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迫害の始まり
帰国して一ヶ月も経たないうちに浩輔は受洗を決意した。そして今の教会(韓国と同じ宗派でペンテコステ派)で洗礼を受けた。
洗礼式の当日、牧師のメッセージを聞いているとコンコンと誰かが浩輔の肩をノックした。その顔を見て浩輔は舞い上がるほど嬉しくなった。なんと美佐だったのだ。高校生の時代と何も変わっていなかった。
「何も変わってないねえ」と思ったままのことをストレートに伝えた。
やがて洗礼式が始まる。全身を水に浸ける浸礼という方式だ。
牧師が紙を手渡した。「使徒信条」が書かれていた。
「読んで下さい」というので、「我は我らの主、イエス=キリストを信ず。主は聖霊によりて宿り、乙女マリアより地上にこられ---」と最後まで読むと、牧師が洗礼槽に入るように促す。洗礼槽に入ると、牧師は浩輔の頭を押さえ、全身を洗礼槽に浸けた。
浩輔はあれほど嫌だったキリスト教徒になった。
教会からの帰り、美佐と二人だけになった。元々、教会へ来るように手紙をくれた女生徒と(彼女が美佐ちゃんを呼んだのであろう)、その彼氏が一緒だったが、気を利かせて二人だけにしたようだ。
噂では美佐ちゃんは結婚もしてお子さんが二人いるらしい。しかし、不思議なことに、牧師が「初めて来られた方」ということで名前を読み上げた時に苗字が変わってなかった。
そこで浩輔は尋ねた。
「結婚したって聞いたけど苗字は変わらなかったの?」
すると、彼女はばつが悪そうに少し笑って答えた。
「別れた」
「お子さんは?」
また彼女はクスッと笑って答えた。
「取られた」
浩輔は思った。
「(俺は何てことを聞くんだ)」
すると突然彼女は浩輔の首を後ろから絞めて言った。
「私ね、公園でこうゆう風に首を絞められたの。それで高校の合気道部をもう一度訪ねたんですけど、先生いなかった」
「ああ、そんな時は踵で相手の足の甲を踏んづけるといいよ」
こんなとりとめのない話をしながら二人は別れた。別れ際に何か言ったと思うのだが、何を言ったか浩輔には全く記憶がなかった。久しぶりの再会に余程緊張し、心が高鳴っていたのであろう。
とにかく、こうして浩輔はクリスチャンになった。
(二)迫害
いよいよ迫害の話に入るのだが、迫害と言っても十字架につけられたりするわけではない。ましてや豊臣秀吉の二十六聖人の迫害や、徳川幕府の行った踏み絵なんかは出てこない。現代の迫害はそのようなものではない。
言葉で、あくまでも言葉で真綿で首を絞めるように行われるのだ。
特に日本には人口の1%、すなわち百万人しかクリスチャンはいない。それもカトリック・プロテスタント合計しての数字だ。これに、さらにエホバの証人やモルモン教、統一教会(家庭連合)などを加えてやっと百万人になるのだ。
従って、一般人のキリスト教に対する見方というと、「新興宗教の一種」か「外国からやってきたセレブの宗教」と言ったところであろう。
とにかく、ある牧師が浩輔に言ったことがある。
「クリスチャンになったら必ず迫害があるよ」
その迫害がこんな静かな形で進行しようとは浩輔には思いもよらなかった。
日本ではキリスト教はマイナーな宗教であって、生まれながらのクリスチャンも、いるにいるが、数は少ない。浩輔のように心を病むなど、何かあって信仰に入ったものが大半である。しかし、そんな浩輔にも迫害はやってきた。
*
浩輔は三十代後半で結婚した。相手は軽度の知的障害を持っている。それは分かっていたのだが、デートを重ねるうちに親しくなっていった。元々は浩輔が二校目の学校にいた時の生徒であったが、この学校の女教師の紹介で結婚することになった。そして、彼女が大阪の出身だったので、彼女の要請で大阪近郊の学校へ転勤する。
浩輔にとってキリスト教は「御利益宗教」だった。祈れば願いを聞いてくれると思っていた。そこで真剣に祈った。祈る場所はトイレの中。三校目の学校は教育の大変やりにくい学校だったので、「今度は進学校へ行きたい」と祈った。
そして祈りは通じた。大阪近郊の進学校が浩輔の四校目に勤務する学校であった。
そして、この頃より「迫害」は始まった。
その学校へ転勤して浩輔は久しぶりに担任を持った。二年生の担任であった。
この学校で浩輔がクリスチャンであることを知っている者は数少なかった。教頭と隣のクラスの担任くらいであった。
実際に浩輔がクリスチャンになったことを知る者は本当に限られていた。友人の原口、嫁さんのお姉さん、家族の者くらいだった。
浩輔は、隣のクラスの担任と仲良くなった。そして彼にも自分がクリスチャンであることを話してしまった。彼は武士の家系らしく、出自をたどれば源氏らしい。その彼は物理の教師であったが、日本史に詳しかった。
浩輔は元々は世界史の教師であり、世界史で教員試験に通ったのに、なぜか日本史を持たされた。それは浩輔にとって苦痛以外の何物でもなかった。
「進学校であるからこそ自分の得意な分野で勝負すべきではないのか?なのにその俺がどうして世界史ではなく日本史なんだ?」
しかし、上からの命令は絶対的なものである。仕方がないので浩輔は「日本の歴史三十一巻」や「史料問題集」や「予備校の日本史」なんかを買い込む。
そして、日本史の教師になったのだが、この物理の教師が最初の「迫害者」になろうとは夢にも思わなかった。
大過なく教師生活を過ごしていた浩輔であったが、二学期あたりからこの物理の教師の嫌がらせが始まった。
「わしは先祖から自分の力で生きていくように教わってきたからなあ」
「ふーん。キリスト教では『自分の力に頼ってはいけない』と教えられているんです」
「え?じゃあ誰に頼るの?」
「神です。イエス=キリストです」
これが余程奇妙奇天烈に感じたのであろう。それから彼の浩輔に対する迫害が始まる。
彼の宗教とは先祖である。祖先崇拝を禁じたファンダメンタルなキリスト教を信奉する浩輔にとって、それは奇異に映った。浩輔は自分からキリスト教を選んだ(神に選ばれたと教会では教えていたが)のであったが、彼は先祖がそうであったから、それが宗教だと言うのである。これは明らかに「自分の力に頼る」と言った彼の宗教信条から言うと矛盾している。
その彼が、事あるごとに浩輔に難癖をつけるようになってきた。
「あんたもキリスト教のような馬鹿馬鹿しいものやめて、安倍晴明でも信仰したらどうや?」
「安倍晴明って?」
浩輔は恥ずかしながら、当時まだメジャーではなかったので、安倍晴明を知らなかった。
「あんた本当に日本史の先生かいな。これがドウマンセイマンや」
「ふーん、五芒星か。ダビデの星は六芒星やけど」
「日本の国立大学を北から順番に言えるか?」
「北大、北見工大、小樽商大、北海道教育大、それからえーと」
「あ、これは教師失格やなあ」
しかし、これは浩輔が考えていた「迫害」とは明らかに違った。
「迫害」とはキリスト教の伝道を妨げる行為を言うのである。浩輔はこの学校で伝道なんかしたことはなかった。では、彼から何をされたというのか?
答えは「何もされなかった」のである。彼は本当に真綿で首を徐々に絞めていくように言葉だけで浩輔の信仰態度を「馬鹿馬鹿しい」と言ってきたのだ。これが現代の「迫害」だ。
また、実際に、浩輔はこの学校で他の社会科教師からいじめられるが、それがキリスト教と関係があるのか無関係なのかは分からない。
実は、キリスト教の第一迫害者は浩輔の父と浩輔の妻の母であった。それから友人の吉川と妻の姉が迫害に加わる。浩輔の母はクリスチャンであったので迫害には加わらなかった。
*
浩輔は「宣教」の必要性を肌で感じていた。聖書にそう書いてあるからだ。普通宣教と言えば、先ずは身内からだ。母親は既にクリスチャンであるから宣教の必要はない。問題は父親だ。
浩輔の父親は小学校の教師であったが、最後には校長にまで登り詰め、定年退職後は何もせずに家でブラブラしていた。浩輔が病気になった時には、なぜかお光りさんに入っていた。それを母親も嫌っていたようだった。
浩輔は父親に電話を入れた。さしたる用があったわけではない。宣教をしようという意図もなかった。しかし電話口の向こうから信じられないような言葉が聞こえてきた。
「わしはキリスト教なんか絶対に入らんぞ。お前の病気でも治ったら家族全員で入ったるわ」
「いや、それやったら父さんは何か信じるものでもあるの?」
「あるわい。八百万の神や」
暫く浩輔は考えたが、なぜか次の言葉が出てきた。
「ほー、八百万の神かい?それにしても八百万の神いうて弱いのう。八百万も神さんがいてたった一人しか神さんがいないアメリカと戦争をやって負けるんか?」
電話口の向こうで絶句する父親の姿が浮かぶ。
その後、この父親は何を思ったのか、お光りさんをやめてクリスチャンになる。母が亡くなった後であった。
迫害は浩輔の友人からも来た。吉川という名であった。
司法試験を目指して何回も浪人している男であった。仕事はしてなかった。彼は図書館で勉強していたので実家にいた。図書館で会うこともあったし、電話をかけることもあった。
彼は聖書というものを読んだことがない。しかし、図書館で調べたのであろう。旧約聖書や新約聖書についての拙い知識はあったようだ。
彼は進化論の信奉者であった。
浩輔が進化論を否定していたのかと言えば、そうとも言えない所があった。しかしキリスト教ファンダメンタリストの彼からすると、進化論は最大の敵であった。
それには韓国で聞いた、あの牧師の説教が影響していた。
「人間がアメーバから進化したなんて説を学校で教えるから、人間の命もアメーバの命も同じだと思って簡単に人を殺すようになるんだ」
それから、彼はなぜか浩輔がキリスト教徒であることを快く思っていなかったようだった。彼の考えではキリスト教は「セレブの宗教」で「西洋人の宗教」であったからだ。
先ず「復活」が信じられないと彼は言った。また、麻原彰晃が復活したという嘘を流せば信じる者も出てくるだろうとも話した。
信じられないかも知れないが、復活は席史的事実である。これは信じる、信じないを超えた説であり、歴史学者もそう言っている。
キリストの弟子達やパウロは、ヨハネを除いて殉教した。ヨハネはイエスの母のマリアを託されていたので殉教できなかったのだ。殉教はしなかったが、難解な黙示録を残した。
誰が「嘘」のために殉教なんかするであろうか?
彼はまた、モーセが紅海を割った奇跡が信じられないとも言った。勿論、浩輔は信じていたが、彼の説では、「こんな奇跡を目の当たりにして他の神を拝む(偶像礼拝)人なんかいない」と言う。
でも、実際にはその後、ヘブル人は偶像崇拝の罪によってアッシリア捕囚やバビロン捕囚に遭っている。人間は目に見えないものはなかなか信じられないという本性を持っているのだ。だから目に見える形での偶像へと傾いていったのだ。
また、彼は所謂「ネトウヨ」でもあった。
ネトウヨという連中はきわめて分かりやすい。彼らの考えを解するにはいくつかのキーワードを知っていれば事足りる。それは「韓国」「左翼(パヨク)」「生活保護」「日教組」
「在日」である。
彼らは本当の右翼ではない。嫌韓のネットを見て愛国的な発言をしているだけだ。だから日本を本当に愛しているわけではない。
それに対し、浩輔は武道の段も全部で六段持っているし、実際に反共団体に身を置いた過去もあった。反共団体とは当然「貴岩現正法」である。しかし、クリスチャンとなってからは反共的な発言は差し控えているし、むしろネトウヨから見たら「左翼(パヨク)」ともとられかねないような言動が多くなっていた。
吉川は、しょっちゅう浩輔の家へお邪魔していた。その頃には両親ともに亡くなっていたので、家には浩輔しかいない。だから傍若無人に振る舞ってきたのだ。浩輔にとっては確かに「お邪魔」だった。家へ来ては勝手にテレビをいじって、例えばヘイト=スピーチなんかをやっている番組があれば勝手にチャンネルを変え、言うのだ。
「韓国人は世界中で日本文化をパクったり、従軍慰安婦や徴用工などの日本の悪口を散々言って、あっちの方がヘイト=スピーチや」
果たして、人の家へ来て勝手にチャンネル操作をする彼に「日本の常識」があるのだろうか?
また、彼らにとって「左翼」も「在日」も「生活保護」も「日教組」もみんな敵である。それならば日本男児らしく、韓国大使館でも行ってヘイト=スピーチをやったらいいではないか。
ところが、こう言った日本では当然の理屈が彼らには全く通じない。
また、こともあろうに彼は浩輔の家で猫を飼い始めた。しかもこの猫、可愛げがないばかりか浩輔の家の玄関で勝手に大便をし、臭気が浩輔の寝室にまで漂ってくる始末であった。それなのに吉川は掃除一つしようともしなかった。そして浩輔の寝室の隣の部屋が完全に猫の部屋になってしまった。
動物には当然餌が必要だが、その餌代も浩輔が出した。
また、二人で食べる朝食は一食五百円だったが、その金も浩輔が出した。それに対して彼は礼の一つも言わなかった。
そしてある日、浩輔は彼を家から追放した。
ところで、ネトウヨの彼は神道の信者でもあった。
浩輔は神道が好きになれなかった。村のお祭りで、クリスチャンなのに無理矢理神輿を担がされた過去があったからだ。しかし吉川が村の祭りに参加したことはない。村独特の排他的な慣例なんかも知らない。しかし彼は言う。
「津地鎮祭訴訟なんかやってるのはほとんどキリスト教徒や。神道は宗教ではないのに何でいじめられるんや?」
いじめられているのはこちらである。大体、「神道は宗教でない」なんて発想がどこから生まれたのだ?
浩輔は大学で人類学のゼミにいたが、儀礼を伴うものはみんな宗教なのだ。
また、浩輔は貴岩現正法にいたので、彼らの考えはほとんどが分かる。しかしクリスチャンとなってからは、神道(と言えば語弊があるので「日本教」と言おう)の信者から迫害を受けていたのである。
また、吉川は言った。
「韓国なんかキリスト教国でないよ。この前もクローン羊を作ったと言っていた」なんて宣う。
浩輔は十四回韓国へ行き、韓国語も少しは話すが、どこの町へ行っても十字架が見える光景は、やはりキリスト教国ならではのものではないだろうか?
*
さて、吉川に次いで迫害の刃を向けてきたのが、浩輔の元妻の母だった。
この姑もキリスト教嫌いだ。浩輔夫婦(妻は浩輔に従ってキリスト教徒になっていた)が食事の時にお祈りをすることが気に入らなかったようだ。
「浩輔さん、私が作ったご飯やのに、どうしてイエスとかにお礼を言うの?」
また、浩輔の教会は異言を話すことで有名であった。
この母が脳梗塞になって具合が悪くなったので、浩輔夫婦は異言でお祈りをした。それが異様に見えたようである。
「あの人達、何か気持ちの悪い言葉で祈ってたけど、そんなもの何の役にも立ちませんよ」と近所の人に言っていたようである。
ところで、ファンダメンタルなキリスト教では離婚は禁じられている。
ところが、どうしても浩輔が妻と別れなければならない事態が発生した。
元々浩輔の妻には知的障害があったのだが、それと関係があるのか否かは定かではないが、この妻が大変な焼きもち焼きだったのである。それも普通の焼きもちではなく、医師から「嫉妬妄想」と名付けられるほどであったから、いかようなものか想像に難くない。
彼女は、先ずはアパートの近所の喫茶店のお姉さんに疑いを向けてきた。
浩輔は仕事が終わって、まだ妻が帰宅してない時には喫茶店によく出入りしていた。当然そこの店員さんとは顔なじみになる。
ある日のことであった。浩輔はその喫茶店のお姉さんに「こんにちわ」と挨拶をした。すると妻の顔が急に曇ったかと思うや、予想だにしなかった質問が妻の口から発せられた。
「あなた、今の人誰?」
「誰言うて、そこの喫茶店の人やないか」
「どんな関係?」
「関係って---俺はただの客や」
「ふーん」
そう言ったかと思うと、そのお姉さんにツカツカと近寄り、場違いな質問をする。
「あなたは何歳ですか?」
「三十二歳ですけど」
「あなた、三十二歳やて」
「それがどないしてん?」
まあ、こんな調子だったから夫婦生活も推して知るべしである。
こんなこともあった。
浩輔は朝の通勤途上でたまたま車とバイクの接触事故を目撃した。車の運転手は男性でバイクは女性だった。浩輔はどこから出た親切心か分からなかったが、バイクの女性と車の運転手に警察を呼ぶように指示し、電話番号と住所を教えて立ち去った。
それから幾日か経ってから、バイクの女性から買ったばかりの電話にお礼の電話がかかってきた。それを妻は疑った。
勿論大変な口論となった。
妻は実家へ帰った。
しかし、人に親切にして浮気を疑われるなんて思ってもみなかった。
翌日、帰ってきた妻は浩輔に言った。
「お母さんが謝れと言ったから謝る。でもあなたも電話をスピーカーホーンにしてなかったことを謝って」
浩輔は買ったばかりの電話だったからスピーカーホーンの機能がついていることなんか知らない。そこで義母に電話を入れ、経緯を説明した。間もなく、義母が妻と電話を替わり、妻に大声で怒鳴り散らし始めた。
「浩輔さんに謝りなさい」
「わー、お母さんごめんなさい。そんなに怒ると脳の血管が切れてしまう。ごめんなさい、ごめんなさい」
そして禁煙教室へ出かけた時の妻の態度に、浩輔は怒り心頭に発してしまった。そして妻を駅に置き去りにして立ち去ろうとした。
本当に妻の姿が見えなくなったので、浩輔は妻の実家へ電話を入れた。
すると信じられないような答えが返ってきた。
「あの子を置き去りにするとは何ですか?許しません。耶蘇になったらそんなに冷たくなるのですか?」
事の次第はこうである。
浩輔は禁煙教室に出かけたのだが、妻がどうしても一緒に行くと言ってきかなかったので、連れて行った。そして休憩時間に「どんな話をしたのか」としつこく聞いてくるのだ。どうしてこう執拗に聞くのか尋ねると、「講師が女性だったから」ということであった。浩輔は禁煙教室の講義を最後まで聞くことなく、妻を連れて帰った。そして駅で妻を置き去りにした。
駅で置き去りにされたくらいであれば、電車で帰れるだろうと思われるかも知れないが、妻には知的障害があった。だから一人では帰れない。結局、駅員に放送をかけてもらって事なきを得た。
そして何よりも妻の母にとって衝撃的だったことは、妻が一日だけ精神病院に入れられたことであった。
浩輔は学校の仕事を家に持ち帰ることがあった。これは教師ならば当たり前のことである。
そして、浩輔は奨学金の係をやっていたので、学生支援機構に電話を入れた。そして電話に出た人が女性の事務員であったので、妻は疑いの目を向け、何と学生支援機構に電話をしたのだ。
「もしもし、あなたはどなたですか?」
こちらから電話をしておいてそんな失礼な言い方はない。しかし、向こうは学生支援機構であることを述べ、妻はそれでも納得していないようだった。
これでは仕事にまで差し支える。そう思った浩輔は兄に説得してもらうために来てもらった。
すると妻はお膳をひっくり返して暴れ始めた。そこで浩輔は警察を呼んだ。
結局、妻の嫉妬妄想だとわかり、二時間かけて精神病院へ移送することになった。
浩輔も兄の車に乗ってパトカーの後をつけ、一日入院することになった。
翌日、妻を浩輔は引き取りに行ったが、その時にはもう妻は借りてきた猫のようにおとなしくなっていた。
これが妻の母親の心象を悪化させた。また、妻のかかっていた精神科のクリニックの医師の心象も悪くしたようだった。
その後、妻の母は、「耶蘇は何かあれば嫁を精神病院(正確にはき○がい病院と言っていた)へ連れて行く」と近所に言いふらしていたらしい。実際に浩輔は妻が精神病院に連れて行かれるとは思ってはいなかった。連れて行ったのは警察である。
その母は選挙があると必ず公明党に票を入れるのであった。創価学会ではなく、浄土真宗の門徒なのに、摩訶不思議なことである。日蓮が「念仏無間」と言っていたことを知らないのか?
そんな折、教会の牧師が仏壇の話を始めた。
「家に仏壇のある人は処分して下さい。ただし、所有権の問題もあるので慎重にお願いします。元々仏壇というものは、江戸幕府がキリシタンでないことを証明させるために置いたものです。それ以前は貴族しか仏壇なんか持っていませんでした。旧約聖書のいたるところで『偶像崇拝はいけない』と出てきます。仏壇を拝むことは日本では良いこととされていますが、神の目から見るといけないことなのです」
こうしてはいられない。浩輔は早速実家に連絡をした。時は前後するが、この頃は両親ともに存命だった。
「お願いがあるんやけどなあ」
「何や?」
「親父、仏壇拝んでるやろ。それをやめてほしいんや」
「それはお前が教会から聞いてきたことなのか?」
「そうや」
「わかった、しばらくやめておこう」
あまりにもあっさりと了解してくれたので浩輔は面食らった。恐らく、浩輔がカルト宗教から抜けてキリスト教徒になったこと、それからカルト宗教はキリスト教を目の敵にしていたことを知っていたので、あっさりと了解してくれたのだろう。それと、心強いことに浩輔の母親は浩輔が生まれる前からクリスチャンだったのだ。
問題は妻の母であった。小さな家に仏壇を置き、毎日それに手を合わせる熱心な真宗の門徒である(と言っても、選挙で公明党に投票するなど、何も分かっていないところもあったが)。
浩輔はこの義理の母に電話を入れた。
「あのー、変な話やけど、仏壇を拝むのやめてくれないかなあ?」
即答で返事があった。
「仏壇を拝むのはやめますが、その代わり、浩輔さんも教会へ行くのはやめて下さい」と脳梗塞の不自由な声を張り上げて言った。
その時である。妻が考えられないようなことを口にした。妻は浩輔の電話を無理矢理取り上げると母親に言い放った。
「お母さん、それはただの木や。仏壇なんかただの木や」
妻の実家の仏壇と浩輔の実家の仏壇には違いがある。浩輔の実家の仏壇には「偶像」に該当するような仏像はない。しかし、おどろおどろしい不動明王の絵が掲げられ、先祖の位牌が所狭しと並んでいた。
一方、妻の実家の仏壇はもっと質素で、先祖代々の位牌があるだけであったが、その後ろには阿弥陀如来の仏像があった。真宗は、位牌よりも過去帳の方を大切にするのだ。
しかし、聖書も読めないはずの知的障害を持った妻が聖書に実際に書いてあることを述べたことに浩輔は心臓が飛び出るほど驚いた。確かに聖書には「偶像はただの木や石であって、人間が運んでやらなければ動くこともできない」と書いてあるのだ。
妻をして「ただの木」と言わしめたものは一体何だったのだろうか?聖霊だろうか?今以て謎である。
勿論これは「迫害」ではない。迫害しているのはむしろ浩輔の方だ。
本格的な迫害はこれから始まる。
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