カルト教団

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カルト教団

「お前は誰だ?何の権威があってこんなことをする?」  「イエス=キリストに仕える者だ。お前こそ誰だ?」  「---」  「この者から出て行け」  「嫌じゃ。わしはこいつに憑いている時が一番気持ちがいいんじゃ」  「もう一度イエス=キリストの名によって命じる、この者から出て行け」  「イエス=キリストなら知っている。おまえは一体誰だー?」  「悪霊、イエス=キリストの名によって命じる。出て行け!名を名乗れ!」  「うーん、うーん、ベルゼブル」  これは浩輔の通っている教会で日常茶飯事のように繰り返されている悪魔払いの儀式だ。実際に悪魔が出てきて話すところを浩輔は何度も目撃している。  浩輔の入っていたのはキリスト教聖霊派の教会だ。病気の七〇%は悪霊がもたらすと信じられていた。実際に、この悪魔払いで病気が治ったり、酒飲みが治ったりしていた。  しかし浩輔には不満があった。「心の病が一番癒やしにくい」と牧師が話していたからだ。普通は反対ではないのか?教会という所は心病んだ者が集まってきて牧師のメッセージによって恵まれ、そして癒やされていく所ではないのか?  実際にこの教会には身体の病気でやって来ている人もいるが、大半の者は心を病んでいる。だから、この教会に足を踏み入れた人は言う。  「変な教会」  元々それ自体は間違ったことではない。キリストも言っている。  「健康な人には医者はいらない。要るのは病人である」  キリスト教(特に明治以降プロテスタント)が入ってきてから、何かキリスト教は「セレブの宗教」と思われて敬遠する人が多い。しかし、これこそが本当のキリスト教の姿なのだ。  この教会は西日本一のホームレスの町である釜が先で伝道を行っている。また、教会に集う人達、約三十人のうち、三人は生活保護を受けている。十人が精神的な病を持っている。精神病院から教会に来ている人もいる。これが教会の本来の姿なのだ。  そうは言ってみても、それが治れば、あの墓に住んでいた狂人が癒やされたような、まさに「奇跡」であろうが、そんな様子はない。精神疾患を抱えた教会の熱心な信者は今日も牧師のメッセージを聞いて肩を落としながら帰路につく。  事実、牧師の考え方が歪なものであった。  教会には「どんなことでもご相談下さい」と書いてある。そしてある日、引きこもりの息子をかかえたお母さんが相談に訪れた。  「息子が引きこもりになって困っているのですけど---」  お母さんはやつれていた。そしてここなら助けてもらえるかも知れないと思ってわらをも掴むような気持ちでやってきたのであろう。しかし、次に牧師が発した一言で事態は急変する。  「何?引きこもり?そんなの飯食わさなかったら治る。甘い親が飯食わすからいかんのや。飯くわさんかったらそのうち働きよるわ。『働かざる者食うべからず』は聖書にある言葉なんじゃ。マルクスが言うたんじゃないんや」  これを聞いていた浩輔と、浩輔と同じ大学の神学部出身の青年が驚いて、ドギマギしながら言った。  「家族会がいっぱいありますから入って下さい」  「お子さんは退行していませんか?」  とにかく、この母親は去っていった。  牧師がこの調子であるから心の病なんか治りようが無い。この牧師には他にも迷言がいくつもある。  ある日のことである。浩輔の父親が臨終になった。そこで日曜礼拝に出られない旨を牧師に告げると、牧師は言った。  「礼拝に来られない。それじゃあ信仰おまへんなあ」  こんな話は初めてである。臨終の父親を放って置いて礼拝に来いと言うのか?    それから、浩輔は三十一年間教師であったが、特別支援学校(養護学校)を最後にして早期退職した。  牧師は言った。  「養護学校言うて駄目教師の集まりか?どうぞお辞め下さいみたいなもんか?」  とにかく口が悪いので有名な牧師であった。しかし浩輔はこのファンダメスティックな教会を辞めることが出来ず、教会では司会をやったりピアノを弾いたりしていた。    教師を辞めた浩輔は友人と二人で学習塾を作り、英語を教え始めた。友人の原口は、浩輔が仕事を辞めた時に司法書士の試験に合格したので、司法書士の事務所兼塾を始めることになったのだ。   (二)クリスチャンになった経過  浩輔は昔貴岩現正法という反共的カルトに入っていた。右翼である。まだソ連が存在していた頃、授業で盛んに「ソ連が攻めてくる」という妄想を話していた。  しかし、ソ連が崩壊するとともに貴岩現正法を辞め、それから十年後にはクリスチャンになった。そして、この宝山イエス教会に通っていた。勿論、クリスチャンになるには紆余曲折があった。しかし、鬱とパニック障害と境界型統合失調症を抱えている浩輔は、なぜか『癒やし』を求めて教会へ来ていたのだ。  話は平成が始まった頃に遡る。浩輔は地元の盲学校で勤めていた。その頃はまだ貴岩現正法をやめたばかりで、何の宗教にも属していなかった。しかし、卒業生から突然手紙が来た。便箋に何か長々と書いてあった。  「キリストを信じたら罪が許される。罪が許されると天国へ行ける」などと書いてあった。浩輔はむかっ腹が立ってきた。キリスト教?何がキリスト教だ?そんなものはニーチェが言う通り「奴隷道徳」ではないか?しかもこの俺に説教か?キリスト教徒になれとでもいうのか?馬鹿馬鹿しい。  しかし、その手紙の中の一節だけは浩輔の目を釘付けにした。パウロの言葉で「私の強さは弱さのうちに完全にあらわれる」という聖句だった。  浩輔は前任校(初任校)では弱さを出さないようにつとめて強引な態度で生徒に接していた。厳しい教師として怖れられ、畏怖の対象だった。しかし、この小娘は浩輔の「弱さ」に気づいていたのだ。  自称仏教徒であった浩輔。キリスト教なんかは非科学的で信ずるに足りないと思っていた浩輔。しかし、この言葉が全てを変えた。  「まあいい、牧師とやらをからかいにでも行ってやるか」  そう思って自家用車の黒のシビックで教会まで出向いた。教会なんかへ行くのは中学生以来のことである。なぜか心臓がドックンドックンと高鳴るのを覚えた。教会の玄関へ近づくと、インターホンを押した。  「はいー、少々お待ち下さい」  若い男の声がした。牧師らしい。よし、英語を試してやる。  「Excuse me. Are you a paster of this church?」  「Sure, Please come in.」  なぜ英語を使ったのか浩輔には分からなかった。牧師を試そうとしたのであろう。  これに対し、牧師は流暢な英語で受け答えした。  役三十分、牧師と教会へ行こうと思ったいきさつなんかを英語で話した。  そして、いつの間にか日本語で話し始めた。  「僕は病気なんです。そこへ生徒からこんな手紙が来たので、お邪魔した次第です。うかがいたいことがあるのですが、教会では今でも使徒の時代のように病気が治ったりしているのですか?」  「ああ、病気なんですね。それならペンテコステ派なんかがいいのじゃないですか。あそこでは日常茶飯事のように病気が治っています」  浩輔は「嘘だろう」と思った。現代の教会で癒やしなんかを行っている教会があるということ自体が不思議で仕方なかった。浩輔は中学時代にクリスチャンであった母に連れられて教会へ行ったことがある。日本キリスト教団の歴史ある教会だ。何でも徳島に住んでいた賀川豊彦先生が開拓した教会らしい。母も賀川豊彦先生の説教を聴いたことがあった。  「そのペンテコステ派とやらいう教会は日本にもあるのですか?」  「はい、このあたりでは○○教会やアッセンブリー教会なんかがそうです」  浩輔はそのペンテコステ派の教会とやらへ行ってみようと思った。手紙をくれた卒業生には悪いが、この教会ではなく、そのペンテコステ派とやらの教会に関心が行ったのだ。 * 浩輔は自称仏教徒、否仏法者であった。特に唯識論などに興味を抱いていた。キリスト教なんかは非科学的で、聖書なんかは矛盾に満ちた書であると思っていた。  浩輔が大学時代にのめり込んだのはニーチェの思想だった。「ツアラトウストラ」に始まり、「アンチクリスト」や「悲劇の誕生」などを読みふけっていた。だから思っていた。  「キリスト教は奴隷道徳だ。強者に刃向かうことができないから弱者は神というものを用いて復讐しようとしている」と本気で思っていた。事実、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」とか、「強きもの、汝ら地獄へ行け(こんな言葉は実際には聖書にはないのだが、ニーチェは言っている)」とか、弱者の強者に対する陰険な復讐欲が描かれているではないか。実際に聖書にも「奴隷は主人の言うことをきけ」と書いてある。これはまがうことなく奴隷道徳だと思っていた。  また、浩輔が幼い頃から持っていた神のイメージというのは、スピノザの汎神論的なものであった。すなわち、人格を持った神などは存在せず、大自然・大宇宙のことを「神」と呼んでいると考えていた。だからニーチェと一つだけ違う所は一つ。「神は死んだ」のではなく「神なんか元々いなかった」と考えていたのだ。  そして教師になった頃に浩輔を捉えた考えが仏教の唯識の考えとヨーガであった。すなわち、我々人間は自分も含めて、幻想を見ているのであって、自分が死ねば世界も消える。 また、ヨーガ根本経典や桐山靖雄なんかを読み耽った。転生輪廻も信じていた。ヨーギやグルと呼ばれる人々の本を読みあさった。バグワン=シュリ=ラジニーシやラマナ=マハリシやクリシュナムルティなんかは心を癒やしてくれた。  そして教員試験の勉強をしていた頃に高岡信介と出会った。氏は既に亡くなっていたが、妻の和子氏が二代目の教祖になり、娘の高岡佳子を中心に神の光という宗教団体を作っていた。  浩輔は神の光に入った。  しかし、この頃には神の光教団は内部分裂を起こしていた。その始まりはミカエルを名乗る高岡信介の娘の高岡佳子だ。佳子氏は「新創世記」三部作を書いて多くの信者を集めていたが、実際にはその経典(教団では高岡信介と佳子の著書は事実上の経典であった)は佳子氏が書いたものではなかった。彼女には霊能力なんかなかったのだ。「新創世記」は実際は著名な小説家の書いたものだった。また、この頃より佳子氏の「奇行」がまことしやかに伝えられ始めた。  「○○学会を見習え」と言って青年部の人達をビンタしたり、自分をベッドに放り投げてもらって悦に入っていたりしたということだ。  そして教師になって三年目に貴岩峰子の著書に出会った。  大天使ミカエルは佳子氏ではなく、貴岩峰子氏であると書かれていた。また、聖書に出てくる様々な奇跡の「種明かし」も曝け出していた。  それを読んだ浩輔は思った。  「これはもしかしたら本物かも知れない 」  そして、年間三千円で機関誌を購読することになった。  機関誌の内容にも驚かされた。  なぜか共産主義の悪口(当時はまだソ連が存在していた)と、動物愛護のことばかりが書かれていた。  浩輔はそれを信じてしまった。東京の出版社に電話をして、貴岩峰子の著書全てを買い入れた。こうして一人の反共主義者ができあがった。 *  浩輔は、その反共的な理論を授業で堂々と述べた。これに驚いたのは組合と管理職であった。ついこの間まで組合員だった男がなぜこんなことになってしまったのか誰もが訝しく思った。  しかし浩輔は主張した。勿論、生徒や保護者、そして他の教師から悪し様に言われた。しかし浩輔はそれを「迫害」と捉えた。勿論、これからキリスト教徒になる浩輔にとっては、それは迫害と呼ぶにはほど遠いものであったが---。  とにかく、人と違うことをやれば迫害が起こるのだ。ただ、迫害と言っても、秀吉が二十四聖人を十字架につけたり、徳川幕府が踏み絵を踏ましたことと、現代の迫害とは違う。 現代の迫害とはもっと陰湿なものなのだ。精神に働きかけて「迫害」を行うのだ。  これは浩輔がクリスチャンになってから体験することになる。  浩輔は社会科の教師であった。専門は世界史だ。しかし、一年生を相手に「現代社会」なんかも教えていた。そこで反共的な理論を堂々と述べた。  ・「ついに来るか、ソ連の北海道侵攻」  ・「日教組の平和教育は国を滅ぼす」  ・「カンボジアの悲劇。キリング=フィールド」  ・「毛沢東はチベットで百万人を殺した」  ・「日ソ中立条約を破って侵入したスターリンの悪魔の軍隊」  ・「靖国、教科書に内政干渉する中国と韓国」  数え上げればきりがないが、これが浩輔の授業だった。そして来るべきものが来た。そう。保護者が校長室に怒鳴り込んで来たのだ。  「校長先生、この授業をやっている教師は何者ですか?それから私の娘は現代社会の試験が0点で返ってきたのですが、そこにこんなことが書いてありました。『思想がなってない者は0点』。答えが合っててもみんな×をつけられているのです」  「まあまあ、お母さん、今から本人を呼んで事情を聞きますから」  こうして浩輔は校長室に呼ばれた。これが貴岩現正法下での第一回目の「迫害」だった。  「大山先生、校長がカンカンになって呼んでいますよ」  そう学年主任の教師に言われたので浩輔は校長室へ出向いた。  「(とうとう迫害者が来たか)」  そう思って校長室のドアをノックする浩輔。  「お入り下さい」  校長の声がしたので浩輔は中へ入る。校長に詰め寄る眼鏡を架けたおばさん。保護者だ。「思想がなってない」と書かれて0点をつけられた生徒の親だ。  「あなたが大山先生ですね?うちの子のテストがどうして0点なんですか?」  「大山君、説明はあなたからお願いします」  「分かりました」そう言って保護者を取り囲むようにして眺める浩輔。そして言葉を放った。  「おやおや、これはこれは。日教組に毒されたアカの親御さんですか?どぎつい顔してまんなあ。その眼鏡は何ですか?喧嘩ですか?クレームなら聞きましょう」  「何ですか?この態度。あなたは合ってる答を×にしてあるでしょう。そしてうちの子は0点。これはどうしたことでしょうか?それにこの『思想がなってない』というのはどういうことでしょうか?」  「私は授業中に『思想がなってない奴は0点』と言ったはずですよ。なのにあなたのお子さんは何ですか?『先生は戦争で死にたいのですか』とか『先生は戦場のメリークリスマスを視ましたか?日本軍はひどいことをしたのですねえ』とか感想に書いてあります。これは私が教えてきたことが頭に入ってない証拠です。よって0点です」  校長が横やりを入れる。  「大山君、あなたのやっていることは完全に偏向教育ですよ」  「ほほう、では校長先生は日教組の偏向教育が正しいとおっしゃるのですね。どうりで真っ赤っかの馬鹿生徒が育つわけや」  「何ですか?この態度。この人頭おかしいのじゃないですか?」  「おかしいのはあなたやあなたの娘さんです。日本人のくせに日本が嫌いなんですね。じゃあ日本から出て行かれたらいかがですか?」  「わかりました。校長先生、私、教育委員会へ訴えます」  こうして浩輔は教育委員会の査問委員会というのにかけられて厳重注意を受け、テストを採点し直したのだ。                 *   浩輔はこの貴岩現正法の会合に毎月出かけ、ジョギング(ビラ配りのこと。貴岩現正法ではこのような暗号を多用していた)もやった。そして会合(集いと言っていた)で二回講師を務めた。また、サンケイの「正論」に「教科書はいかにあるべきか」という課題で投稿したら佳作で通った。  この頃の浩輔には何の陰りもなかった。例え迫害を受けても「俺は迫害されればされるほど天国へ行ける道へ近づいているんだ」と本気で思っていたからだ。  しかし、そんな自信は、小さな出来事であっけなく終わってしまう。  浩輔は教師になって三年目に一年生の担任を持った。彼がウルトラ右翼になったのはこの頃だ。そして次の年にもう一度一年生を持つ。部活動は合気道部のメイン顧問と吹奏楽部のサブ顧問として忙しく立ち働いていた。  合気道部に河口美佐という女の子が入部してきた。一年生の間はこの子に特別な感情なんかは抱かなかった。しかしこの子が二年生になって浩輔のクラスになったことによって、全てが変化し始めた。  美佐はなぜかしょっちゅう職員室の浩輔の机へやってきて遊んでいた。---というよりは、浩輔と話すのが楽しかったのであった。浩輔はそんなことには全く無頓着であった。  この子は不思議なことに話はよくするのだが、相手の目を決して見ようとはしなかった。  中肉中背で目は切れ長で口はおちょぼ口、髪の毛は肩まであった。  ある日のことである。いつものように美佐が友人の山倉志乃を引き連れて職員室の浩輔の机までやってきた。そして無造作に浩輔の机の上に置いてあった本をいじくり始めた。  浩輔の机上には「世界の歴史二十四巻」やら心理テストの本やら「合気道マガジン」などが置かれていた。その上に魔術の本や占星術の本や錬金術の本、超能力や気功の本まで置かれていた。まだ時代は昭和だったので、パソコンなんかは置いてなかった。教師の机というのは、民間企業と違って乱雑だ。掃除も何もしないので、所狭しと本が置いてある。勿論、貴岩現正法の本もあった。  美佐は合気道マガジンや哲学の本なんかを手に取ると、今度は心理テストの本をいじくり始める。浩輔は思う。  「(変な子だなあ。普通なら『見せて下さい』くらい言うのに)」  しかし彼女が無表情に本を手に取る姿が可愛らしかった。だから浩輔は何も注意しなかった。すると彼女は唐突に言う。  「私、こういうのに興味ある」  バウムテストの本だった。  「ここにスケッチノートがあるから、『実のなる木』を書いてきてくれたら分析できますよ」  浩輔は言ったが、彼女は奇っ怪な返事をした。  「私、分析には適さないのです」  「(何を言うのかと思ったら変な答。この子少し変だ)」 *  やがて浩輔は英語の補習を始めた。浩輔の専門は社会科であったが、英語科の教員免許も持っていたので、何の問題もない。  補習には七人の生徒が申し込んだ。その中に美佐もいた。毎週火曜日、朝十分だけの補習だ。採点は浩輔が行った。  そして浩輔は、補習に来た生徒のために英文法の解説文を長々と書いて手渡していた。「どうせ誰も読まないだろうが---」と思っていたら、美佐のノートを見て驚天動地。  彼女は解説文を綺麗な字で全て転記していたのだ。  この頃から浩輔の美佐に対する「ひいき」が始まった。  冬休みにも補習を計画した。四人の男子生徒と美佐だけが申し込んだ。 そして一年が経過しようとしていた。浩輔はこの教え子の美佐に好意を抱き始めた。それは決して許されることではなかったが、恋心というものは如何ともしがたい。 やがて二月頃になって、日番が美佐に回ってきた。  日番は一日あったことを学級日誌というものに書き込む仕事がある。  それに美佐ちゃんは難解な哲学用語をふんだんに使って、高校生とは思えないような驚くべきことを書いてきたのでだ。  「私はインド哲学に興味を持っています。特にバグワン=シュリ=ラジニーシ和尚の優しい説法が好きです。最近『TAO』を読みました。ダイナミック=キリストメディテーションもやっております。ところで、先生の渡した『大審問官』のプリントですが、あれはカラマーゾフの兄弟のイワンの考えた物語ですね。イワンはアンチクリストなのですか?私はキリスト教会へ通っているので、興味があります。ところで、たらこ唇の植芝盛平先生ですが、この前も、あの有名なロゴ『May peace privail on the earth.』の五位昌久と一緒に写真に写ってました。先生が部活が終わってからお話される植芝先生がピストルの弾をよけたって本当ですか?それから光の話も本当ですか?本当ならヨーガで言うところのマニですね。すごいです。それから、私は最近は量子力学に興味を持っています。アインシュタインは否定したいたらしいですけど、物質が確率的に存在することってあると思っています。また、宇宙があるから私達は観察するのではなくて、観察するから宇宙が存在するとも言っています。これで仏教の唯識論も証明されますね。この前、歩道橋で『三分間あなたの幸せを祈らせて下さい』という人に会いました。何かした後、『盟主様ありがとうございました』と言わされました。私には、その盟主様がイエス様に聞こえて可笑しかったです」  「何なんだ?この子は?」  それから浩輔と美佐ちゃんは学校近くの喫茶点で密会するようになった。  「先生、喫茶点なんかいいのですか?」  「先生と一緒だからいいんやないの。でもこの学校は喫茶点の出入りまで禁止するなんて不条理だね」  「そうです。全く以て不条理です」  「美佐ちゃんはいつ頃から宗教や哲学なんかに興味を持つようになったの?」  「はい、私小学校の五年生の時から宗教遍歴をしました」  「(小学校五年から?いくら何でも早すぎる。この子少し変だ)ふーん。そこで教えてもらったわけや」  「それから、バグワン=シュリ=ラジニーシについては色々と教えてくれるお兄さんとお姉さんがいました」  「ふーん。ところで僕もインド哲学に興味があった。クリシュナムルティやラマナ=マハリシなんかの本をよく読んだ」  彼女は少しクスッと笑った。  「(馬鹿にされたかな?話題を変えよう)僕のことはどう思ってますか?」  「普通の人やないと思っていたけど、やっぱりそうだった」  「(普通じゃないってどういう意味だ?)ところで、植芝先生のことはどうしてそんなに詳しいの?」  「何言ってるの?先生が練習が終わったらいつも言ってるじゃない」  「(そうか俺だった)」  「ところで、先生は何か宗教でもやってるのですか?」  そこで浩輔は持参した貴岩現正法の本を手渡した。  「貴岩現正法っていう変な団体に入っているんやけど変かなあ?」  「(かなり変)ふーん。え?『現代の聖書・仏典』って書いてあるけど---」  「何かそんなふうに言ってるらしいよ」  「そう。私、何千年もの風雪に耐えた本当の聖書や仏典の方が正しいと思うけど、まあ読んでみます」  そして翌日、美佐ちゃんは本を返すとともに笑いながら言った。  「おもしろかったけど、これが悪魔やったらどうしようと思った」  やがて浩輔には、その言葉が頭を離れなくなる。寝ても覚めても授業をしていても---。「これがもし悪魔だったら---」それが注射針のように浩輔の脳に入ってくるのだ。  この貴岩現正法には恐るべき教えがあった。「消滅」と言って、魂を消されるのだ。  ここでジレンマが発生する。  「もしもこの教えが悪魔であって、ここにいると地獄へ墜ちる。しかしもしもこれが本当だったらここから離れたら消滅だ」  そう。浩輔にとってはどっちに転んでも地獄の深淵に突き落とされるのだ。  浩輔はこの小娘によって地獄へたたき落とされたのだ。  この日から浩輔は自分を分厚い殻に閉じ込めて飾ることをあきらめようと思った。そしてある日、美佐に手紙を渡した。  そこに書かれていたことは格好悪い自分、みっともない自分、醜い自分、およそ女の子に知られてはいけないような内容だった。  書かれていたのは、  「助けて下さい、助けて下さい、助けて下さい」  手紙を受け取った美佐は狼狽する。今まで強いと思っていた先生、合気道部で良い格好ばかりしていた先生。あの人がこんなに弱虫で情けない人だとは思ってもみなかった。しかし、何か助ける方法はないかと思案した。だが、ただ「助けて下さい」と書いてあるだけでは何の妙案も浮かばなかった。  浩輔にとって、この頃から清々しいはずの海も白黒のモノトーンにしか見えなくなっていた。頭の中は蜘蛛の巣で覆われたようになり、駅の十段ほどの階段は何百段にも思えるようになってきた。  そして美佐は三年生になる。浩輔も持ち上がりで三年の担任になり、またまた美佐ちゃんの担任になった。ところが、二人が三年生に上がった頃より二人の間に溝ができはじめた。 *  ある日のことである。美佐は耳にピアスを開けてきた。女生徒がそれを取り囲んで「3Gのピアスやねえ」なんて言っていたので、浩輔もそのことに気がついた。  他の教師からも言われた。  「どうして河口のピアスを注意しないんや?」  「(こうなったら注意するしかないなあ)」  意を決した浩輔は、何と生徒がみんな見ている前で美佐を教卓に呼び出した。  「河口、ちょっと来い」  「何ですか?」  「何ですかって、分かるやろう?ピアスや」  美佐ちゃんはふてくされた表情を見せた。何か注意を受けて浩輔を憎んでいるようであった。  今から考えると、それは苦悩する少女の心の奥にある悲しみに根ざしたものだったかも知れない。彼女は校則に違反してピアスを開けてくるような生徒ではないのだ。  「わかったわよ、取ったらいいんでしょ、取ったら!」  とうとう浩輔は憎まれてしまったのだ。かつては助けを求めた相手から今度は憎まれる結果となってしまったのだ。   その後、彼女の日番が回ってきた。学級日誌に今度は浩輔へのあからさまな批判が書かれていた。  「先生の字はどうしてそんなに汚いのですか?通信教育で字でもならったらいかがですか?それから先生の共産主義への批判は一面しか見ていないように思います」  完全に嫌われてしまった。  そんな折、仲良くしていた英語の蔦谷先生が「解決法」を伝授した。  それは「丸々一ヶ月間美佐を見るな」というものだった。  浩輔はよっぽどの馬鹿だったのか、本当にそれを実行した。大体、美佐の座っている席には他の生徒もいるのだ。それを見ないというのは不自然だ。しかし浩輔は実行した。  そして一ヶ月が経過した。「もう美佐ちゃんを見てもいいんだ」そう思った。丁度蝉が鳴きはじめ、頭上の濃い緑の上でしゃーんしゃーんと聞こえてくる初夏であった。学校は文化祭をやっていた。誠にばつの悪いことに、文化祭の空き時間に浩輔は美佐と渡り廊下ですれ違った。美佐は満面に怒りを蓄えて浩輔を見ようともしなかった。美佐はどうも意地になったようだ。  「(先生が無視するなら私も無視してあげるわよ)」と言いたかったのだろう。浩輔はここは謝るしかないと思って美佐ちゃんを追いかけたが、彼女はそそくさと歩いて見えない所へ行ってしまった。ピアスはもうしてなかった。  こうして浩輔の淡い恋は崩壊してしまった。何かが足下から崩れていくような幻覚に襲われた。全ては終わった。 *  その日のうちに浩輔は近くの心療内科を訪れた。結果は鬱病であった。医者は「学校へ行くのは無理ですね。三月までお休みしましょうか?」と言って診断書を書いてくれた。こうして浩輔は病気療養ということで学校を休むことになった。美佐を卒業生として送り出すこともできなくなった。  そして三月。職場復帰が近づいていた。浩輔宛に卒業式の案内が来たが、行く気になれなかった。卒業式にも出なかった。  そして二年後に、実家のある地方の盲学校へ転勤になり、彼女の友人からの手紙が来て、牧師に会いに行った次第である。  しかし、直ぐに浩輔がクリスチャンになったわけではない。  浩輔は、実家へ帰ってから今度はキリスト教会の教会遍歴をやり始めた。  元々キリスト教なんか信じてはいなかったし、クリスチャンになる気なんかは微塵もなかった。様々な教派の教会へ行ったが、満たされなかった。まだ仏教の方が優れていると思っていた。  しかしそんな折、韓国では日常茶飯事のように奇跡が起こっていると書かれた本に出くわした。チョー=ヨンギ牧師という世界最大の教会(宗派はペンテコステ派であった)ではこんな奇跡が起こっていると書かれていた。  興味をそそられた浩輔は韓国へ飛んだ。  関空から一時間もあれば韓国へ行ける。当時は韓国の空の玄関は仁川ではなく、金浦空港であった。空港で重いキャリーバッグを手荷物として受け取り、円をウオンに交換した。タクシーがひっきりなしに客を乗せていた。タクシー乗り場でタクシーを捕まえることが出来た浩輔は、運転手に教会の目の前のホテルの名を告げた。ここに宿泊の予約をしてあったのだ。タクシーは日本では考えられないような高速度で発進し、とても乱暴な運転でホテルを目指した。韓国の運転手は乱暴だと聞いていたが、それは事実であった。高速度で運転をしながら運転手は後ろを振り向いて話し込もうとしていたので、生きた心地がしなかった。しかし、タクシーは約三十分で目的のホテルへ到着した。  ホテルの回転式のドアを開けると受付があった。旅行社で買ったホテルカードを見せて「チョヌン オオヤマ ラゴ ハムニダ。イルボネソ ワッスッムニダ(私はオオヤマと言います。日本から来ました)」と言うと、受付は日本語で応対してくれた。  そのまま公衆電話まで行って教会へ電話を入れた。英語で明日の八時半に教会へ行くと告げたら、外人専用のシートがあるので案内しますと言ってくれた。  翌日の八時にホテルを出た。教会は目の前である。日本武道館のような巨大な大聖堂が あり、上に巨大な十字架が掲げられ、「YOWIDO FULL GOSPEL CHARCH」と書かれていた。恐る恐る中へ入ると、そこはまさに日本武道館のように牧師を取り囲むように椅子が何階にも配置され、オーケストラが出番を待っている。一度に三万人を収容できる大会堂だ。  腕に腕章を巻いたスタッフらしき人に「チョヌン イルボンサラミムニダ(私は日本人です)」と言うと、三階の外人専用席まで案内してくれた。  韓国はキリスト教国だと聞いてはいたが、こんな大きな教会があるとは、浩輔にとって新鮮な驚きであった。  椅子の前の机を見ると、ヘッドフォンと自動翻訳器の穴があり、「Japanese English Gerrman French Spanish」と書いてあったのでJapaneseの穴にヘッドフォンを差し込んだ。  やがてオーケストラの伴奏とともに聖歌が奏でられ始めた。みんな手拍子を打ちながら大声で歌っている。浩輔も手拍子に合わせて歌い始める。  「悩める人々、御名を聞きなば、喜びの元はイエスなりと知らん---」  すると不覚にも浩輔の頬を暖かいものが伝って流れてきた。涙だ。  「よりによってキリスト教会なんかへ来て泣くなんて俺も焼きが回ったな」と思った。  やがて司会者が「お祈りをして下さい」と言ったので、浩輔はとりあえず鬱病が回復するように祈ろうとして「主よ」と言った途端に舌がもつれてしまった。そして聞いたこともないような言葉で祈っていた。  「ルヤルヤルヤルヤ、アーメン、バラバラバラバラ」  「(何なんだ、これは)」と思って、日本語で祈ろうとしたが、なぜか日本語が出てこない。そしてこのおかしな現象がしばらく続いた。  「俺は気が狂ってしまったのだろうか?いや、もしかしたらこれが異言というやつか?」  この現象はホテルへ帰っても続く。  やがてチョー=ヨンギ牧師が登場する。そして今日の説教が始まった。  のっけから進化論の話であった。  「学校で人間がアメーバから進化したなんて説を教えるから、人間の命もアメーバの命も同じだと考えて簡単に人を殺してしまうようになるんだ」  浩輔はなぜか「アーメン(然り)」と答えてしまった。それまではキリスト教徒を「進化論を否定する馬鹿な奴ら」と思っていたのに、なぜかメッセージが腹ぺこの腹に牛乳を流すようにすっきりと入ってきた。そして、後にそれが「聖霊」というものであることが分かる。  そして浩輔は帰国した。
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