付喪神である事などをお教えした後、時雨さんの代わりに私があの公園に立って優雨さんの朝から夕方までのお見送りをする事を伝えると、時雨さんも初めは断りました。 ですが、私自身優雨さんのお見送りをしたいという想いはありましたので、何度もお願いをすると、時雨さんもそれを認めて下さったので、騒ぎにならないように優雨さん以外には姿を見せないようにしながら今日まで優雨さんの事を見守らせて頂いろうとしてくれたんだ? ずっと大事にしてくれた親父ならまだしも自分を見た事が無かった優雨の事を見守ろうとするのは少し不思議な感じがするんだが……」  父さんの疑問に灯雨さんは微笑みながら答える。 「簡単な話ですよ。私の事を大事にして下さった方のお孫さんなら私にとっても大事な方ですから。それに、時雨さんから優雨さんのお話を聞いた際、優雨さんなら時雨さんから私を受け継いだ際、最後まで大事にして下さると思いましたしね」 「なるほどね。たしかに優雨は昔から物を大事にする方だから、本当に受け継いだとしても大事にすると思うわ」 「ただ……私が見守る事はもう出来ませんね」 「え……ど、どうして……!?」 「私の正体はバレてしまいましたし、皆さんにご迷惑をおかけしてしまいましたから。それに、付喪神とはいえ、人間ではないモノから見られているなんて良い気はしませんし、私はもう姿を消す事にします」 「そ、そんな……」  灯雨さんの言葉に俺は絶望した。たしかに灯雨さんは人間じゃない。でも、だからと言って俺は灯雨さんを拒絶しないし、これまで見守ってくれていた事には感謝している。 祖父ちゃんから頼まれたわけじゃなくて俺と話をしたわけでもないのに俺の事をずっと見守ってくれていたのは本当に嬉しいし、それを聞いてもっと灯雨さんの事が好きになった。だから、こんな形で灯雨さんと別れるなんて絶対に嫌だ。 「……嫌だ」 「優雨……?」 「灯雨さん、俺は貴女とこんな形で別れたくないです。こんな形でのお別れなんて寂しすぎます」 「優雨さん……」 「たしかに灯雨さんは付喪神で、もしかしたらそれを知った人の中には気味悪がったり拒絶したりする人もいるかもしれない。でも、俺は違う。祖父ちゃんから頼まれたわけじゃないのに灯雨さんがずっと見守ってくれていた事には感謝しているし、そんな人を悪く言ったり気味悪がったりするわけがない」 「…………」 「それに、今日の約束を果たしてませんしね」 「約束……」 「はい。だから、少し恥ずかしいですけど、今ここで灯雨さんに伝えたかった事を伝えます」  そう言った後、俺は気持ちを落ち着けるために一度深呼吸をしてから灯雨さんに伝えると決めていた想いを口にした。 「ん……」  よく晴れた日の朝、窓から差し込む陽の光で目が覚め、ゆっくりと目を開けると、目と鼻の先ではすやすやと寝息を立てながら眠るとても綺麗な顔があった。 「……今日もか。おおよそ、母さんから呼んできてって言われたんだろうけど、いつもこうして眠っちゃうんだよな」  苦笑いを浮かべながら独り言ちた後、俺は目の前で眠っている人に声をかけた。 「灯雨さん、俺は起きましたから貴女も起きてください」 「んぅ……」  灯雨さんは眠たそうな声を上げると、ゆっくりと目を開け、まだ寝ぼけながらも嬉しそうに微笑んだ。 「……おはようございます、優雨さん」 「おはようございます、灯雨さん。起こしにきてくれるのはありがたいですけど、そうやって寝ちゃったら意味ないですよ?」 「ふふ……優雨さんの寝顔を見ていたら私もその隣で眠りたくなるんです。私にとって優雨さんはとても大切な人で私を受け入れてくれた恩人ですから」 「灯雨さん……」 「それに……愛しい恋人と一緒に眠りたいと思うのは至って普通の事ですしね」  微笑みながら平然と言う灯雨さんだったが、その頬が仄かに赤くなっていた事から、自分が言った事に照れているのは間違いなく、そんな灯雨さんの姿がとても愛おしかった。 あの日、俺は家族の前で灯雨さんに告白し、これからは見守るためじゃなくて俺と一緒に人生を歩むためにいてほしいと伝えた。それを伝えた瞬間、灯雨さんはとても驚いていて少し迷った様子だったから俺は灯雨さんから良い返事がもらえるという自信がなかった。 けれど、灯雨さんは少し考えた後に頬を軽く染めて俯きながらそれを受け入れてくれ、俺の告白を聞いていた両親と祖父ちゃんも俺が灯雨さんと恋人同士になる事を反対しなかった事から、灯雨さんはウチの一員として一緒に暮らす事になった。 戸籍のない付喪神である灯雨さんとは結婚式も出来ない上に籍を入れる事も出来ないし、灯雨さんを俺の恋人として紹介する際にその正体を明かす事は出来ないが、俺はそれでも構わないと思っている。 灯雨さんが俺の恋人である事には変わりないし、灯雨さんだけじゃなくその本体である蛇の目傘も祖父ちゃんから手入れの方法を習って大切にするつもりだからだ。それが灯雨さんを好きになって灯雨さんと生涯を共にすると決めた俺の果たすべき責任だから。 「……まあ、今日は学校が休みなので俺も灯雨さんと一緒に過ごしたいですけど、まずは朝飯を食べないといけないので、早く居間に行きましょうか」 「そうですね。あ、よければ私が優雨さんにあーんして差し上げましょうか?」 「……その提案はすごく魅力的ですね。でも、まだ少し恥ずかしいのでもう少し経ったらお願いします」 「ふふ、わかりました。それでは参りましょうか、優雨さん」 「はい」  灯雨さんと至近距離で微笑みあった後、俺達は揃って布団から立ち上がり、手を繋ぎながら居間に向かって歩き始めた。 人間と付喪神、種の違いは俺達にとって高い壁となってていたんです」 「だから、優雨しか見た事が無かったのか。けど、どうして優雨の事を見守立ちはだかり、時には衝突の火種や他者からの拒絶を招くと思う。でも俺は灯雨さんと一緒に歩み続ける。 灯雨さんとの毎日は絶対に楽しいって断言出来るし、今まで見守ってくれていた分、今度は俺が灯雨さんに楽しい毎日を過ごしてもらうために頑張る番だからだ。 「……よし、頑張ろう」  灯雨さんとのこれからを想像して楽しさを感じた後、俺は決意を胸に秘めながら独り言ちた。これまであの蛇の目傘は祖父ちゃんや灯雨さん一人だけが使っていたかもしれない。でもこれからは違う。これからは二人三脚で頑張る俺と灯雨さんの相合傘になるからだ。
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