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アメリカ民主党は右翼である
浩輔の妻にはアメリカに住んでいてアメリカ人と結婚した姉がいる。この姉の主人は熱烈な民主党の支持者であって、オバマ大統領の政策顧問まで務めた人だ。
大体、民主党はキリスト教嫌いであって、共和党はキリスト教の福音派を票田に持っている。
そして妻の姉のキリスト教嫌いは徹底していた。どう徹底していたのかと言うと、とにかく「信じない」のであった。
キリスト教は聖書に書いてあることを忠実に守る宗教であり、このようにキリスト教コチンコチンの連中をファンダメンタリストという。
アメリカは、このファンダメンタリズムの牙城だ。
浩輔の頭には日本でキリスト教徒と言えば賀川豊彦先生がいた。賀川豊彦先生は生協の生みの親であり、また「万人は一人のために、一人は万人のために」などの名言で有名だ。
賀川豊彦は当時の社会運動とキリスト教を結びつけた。山谷や釜が先で伝道を行っている連中は大抵がキリスト教である。
浩輔も少なからず賀川豊彦の影響を受けていた。出身が淡路島であり、賀川豊彦は近くの鳴門に住んでいたのだ。そして浩輔の母親が教会に通っていた頃に何度も淡路島の教会で説教をしている。
だから、アメリカでキリスト教徒と言えば右翼で、日本でキリスト教徒と言えば大概は左翼なのである。忠魂碑訴訟なんかを行ったキリスト教徒もそんな影響を受けた人達である。
また、ネトウヨなんかは韓国が嫌いなのだが、韓国でキリスト教が広まった本当の理由を知らない。
実は韓国がキリスト教国になったのは「日本が統治したから」なのだ。
一九一〇年の日韓併合後、日本は朝鮮に神社を建てた。そして宮城遙拝なんかをさせた。「内鮮一体」の国策として行われたのだ。
もしもあなたが突然外国の知らない神を礼拝せよと言われてできるだろうか?
とにかく、神社参拝が嫌だった朝鮮の人達はこぞってキリスト教徒になった。キリスト教は当時は認められていた。ピョンヤンなんかはキリスト教会が並び立っていて、「東洋のエルサレム」とまで呼ばれていた。
この浩輔の妻の姉は日本文化をアメリカに紹介する運動を行っている。元々が舞踊家なので、着物を着た芸者の格好をして踊ったりしているのだ。
そして、彼女の浩輔に対する口癖が「信じない」だった。
勿論、キリストが我々の罪の身代わりとなって十字架についたことなんかは信じていない。ましてや処女受胎や復活なんかも信じてはいない。
まあ、それを信じたらキリスト教徒なのだが---。
そして彼女の「神」観はスピノザのような汎神論だった。すなわち、この宇宙・自然自体が神だという考えをしていたのだ。創造神を認めるキリスト教とは随分かけ離れた考えだ。
この汎神論は、浩輔から言わせれば極めて「幼稚な」考えだった。浩輔にとっては何も珍しい、新鮮な理論ではなく、子供でも考えつくような理論だったからだ。事実、浩輔自身も子供の頃は似たような神概念を持っていた。
ある日のことである。浩輔の妻に対して姉が言った。
「神様って、この宇宙や自然のことじゃないの?そうじゃなかった?」
まるで自分の考えが当然のことのように宣ったのである。妻は分からなかったのか、何も答えなかった。
また、こんなこともあった。
浩輔はワールド・ビジョンという団体を通して、月四千円でフィリピンのミンダナオ島に住む女の子が学校へ行けるように助けていた。このワールド・ビジョン・ジャパンという団体は、高校の倫理社会の資料集にも載っている至極普通の団体である。元々は朝鮮戦争の時にアメリカの宣教師が作った団体であったが、多くの子供達が学校へ行けるように寄付を募っている団体だ。
そのことを浩輔は妻の姉に話し、月四千円の支援をしていることも話した。
すると、仰天するような反応が返ってきた。
「月四千円ってフィリピンではすごいお金よ。それにこの特定非営利団体って何?こんなものに騙されているのね。私は『信じない』」
そう。「信じない」のだ。キリスト教の行う慈善活動なんか存在しないと思っているのだ。だから勿論マザー=テレサのことさえ信じないのだろう。
この「信じない」は徹底していた。
日本にミッション・バラバという団体がある。これは元ヤクザが改心してクリスチャンとなり、集まった団体だ。中には刑務所の教誨師として活躍している人もいるし、教会を作った人も多くいる。
このミッション・バラバの人達十名がアメリカへ宣教に行くことになった。もう随分昔の話であるが、十名がアメリカへ旅立った。しかしアメリカの入国管理はかなり厳しい。犯罪歴がある者は渡航が許されていないのだ。
実際、アメリカの空港で事件が起こった。この会の一人が「マフィア・ボス」として登録されていたのだ。
しかし、入国管理官の中に日系人の知り合いがいて、「この人達なら大丈夫」と言ってくれたので何とか入国し、福音を伝えて帰ってきた。
そして浩輔は何の折だったか忘れたが、この話を妻の姉にした。姉はこれを一蹴して言った。
「アメリカへ入るのは難しいのよ。一回でも犯罪歴があったら入れないの。だからよほどのことがない限り私は『信じない』」
ここでも「信じない」がお出ましになった。
そんな事とは対照的に、日本の宗教ならばそれが例えカルトと見なされていても信じるようであった。
東北地方を中心に「生命の樹」というカルト宗教があった。宮沢賢治を信奉し、何か「生命の樹にサタンが降りた」とか言っていた宗教であった。自分で作詞・作曲した歌のコンサートなども行っていた。
そこで浩輔が「一度このコンサートを視に行こうか?」と言ったところ、
「宮沢賢治を信奉する人達だったらいいんじゃないの?」
と言って、とりたてて否定もしなかった。
彼女の思考は、日本で言えばまさに「右翼」だ。しかし彼女も彼女の旦那さんのアメリカ人も民主党の強力な支持者である。そこには何の自己矛盾もないらしい。
*
浩輔は教師を辞めてから学習塾で働いていた。そしてそこの塾長がネット保守であることは先述した。
ネトウヨはキリスト教が嫌いだ。まあ、最も嫌いなのは韓国ではあるが---。
そしてトランプと同じく排外主義者だ。
しかし、その思考形態はアメリカの民主党支持者と同じであると言ったらおかしいだろうか?実際によく似ているのだ。
例えば彼らの考えでは、神道は宗教ではなく、日本に根付いた民間信仰である。だから、靖国神社に首相は参拝すべきなのだ。
アメリカの民主党が靖国神社のことをどう思っているか知れないが、これと大差はない。彼らの嫌っているのはキリスト教ファンダメンタリストであって、これに対抗する日本の神道は「仲間」なのだ。
浩輔は、キリスト教徒になる前は、どちらかというと日本的な習俗にどっぷりと浸かって生活してきた。鎮守の神を祀った神社の祭礼には祭礼団長として参加したし、大学時代は古武道部に入っていて、道場へ行っては愛宕神を信仰する神棚に向かって練習の最後と最初にはきちんと礼をしていた。
そして、大学はミッション系の大学であったが、キリスト教を毛嫌いしていた。 しかし、キリスト教徒になってからは神のために働きたいとまで思うようになってきた。人間の心理というのは実に解しがたい。
*
アメリカのにも「左翼」は存在する。民主党の支持者である。しかし、日本の左翼が本当にルンペンプロレタリアートであるのと違って、彼らはセレブだ。アメリカでは1%の人間が富を独占し、残りの99%の人間は貧困ラインにいるとされている。
「自分は99%」というプラカードを持ってデモをする姿をみたことはないだろうか?
しかし、意外なことに、残りの1%の連中の大半は民主党の支持者なのだ。
共和党=金持ち、民主党=貧乏という図式は完全に崩れ去っているのだ。
そして、日本も格差社会になってきている。この格差の最底辺にいる人間をアメリカのセレブは馬鹿にするのである。特に民主党の支持者。1%の人々である。
浩輔は54歳まで高校の教員をやっていた。そして裕福だった。まさに神の恩寵である。
しかし、教師を辞めてからは貧困ラインに近い生活を強いられている。
だが、嫁の姉は違っていた。何度も来日し、日本では大阪を拠点にして京都なんかへ行きまくり、自分の食べたグルメ情報をフェイスブックにアップしていた。
浩輔はこの姉のフェイスブックで「妹に電話をくれて有り難う」と書いてあったので、思わず「いいね」をしたものだったが、日本でグルメ情報を載せているところを見て「いいね」をしなくなったら送信をストップされた。
それから、結婚中は気づかなかったことであるが、嫁には絵を描く才能があったようである。だから、現在では絵ばかり描いていて、時々個展を開いたりもしているそうである。勿論、そんな才能があることに気づかなかった浩輔も悪いのであるが、浩輔は何かやりきれないものを感じた。
そして、2019年の夏に、この姉が日本へ来た。家系や苗字に執拗なまでにこだわる変な民主党支持者の姉がである。
*
そして、元妻に電話をしたところ、なぜかこの姉が電話口に出た。日本へ帰ってきているらしい。早速近況報告ということになった。
「浩輔さんは今何をしているのですか?」
「塾の講師です」
「私、今アメリカから帰ったところよ。飛行機は落ちなかった。お母さんが守ってくれたのよ」
「お母さんが守った」なんていう非科学的なことはあり得ない。また、キリスト教の常識から言っても、丹波哲郎などの霊界物なんかを読んでも、死人は既に死後の世界にいて、子孫を守るなんてことはあり得ないのだ。死んだ人間は生きた人間に対して何もできない。
また、キリスト教では「守護霊」なんか信じてはいないが、守護霊に両親がなるなんてあり得ない。守護霊は霊界でもっと修行して力をつけた霊がなるのだ。
この姉は、かつて塾浩輔がの講師に成り下がってしまったことを知らずに電話をかけてきたことがある。その時に「元妻にお金を出してやれないか?」と尋ねたきた。それ以来連絡がなかった。まあ、フェイスブックで行動は知らせてきていたが---。
その時に浩輔は言った。
「僕は学校を辞めてしまって、今は塾の講師です。そんなお金はありません」
すると彼女は言った。
「お金を出さないと○○の姓を名乗ることは許しません」
これには浩輔も空いた口が塞がらなかった。元々妻の姓を名乗ったのは、妻に障害があって役所での手続きなんかをするのが無理だと考えてのことだった。また、離婚後も元の姓にとどまったのは、姓を元へ戻すと、免許証やパスポートなど、煩雑な手続きが必要だったからだ。
大体、苗字なんかは一種の「記号」にしか過ぎないのだ。浩輔はそんな先進的な考えを持っている。勿論夫婦別姓に賛成だ。しかし、この姉は民主党を支持しながらこんな旧態依然たる考えを持っていた。
浩輔は、日本では法的にどの姓を名乗ろうと何の問題もないことを切々と言ってきかした。
やがて姉も納得したようで、お金は姉が出すということになった。
その姉が今電話口にいるのだ。一体何を言い出すのやらと思っていたら、次々と浩輔の胸が悪くなるようなことを呟き始めた。
「私、今度ね、本を○○社から出版するの」
「(○○社といえば自費出版ばかりをやらせる悪名高き出版社じゃないか)ふーん。で、何の本を出すのですか?」
「広島と原爆のことを書いた本よ」
「(広島と原爆?そんな本だったら日本ではいくらでも出版されている。そんなもの売れるか)」
「浩輔さんはもう仕事も引退するの?まだ六十歳でしょ?」
「(完全に馬鹿にしきっている。日本では引退すると再就職は難しいんだ。それから私は六十五歳から年金が出る。年金制度の整ってないアメリカとは違うんだ)」
「いや、僕は障害者だから就職も難しくて---。障害者手帳も持っています」
「ああ、障害者手帳取ったんだ。それはおめでとう。で、何の障害なの?鬱病?」
「(馬鹿か?鬱病だけで簡単に障害者手帳なんか取れるか)統合失調症です(それにしても何が『おめでとう』なんだ?)」
「ふーん。ところで、今度京都の○○先生のところへ行くんだけど、行く日はフェイスブックで知らせるね」
○○先生というのは、大学時代に浩輔が大変お世話になった方で、日本でも屈指の造園家である。
立て続けに姉は言った。
「本なんか書いたらどうかしら」
「もう書いてます。ネットに載せてます」
「え?それはフィクションですか?ノンフィクションですか?」
「フィクションですよ。小説ですから」
「へー、すごいね」
その物言いは完全に馬鹿にしきった言い方であった。さも原爆のことを書いたので「偉いだろう」とでも言いそうな口ぶりであった。そこで浩輔は話題を変えた。
「僕の小説を読んでもらったらわかると思うんですが、僕はファンダメンタリストじゃありませんから。京都へ行く時に持って来ます」
その後、姉は浩輔を誘わずに京都へ行ったようであった。フェイスブックには京都のグルメの記事が載せてあった。あまりにも馬韓馬鹿しかったので、浩輔は敢えて「いいね」をしなかった。するとフェイスブックの配信が止まった。
(三)現代に於ける迫害とは
一体どこが「迫害」なんだと思われるかも知れないが、キリスト教の布教に反対すること自体が既に「迫害」なのだ。
現代では、江戸時代のようにキリシタンを十字架につけたり、拷問したりはしない。
クリスチャンになったら、日本では真綿で首を絞めるように徐々に徐々に迫害が起こる。クリスチャンであるというだけの理由でそうなる。
浩輔は十字架についたわけでもなければ拷問を受けたわけでもない。親しい人達より無視されたり馬鹿にされたりしただけの話だ。しかし、これが現代に於ける「迫害」なのだ。
キリストを伝えようとすればするほど迫害は起こる。しかし伝えることを止めてはいけない。神が我々クリスチャンに対して命じた最大のミッションは「伝道」なのである。聖書に書いてある。
「全世界へ出て行って福音を述べ伝えなさい」
しかし、これをやろうとすれば迫害が待っている。実に日本のクリスチャンは人口の1%しかいないのだ。
この数値は韓国は勿論、中国よりも下である。
中国では「家の教会」が本当の迫害に遭った。
中国には、政府公認の「三治愛国教会」と、非公認の「家の教会」があったが、家の教会は激しい迫害にさらされた。しかし、後に中国の治安を宗教に担わせようとした政府はこれを黙認するようになった。
昔はクリスマスになると香港へ行ったものだが、今では上海へみんな出かける。
中国政府は、かつて「家の教会」を取り締まり、拷問なんかは平気で行った。しかし、結果的にキリスト教徒は一千万にまで膨れ上がった。日本の十倍である。
最初は、この「家の教会」のことを書こうと思ったのだが、もっと生々しいものがいいと考え、日本で起こりうる「迫害」について書いた。
また、何度も出てくるが、義姉は「教会の目的って結局金儲けでしょう?」と常日頃から言っていた。
これはアメリカならばそうかも知れないが、日本ではお寺が最も儲けている。大体戒名もお金だけでいい戒名がつくのだ。そしてもっと言うならば新興宗教の方が金を持っている。キリスト教なんかは人口の1%しかなく、金儲けならばもっと手っ取り早い方法がある。日本ではキリスト教の団体は社会活動なんかを行っていて、大半は貧乏だ。
さらに問題は、日本では迫害する者が迫害をしているとは気がついていないことである。
浩輔も、かつて田舎のお祭りに出ることを強制させられた。また、お見合いをするときに、仲人から「あんたは先祖祀りをするのか?」とか尋ねられた。
これが日本の「迫害」である。
実際に地方の村で育った浩輔は、村のお祭りでとんでもない光景を目にしたことがある。それは、村の鎮守の神様の祭りの会合で実際に起こったことだ。
その日、村祭りのために村の青年団(祭礼団)の初めての会合が開かれていた。
祭りの団長が浩輔に尋ねる。
「浩ちゃんも、兄貴の代わりによく祭りに来てくれたなあ」
「はい、でも実を言うと僕は○○神社のお祭りには参加できないんです」
「何でや?浩ちゃんも○○さんの家のように○○学会にでも入っているんか?」
「いえ、僕はキリスト教です」
「キリスト教いうたら、そんな固いことを言うんか?」
ここで信仰を試されていると思い、浩輔は祭礼団長にはっきりとした口調で宣言した。 「キリスト教では偶像崇拝と言って、他の神様を拝むことは禁止されています」
すると副団長が言った。
「何言うてるねん?○○神社はおまはんが産湯をつかった有り難い神さんを祭ってあるんやぞ」
「何が有り難いんや!○○神社で拝んでいるものなんかただの石や。病気を治してくれるわけでもなく、我々人間が運んでやらなかったら動くこともできんただの石やないか!」 一同がしらけてしまった。そこで祭礼団長が口をはさむ。
「まあまあ、浩ちゃんもこうして来てくれたわけやし、ええやんか。それよりも祭りにも参加しよらん家はどないしょうか?」
「そりゃ村八分やなあ」
「そうや、そうや、村八分や」
村八分とは火事と葬式以外は協力しないということだ。
これは農業を集団でやっていた江戸時代なら効果はあった。しかし、現代では農業は機械が全てやってくれる。また、農家の大半は兼業農家であり、サラリーマンなのだ。だから実効性はない。しかし、今だに「村八分」なんて言葉が残っているのだ。
浩輔はただ呆れるばかりだった。
これが日本の実態である。信教の自由なんかどこにもないのだ。
了
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