天京事変

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天京事変

 (四)王公道の過激化と天京事変  共産党と警察が周明教会へやってきた。陳勝景と王公道は、その時説教壇に上がっていた。説教壇と言っても、共産党の取り締まりがあるので、檀は高くはなっておらず、大きな机を前にして説教を行っていただけであった。  讃美歌を歌っていると、突然何者かが扉を蹴って乱入してきた。  「誰ですか? あなた達は?」  陳が言うが速いか、共産党と警察は手帳を見せて怒鳴り散らした。  「警察だ。ここの責任者は誰だ?」  陳が「私だ」と言うが早いか、警察は彼に手錠をかけた。  「何をするのですか?」信者が言うと警察は一斉に信者を逮捕し始めた。  「私達が何をしたって言うのですか? あなた達は憲法の信教の自由を知らないのですか?」  「この国では共産党が憲法だ」 「わかった。俺たちは何も悪いことはしていない。それでも捕まえるというなら警察へ行こうではないか」陳勝景が言った。そして陳は教会員のみんなにも聞こえるように言った。  「皆さん、我々は何も後ろめたいことをしていません。しかし警察が来たからには従おうじゃありませんか! 話は警察でしましょう」  こうしてそこに集まった信者全員が連行されることになった。  しかし例外がいた。王公道である。彼は「自分は警察にしょっぴかれるようなことは何もしていない」という信念と、かつて家の教会の信者が受けた拷問について聞いていたので、その場から逃げたのだ。幸い、彼の名はまだ名簿にはなかった。  彼は高速鉄道に乗って甘粛省まで逃げた。そしてそこで周明教会の活動を維持することになった。そこには「裏切った」郭尚仁がいたからだ。  そこでは周明教会の看板は出していなかった。共産党政府に睨まれているので当然だ。そして教会には十字架もなく、普通の農村の民家といった感じであり、ここで集会が行われていることもわからなかった。  ある日曜日の礼拝後、王は郭に詰め寄った。  「あなたは周明教会を裏切って信者の居場所を教え、名簿まで提出したそうではないですか?」  「いや、それを言われると何とも言えない。しかし関係のない妻まで拷問をうけたんだ。見てはいられなかったんだ」  「奥さんは何と言ったのですか?」  「私は主の主、王の王の所へ行きますと言っていた」  「そんなことまで奥さんに言わせてあなたは恥ずかしくはなかったのですか?」  「いや、確かに恥ずかしかった。しかし妻は無関係なんだ。どうしようもなかったんだ」  「それは共産党のやり方です。あなたはまんまと引っかかったのです」  「わかっている。ではこの教会をあなたがやりますか? 牧師の仕事がこの国ではいかに大変なのか分かっていますか?」  「分かっています。私も神学校を出ております。でも信徒を裏切るようなまねはしません」  「君には家族がいないからそんなことが言えるんだ。妻が拷問を受けているところを見せられたのだよ。私だけなら何とか耐えていたと思うが、君は耐えられるというのかね?」  「私は信仰を捨てるような人とは結婚しません。共産党と戦ってでも信仰を守り通します」  「分かった。それならば明日はあなたが講壇に立ちなさい。悪霊の追い出しでも癒やしでもしたらいい」  「ではそうさせてもらいます」  こう言った王には自信があった。病人の癒やしや悪霊の追い出しなんかの賜物を王は持っていたからだ。  翌日曜日、王が講壇に立った。そして説教をした。  その後、腰が九十度曲がったお婆さんが講壇にやってきた。 「お婆さん、その腰はどうされたのですか?」  王は優しくお婆さんに尋ねた。  「はい、数十年前から腰が曲がったままで、農作業もできなくなったのです」  「そうですか。メッセージの途中ですけど、癒やされるようにお祈りしましょう」  そう言って王はお婆さんの腰に片手を置き、癒やしのお祈りを始めた。  「チュクチュクチュクチュク、バラバラバラバラ、このお婆さんの腰に取り憑いている悪しき者、この聖霊の宮から出て行け! イエス=キリストの名で命じる! 出て行け!」  そして五分くらい祈った後、お婆さんは席に戻った。  再び王のメッセージが始まった。  「我々の敵は拝金主義、共産主義、進化論の三つです。これらの論に耳を傾けないように致しましょう」  そして、なぜか信者がざわめき始めた。  何があったのであろうか? と王が思っていると、先程のお婆さんが腰を伸ばして講壇の前で歩き出したのである。  信者達は一斉に拍手をした。  こんなことが繰り返され、いつの間にか郭ではなくて王が教会のリーダーになっていった。  面白くなかったのは郭である。彼には何の賜物もない。王のように癒やしや預言をすることもできない。そればかりか、彼は教団にとって「裏切り者」の汚名を被せられていたままであったのだ。昔は癒やしの祈りをして、信徒が癒やされたこともあったが、今ではそんな力は彼にはなくなっていた。理由は定かではないが、彼が信徒を「裏切った」ためだと信者は思っていた。  それから暫く経ってから、また奇跡が起こった。  子供の頃から跛を引いている少女がいた。王はこの娘を癒やせという神の声を聞いた。王は癒やしや預言だけではなく、神の声を聞くことができたのである。まるで太平天国で行われていた天父下凡である。  「お嬢さん、こちらへいらして下さい」  集会の後に王はその娘を呼んだ。まだ小学生くらいの娘である。車椅子に乗って恥ずかしそうに顔を隠しながら講壇の前へ出てきた。  「前から思っていたのですが、その足はどうしたのですか?」  「はい、小さい頃に階段から落ちてこうなってしまったのです」  「ご両親に連れられてここへ来たのですか?」  「はい」  少女がそう言うと、両親が出てきた。  「牧師様、この子の足は医者も治せないとさじを投げたものなのです。牧師様の手を煩わせることはありません。ただ、この子にも祝福があるように祈って下さい」  父親が言った。  「いえ、今癒やしましょう。あなたはこの子が癒やされるように祈ってきたはずです。それが神に通じたのです。『癒やされることはない』『祈り聞かれない』なんて言うのは不信仰ですよ」  そして王はこの子の頭に手を置いて祈り始めた。  「主よ、今この娘の足を癒やして下さい。チュクチュクチュクチュクバラバラバラバラ、イエス=キリストの名で命じる! この娘の足をきかなくしている悪しき者、出て行け、主よいやして下さい。チュクチュクチュクチュクバラバラバラバラ」 その途端に娘は立ち上がった。  「ああ、歩ける、どうして? 歩ける。お医者様も治せないと言ったのに歩ける」  そう言って講壇の周りを飛び跳ね始めた。 その夜、王と郭は二人だけで話し合っていた。  「王さん、あなたは我々の教会をどうするつもりだ? 信者はもう俺の言うことをきかなくなって、あなたになびいている。私はサウル王であなたはダビデなのか?」  「いや、私は正牧師のあなたを出し抜こうなんて思ってはいません。あなたも癒やしなんかを行ってはいかがですか? それから共産党に捕まって、我々のことを喋ったことも悔い改めなければならない」  「あの時は仕方がなかったと何度も言ったではないですか? 一体牧師は誰なのですか?」  「それからもう一つ大事なことを忘れている。あなたは既に共産党政府に顔がばれている。しかし私はばれていない。公に宣教ができるということだ」  「それは主が命じたことなのか?」  「郭さん、あなたは嫉妬している」  「かもね。しかしこの教会を造り上げたのは私だ」  「ならば尋ねるが、キリストと話ができ、癒やしや預言の賜物を持っているのは誰ですか? あなたのことについても私は直接主イエスに尋ねたのですよ。主は『あの男は駄目だ』とおっしゃった」  「何が駄目なんですか?」  「そんなことは分かっているだろう。それから、この教団で癒やしや預言が存在するのは誰のおかげか? この教団が発展したのは誰のおかげか? 悔い改めよと主はおっしゃっている」 「悔い改めるのはあなたの方だ。あなたはどうやってか知らないが銃器やダイナマイト、神経ガスなんかを買い集めているそうではないか。こんなことが共産党や警察に知れたら我々は破滅だ。それにあなたがやろうとしていることは日本のオウムや我が国の法輪功と同じではないか? 相手は人民解放軍だぞ。戦車も持っているし、戦闘機も空母も持っている。こんな連中と戦おうなんてあなたは狂っている」  「何を言い出すかと思ったら、そんなことか。いいですか。相手はサタンの共産党なんですよ。完全に息の根を止めないといけないのです」  「武器なんかはクリスチャンに必要はない。敵の祝福を祈れと書いてあるではないか。それに、イエリコの城塞はどうやって崩れた? 敵の城の周りを回っただけで神が崩してくれたのだ。神を信じるなら武器の購入なんか止めろ!」  「郭尚仁先生、あなたはサタンに完全にやられてしまっている。あなたは悪魔払いを受ける必要がある」  「そんな必要はない。悪魔はあなたの方だ」  そんな中で王は、味方であるはずの陳勝景にも疑いの目を向けるようになってきた。  「陳と郭が組んで私を追い出そうとしている」と感じ始めたのである。  そこで、陳勝景に悪魔払いを実施することになった。何の後ろめたさもない陳はこの王の要求に応じた。そして国慶節の日に悪魔払いが行われた。広い教会堂の中には王と陳と郭以外は誰もいなかった。 王が説教を終えると陳勝景が講壇に招かれた。  「陳先生、今から悪魔払いを行いますが、いいですね」  「勿論だ。私にはやましいことなんかどこにもない」  そう言った途端に王は陳勝景の頭に手を置いた。するとなぜか陳は大声で話し始めた。  「お前は誰だー? 何の権威があってこんなことをする?」  「悪霊、この者から出て行け!」  「嫌だー。お前こそ教団から出て行けー」  「お前は裏切り者の郭尚仁と一緒になって私を追い出そうとしているのか?」  「そうだ。お前はこの教団に災いをもたらす。だから二人で追い出すのだ」  「悪霊、名を名乗れ!」  「うーん、うーん。お前こそ誰だ?」  「イエス=キリストに仕える者だ」 「わしはこの国の共産党と神に仕える」  「そんなことを神はお喜びにならない。共産党はサタンだ!」  「うるさい! どうしてこんなことをする?」  「この教団が大きくなったのは誰のおかげか?」  「---」  「言ってみろ! この教団が大きくなったのは誰のおかげか?」  「悔しいが、あなたが大きくした。しかし共産党に逆らったらこの教団は終わりだ!」  そこへ郭尚仁が割り込んできた。  「ここは私の教会だ。勝手は許さない!」  「出たな。裏切り者の悪魔め! 背教者め! 悔い改めよ!」  「俺はこの教会を守るために共産党に名簿を渡した。それのどこがいけないのか?」  「イエス=キリストの名によって命じる! 悪魔め、教団を去れ!」  そこへ数名の信者がやってきた。  「王先生、何をやっているのですか?」  彼らは異口同音に尋ねた。  「見たか? 彼らは大悪魔共産党の手先だ!」 王公道が言った。    こうして二人は教会の査問会議にかけられた。査問会議は何と牛小屋で行われた。王が裁判官のように中央に座し、それを約十名の古参の信者が取り囲んでいた。中央には被告である郭と陳がいた。  おもむろに王公道が口を開いた。  「裏切り者郭尚仁、あなたは信徒の名簿を共産党に売り渡した。これは背教である。何か申し開きはないか?」 「あれは教団と私の妻を守るためにやったことだ」  信者達が一斉にざわめく。  「共産党からお金をもらったのよ」「裏切り者」「奥さんの方が主イエスより大切なのね」 「皆さん聞いて下さい。ここは私の教会だ。私がこの教会を造った」  その言葉を捕らえて王公道は言った。  「では、この教団が大きくなったのは誰のおかげだ? あなたは異言の賜物しか持っていない。病人を癒やし、主イエスと話ができ、この教会をここまで大きくしたのは誰のおかげか?」  しばらくの沈黙の後、観念したかのように郭は言った。  「あなたのおかげです。それは分かっております。しかし、あなたのやっていることは危険だ。大量の武器を密輸入して一体戦車や核まで持つ人民解放軍と戦おうと言うのか?」  たたみかけるように陳勝景が言う。  「その通りだ。あなたは危険過ぎる」  「そうか? では査問委員会の決をとろう。この二名を教団から追い出したいと思う者は紙に○を書いて無記名投票。追放に反対する者は×を書く。それでいいな?」  「賛成」「私も賛成」  こうして査問委員会の投票が行われた。  「では委員長、結果を読み上げて下さい」  査問委員会の議長が結果を報告する。  「二人の教団追放に賛成五名、棄権一名、反対四名です」  「では追放だな」王が言った。  「何を言うんだ? 後悔するのはあなた達だぞ」  陳勝景がわめく。そして郭と陳の二人を信者が教会から追い出した。こうして王公道は結果的に周明教会の主任牧師になった。 その一週間後、北京の天安門に一台の乗用車が突っ込んだ。訝しく思った警察官が車を調べようとした時、車は爆発した。王が起こした最初のテロであった。自家用車には誰も乗っておらず、警官二名が死亡した。  この事件で共産党や軍は騒然となった。  「一体誰がやったのだろうか?」  「ウイグル人の仕業か?」  「とにかく監視カメラを徹底的に調べよう」 こうしてこの事件は殺人ではなく、国家反逆罪で捜査されることになった。  これが周明教会の仕業だと判明するのに時間はかからなかった。爆破された乗用車に周明教会の信者が乗っていることが判明した。  「これは周明教会の信者だ。だが、こいつは主犯ではない。誰か指図した奴がいるに違いない。徹底的に教会を捜索せよ」  こうして教会に捜査の手が伸びた。 *  やがて太平天国では洪秀全ではなく、天父下凡のできる楊秀清が実権を握っていた。兵士達も洪秀全がどこにいるか分からず、何かと楊秀清に伺いをたてるようになってきた。こうして太平天国の指導者は洪秀全ではなく、楊秀清のような有様になってきた。  そして天父下凡が行われた。シャーマンの役は当然楊秀清が担った。    「上帝様、何かおっしゃりたいことはありませんか?」  洪秀全が聞くと楊秀清は答えた。  「我は上帝。洪秀全よ、言いたいことがある。あなたが援軍を出さなかったので、北伐軍は壊滅した。この責任は誰にあるのか?」  「私めであります」  「それでは汝を杖刑に処す」 杖刑とは棒で叩く刑であり、処分としては軽いものであった。しかし楊秀清がこともあろうに洪秀全を打ちたたくのである。そんな要求を飲むと民心は洪秀全から離れていくことは明白であった。  しかし洪秀全は敢えてこの刑を甘んじて受けることにした。上帝の命令には洪秀全と言えども逆らう分けにはいかなかったのである。 こうして洪秀全は楊秀清の杖刑を受けた。  また、楊州清は3人の王を次々と前線へ送り出した。こうして五王の大半が亡くなってしまった。これはかつてダビデ王がウリヤを前線へ送り出して死亡させ、その妻のバテシバを奪ったのと同じ罪に該当する。しかし洪秀全は動かなかった。これで益々気を良くした楊は洪秀全を呼び出した。そして「太平天国がここまでになったのは誰のおかげか?」と言って洪を恫喝した。  洪秀全はこの恫喝に勝てなかった。何せ楊は天父下凡ができるのだ。逆らっても天帝の命令だと言われればおしまいである。   洪は仕方なく、楊に万歳という称号を与えた。一八五六年のことである。  これが天京事変の始まりであった。太平天国の内紛である。  ここに至って洪秀全は楊秀清を殺すことに決意した。  「(太平天国の指導者は私だ。なぜこんな奴の言うことをいつまでもきかなければならないんだ? この教団を大きくしたのは私なのだ。もう奴には自由にさせない)」と思ったのである。  ある夜、洪秀全は「話がある」と言って楊秀清を宮殿の裏の池へ誘い出した。  この誘いに乗った楊は堂々と洪秀全についてきた。  「話とは何だ?」  「話はない。こうだ!」そう言って洪秀全は青竜刀を抜いた。  「何をする? 後悔するぞ」  そう言ったが早いか洪秀全は楊秀清の首を切り落とした。   そんな折、征西軍の石達開が天京(南京)へ戻った。そして彼は一旦は逃げるが、やがて権力を握ることになる。洪秀全にとってはまたも厄介者が現れたのだ。しかし洪秀全は彼を怖れて動かなかった。  そんな頃、清軍が四川省にまで迫っていた。誰が指揮を執って出兵するかは誰の目にも明らかであった。征西軍を指揮して武功を上げた石達介以外に適任者はいなかった。石達介は出兵した。そして四川省で清軍に殺される。  そして一八五六年には建業が清軍に奪われた。この中で五王はみんな死に、洪秀全は太平天国の再建に乗り出した。 洪秀全は先ず五王を復活させた。陳玉成・李秀成・李世賢・韋志俊・楊輔清の五人を再び五王に任じた。この中でも陳玉成と李秀成が活躍し、楊州を奪ったりした。特に陳は目の下にほくろがあり、四つ目の怪物として清から怖れられた。  その間、曾国藩の湘軍も大活躍し、一八五六年には武昌が奪回され、一八五八年には九江も奪回された。  しかし力を盛り返した太平天国軍は曾国藩の弟である曾国華を戦死させる。  一八五九年、香港から洪仁玕が到着した。  彼は到着後様々な改革に乗り出した。  洪仁玕は洪秀全の前で改革の大要を書いた巻物を広げた。そして大きな声で音読し始めた。  「一、他国との交流を深め、太平天国を国際的に認めてもらう」  「一、宣教師を許可し、中国に教会を建てることを認める」  「一、道路や港湾などを整備する」 そのあまりにも急進的な改革は洪秀全をあきれさせるに十分であった。  「もう太平天国は布教をしている。これ以上西洋の宣教師を呼ぶ必要があろうか?」  「港湾や道路は何のために整備するのか?」  そう言って洪秀全は彼の改革に全く関心を示さなかった。  しかしこの洪仁玕の改革は、後の洋務運動や明治維新などの参考になるものである。  しかし残念なことにこの改革は実行に移されることはなかった。  そして一八六〇年、アロー戦争が起こった。結果として北京条約が結ばれた。これは洪秀全にとって大きな誤算であった。というのは欧米は太平天国ではなく、清朝の側につくことになったのだ。  李秀清の淮軍やゴードンの常勝軍に太平天国は次々と拠点を奪回された。  西洋諸国は太平天国に味方をしてくれるものとふんでいた洪秀全は嘆いた。  「どうして欧米は我々の味方をしてくれない? 我々と同じ耶蘇であるのに---」    一八六一年には天慶が陥落し、陳玉成も殺された。  そして一八六三年には天京は包囲されて孤立してしまった。  城内にいた者は雑草を食べて飢えをしのぐことになった。  ここで洪秀全に天京脱出を勧める者もいた。  「洪先生、ここは既に包囲されております。逃げて下さい。そしてもう一度太平天国を復帰するのです」  「いや、私は天京に残る。他の者も残ることを選択した。残って最後まで戦うまでだ」    一八六四年、雑草を食べていたことがたたって、洪秀全は病死した。そして、その後一ヶ月で天京は陥落した。  天京陥落時に清が用いた戦術は皮肉なことに太平天国の得意とする城門爆破であった。  湘軍は天京にいた二十万人を虐殺し、李秀清も処刑された。金田村の蜂起から十四年後のことであった。  その後、散発的な残党の戦いもあったが、七十年代には完全に太平天国は消滅した。
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