太平天国の立ち上げ

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太平天国の立ち上げ

(二)周明教会と太平天国の立ち上げ。  郭尚仁と陳勝景は礼拝中、一人の老婆が熱心に祈っているのを見た。この老婆は車椅子に乗っており、歩けないということであった。  礼拝が終わると、老婆は尚仁の下へ行き、何か重いものを吐き出すように言った。  「私はこの村に住む老人ですが、ごらんの通り足が立てません。息子は町へ行ったままで誰も世話をする人がいません。牧師様、どうかこの足を癒やして下さい」  尚仁は家庭教会の両親から癒やしの方法を学んでいた。三自愛国教会ではあまり癒やしは行われなかったが、家庭教会では頻繁に行われていたのだ。  「いいでしょう、祈ってみます。しかし癒やしが起こるか否かは神の意志です。それから癒やされたとしても、それは私が癒やしたのではなく、神、キリストが癒やされたのですよ」  そう言って郭尚仁は癒やしの祈りを始めた。  「あなたがこんな足になったのは悪魔の仕業です。今からその悪魔を追い出して、癒やします」  そう言ってお婆さんの頭に手を置いた。途端にお婆さんは体を震わせ、泣き始めた。そしてお婆さんの口を借りて悪魔が声を発した。  「お前は誰だー? 何の権威があってこんなことをする?」  「うるさい! イエス=キリストの名によって命じる! この者から出て行け!」  「嫌じゃー、わしはこいつの中にいる時が一番気持ちがいいんじゃ!」  そこで尚仁は異言を語り始めた。  「チュクチュクチュクチュク、バララバララ、アアシャクマニフッララバラバラバラバラ」  「わー! やめてくれ! やめてくれ! 出て行くからやめてくれ!」  お婆さんはそう言って床の上を転がり始めた。明らかに悪霊の仕業である。  「悪しき者、イエス=キリストの名によって命じる! この聖霊の宮から出て行け!悪しき者、出て行け!」  そう言うと尚仁はオリーブ油をポケットから取り出してお婆さんにかけた。悪霊は苦しがり始める。  「わしは、こいつの中にいる時が一番気持ちがいいんじゃ」  「名を名乗れ」  「嫌じゃー、お前こそ誰だー?」  「イエス=キリストに仕える者だ!」  祈りは三十分ほど続いた。すると急にお婆さんは静かになり、床の上に倒れ伏した。  そして次の瞬間、お婆さんが車椅子を使わずに歩き出したのである。  「わー」一同から拍手が起こった。  「有り難うございます。これで農作業もできます。もう息子や娘に迷惑をかけることもありません」  その後、尚仁は暫くこの家に厄介になることになった。その間、宣教も順調に進み、何千人もの村人が洗礼を受けた。  陳勝景は郭尚仁に提案した。  「あなたは三自愛国教を離れて新しいキリスト教を造ってはいかがですか?」  「新しいキリスト教?」  「そうです。病を癒やすことのできる本当のキリスト教です。もう名前も考えております。周明教会というのはいかがでしょうか?暗闇を照らし出すという意味です」  「悪くはないねえ。しかし政府が認めるかどうか---」  「政府が認めるか否かは関係がないです。初代のキリスト教会もローマから認められていませんでした」  こうして三千人の信徒を獲得した郭尚仁は中共政府には非公認の教会を建て上げた。  この周明教会では癒やしの他、預言や異言などの賜物を持った信者が続々と登場した。しかしこんな非科学的な宗教を中共が黙っているわけはない。やがて実態が知られることになった。  中国共産党は郭尚仁と陳勝景を呼び出し、癒やしや預言をしないように申し渡した。  しかし信徒が勝手に癒やしや預言を行っていた。それを共産党の指示とはいえ、止めることはできなくなっていた。  やがて周明教会は四川省全体に広がっていった。教会は徐々に過激化し始め、医療を拒否する信者も現れた。  この事態になって共産党も動き始めた。官憲の手が伸び始め、陳勝景が警察に逮捕された。  陳は最初、警察の尋問所へ連れて行かれた。郭尚仁は一時的に身を隠した。時は既に習近平の時代になっていた。  この事態になって、周明教会の三十人の牧師達はとうとう共産党を非難する説教を開始した。しかし、それは共産党が教会に送り込んだスパイによって完全に録画され、政府も周明教会を「危険視」するようになってきた。  一人の牧師が説教をしていた。  「皆さん、我々には三つの敵がいます。一つはこの国に蔓延し始めた拝金主義、もう一つは進化論、そして共産主義です。かつて認められていた家庭教会に弾圧の手が及び、三自愛国教会も会堂が破壊され、そして我々周明教会にも弾圧の手が及んでいます。今は、キリストの『敵のために祈れ』という御言葉をもとに政府のために祈りましょう」  その頃、郭尚仁はアメリカへの亡命の機会をうかがっていた。先ずは四川省を脱出するために車に乗った。しかし、中国のハイテク機器には勝てなかった。顔認証で町へ出れば車に乗っていようが逮捕されるのは時間の問題であった。   *  太平天国を造るために拝上帝会の洪秀全は動き始めた。金田村に集まった信者は二万人。そのうち、兵士として動ける男性は三千人であった。また、洪秀全の家族も広西省に身を寄せた。人質になるのを防ぐためである。  金田村へ向かう途中で一時、清朝の地方軍との戦闘も起こった。  何万人もの農民が移動しているのである。これをおかしく思わないことはない。  先頭を行く楊秀清に清朝の官憲が尋ねた。  「お前達は何だ? どこへ行くのか?」  「我々は上帝の命令で蜂起した。妖魔清王朝を倒し、再び漢人の国を作る」  官憲は驚き、そのことを上司に伝えた。間もなく清朝の地方軍がやってきた。  「妖魔はお前達だ! 早く元いた所へ帰れ!」  その瞬間、誰かが地方軍に発砲した。初めての戦いが行われた。  拝上帝会の軍は統率が取られていた。間もなく楊秀清がこれを打ち破った。そして金田村へ到着した拝上帝会の人々は全員清朝の支配の象徴であった弁髪を切り落とした。 洪秀全ら幹部の人々は、金田村に到着すると、奥の池に武器を隠した。これを探し出して天兄からの贈り物として人々に見せるためである。  この武器は間もなく拝上帝会の幹部によって見つけ出された。  「皆さん、上帝からの贈り物です。奥の池に武器がありました」  多くの人達が奥の池に集まってきた。  「これは有り難い。天兄からの贈り物だ」  「うおー、これはすごい。鉄砲も火薬もあるぞ」 こうして武器は兵員に手渡された。    ここで洪秀全は、「男女別々の軍にすべし」とか「略奪を行わない」とか「決して引かない」などの五つの軍令を発した。そして楊秀清が軍の指揮をとることとなった。  こうして洪秀全は太平天国の設立を宣言した。一八五一年のことであった。  その後、清朝の軍隊と小競り合いを繰り返しながら拝上帝会は徐々に領地を広めていった。  その後太平天国軍は徐々に北上していく。南京を目指していたのだ。清王朝はこのような反乱を怖れて各地に城を築いていたが、その城の一つであった永安に到着した。小さな山城である。  太平天国軍は夜中に城門の下に穴を掘り、それを翌日に爆破して城に突入した。城は瞬く間に修羅場と化した。彼らは清王朝の役人達を皆殺しにしてしまったのである。 こうして永安は陥落した。  ここは小さな山城に過ぎなかったが、太平天国にとっては始めて獲得した城である。そしてここで半年間逗留した。その間、太平天国の政治体制が整えられていった。  実際のリーダーは勿論洪秀全であったが、実務の大半は楊秀清が執り行った。  その後も太平天国は北上し、南京を目指すことになる。先ずは北上し、長江に到達した。清の八旗との戦いで馮雲山と簫朝貴の二人の軍師を失ったが、農民の支持を得て、太平天国軍は二十万になった。  当時の実務上のリーダーは先述したように楊秀清であり、洪秀全はあまり人前には出なかった。だから清軍が捕らえた太平天国の兵士を尋問しても洪秀全の居場所は不明確なものであった。  清軍は捕らえた太平天国の兵士にありとあらゆる拷問を加え、洪秀全の居場所を聞き出そうとした。  しかし彼らは本当に知らなかったのである。洪秀全がどこにいるかは側近の者しか知らない謎なのであった。  なお、太平天国軍は城門に穴を掘って爆破し、中へ入るという戦法で次々と清軍の居城を攻略していきながら軍を北上させていく。元々太平天国軍は奪った城に固執しなかったので、二年で長江に達した。  長江に達した太平天国軍は、今度は南京を目指して東進し始めた。  この頃には太平天国軍は二百万に膨れ上がっていた。  太平天国では、収穫物は農民と折半され、残った食料は万一のために農民に取っておかれた。また、洪秀全もリーダーを差別せず、小さな家族として扱った。農民も「大きな家族」として扱われた。こうして農民達の支持を得ていったのである。
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