太平天国の始まり

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太平天国の始まり

 「家の教会」 (序)  中国という国は社会主義国でありながら経済発展を続けている。その伸張ぶりは目を見張る限りだ。GDPでは既に日本を抜いて世界2位の実力をつけるに至った。経済活動の自由が認められているということは、既に社会主義とは言えないのかも知れない。  これを悔しく思っている日本人もいるが、元来は日本は中国の朝貢国であったのだ。日本が中国を出し抜いて発展したのは一九九四年の日清戦争以来のわずか百年あまりのことである。  また、中国は厳しい監視社会でもある。犯罪者などは顔認証で歩いているだけで逮捕される。だから犯罪も著しく減少した。  この中国でキリスト教が広まりを見せている現状を知る人はどれくらいいるだろうか?  元々この国には三種類の大きな教会組織がある。一つは政府公認の三自愛国教会、そして非公認だが、地下で活動を盛んにしている家庭教会、そして新興宗教の全能神教会である。全能神教会は共産党と対立し、弾圧を受けている。その他にもカトリックもあるが、外国人による布教は中国では禁じられている。  郭尚仁は、そんな中、中国の上海で生を受けた。両親は熱心な家庭教会の信徒であった。しかし、やがて家庭教会から独立し教会を造り上げた。尚仁が大学を卒業して、かなり年月が経ってからのことである。彼は元々から新興宗教を作るなんていう考えは微塵もなかった。彼は三自愛国教会で牧師の資格を取り、その後両親の奨めに従って家庭教会へ移り、そこで伝道師として熱心に働いていた。そんな頃、尚仁は家庭教会に熱心に来ていた一人の女性と知り合い、結婚した。子供はまだ産まれなかった。妻の名は王月款という。家庭教会の信者ではあったが、大きな企業を経営するお父さんが居て、事実上「お嬢様」であった。  時は胡錦濤が国家主席であった頃である。  そんな頃、尚仁の教会は全能神教会の信徒から訪問を受けた。相手は政府から弾圧を受けている教会である。共産党のことを「悪魔・サタン」とまで呼んでいる教会である。尚仁は身構えた。どんな異端な教えを聞かされるかと思って冷や汗がでた。  ある日のことである。尚仁の教会へ二人の男が尋ねてきた。全能神教会の信者である。背広を綺麗に着こなし、腰も低かった。  「牧師様はいらっしゃいますでしょうか? 我々は中国全土を回って宣教しております」 牧師が不在だったので、尚仁が応対した。尚仁は教会の重い扉を中からこじ開け、二人を通した。  「牧師はただ今不在ですが、どこの教会の方でしょうか? 何のご用でしょうか?」  彼らは最初は全能神教会の信者とは名乗らなかった。  「キリストが受肉し、教えを伝えているのです。これがその御言葉を書いた冊子です。これを貴教会にも置いて頂ければと思って参りました」  この言葉で尚仁は、彼らが全能神教会の信者であることを見抜いた。  「御言葉って、それは聖書にみんな書いてありますが---」  「いえ、イエス=キリストが受肉されて新しい御言葉がここに書いてあるのです」  「そんな御言葉なんて聞いたことがありません。とにかく、牧師が帰ってきたら報告します」とだけ答えた。  二人の紳士は冊子と名刺だけを残して立ち去った。全能神教会とは中国発祥のカルトであり、聖書には書いていないことを伝えている。何でも、キリストが中国で受肉し、新しい教えを伝えているということらしい。  しかし、実際には聖書に「この名(イエス=キリスト)以外に救われる名はありません」と書いてある。また、終わりの世には「私がキリストだ」と名乗る者が大勢現れるとも書いてある。正に郭尚仁にとってはこれは異端の教えを奉じる教会以外の何者でもなかった。  「こんな異端の教会と関わりを持つととんでもないことになる。今では家庭教会への弾圧も止み、やっと宣教ができると思っていたところへ、あんな連中を招き入れてはいけない。とにかく、このことは牧師に相談しよう。まあ、大体の答えは想像に難くないが---」 夕方、牧師が帰ってくると、尚仁はこのことを伝えた。牧師は「あまり変な連中を通さないように」とだけ答えた。                *   一八四〇年、清朝はイギリスとのアヘン戦争に負け、香港を割譲し、いくつかの港を開いた。  その頃、洪秀全は科挙の勉強にいそしんでいた。科挙とは、役人になるための登竜門で、儒学の経典である四書五経(論語・孟子・大学・中庸・詩経・易経・春秋・礼記)を暗記し、先ずは地方で行われる県試に受かり、その後に府試を受けなければならない。そして町へ出て行って郷試を受け、やがて北京で行われる会試に合格しなければならない。しかし実際には郷試に受かっただけで役人になれ、一族を養うことができたのだ。  しかし、秀全は既に郷試から躓いていた。それも三回もである。  「もう科挙を受けるのはやめようか?」  秀全はそう思っていた。しかし、彼は一族の期待を背負って科挙に臨んだのである。そう簡単に諦めるわけにはいかなかった。  彼は広州の客家の家に生まれた。客家とは、中国で、北方民族の支配を嫌って江南へ移り住んだ連中で、血縁のある者が円形の大きな家に住んで生活を共にしていた人々であった。彼らの中で成績が優秀な者がいれば、一族全体で補助をした。そして科挙の試験に臨み、一族の生活を支えるのだった。科挙に受かって役人になれば一族を養うことができたのだ。  そんな中で洪秀全は幼少の頃より天才の名を欲しいままにしていた。一族の者は彼に期待した。彼は十四歳で既に県試・府試に合格し、四書五経を完全に暗記していた。彼は客家の一族の期待の星であった。彼は幼少より父や母に言われていた。  「あなたは本当に頭のいい子だから、科挙を受けて将来は役人になるのよ」  「え? 僕はそんな自信がありません」  「自信じゃないの。一族のみんながそう言っているの」  「みんながそう言っても、僕は科挙なんか受けません。そんなに期待されたって困ります」 「何を言ってるの? あなた以外の誰がこんな歳で経典を暗記してるって言うの?」  洪秀全は母からそう言われる度に困惑していた。  「(自分はそんなに優秀なんだろうか? この広州だけでも天才はいくらでもいる。自分なんかが勇んで科挙を受けてどうなるっていうんだ?)」  しかし長ずるに及んで彼は科挙を受けることになった。既に十四歳で県試・府試に合格していた洪秀全である。郷試も受かるものと思っていた。しかし実際にはその門は開かれなかったのである。  そんなある日、洪秀全は町の屋台で本を売っているのを見つけた。勿論、本なんかは珍しくない。しかし秀全はその本を手に取って何となく眺めていた。  本のタイトルは「勧世良言」というものであった。彼は下宿へ帰ってその本を食い入るように眺めた。「上帝」の言葉が記されていた。  上帝というのは中国の最高神である。そして「歓世良言」は、プロテスタントの牧師が著したキリスト教の入門書であった。神を何と訳そうかと苦心したあげく、その著者である牧師は中国の最高神であった「上帝」と訳したのである。  その夜から洪秀全は謎の熱にうなされ、一ヶ月間床を離れることができなくなった。  そして、夢の中に「上帝」が現れた。  「私は『上帝』。汝は私の言うことを中国に広めるのだ」と上帝は言った。  「上帝様、これは四書五経には書いてないことが書いてあります。私は四書五経は読みこなしたのですが、こんなことを聞くのは初めてです。あなたは本当に上帝様なのですか?」  「確かに私は上帝である。この国を作ったのも私である。否、天地万物は私が創造した。私はユダヤ・キリスト教の神である」     一ヶ月後、夢から覚めた洪秀全は「これだ!」と叫んでいた。「私は上帝様から言葉を授かった。我々の創造者はこの上帝様であり、キリスト教こそが中国最初の教えだったのだ!」そう言って床を上げた洪秀全は町へ出て布教を始めた。 (一)郭尚仁と洪秀全の布教。  郭尚仁はやがて牧師の資格を得た。そして広大な中国のどこに教会を作ろうかと悩んでいた。  「私は都市で教会を始めることはしたくない。大都市はサタンの巣窟だ。農村へ行こう」 彼は大都市での退廃を目の当たりにしていた。車に轢かれた少女を誰も助けず、死に至ったこと、税金を誤魔化す人、賄賂を受け取る役人、工業用の油を食用油と偽って売りさばく商人、まさに中国の都会はサタンの巣窟だった。  そこで尚仁は都会で布教することをためらった。布教にしても信者を獲得するのしても都会の方が田舎に勝っていることは分かってはいたが、彼の理想からはかけ離れていた。また、都会では農村戸籍の出稼ぎ労働者が汗を流し、都市戸籍の人々がそんな人達の犠牲の上で生活をしていることも分かっていた。だから四川省の田舎町を拠点に布教を開始することにした。  「先ずは教会堂がいるなあ。しかし最初は家庭教会のように、家々を回って歩くこともしたい。そして受け入れてくれる家で集会を持てばいいではないか! 家庭教会もそうやって誕生したのだし、何の問題もない。しかも都市では国家の顔認証システムでみんなの顔がばれてしまう。勿論三自愛国教会の牧師だから逮捕されることはないだろうが---」    そんなある日、尚仁は四川省で農村の家屋を見つけた。牛と豚の厩舎があり、煉瓦作りの典型的な農家であった。尚仁はインターフォンを押した。  「三自愛国教会から来ました。郭尚仁と申します。お話をしたいのですが---」  「はい。キリスト教の方ですね。私は共産党員ですけど、いいです。どうぞお入り下さい」  「(え? 共産党員? 福音が伝わるかな?)」  そんな不安もあったが、「お入り下さい」と言うのだ。心配することはない。  そう思って家の中へ入った。外から見ると明らかに農家だが、中は綺麗に片づいていた。ソファーもテレビもあった。そして応対に三十代くらいの男が出てきた。  男は何のためらいもなく尚仁に告げた。唐突の訪問なのに何も驚いてはいないようであった。  「私もクリスチャンです。元々人民解放軍にいたのですが、帰郷して学校の教師をやっております。陳勝景と申します。牧師さんですね。こんな田舎へよくいらっしゃいました。こんな田舎で教会もありませんが、この家ではしばしば集会を開いております。牧師様だったら御言葉もよくご存じでしょう。今夜集会がありますから、何か説教をして頂けませんか? あ、それから今夜はどうぞここにお泊まり下さい」  尚仁はこの男の態度を最初は訝しく思った。共産党員で、しかも人民解放軍にいたという。そんな男がどうしてキリストを信じるに至ったのだろうか? それとも共産党のスパイで、我々クリスチャンの動向を監視でもしているのだろうか?  しかし彼はそんなようには見えなかった。どこにでもいる好青年に見えた。そこで一呼吸おいて、不審に思ったことを尋ねてみた。  「共産党員だったらそれなりの暮らしはできたでしょうに。なぜキリスト教徒になられたのですか?」  「みんなそう言います。でも私には私なりの考えと悩みがあったのです」  そして陳勝景と名乗った男はソファに腰掛け、今までの経緯を話し始めた。  「私は熱心な共産党員でした。私が共産党の地方委員までやりました。では、どうやって委員になったとお思いですか?」  「それはあなたに人徳があったからでしょう」  「違います。賄賂です。私は罪深い男なのです。亡き父は私を共産党の地方幹部にするために田畑を売って、中央の委員会に働きかけたのです。このようにして共産党の地方委員にまでなったのですが、罪の意識は消えませんでした。そんな頃、キリストはどんな罪でも赦すと、家庭教会の牧師にうかがったのです。  私には妻と二人の子供がいます。たとえ共産党の党籍を剥奪されても、この二人の娘には私のような恥ずかしい人間にはなってほしくなかったのです。だから、共産党員の身分のままで洗礼を受けました。今、妻は畑に行ってます。二人の娘は学校へ行っています。これも何かの縁だと思います。どうか家に泊まって、今夜はここで村人達に福音を説いてください」  「そうだったのですか。分かりました。あなたを信用しましょう。最初は中共のスパイかと思ったのですが、嘘ならば共産党員などと名乗ったりはしないでしょう。今夜は賛美歌を歌って、私が説教をしましょう。大丈夫なんですね」  「大丈夫です。現在の中国では、むしろ宗教を利用して治安につなげたりしていますから。それから三自愛国教会の方でしたら国家も認めていますから大丈夫です」  こうして郭尚仁はこの男の家に泊まることになった。そして今日は集会が行われるということなので、説教も喜んで引き受けた。  やがて畑から陳勝景の奥さんが帰ってきた。奥さんは玄関に揃えられている靴を見て、誰か客人が来ていることを見抜いた。  「あなたー、いるの? 誰か来ているのですか?」  奥さんの声がした。陳勝景は大声で言った。  「ああ、三自愛国教会の牧師様だ。今夜の集会で説教をしてもらう」  「そう。わかったわ。今お茶を入れますから」  やがて二人の娘も学校から帰ってきた。泥だらけの靴を脱いで玄関から上がってきた。 「お父さん、お客さんですか?」  「そうだ。牧師様だ。挨拶しなさい」  「よくいらっしゃいました。娘です」そう言うと二人はすぐに二階へ上がって行った。 「不躾な挨拶ですみません」  奥さんが言った。  「いえ、いいお子さんですよ」  そして夕方になった。陳勝景の家に続々と村人が集まり始めた。子供達も加わった。  「では皆さん応接間へ」  こうして礼拝が始まった。  *  洪秀全は、やがて新旧約聖書を読み、伝道を開始した。  「皆さん、キリストを信じましょう。ただ信じるだけでいいのです。あなたは天国へ行きたいですか? それとも上帝を無視して地獄へいきたいですか?神を、キリストを信じましょう」  しかし伝道は上手くいかなかった。中には彼の伝道中に石を投げつける人々もいた。そこで洪秀全は江西省に移った。そしていつしか自分を神の子供、イエス=キリストの弟だと信じるようになった。  この頃、後に太平天国の大指導者となる馮雲山が入信してきた。洪秀全は彼を神の三男とし、広西省での布教を任せた。馮雲山の布教は見事なものであった。その声は正に上帝が話しているように澄んでおり、人々の心を鷲掴みにした。そしてわずかの間に三千人の信徒を獲得した。  当時の洪秀全には革命の意志はなく、腰の低い馮とよく話をした。   馮も客家の出身で科挙の不合格者という点で洪秀全と似たところがあった。  そして、洪秀全はキリスト教の洗礼を受けたいと思うようになり、聖書を漢訳した宣教師のロバート=モリソンを尋ねた。  「先生、私は新旧訳聖書を読みこなしました。どうか洗礼を授けて下さい」  ロバートは洪を見て、最初は洗礼を施そうと思った。しかしある中国人がロバートにあることないことを吹き込んでいたいたのだ。すなわち、洪秀全には革命の意志があり、もしも彼が洗礼を頼んできても断るように手を回していたのだった。  ロバートは迷った。どう見ても革命の意志があるような男には見えない。事実、当時の洪秀全には革命の意志などはなかった。  モリソンは言った。  「あなたはなぜ洗礼を受けたいと思うようになったのですか?」  「私は元々科挙の受験者で、四書五経を学んでおりましたが、疑問を持つようになりました。そんな頃、キリスト教のパンフレットを読み、『これこそが中国人が太古より信じていた教えだった』と確信するようになりました。どうぞ洗礼を授けて下さい」  「あなたはキリスト教を使って革命を起こそうとしているのではないですか?」  「まさか! そんなことは絶対にありません」  嘘をついているようには思えない。しかし、もし彼に革命の意志があれば、キリスト教はとんでもないことに利用されたことになり、また、清朝から弾圧を受けるかも知れないと思ったのだ。  結局洪秀全は洗礼を受けられなかった。そして広西省へ帰って行った。   その頃、馮雲山は広西省で教団作りにいそしんでいた。そして太平天国の主要メンバーが揃っていく。  先ずは東王となる楊秀清が入信した。彼は客家の貧農の出身であったが、天父下凡という能力を持っていた。これは、最高神ヤハウェを降ろして、そのお告げを聞くことができるというものであった。また、西王となる簫朝貴も入信した。チワン族の出身である。彼も天兄下凡と言って、イエス=キリストを降ろすことができた。   このような降霊術は普通のキリスト教では行われないが、当時の中国では民間信仰として一般に受け入れられていたのだ。  また、同じチワン族の出身であった韋晶輝も入信した。彼は後に北王となる。そして石達開も入信した。彼は太平天国では軍事面で大活躍する。  また馮は教団に現世利益の考えも取り入れ、民衆の支持を得ていった。  「皆さん。皆さんは病気になっても医者に診てもらえません。そして薬と言ってアヘンを飲まされます。騙されないで下さい。彼らはサタンなのです。我々の会に入れば病気も治ります」  これはある程度事実でもあった。洪秀全についていって病気が癒やされるという不思議が続出したのである。  「皆さんはキリスト教が大の御利益宗教であることを知りません。この世では病気が癒やされ、死んでも天国へ行けるのです。こんな御利益がどこにあるでしょうか?」  そして洪秀全が洗礼に出かけている間に主要メンバーが揃い、洪もそれを認めた。こうして馮を含め、太平天国の五王が出そろったのである。  洪秀全達が先ず行ったのは偶像破壊運動であった。当時の中国には偶像が多くあり、洪秀全は科挙に落ちたのも、偶像に願掛けをしたからだと信じるようになっていた。孔子廟などを実力を使ってハンマーで破壊し始めたのである。普通はこんなことをすれば民心が離れていくと思われるが、そうではなかった。  当時はアヘン戦争の敗北による重税に苦しめられた農民が多く、彼らもどんどんと入信していったのだ。  特に土地を均等に分けて、余ったものはいざという時のために国庫に入れておくという、所謂天朝田畝制度が農民の支持を受けた。  そして一八四八年に天父下凡が行われた。  楊秀清がトランス状態になって天の父を降ろしたのだ。  「天父様、どうぞお声を聞かせて下さい」  洪秀全が言った。楊はしばらく呪文を唱えていたが、やがておもむろに集った会衆に告げた。  「ここにいる私の弟、すなわち洪秀全こそが天下の大王なのだ」  会衆は一様に「おー」と唸った。  また、天兄下凡も行われた。  キリストのお告げを聞くのである。 会衆と洪秀全は静まりかえって簫朝貴のお告げを待った。やがて簫朝貴を通じてキリストのお告げがあった。  「洪秀全の王権は天より授かったものであるぞ」とのお告げであった。  そして彼らは地上天国を作るために立ち上がり始めた。  一八五〇年、女性達が洪秀全のために服を縫い上げた。黄色い服である。この黄色い服は皇帝を表す。それを洪秀全は着た。そして武器や弾薬を購入し、信者は金田村へ移動し始め、蜂起の体勢は整っていった。
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