メンヘラ系の人達

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メンヘラ系の人達

(五)蛇女  蛇女とは故郷の淡路島の精神病院で出会った。高校の同級生であった。細身で身長も低く、その目は極端に細かった。そして歩く時には必ず背を丸くして歩いていた。その様はまるで蛇であった。私は最初は誰か分からなかった。しかし病院で彼女の名が呼ばれた時に分かった。高校2年生の時に同じクラスにいた女だ。  病院のアナウンスが告げた。  「池ヶ谷さん、池ヶ谷佐代さん」  「(あ、高校の時にいたなあ)」  そう思って私は診察室に入る彼女に声をかけた。  「あのー、池ヶ谷佐代さんですか?」  「え? 誰?」  やがて診察を終えて出てきた彼女にもう一度声をかけた。  「洲本高校で一緒だった大村です」  「ああ、わかった」  こうしてこの蛇女とのお付き合いが始まった。---と言っても、触りもしなければ手も握ったことはない。私は生来の嗅覚と本能で、この女の心まで「蛇」であることに気づいていたからだ。この蛇としばらくお付き合いしてから、私は別の女性と結婚した。  この蛇とは、いつの間にか家を往来する事になった。当時の私はクラウンに乗っていて、彼女を乗せて家に連れてきたことがあった。  この蛇はなぜか私をラバーズと勘違いしてしまっていたようであった。  彼女の家でピアノを弾かせてもらったり、自分の家まで連れて行ったりした。  自分の家に連れていった時には母が応対に出てきた。  「いいお母さんやねえ」と言っていたが、その言葉の中には一種の嫉妬が混じっていたことに後になって気づいた。  蛇の病名は知らない。本当に精神を病んでいるのかどうかさえ不明であった。しかし精神病院にいたことから、どこか悪いのであろう。  ある日のことである。彼女から私の部屋へ電話があった。私は自分の部屋に電話を持っていたのだ。「もしもし」と彼女が言うと、すぐに電話を切った。  その直後、家の電話へかけてきたらしい。母親が電話に出て応対したようであった。  私は面倒だったのである。彼女との関係が切れても何ということはない。  そしてある日、彼女が教会へ連れて行ってほしいと言い出した。そこで私はフェリーに乗って彼女を明石の教会へ連れて行った。  帰りは遅くなったが、彼女の親は何も言わなかったらしい。  その後、彼女が「フランス料理を食べに行きませんか?」と言ったので、行くことになった。我々は対面で座ったのだが、その時の彼女の顔の厚化粧に驚きを禁じ得なかった。リップこそ塗ってなかったが、顔一面吉原の花魁のようであり、それが剥がれ落ちないか肝を冷やした。彼女は私から見ればただのお婆さんであり、性的魅力なんかは微塵も感じなかった。しかし彼女は、それでも私のことをラバーズと勘違いしているようであった。  かの蛇女とは三ヶ月ほど付き合っただろうか?  やがてかの蛇女は、なぜか私のことを怖がり始めた。  それは、いつだったか、我々がガソリンスタンドに寄り、スタンドの店員が「お釣り二百五十円ですね」と言ったので、気が荒れていた私は「見たらわかるやろが!」と言ったことが、私を「怖い人」だと思った最初だったらしい。  また、この蛇女は異常に嫉妬深いのだ。それも私が別の女と付き合っているとかいった理由ではない。彼女が私の家に来た時に、私の母親が優しそうだったので、自分と比較してそこにジェラシーが生まれたようであった。  最初は「いいお母さんやねえ」と言っただけだったが、ある日、私は言ってもいないのにとんでもないことを言われた。  「大村さん、私がしんどかった時に『私の家族は世界一や』なんて言うた」などとのたもう。私はそんなことを言った覚えはないし、言う訳がない。この病気になってから母親は鬼婆そのものだったのだ。父親に言われて考えを改めたが、大体この病気になって家族がうまくいっているなんて話を聞いたことがない。この病気は差別の目で見られるのだ。  その上、この蛇は、私と同じく淡路島では名門の洲本高校を出ている癖に全く学がないのだ。  「韓国では日本人のことをチョッパリ、すなわち『豚の足』と呼ぶんよ」  と言ったら(当時、二人で韓国へ行こうと話し合っていた)、「何でそんなこと言うの?」である。複雑な日韓関係も、36年間の日本による統治もこの蛇女は知らなかったらしい。  その頃、私は教え子とお見合いをした。教え子と言っても年齢はそれほど離れてはいない。盲学校(この子は盲人ではなかったが)では針灸マッサージ師の免許が取れるので入学してきた知的障害のある女の子であった。  そして、私はその子と結婚した。  そして「結婚した」という報告を明石の牧師にたのんだのだ。  牧師の話では、私が結婚したということを聞いて蛇女は凍り付いたらしい。その後、こともあろうにこの蛇は私の母に生き霊を飛ばしてきやがったのだ。  私が結婚してから数年が経ってから母に膵臓癌が発見された。ステージ4であり、また膵臓ということもあって、手遅れであった。  私は直感で、蛇女が生き霊を飛ばしてきたことを悟った。そこで蛇に電話をした。  「お前、生き霊飛ばしたやろう。知らなかったとは言わせんぞ」と怒鳴りつけた。  「な、な、何のこと?」  勿論、生き霊と言われても、この蛇には何のことかわからなかったであろう。生き霊は呪術と違って、「飛ばした」という自覚がないのだ。しかし、この女が生き霊を飛ばしたことは確実だ。  こうしてこの蛇女との関係は切れた。  (三)中山恭司  もう一人の神経症者を紹介しよう。 彼の名は中山恭司。私が最初の学校で職場復帰したのと同時に常勤講師として私が勤める学校へ赴任してきた。教諭と講師と言えば、待遇も立場も大きく違う。その違いがどこから生まれるかというと「教員採用試験に受かっているか否か」という一点だだ。これだけのことで給与や待遇に大きな差が生まれてくるのだ。ただ、彼は体格はスリムであり、背は低いがイケメンで、授業が面白いので生徒には人気があったようだ。後に十年ぶりで彼に会った時には完全にメタボになっており、昔日の面影がなかったので私は驚くことになるのだが---。  中山は大学に一年浪人して入り、その上に留年をして7年間大学へ行っていた。何をしていたかと言うと、あるキリスト教系の新興宗教(イエス再臨教会という異端の教会)で宣教師として働き、大学を3年間休学していたというから本当の馬鹿だ。この3年間は彼に言わせれば「幸せだった」というけど、私にはそうは見えなかった。事実、彼は教員試験の面接で「7年間大学へ行って何をしていたのか」と面接官より尋ねられ、「イエス再臨教会の宣教師をしていました」と馬鹿正直に答え、教員採用試験に見事に不合格。  一方、私はカルト宗教を脱してからはキリスト教に救いを求めていた。色々な教会を遍歴する中で、ペンテコステ派(聖霊派)の教会に興味を抱いた。何でも、この宗派は現在ではプロテスタント最大の宗派であり、イエス=キリストや使徒の時代のような「奇跡」が今でも起こっていることを売り物にしていたからだ。だから、教会では異言でお祈りをし、また異言を解釈する者や預言をする者などが本当にいた。私がキリスト教に入るのはまだこの十年後だが、今まで入っていたカルト教団がキリスト教の影響を強く受けていたので、自然とキリスト教に興味がわいてきたというわけだ。また、聖霊派の教会での洗礼式の日になぜか志恩ちゃんが祝いに駆けつけて来てくれて、十年目の再会を果たす。  さて、ある日のこと。私が最初の学校での休職後、復帰してはいつものように医者へ行ったときである。鬱病がいつ再発するか分からないので、薬は必要不可欠だったから医者へは欠かさず行っていた。そして、待合室で長い待ち時間を何することもなく過ごしていたら、近くにどこかで見たような男が座っていた。中山だ。  「あのー。中山先生」私が声をかける。中山は驚いたようにこちらを一瞥し、急に下を向いた。「(まずい所でまずい奴に出会った)」と思ったのだろう。私は思いきって尋ねた。 「どこかお悪いんですか?」  「対人恐怖症です」  診察は中山が先だった。中山の名が呼ばれ、彼は診察室へ消えた。それから暫く経ってから私が呼ばれる。ノックをして診察室に入る。入るなりいきなり医者に尋ねた。  「待合室で中山先生に会ったんですけど、驚きました」  「ああ、あの人は真面目な先生や」  その後はいつもの通り医者に現在の状況を伝えて、薬の処方箋を書いてもらった。  中山の入っていたイエス再臨教会は異端の新興宗教だが、キリスト教系の宗教であるし、何よりも医者が「真面目な先生」と言っていたので、私はそれを鵜呑みにしてしまった。そしてこれが後で災いをもたらす。  薬局で薬を受け取り、中山と一緒に近くの喫茶店へ入った。中山が切り出した。  「俺、イエス再臨教団に入ってるねん。そこで三年間宣教師をしていて、七年間も大学行ってたんや」  「ふーん。どこの大学ですか?」  「○○大学の文学部哲学科です。」  彼は平然と私と同じ大学の名を出した。大体、この大学はお嬢様が花嫁修業に行く大学だ。そんなこと聞かれたからと言って臆面もなくよく出せるものだ。私は思った。しかし同じ大学だったことからなぜか親近感がわいた。そして、これが二つ目の災いの元だった。私は言った。  「僕も○○大学の文学部社会学科ですよ」  こうして私と中山は友人になった。そのことが後でどんな結果をもたらすかも知らずに---。  ところで、中山は酒もタバコもやらなかった。異端のイエス再臨教団では酒は勿論禁止、タバコも禁止、葉っぱで作ったものはみんな禁止されていたのだ。なぜかコーヒーまで禁止されていた。また、教団に入ったら数年間伝道に出なければならないらしい。  そしてある日のこと。職員室で中山が突然亮介に言った。  「先生、女はいるんですか?」  「いや、全くいない」  「それならいい所があるんですけど行きませんか?」  当時の私には「女」と言っても志恩ちゃん以外のことは頭になかった。志恩ちゃんに会えるのなら興味もあるけど、それ以外のことは何も興味ない。しかし話を合わせるために私は聞いているふりをした。  彼の言う「いいところ」というのは何と「テレクラ」だった。現在では男女の出会いの場としてみんなはSNSを使うが、当時は平成になったばかりで、インターネットさえなかった。だから、このテレクラというものが大繁盛していた。テレクラというのは男が個室(ブース)に入って女性からの連絡を待つ。そして、アルバイトを使ってこのブースへの電話番号を公衆電話にいっぱい貼りだし、女性がその番号に電話をかけるとブースの中の男が応対し、見事に話がついた時にはどこかの喫茶店なんかで落ち合い、上手くいけばそれからホテルなどへ直行するという、まあ「素人売春組織」だ。こんな所から電話をかける女性なんかは私から見ればただの「商売女」の類いであり、全く興味がわかなかった。しかし、中山はこの遊びに夢中になっていた。彼がこのような遊びに熱中することは、当然キリスト教から言わせれば「罪」。それなのになぜ彼がこんなことに熱中するようになったのだろうか? それは彼がイエス再臨教団でやってきた宣教の時の禁欲と関係があると私は思っている。イエス再臨教団では、先述したように3年間は伝道に出なければならない。その間宣教師の外人などと共に寝起きをする。マスターベーションをすることも許されていない。こんな生活を続ければ脳のドーパミンを流す部位が損傷し、その反動でおかしくなるのは当然だ。彼はイエス再臨教団を離れたわけではなかったが、この遊びに入れ込んでしまい、何百人という女と愛のないセックスを重ね、キリスト教では最悪の罪である水子まで作っていた。後述するが、このために彼には悪霊がごまんと取り憑き、最終的にはそれを払うために私の教会へやってきたというわけだ。  とにかく、この男の行動は常軌を逸していた。私も、この男の言われるままに「テレクラ」なるものへ出かけ、まるで売春婦のような女の子を「買った」ことがあった。それは後述するとしてこの男の常軌を逸した行動のいくつかを垣間見てみよう。   ある日、彼は初めてテレクラで女をモノにすることに成功した。相手は人妻。ここで彼がこの女とホテルへでも行こうものならキリスト教で言う「姦淫」の罪を犯すことになる。聖書には「もしあなたが真理の知識を受けた後に故意に罪をおかすならば罪のためのいけにえはもう残っていません(ヘブル書十章二六節)」と書いてあるのだ。すなわち、罪の身代わりとなって十字架にかかったキリストは、もう助けてはくれず、地獄行きということになるのだ。彼は迷ってドギマギした。しかし間髪を入れずに女は言う。  「主人とするのはもう飽きたの。いろんな方とやってみたいんです。よかったらホテルへ行きませんか?勿論ゴムは持ってます」  「うーん。ちょっとねえ。そこまでは考えていなかったので---」  すると女の顔が真顔に変わった。  「何よ!はっきりしない男やねえ。怖いの?」  「怖いの?」と言われたことが彼のプライドをズタズタに引き裂いた。  「(怖くなんかないわい。ただ神の戒めがあるんや)」  「ねえ、私なんかとするの嫌? それとも試してみる?」  「よーし、それほど言うのならホテルへ行こう」  こうして二人はホテルへしけ込んだ。先ずは休憩料金を払って部屋の鍵をもらう。その一連の動作に女は慣れているようだった。そしてホテルへ入ると女はコートと服を脱ぎ始めた。中山も服を脱ぎ、下着だけの姿になった。  「お風呂へ入ってきて」  こんな所だけは女は衛生観念はしっかりしている。  彼が風呂から上がると女は既にベッドで待ち構えていた。そして------。  この経験が彼を大胆にさせた。女を征服した男というのはなぜか妙な自信を持つものである。彼は神を神とも思わない危険な自信を持ち始めた。そして、これ以後の彼の行動はまさに常軌を逸したものに変貌していった。彼は講師とは言え、一応は高校の教師だ。先生だ。せんせい。なのに女子高生にも手を出した。また、異端とは言えクリスチャンなのに人妻にも次々と手を出していった。背中に観音様の入れ墨を入れた女にまで手を出したし、その数は数百名。数え上げられないほどだった。悪霊に取り憑かれているとしか思えない。  後に彼は私に自慢げに語ったことがある。まるで武勇伝だ。  「俺なあ、3人の女を車のバンパーに手を着かせてバックからやった。そら気持ち良かったぞ」  「俺が女を車に乗せると『させろ、させろ』と強引に誘った。でも女が嫌がったので女を山へ捨ててきた」  「人妻はええぞう。テクニックを知ってるからなあ。5万円や。女子高生はよく言うことを聞く。3万円や」  このようにして彼の「性の暴走」は十年間続いた。キリスト教から言えば確実に地獄行きだ。しかし彼はキリストを信じてさえいたら地獄へ行くことはないと信じていた。  実は私もテレクラなるものに2回ほど誘われて行ったが、面白くもなんともなかった。また、あろうことか中山は女を二人連れてきて私と一緒にホテルへ行ったのだ。この時、私は何もしなかった。私にとって女とは志恩ちゃんだけであり、3万円で体を売るような女は売春婦に他ならなかったからだ。  しかし、この頃は私と中山はまだ良好な関係をつないでいた。  そして私は実家近くの学校へ転勤になる。   *  中山のように攻撃欲の強い人間は私のような心の弱い奴を攻撃の対象にしてくるから要注意だ。最初、私は、このような中山の性癖を知らなかったので、思うがままに標的にされまくっていた。大体、攻撃欲の強い人間というのは自分以外の人間には何の価値もないと思っていることが多く、それを相手に思い知らせるためには何でもする。また、自分と違った意見を決して認めようとはしない。こういう人間と付き合っても得るところは何もない。否、失うものの方が大きい。こんな奴に対して「いつかは分かってくれる」なんて甘い幻想を抱くことは禁物だ。奴らの狙いは「破壊」なのだ。そして、私が故郷に帰って間もなく中山が電話で牙を向けてきた。 この頃、私は貴岩現正法をやめてキリスト教に関心が向かい始めていた。できれば教師を辞めて宣教師になりたいとも思っていた。そんな折り、私の実家へ中山から電話がかかってきた。  「電話やで。何か中山とかいう人からや」電話は父親が取った。  「ああ、久しぶりやないか。教師もしんどいなあ。わしはキリスト教の宣教師にでもなろうかと思っているんや」  次に中山の発した言葉に私は我が耳を疑った。  「何が宣教師や。宣教師の厳しさがわかってるのか?」  そう。彼は異端のイエス再臨教団で3年間宣教師をやっていたのだ。7人のキリスト教徒を作り出している。後に亮介も宣教に成功し、同数の7人をクリスチャンにさせている。だけどこの頃には私はキリスト教徒でさえなかった。  「そんなもん分からないけど教師にも疲れてなあ。なんせ、今俺の勤めている学校は教育困難校やからなあ」  「それがどないしてん? この馬鹿が」  当然私は切れた。向こうから電話してきて何という無礼なことを言うんだ?  「お前、俺を怒らせるために電話してきたのか?」そう言って電話を切った。  これが後から思えば攻撃の第1弾だったんだな。  その後、彼からの嫌がらせは途絶えていた。しかし、電話で話すことは続いていた。そして三十代の後半に私は結婚する。中山は相変わらず身分の不安定な講師をやったり塾で教えたりしていた。  私が結婚した相手は知的障害を持っていた。少し幼児のような感触のある妻だった。何かあるとすぐに泣き出すし、また泣き出すと始末に負えなかった。だが、私はこの幼児のような妻を愛した。そして歪んだ結婚生活が始まった。 実は私はサディストだった。女が苦痛に顔を歪める様を見て興奮する癖があった。その上に私ロリコンだった。こんな奴が教師をやっていたのだから危険だ。そしてその私の刃はこの妻に向けられた。  この頃には私は教育困難校から転勤して町の中にある進学校の教師になっていた。しかし、今度はその学校の教師からいじめられて、やり場をなくした私の刃が妻に向かうことになった。  ある日のこと。私はどこから買ってきたのかセーラー服と手錠を持ってきた。「あのなあ、洋子。わしはなあ。これやなかったらあそこが言うこと聞かへんのや。今からお人形さんにしたるからな。これ着ろや」  あまりのことに妻は目を丸くし、素っ頓狂な声で言った。  「何、これ?これで何するの?」  「お前はSM言うて知ってるか?それをやるんや。そやから早く着替えろ」  この知的障害を持った妻は、私を逃したら結婚相手なんかないことを肌で感じていた。だから渋りながらも嫌々従った。そしてセーラー服に着替えた。  「よーし。それでええ。次は手錠で柱にくくりつけてやる。」  妻は恐怖で震えだした。優しく甘いマスクの下にこんな変態性欲が隠れていたなんて思いもよらなかったからだ。しかし怖がる妻を尻目に黙々と作業をこなし始めた。手錠を両手にぶら下げると、次にその手錠を柱に掛けた。こうして妻は辛うじてつま先で立っている状態となった。私は益々燃えてきた。  「そうや、よくなったぞ」そう言ってスカートを下にずり下ろし、ク○ト○ス用のバイブを持ってきてパンツの中に入れた。妻は泣き出した。  「嫌ー、嫌ー」  そうして妻の手錠を外し、ことに及んだ。  以後、妻はこのような私の変態性欲のはけ口になってしまった。そして、このようなセックスが十年間も続いた。             *  新任校の時に生徒から恐れられていた教師だった私は、既に見る影もなくなっていた。その上に鬱が何回も再発して学校はしょっちゅうお休み。だから管理職や他の教師からの評判はすこぶる悪かった。  しかし、なぜか生徒は私の味方だった。授業は分かりやすくて楽しいし、教師にありがちな威圧的な態度は決して取らなかったからだ。教師にとって必要なものは「カウンセリング・マインド」だと考えを変えていたからだ。そして、この頃には貴岩現正法からとっくに抜けてキリスト教徒になっていた。  そして4校目の学校での初めての年に私は久しぶりに担任を持った。なぜか担任生徒から好かれた。その理由は定かではないが、私は「素の自分」を出していたからだと考えられる。ロングホームルームなんかでは何をしていいか全く分からず、副委員長の女子生徒に仕切らせていた。生徒達も私のことを「馬鹿」だと思っていた。  その生徒の私に対する認識が変わったのは最初の授業だった。  私は初任校で「世界史の神様」とまで呼ばれるほど授業が上手かった。「分かりやすい授業とコペルニクス的転回」が私のモットーだった。そして、この頼りない男が授業だけは優れていたので、最初の授業が終わった時に生徒が集まってきた。  「先生、アホやと思っていたのに授業上手いやん。どないしたん?」  こうして○○西高校の一年目が始まった。  一方の中山は相も変わらず講師をやったり塾で教えたりしていた。男女の出会いはテレクラからSNSの時代になっていた。だから中山は完全に「姦淫」から手を引いていた。勿論、お金も底をついていたこともある。そして、その数年後に私は中山と再会するのだが、中山は見るも無惨に太っていて、完全なあ「メタボのおっさん」になっていた。  一方、私の教師生活だが、実はこの学校でうまくいっていたのは最初の一年だけだった。これ以後、私はしょっちゅう「お休み」をする問題教師になってしまったのだ。そして生徒達が二年に上がると私は半年間の病気療養に入った。 *  私が仕事に復帰してから小さな問題が社会科内で発生した。それは、時間割の都合上、一人の教師が二十時間も授業を持たなければならなくなったということだ。普通、高校での持ち時間数というのは、一人十六~十八時間。少し多い。そこで非常勤の講師を呼ぶことになった。非常勤講師の持ち時間は4時間。こんな少ない持ちコマ数で来てくれる講師なんかいるのかなあ?よっぽどお金に困っている奴なら来てくれそうだけど---。 そうして私は中山のことを思い出した。彼なら来てくれるかも知れない。そして社会科主任に言った。  「心当たりがあります。少し電話してみましょう」そう言って携帯で中山に電話を入れた。彼は即OK。そうして私はまた中山と一緒に働くことになった。彼は全く変わっていた。何と言っても丸々と太って、完全なメタボになっていた。彼は講師ということで、一番楽な進学クラスを受け持つことになった。そして、なぜか生徒から嫌われていたようだった。生徒の評判なんかどうして分かるのかって思うだろうが、実は、これは私が保健室で「不登校気味」の女子生徒の「友達」から聞いたことだった。  中山は人のことを悪し様に言う天才だが、それは面と向かってではない。あくまでも電話で言うのだ。彼はそれほど気が弱かった。しかしその弱さを見せまいと必死の努力をしていた。  彼には正教員に対するルサンチマンのようなものがあったのかも知れない。しかし、私は普通に接していたので、当時はその怒りの矛先が私に向けられることはなかった。その上、学校で生身で面して座っている。対人恐怖症の彼が文句を言うはずがない。嫌がらせはあくまでも電話を通してだ。  彼がこの学校に居たのは一年間だけ。しかし、その後に近郊の学校よりお呼びがかかり、常勤講師として出かけていた。そして翌年には特別支援学校へ行くが、ここで生徒を殴って懲戒免職になり、その後は講師のお呼びがかかていなかった。何をしていたのかと言うと、所謂「引きこもり」さんになっていたのだ。精神病院の閉鎖病棟への入院歴もあった。その閉鎖病棟では拘束具で拘束までされていたらしい。  一方の私は休み休みしながらもこの学校に6年居て、その後故郷の特別支援学校へ飛ばされた。それは私にとっては全くおもしろくない事実上の「左遷」だった。勿論特別支援学校というのは教師が「左遷」されて行く所ではない。何もかもできないとこんな仕事は勤まらない。しかし「世界史のプロ」を自認する私にとっては事実上の左遷だった。  そして、この特別支援学校に5年間居て、教師を辞めた。辞めても生活していけるだけの資金は貯まっていた。また、障害年金も出るようになっていたので、贅沢さえしなければ生活上の不便はなかった。 また、友人と二人で学習塾を始め、英語の教師として教えてもいた。  ここまでは、特に何の問題もなかった。しかし、その後が悪い。この「引きこもり野郎」の中山が私に牙を向け始めたのだ。    *  その頃、私は妻と離婚した。原因は「夜の生活」ではない。特別支援学校へ転勤になると、アパートを出て違う町へ行かなければならなかったので、それを妻は渋った。大体教師には転勤はつきもの。これを渋るようでは当然結婚生活なんか続くわけがない。そして特別支援学校へ来て2年目に二人は市役所に離婚届を提出した。  やがて特別支援学校へ来てから5年後に私は三一年間勤めた教師を自ら辞めた。不思議なもので、それまでは教師という社会的地位があったために近寄ってきていた人達も距離を置き始めた。こうして私は退職とともに多くの友人を失うという副産物も得た。そんな中で友人として残ったのが、同じ「病者」であった中山だった。また、新しい仕事として始めた学習塾の共同経営者がいた。彼とは中学以来一緒で、同じ一二〇万円ずつ出し合って塾を運営していくことになった。彼は三十年前に仕事を辞めて司法試験を目指していたのだが、受からずにやっと司法書士になることができ、開業するようになった。資金は私と二人で出し合って、司法書士事務所と塾を兼ねた施設が出来上がり、彼は司法書士事務所と塾の二股をかけることになった。   *  私は中山の性癖を最初は分からなかった。なぜなら、しょっちゅう会っていたからだ。彼は電話でしか口論を出来ない。私が怖かったからだ。なぜかは分からないが、その恐怖心は彼の表情からも窺い知れた。私は空手や古武道の段を持っている。面と向かって喧嘩はできないと踏んでいたのだ。  その上中山は私に嫉妬心を抱いていた。  人を悪し様に言う奴の目的は何か?それは「破壊」である。「攻撃欲の強い人間でも人の痛みをいつかは理解してくれるだろう」なんて考えるのは幻想だ。彼らは敵とみなした人間に嫉妬心を燃やし、最終的には破壊することしか考えてはいない。しかし、最初はそれが分からなかったので、私は中山の挑発に乗ってしまった。  話は私が教員をやめた頃に遡る。なぜか中山が私の通っている教会へ行きたいと言い出した。  「え? イエス再臨教会が気に入っていたのではなかったの? 三年間何のために宣教してきたの?」  私には疑問だらけだったが、とにかくこの男を自分の教会へ連れて行った。  私の教会は使徒の時代の信仰を保っている教会だ。病の癒やしや悪霊の追い出しなんかは日常茶飯事のように行っていた。そして、ここへ中山も連れて行ったのが始まりだった。  その前に中山は精神病院に入院していた。閉鎖病棟だ。それも暴れないように拘束具までつけられて。しかし、父親の葬儀があるという理由で退院できたらしい。それからは引きこもりのような生活を送っていた。  初めて中山が私の教会へ来た時にピアニストの女性信者が言った。  「大村さんの連れて来た人、気持ち悪い。いっぱい悪霊が憑いていたわよ」  この女性は預言も出来るし、異言を解釈することも出来るし、かなりの能力を持った方だ。そしてある日、牧師による「悪魔払い」が行われた。  牧師が中山に手を置いた途端に悪霊が中山の口を借りて話し始めた。  「お前は誰だー? 何の権威があってこんなことをする?」  「黙れ! 悪霊! イエス=キリストの御名によって命じる! この者から出て行け!」  「わしはこいつの中にいる時が一番気持ちがいいんじゃ。イエス=キリストなら知っている。お前は何物だ?」  「キリストに仕える者だ! お前こそ名を名乗れ!」  「うーん。うーん。ベルゼブル!」  ベルゼブルというのは聖書にも出てくる有名な悪魔だ。こいつにはそんな大物が憑いていたのだ。そして悪魔払いは三十分くらい続いた。こいつは大物だから一回や二回では出て行かないだろう。そして教会からの帰り道、中山と私は電車の中で色々話した。 ベルゼブルのことなんかを---。  実は、中山は私の通っていた教会からは嫌われていた。特にピアニストの女性などはあからさまに嫌っていた。  それから暫く経って、中山は突如私に言った。  「よーし。俺は決めた!イエス再臨教会を辞めてあんたの教会へ行く」  大変なことになった。彼は私の教会へ来ると言っている。私もさすがにこれには驚いて、帰宅後早速牧師に電話を入れた。牧師は最初は二つ返事でOKしたが、その後に私に電話がかかってきた。  「あのなあ、中山さんの話やけどなあ、悪いけどピアニストの○○さんが『あの人気持ち悪いから嫌や』と言ってるねん」  「え? 信者獲得のチャンスですよ。どうするんですか? 僕はこの件に関してはもう関わりたくないので、そちらで処理して下さい」  「わかりました。彼には別の教会を紹介しましょう」  そして牧師は同じ聖霊派の彼の家の近くの教会を彼に紹介した。彼はその教会へ行ったようだ。  そして、その頃から中山は私の教会へは来ず、またイエス再臨教会へ戻ったようだった。私は相変わらず、その聖霊派の教会へ朝早く起きて高速バスと電車で通っていた。中山とは電話とメールだけのやり取りになってしまった。そして、この頃から中山の亮介攻撃が始まる。  ただ、中山は最初から亮介を攻撃していたわけではない。亮介が可笑しくなるようなメールを送り、中山が日に三度くらい電話を寄越してくるようになったのだが、話の内容は他愛もないようなことばかりだった。この頃から中山は私の変態性欲を笑いものにし始めた。  先ずは私が中山にメールを送る。  「志恩ちゃんを誘拐して柱に縛り付け、パンツを脱がせて硫酸を浣腸し、ク○ト○スに電気針を突っ込んで拷問したい」  「森本美加ちゃんの乳を揉みたい」  勿論冗談だ。しかし私の性欲は確かに異常なものだった。逃げられた妻との「夜の生活」もそうで、妻の洋子をセーラー服に着替えさせ、柱に縛り付けてスカートを脱がし、それからパンツを脱がせて鞭で叩いたり洗濯ばさみで乳首を挟んだりして悦に入っていた。妻もこのような性癖に慣れてきたのか、何も言わないようになっていた。そのような性癖についていつ中山に話したのかは忘れたが、中山はそれを知って「この変態め」とか言ってくるようになった。しかし、私はそれを冗談で言っていると思って気にもとめなかった。  私が変態メールを送ると必ず中山から携帯に電話がかかってくる。  「この変態め。そう言えば、テレクラで二人の女を引っかけた時に、わしはええ方の女をあんたにやったのに、あんたはセックスできなくて『わし、鞭でしばいたりせえへんかったら立たないねん』とか言って俺の部屋まで来たことあったなあ」  実は私が変態だったから何もできなかったのではなく、引っかけた女が自分にはただの売春婦にしか見えなかったからだ。その頃の私には清楚な志恩ちゃんのことしか頭になかった。売女とはやる気にはならなかった。大体、テレクラなんかに電話してきておじさんからお金をもらおうなんて考えるのは、既に売春婦だ。日本はここまで腐ってしまったのか、と私は考えていた。  中山の電話は日に三回くらいあった。よほど暇なんだ。嬉々として電話をかけてきては私をからかう。  「おい、この変態め。もう十三のSMクラブへは行かないんか?」  私は大学の先輩に勧められて二回そこへ行ったことがあった。そして、それも中山のからかいの対象になっていた。   この頃から中山の電話攻勢が始まった。勿論面と向かっては何も言えないから電話で難癖をつけてくるのだ。   亮介がパソコンで何か書いていると、決まって電話がかかってくる。  「何してるねん?」  「小説書いてるんや。それより小説、また一部分読んでやろうか?」  「ああ、面白いの読んで」  「『耕輔は洋子を柱に縛り付けて言った。『今からお前を拷問してやる。痛いと言ってみろ』『きゃー。痛い』『もっと叫べ。もがけ』突然野獣になった耕輔に対し、洋子は身震いした」  「どうや。SMの場面や。面白いやろ」  「何が面白いんや。いてもてるだけやないか。(この『いてもてる』という言葉は亮介が発明し、中山も昔『さすがに小説家やなあ。面白い表現使うなあ』と言っていたものだ)」  親切に笑わせてやろうと思って小説を読んだのに難癖をつけられて亮介は頭髪天をつく勢いで怒った。  「何? お前、今までに俺の小説読んだことがあって批判してるのか?」  「ああ、読んだことあるよ。」  「読んだ言うて一部分だけやないか。やるのか?」  「やらへんよ」  私は電話を切った。切った後も暫く怒りで打ち震えていた。こいつは何でも難癖をつけたいのだ。そして、その心理は実に解しやすい。彼は難癖をつけることによって人よりも優位に立ちたいのだ。そして認めてほしいのだ。  こういう承認欲求の強い奴を相手にしても何の得にもならない。しかも中山は引きこもり君だ。最後の講師の仕事が特別支援学校で、そこで生徒を殴って懲戒免職になってから仕事もせずに自宅に引きこもっていたのだ。だから承認欲求が人一倍強い。その上、中山は私と同じ大学を出ていて、私はそれを三流大学と思って引け目を感じているのに、彼はなぜかそこを一流だと思っているようだった。だから、彼は言いたいのだ。  「一流大学の哲学科を出た俺様をもっと認めろよ」  その証拠に中山はかつて私にこう言ったことがある。  「俺等の大学の文学部では哲学科の方が社会学科より上やなあ」  三流大学出同志でどちらが上も下もないだろう。しかも彼は一浪して入っている。亮介は現役だ。しかし、あまりの悔しさに私が反論したことがあだとなった。  「(そんなことはない。自分達の入試の時、哲学は三二〇点代で社会学は三四○点代だった。)そうかなあ。でも俺は哲学には興味なかったから」  「おおお? 悔し紛れにそんなこと言うのか?」  悔し紛れでも何でもない。本当にそうだった。それから哲学なんかやって何になるんだ?興味のない奴には全く興味がないんだ。その上、彼はあまり勉強してないのか、専門のギリシア哲学については詳しいけど、ニーチェやショーペンハウエルのことなら私の方がよく知っている。大体大学なんかどこを出たからどうだって言えるものではない。しかし、中山はそれでも自分の大学を「一流」と思っていたいのだ。 また、彼が白痴であることを露呈する発言は他にもある。  元々私の書いていた小説はネット小説。純文学ではない。しかし彼は言った。とんでもない人の名を---。川端康成だ。私は我が耳を疑った。川端康成がネット小説に投稿しても誰も読んではくれないぞ。  「『国境の長いトンネルを越えるとそこは雪国だった』ああすばらしい。何という名文だ」  なんてスマホ片手にネット小説を読む人が言うと思っているのか? バーカ! もっとライトノベルのような作品が読まれるのだ。こいつは本当の馬鹿じゃないのか?  そして、よく耳を傾けて聞いていると、彼は同じ名前を何度も出している。例えば田山花袋とか夏目漱石とかだ。彼はあまり文学作品というものを読んではいないようだ。また、こちらに負けないように知識をフル動員しているように感じることさえあった。例えば、電話中にピアノの音楽をかけていると、「何聞いてるねん?」と尋ねてくる。私が「ピアノだよ」と言うと、「ああ、辻井伸行なんか有名だねえ」なんて言ってくる。ピアノと言えばその名前しか知らないのか? 私が聴いていたのはアリス・サラ・オットだったし、また好きなピアニストはユジャ・ワンだった。しかし、あまり知識をひけらかすと中山が電話口の向こうであからさまに嫌な顔をしていることがわかるので、私は何も言わなかった。  また私の書いた論文にケチをつけられたこともあった。 教会からの帰り道、電話が中山よりかかってきて彼は言った。  「今日は教会で悪魔払いなんかしたのか?」  「いや、してない。ただ、俺の書いた論文を牧師に読んでもらった」  そう言った私が馬鹿だった。早速中山の攻撃が始まった。  「どんな論文や?」  「元ウルトラ右翼がネトウヨに対して文句言ってるだけや」  「そんな現代的でない論文なんか売れるかいな」  私はただ唖然としてしまった。先ず、論文は懸賞論文であって「売る」つもりでなんか書いてはいない。それが分からないらしい。しかし、カレントなトピックも書いてある。そこで言った。  「いや、俺は所謂ネトウヨのことを書いただけや」  「ああ。あんたの塾の共同経営者がネトウヨなんやろ。知ってるわ」  勿論、共同経営者のことである。しかし知識と言い、ディベート力と言い、明らかに彼の方が中山よりも秀でている。 「それに、現代的なことも書いてあるよ」  「どんなことや?」  「例えばヘイト・スピーチのことや北朝鮮のことなんかも書いてある」憤然として亮介が言うと、奴は反論してきた。  「ヘイト・スピーチって何やねん?」  こいつはヘイト・スピーチを知らない。説明するのも面倒であったが、亮介は説明した。  「鶴橋や新大久保へ行ったら在日コリアンに向かって『帰れ』とか『チョン公』とか言ってデモやってるやないか?」  「へえ。在日朝鮮人を擁護する論文でも書いたのか?」  「いや、そういうわけでない。こんなことをする日本人が恥ずかしいと書いたけど------」 「お前は朝鮮人の味方をするのか?」  「別にどこの味方をしているというわけではない。それから彼らがなぜ韓国のことにしか興味がないのか不思議なだけや」  「あんたの言うことなんか分かってるわ。韓国や北朝鮮の悪口を言うなと言いたいんやろ」  「そうやけど、ネトウヨの言う『在日特権』というのは幻想やと書いただけや」  「そんなこと書いたらネットが炎上するで」  大体、有名人でもない亮介のネットなんか「炎上」しようがない。彼は「炎上」という状態を知らないのだ。  「それから、韓国よりもロシアの方が酷いことやってきた。スターリンが日ソ中立条約を破って満州・千島・樺太へ侵攻してきて何十万という日本人をシベリアへ連行したこと知ってるやろ?」  「アホか。ロシアはなあ、凍らない港が欲しかったんや」  亮介はこの男の無知に驚いたんだ。教員試験を目指していた奴がこんな歴史も知らないのか?確かに不凍港はロシアが長年求めていたものだ。しかし、この時代にはロシアは既に極東に不凍港であるウラジオストクを獲得していた。スターリンの軍隊はヤルタ協定に基づいて参戦したのだ。それから、北方領土は不凍港だからではなく、戦略上の要衝だったから取ったのだ。事実、真珠湾を攻撃した空母は択捉島から出撃している。このバーカ!そう思ったが私は言葉を続けた。  「例えばなあ、朝鮮人狩りなんてナチスのジェノサイドのようなもんや。それからナチスは僕らのような精神障害者を先ず収容所入れて殺したんやで。それをどう思う?」  「そんなことどこに書いてあった?」  「(どこに書いてあったって、これは世界史を勉強したことがある奴なら常識ではないのか?そんなことも知らないのか?)」  そう思って私は絶句してしまった。  そしてこいつは極めつけの一言を言ったんだ。  「韓国と北朝鮮は同じや」  「どこが同じなんや?」  「あいつらは劣等民族やからや」  それからも彼の下らない説が延々と続いたんだ。日本が日露戦争に負けていたら今のアジアの独立はないとか言った、元右翼としては耳にタコができるほど何回も聴いていたことばかりだ。まあ、ネトウヨに限らず、こういう考えはある。しかし改めて聞かされるような内容ではない。みんな知っている。それにしても、「劣等民族」のサムスンに抜かれる日本の電気メーカーというのは大変情けないことにはならないか?  さすがにこの時は私も頭にきて、もう絶交しようと思った。しかし、彼の電話攻勢はまだまだ続いた。彼はこのディベートに勝ったと思ったのであろう。その後も電話を入れてきた。  「中国腹立つのう」とか言ってきたのだ。私は聞いているふりをした。  中山はそれから、ことあるごとに私の教会がいかに劣っていて、イエス再臨教会がいかに優れているかを力説した。例えば、教会で洗礼が行われた日のことだ。牧師が洗礼槽に水を張って、そこである女性信者が洗礼を受けることになった。元々浸礼という洗礼の方式はこれからクリスチャンとなる信者の体全身を水に浸ける。だけど、この時にこの女性の腕が少しだけ水から出ていた。  「父と子と聖霊、すなわちイエス=キリストの名によって洗礼を施す」  そしてこの洗礼式のことを中山は言った。  「あの女の人、腕が出てたで。これでは天国へ行かれへんなあ。僕らの教会では洗礼の時はきちんと見張る人がいて、全身を体につける」  「ふーん(それなら滴礼を行っている教会なんかどうなるんだ?)」  しかし、それから中山は私の教会へは来ず、イエス再臨教団へ戻っていった。そして、それからも中山の、私の教会に対する批判が延々と続く。それも異端の教会らしく、聞いていて失笑するようなことばかりだった。例えば、  「俺の教会には預言者と使徒がいるねんで。あんたの教会には居るか?」  とか(預言に関してはパウロは教会員全員が預言できるようになることが望ましいと言っている。だから新約の時代では預言者なんて特別に置く必要はない。また、使徒がいたのは使徒の時代だけであって、今そんなものを置いている教会なんか存在しない)、 「あんたの教会はどう見ても不健康そうな、それも社会からの脱落者しかいない。イエス再臨教会には心臓外科の権威や有名な政治家もいるぞ」とか宣う。しかし、イエスが言ってるではないか。  「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である」と。  その他にもイエス再臨教団には神殿があるとか、どうでもいいようなことを自慢してくる。しかし、そんな素晴らしい教会へ行っている自分はどうなんだ?   しかも彼の電話の内容は下劣極まりないものだった。  「もしもし、姉ちゃんどんなパンテイ穿いてるの?」  これはいつもの中山の挨拶である。どこまでも下衆な野郎だ。 「ああ、白のパンティや」  「このロリコンめ。白のパンティがそんなに好きなのか?俺は黒やなあ」  「(何を言ってるのか? この下衆野郎)それよりも、あんた命の電話のボランティアやるとか言ってたなあ。少し練習してみるか?」  「ああ、ええよ」  彼は本当に命の電話のボランティアをやろうとしていたのだが、研修段階でやめてしまっていた。試しに私が言った。  「もしもし、俺自殺したいのやけど」  「あんたやったら何と言う?」  「そんなもん簡単や。『あなたの自由ですよ』や」  「そんなこと言うたらあかんやん。死んでしまうやん」  「じゃあ、お前は何て言う?」  「あのね。この世にはね。生きたくても生きられない人がいるのですよ」  私は思った。  「(こいつ、本当の馬鹿じゃないのか? そんなこと言われたら俺なら即電話を切る。生きたくても生きられない人がいるなんてわかっているわ)」  まあ、それだけの知能しかない奴だ。しかし、メールを何通も送っていた私も悪いと言ったら悪いのかも知れない。私は昔、こんなメールを送ったことがあった。  「今日の3時に首を吊って死にます」  これが後々尾を引くことになろうとは一考だにしていなかった。 ところで、中山は特別支援学校で講師をしたことがあったが、生徒に体罰を行ってクビになったことは話した。私も最後が特別支援学校だったので、そのことはよく話した。中山は言う。  「特別支援学校のき○がいどもは本当に疲れるわ」  「ああ、俺も5年で嫌になって辞めた」  「俺は1年ももたなかった。生徒に暴力ふるってなあ。クビになる前に組合に相談した。組合の人は親切やったで。校長の言うことをメモするか録音するように言われた」  「(右翼的な発言を好む奴が組合なんかに相談するな!)ふーん」  「あいつら、ほんまにキ○ガイやなあ」  「ああ、キ○ガイのような奴もいた。俺が担任した奴なんか『vs嵐~。○○君怖い』ばかり言って教室からよく逃げていた」  「ふん。怖いのはお前じゃ。ところで特別支援学校の女教師にはどうしてあんなにブタが多いんやろうか?」  「あんたの学校もそうやったんか?うちにもブタがいっぱい居た」  この頃は私と中山との関係は良好だった。私が中山のターゲットにされるのは、その何年後かだ。  ところで、この「ブタ教師」はまるで二人の合い言葉のようになっていた。  それは、私がまだ普通科高校に勤めていた頃に雄略天皇のことを話した折、雄略天皇が「大悪天皇(はなはだあしくましますすめらみこと)」と呼ばれていて、「牛姦(うしたわけ)や馬姦(うまたわけ)」をやったと授業で話したところ問題になったことがあったので、中山はしょっちゅう「ブタ教師とブタ姦~」などと言って電話口の向こうで騒いでいた。しかしどこまでも下衆な野郎だ。  また、こんなこともあった。  私は昔医師の診断書に「不治」と書かれたことがあった。それを揶揄して中山が私につけたあだ名が「ロリコン・変態・不治」だった。でも中山から「ロリコン・変態・不治」と言われても最初は特に腹立たしくは思わなかった。ただ、「あんたはSMの罪によって『ブタ教師地獄』へ落ちる」と何度も言うので、腹が立ってきた。普通クリスチャンが地獄へ落ちるということはない。なぜならば我々の罪の身代わりとなってイエス=キリストが十字架にかかって下さったと信じているからだ。だから、「地獄へ落ちる」という言い方はキリスト教の救いの根幹に関わる重大事だ。しかし彼の考えではイエス再臨教団では地獄へ落ちず、私の教会では地獄行きだと言うのだ。大体、地獄へ落ちるのはあんただろう。救いにあずかりながらテレクラで女を五百人斬りした(しかも未成年や人妻にも手をつけて水子まで作っている)上に、悪霊に取り憑かれている人間なんか天国へ行けるわけがない。神は姦淫や堕胎を最も嫌われるのだ。  私は中山に尋ねた。  「ブタ教師地獄言うのはどんな所なんやねん?」  「そら、ブタ教師と永遠にセックスする所や」  「何じゃ、それは?」  私に電話がかかってくる時は大体中山の決め台詞があったんだ。パターンはほとんどいつも同じ。  「もしもし、このオ○ンコ野郎が」  「もしもし、このロリコン・変態・不治が」  しかし、私と同じ大学の哲学科というのはこんなにボキャブラリーが貧困で品性が下劣なんだろうか?つくづく情けなくなる。  そうこうするうちに中山は完全に私を見下し、上から目線で物を言うようになってきた。私はいつも下手に出ていたし、また人を見下したような態度を取ることもなかったので図に乗ってきたのだ。その極めつけが、私が冗談で天皇家のことをメールで書いてきてからだ。どうも私が皇室をないがしろにしていると中山は考えたらしく、いつものように中山は電話で難癖をつけてきた。  「お前なあ、天皇陛下に対して不敬なこと言うなよ」  「何言うてるのん。そんなん冗談に決まってるやんか」  「いや、冗談でもいかん」  「それならお前は天皇陛下についてどう思っているんや?」  「愛してる」  「まあ、今上天皇陛下(今の上皇様)はええ方やからなあ」  「あかんで。ほんまに。皇室をないがしろにしたら」  こういう上から目線の物言いを中山はする。何故?人よりも上に立ったと思いたいからだ。  天皇陛下に対する不敬な言い方というのは問題となるので割愛するが勿論冗談だ。  そして、最初の間は中山はそれを楽しんでいた。しかし、急に私を非難し始めた。そして、今になってその理由が私には分かってきた。彼は何でもよかったのだ。皇室であろうが何であろうが、私を攻撃したかったのだ。攻撃欲の強い人というのは必ず何らかの形でコンプレックスを持っている。彼は現役の私とは違い、一浪して同じ大学へ入っている。また教師時代、私は正教員で中山は講師であった。それに武道の腕前も私の方がはるかに強く(中山は空手8級だった)、また私は英語の教員免許も持っていて、英語力も彼よりはある。ピアノも弾ける。そこで自分をより以上に見せたいという中山の欲求が攻撃という形をとって現れたのだ。 中山という奴は気の弱いチンピラと同質の人間だ。大体、彼はネトウヨの真似をしようと思っていただけであって、ネトウヨは天皇陛下のことなんか何とも思っていない。彼らは韓国が嫌いなだけであって、陛下に対する思い入れを何か持っているかと言えば、何もない。中には天皇陛下のことを「左翼」呼ばわりするネトウヨまでいるのだ。  中山はネトウヨ以下の存在だ。彼はネットに対するリテラシーを持っていない。だから的外れのようなことを盛んに言うのだ。    *  そんな中山でも喜んで亮介から聞く話が一つだけあった。それは「マルタ」の話だ。 私が大学時代に所属していた古武道部では、よく言われるように「一年はゴミ、二年は平民、三年は貴族、四年は神様」だった。だから練習が終わると、三年の一部の者が一年を呼び出して、「新しい技を覚えた」と言っては一年にそれをかける。技をかけられる一年を部では「マルタ」と呼んでいた。当然のことだが、「マルタ」は森村誠一の「悪魔の飽食」から出た言葉だ。  この「マルタ」の中に沢村洋介という一年生がいた。いつも先輩の技の実験台にされる奴だ。この他にも一年生はいたが、三年生の「遊び」が始まると、どこかへ雲隠れしてしまう。悪い三年生が言う。  「ええ技覚えてきた。おい、マルタはおらんのか? マルタは?」  「沢村君以外みんな逃げてしまってます」  「なんじゃ。逃げ足の速い一年生どもやのう。沢村、こっちへこい!」  そう言って可哀想に沢村君に技をかける。  「痛い、痛い、やめて下さい」  「よーわめくマルタやのう。もう飽きたわ」  そして毎日可哀想な沢村君はマルタになる。そして、ある日沢村君は泣いて先輩達の非道を訴えた。  「大村さん、先生になるんでしょう? 卒業したら先生になるんでしょう? それが一年生をマルタなんて呼んで遊んでいていいのですか? 非道いです非道いです」  また、中山は私が初めて視たポルノ映画が「ナチ強制収容所悪魔の生体実験」だったので、この話を大変好んだ。  「お前、ほんまに変態やのう。そんなん視て何で興奮するねん」  そう言う中山に対して電話口の向こうで私は言う。  「古武道部にはSMの趣向を持った奴がいくらでもいたで」  「そんな奴居るかいな」  「芝山君や徳田君はSM好きやったで」  「誰よ? それ?」  「わしと一緒の変態や。徳田君はマルタでもあった」  「可哀想になあ。あんたは間違いなくブタ教師地獄や。あんたが地獄へ行ったらわしは天国から会いに行ったる」  「(え? こいつ水子まで作っているのに、女を五百人も斬ったと言ってるのに、うちの教会であんなに悪霊が出てきたのに天国へ行けると思っていたのか?)」  私は唖然としてしまった。しかし人間関係を損ねたくはない。そこで言った。  「何言うてるんよ。一緒に地獄行こうよ」  「嫌じゃ。わしは天国や。それにあんたはマルタで遊んだし、嫁さんまでマルタにしたし、地獄行き決定やなあ。まあ、あんたが地獄へ行ったらわしは天国から会いに来たるわ」                     *       この時点では私はまだ中山のことを悪し様に言うほど悪くは思ってなかった。同じ精神障害者だし、教諭と講師という違いはあれ、同じような苦労をしてきているからだ。しかし、彼が私の小説を「パクリ」と言ったことで徐々に怒りに変わってきた。  ある日のこと。中山が私の小説のことを「パクリ」と呼んだんだ。それは実際には「パクリ」なんかではない。着想が似ているだけのことだ。文章を真似たのなら明らかに「パクリ」だが、そうではない。中山は私の小説をパクリと呼んだ部分が「ゴクセン」のパクリであっり、「デスノート」のパクリであったりした。「坊ちゃん」のパクリと言われたものもあったけど、大半は漫画やドラマから来ている。ここで中山の低能さもよくわかるというものだ。彼は文学作品なんか読んだことはないのだ。  では、彼が何と言ったか確認してみよう。  私は「土下座教師誕生」というコメディを書いてネットで発表した。その中に志恩ちゃんちゃんをモデルにした佳純という女の子が登場する。あることが切っ掛けで主人公の教師は生徒である佳純の家へ向かうのだが、そこにはベンツが何台も止まっており、柄の悪そうな男達がいた。主人公は知らなかったのだが、佳純ちゃんのお家は「その筋」の方だったのだ。そこへ主人公の車が入ってくる。当然黒い服の男に囲まれる。  「おい。お前誰や。ここがどこか知ってるのか?」  足をガタガタ震わせながら主人公が告げる。  「私、吉村佳純さんの担任なんですけど、佳純ちゃんの家ですよね?」  「え?お嬢の担任の先生ですか。これは失礼しました。おい! おまえら! お嬢の担任の先生や! 挨拶せんか」  そこまで読んだら中山は言った。  「何や? ゴクセンのパクリやないか? 『お嬢』なんて」  普通、こういうのは「パクリ」とは言わない。内容の構成を真似たりしたらパクリだが、その中で同じ言葉がたまたま使われていただけだ。しかし中山にとってはこれを「パクリ」というらしい。   中山が「パクリ」と呼んだものは他にもある。  亮介は「生霊」という小説を書いてネットで発表した。内容をかいつまんで言うと、枕の下に主人公が殺したい奴の名前を書いて寝ると、夢の中にそいつが現れて、そいつのもとへ生霊を飛ばして殺すという内容のもの。これもホラーというよりはコメディーであって、最後はなぜか自分が海で溺れて死ぬ夢を見て、主人公は車ごと海に落ちて死んでしまうという内容。この話を中山に言うと、中山は「デス・ノート」のパクリだと言った。しかし、内容は全く違う。デス・ノートではみんな心臓発作で死ぬが、死に方にはいろんなバリエーションがある。しかし、内容が少しでも似ていたら中山にとっては「パクリ」になるらしい。  小説というのは中味がコメディーであれ何であれ、作者の分身・子供なのだ。ここまでけなされて私の心は頭髪天をつく勢いだった。 実は、彼は正教員で何でもできる私が羨ましかったのだ。  そのような意図を見破った私は、中山との関係を完全に断ってしまった。  そのような奴だから、中山は常に恐怖心にさいなまれている。例えば私が「大人の引きこもり」の話をした時や、5080問題の話をした時なんかは電話口の向こうで打ち震える中山の姿を思い描くことができた。   *  やがて中山と私が完全に訣別する機会がやってきた。それは日曜日にかかってきた中山からの電話だ。完全に上から目線の物言いだった。  「もしもし、このロリコン・変態・不治め」  「ああ、ロリコン・変態・不治や。今日は地元の教会へ行っていた」  「そんなこと知ってるわい。この嘘つきめ」  「わしは嘘なんかついてないけど」  「何言うとんや? 『今日の3時に自殺する』なんて何回もメールしてきたやないか?」  「それは一体いつの話や?」  私はこのようなメールは中山には送らなくなっていた。中山に馬鹿にされることが分かっているからだ。しかし中山は言った。  「ああ、最近はないけどなあ。嘘つきは嘘つきやんか? ほんまに地獄へ行くぞ」  「何でわしが地獄へ行くねん?」  「あんたのセックスがアブノーマルやからや」  「あんたはどないやねん?」  「わしはノーマルセックスやから天国や」  こいつは何百回と姦淫を重ねてきて、しかも悪霊に取り憑かれていて天国へ行けると思っているのだ。地獄への切迫感というものがないのか?  私は無性に腹が立つとともになぜか悲しさを覚えた。その理由は定かではない。恐らく中山は私との関係を断って絶交しようとしているのだと思ったからだ。しかし事実は違う。中山はいつものように私に対する攻撃を始めただけだった。それは中山にとってとてつもない快感なのだろう。  「(お前は俺様よりも下なんだ。早くそれを認めろ)」というのが中山の深層意識でうごめいていたん。中山は言葉を続けた。攻撃者はいよいよ私の「破壊」にとりかかった。  「これから麦刈りが始まるで。毒麦は一緒に焼かれるんやで」  「誰が毒麦やねん? (毒麦はお前やろうが)」  「そんなんわからん。もしかしたら○○さん(私の教会のピアニストで預言の賜物を持っている人。中山は彼女を気に入っていた)も毒麦かもわからんで」  「とにかくわしが天国行ったら地獄にいるあんたに会いに行ってやるから」  「俺はSMの性癖が直るように祈っている。それから電話で牧師に俺の性癖を打ち明けて懺悔する」  「しゃべりやなあ。何でそんなこと言うねん?」  「聖書に『あなたの罪を言い表すなら神は許して下さる』と書いてあるやんか?」  「いや。あんたのアブノーマルは治らへん。地獄やなあ」  「わしでも相手が志恩ちゃんやったら普通にセックスできるよ」  「嘘つけ。この嘘つきが」  「とにかくセックスのことは牧師に告白する」  「何でも言うねんなあ、あんたは」  実は私は「何でも言う」ような人間ではない。事実、中山が聞いて悲しむようなことは口にしたことがない。例えば、彼が気に入っている教会のピアニストは明らかに中山を嫌っていたんだよ。「近寄るだけで悪霊が憑いているので気持ち悪い」と言っていた。これも本人には言っていない。さらに私が中山を呼び寄せた学校で中山は生徒から嫌われていたのだが、これも中山自身は知らない。それから、この学校を出て次に行った学校で中山の評判はすこぶる悪かった。どうも「何も仕事をしない」ということだったらしい。これは亮介と同じ進路指導部にいた教師から聞いたことだ。勿論、中山はこのことも知らない。その上に、私はイエス再臨教会の悪口なんか一度も言ったことはない。しかし中山は亮介の教会の悪口を言い放題。   さて、この日は何度か中山と電話で話した。  「もっと面白い話しようよ。例えば『vs嵐~』とか---」  「ああ、それは聞き飽きた。それよりも一日に何通ものメールは迷惑や」  「わかった。迷惑なんやな。そうとは知らずに悪いことした」そして最後に彼は「もうええわ」と言って電話を切った。  当然のことだが、これで私は中山と絶交する決意が固まった。事実、奴と話しても何も得るところがない。私の知らないような驚くべき話をしてくるわけでもなく、こちらの糧となる話をするわけでもなく、本当に得るものがないのだ。だから以降中山とはメールもすることはなく、電話もしていない。  とにかく腹の固まった私は早速教会と医者に相談したんだ。  先ずは教会だ。私は、今まで中山が教会に言ってきた悪口を牧師に話した。速攻で答が返ってきた。  「中山さんはそんないい教会に行っていて自分はどうなんや?それから彼とは絶交した方がええな。悪霊がいっぱい憑いてるし、その影響をあんたも受けてるで。他の人にも害を与えるからよっぽど心してかからなあかんなあ。大体人の批判ばかりで人を立てあげることなんか彼は何もしてないじゃないか」  教会に言われて私の決心は固まっていった。そして医者へ行った時にこの話をした。 医者はこう言った。 「彼とはしばらく話さない方がいいなあ。あんたのためや」  こうして中山との関係は切れた。最初のうちは中山から電話に着信があったが、無視した。そして暇な時間は猫を膝に乗せて、ビデオを視て過ごすことにした。平和な日常が戻ってきた。 *  ところが、正月になって、何を血迷ったのか私は彼に電話を入れてしまったのだ。彼が「俺が悪かった」と言ったので、解決を見たと思った私は再び彼と関係することになってしまったのだ。  そのうち、彼の貧困なボキャブラリーの攻撃が始まった。  「この変態め」  「このお○んこ野郎が」  それにしても情けない。俺と同じ大学の哲学科を出た人間がこんな貧困なボキャブラリーしか持ち合わせていないのだ。  そうこうするうちに、私の方で問題が発生した。パニック障害(不安神経症)を発症してしまったのだ。  私は自動車の運転ができなくなってしまったのだ。勿論、職場へ行ったりするのには何の問題もない。しかし、知人から頼まれて家庭教師をすることになった。そこでその家まで三キロくらいの道を夜に運転するのだが、その時になぜか心臓が荒波のようにバクバクと高鳴って、どうしようも制御できなくなってしまったのだ。  そこで私は電話をかけまくった。家庭教師に出かける前に中山なんかにも電話をした。  そしてある日、中山が言った。  「もう、こんなん嫌や」  私は我が耳を疑った。彼は命の電話でボランティアをやろうとしていた男である。こんなことで人の悩みなんか聞けるのだろうか?  その上、彼は鬱状態にある人には決して言ってはいけない一言を発した。  「まあ、頑張って家庭教師へ行ってきて」  鬱病の人間に対して「頑張れ」は絶対にNGなのだ。そんなことも知らないのか?私は唖然としてしまった。そこでこいつに悩みを相談するのはやめようと思った。だからそれ以後の話は大体が以前の話の繰り返しになった。実につまらない。それから、彼からの連絡も私からの連絡も減っていった。  そして彼から決定的な一打が来た。 「もひもひ、どないしてる?」  「どうもしてないよ」  「ところでな、○○大学では哲学科の方が社会学科よりも上やで」  「(でやがった。三流大学でのどんぐりの背比べだ。しかし哲学科よりも下ということはあり得ない。事実、ネットで調べてみたら社会学科(現在の社会学部)の偏差値は65で、文学部哲学科の偏差値は60であった)」  彼はこの三流大学の哲学科を出たことだけが誇りで、唯一のプライドらしい。だからそんなことが言いたかったのであろう。しかし還暦になって今更大学の自慢をして何になるって言うんだ?  その後彼は「哲学科」がいかに優れているかを滔々と話し始めた。この頃からこいつの魂胆が読めてきた。  彼はコンプレックスの塊なのだ。教員をやっている時は正教員の私に対して羨望の心を抱いていたが、もうそれはない。だから徹底的に馬鹿にして破壊を目論むようになってきたのだ。  しかし、哲学科の方が社会学科よりも上だなんて聞いたことがない。しかし、この三流大学を出たことが彼の唯一のプライドらしかったので、私は「そうか」と言って聞いていた。  また、先述したとおり、彼は哲学を知らない。古代ギリシア哲学には詳しいが、ニーチェもキルケゴールも読んでない。  私がニーチェの話を出すと、「彼は元々文献学者だった」ということしか言わない。勿論、ニーチェがショーペンハウエルの信奉者だったことも知らない。当然、インド哲学や仏教の唯識論なんか興味がないどころか、聞いたこともないのであろう。  また、私のゼミが文化人類学だったので、レビ=ストロースについて聞いてみたこともある。  彼の知識は精々「悲しき熱帯」の著者だということと、彼が構造主義者であるということくらいである。「構造人類学」も「野生の思考」も読んだ形跡はない。そして彼が一生懸命ひねり出した知識が「フィールドワーク」であった。  それならば、専門はこちらである。  私はフィールドワークで恐山へ行った先輩がいることを話したら、「何よそれ」と馬鹿にしきった言い方で返してきた。  その上、「悲しき熱帯」を読んだというのに、彼はレビ=ストロースが南アフリカでフィールドワークをしたと思い込んでいる。彼が書いたのはアマゾンのナンビクワラ族である。  そして家庭教師が終わってから無性に腹が立ってきた。そこで彼に電話を入れた。  「もしもし、あんたのプライドって何や?」  「○○大学のことか?どういう意味や?」  「あんたなあ、還暦にもなって今更三流大学のご自慢か?」  「どこが三流やて言うんや?そんなら一流ってどこや?」  「旧帝大なんかや」  「あほ言え。○○大学は地方の国大よりも上なんやぞ」  「ほう?それがあんたのプライドか?つまらんなあ。わしと一緒に仕事してる奴なんかは○○大学よりは偏差値は下やけど色んなことよく知ってるよ」  「あのなあ、人間というのはなあ、プライドがなければ生きていけないんや」  「ほう、そうか。人間はプライドがなければ生きていけない?そんなこと初めて聞いた」  「うるさい!もう電話かけてくるな!」  「そっちが先に電話したんやないか?」  その週の土曜日に彼は謝ってきたが、多分に私を怖れているのだろう。それから電話はかかってこない。  それから、彼は「救いの確信」を持っているようだが、それは多くはイエス再臨教会の教えである。普通の教会では考えられないようなことで私を陥れようとしてくるのだ。  例えば「マスでもこいとけ」とかお下劣なことを言ってくる。  実は、イエス再臨教会では、マスターベーションは殺人の次に罪が重いのである。だから私を地獄へ落とそうという魂胆なんだろう。しかし、そんな異端の教義なんか俺が信じているとでも思っているのか?いや、普通のキリスト教会では何と言っているのか知っているのか? *  どうだろう?彼らは勝手だと思わないだろうか? まるで自分が世界の中心にいるようだ。全く自分のことしか考えてない。勿論、これを書いている自分もそうなのだろうが、私は少なくとも三十一年間ブラックと言われる職場で働いてきた。普通なら三十八年間働くのだろうが---。  そして、その間に彼らと知り合ったのだ。  ただ、中山と他の三人は少し違う。中山は講師という身分でありながら一応は労働をしてきた。しかし、労働の意味がわかってない者もいる。中山は人間関係というものを全くわかっていないか、あるいは自分のアイデンティティーを保つために人をこき下ろして悪し様に言う天才だ。その才能は残念ながら社会のためには使われてはいない。自己満足と、他人を破壊するために使われてきたのだ。  あなたの周りにもこんな奴はいないだろうか?とにかくケチをつける。常に「完璧でない」と言うための口実を見つけるためにあら探しをし、自分が誰よりもよく知っているということを誇示したがる奴が---。自分が間違ってないことを誇示するために他人の無知をことさらに強調する奴が---。彼ら最初はそうとは悟られないように人に近づいて来る。そして暫く付き合ってから本性を現すのだ。  こう言う奴はどこにでも居るのだ。そしてこう言う奴のターゲットにされそうになったらとにかく距離を置くか、絶交すべきなのだ。そうしないと相手は益々つけあがってくるんだ。そしてターゲットを破壊しようとしてくる。中山の場合、悪霊が憑いていてそうさせたのだが、このような輩には大抵悪霊が憑いていると疑っても間違いはない。悪魔は言う。  「俺様は偉いんだ。お前よりも偉いんだ。それを早く認めろ」  「ねえ、俺様にもっと構ってよ。俺はあんたのこと嫌ってなんかいないんだよ」   彼らは「嫌な奴」として近づいてくるのではなく、あくまでも「友達」として近づいて来て、ターゲットを地獄に突き落とす。こんな蛇のような奴に睨まれたらとにかく逃げよう。恥も外聞も捨てて逃げよう。  もしもこのような奴が職場なんかにいて逃げられないのならば距離を置こう。返事は適当に。そして深入りさせてはならない。  それから佐山と網田だが、彼らには不幸というものがなかったのだ。だから震災は彼らに生きる意味を与えた。そして、自分の回復は家を一歩出ることから始まったということが、彼らの勲章なのだ。実につまらない連中だ。  そして女性の蛇女と網田に共通して言えることであるが、彼女らはいたって自己顕示欲が強い。その上、彼女らを動かしている力の源泉は奇妙なナルシズムと嫉妬である。  特に蛇女は嫉妬心が強い。だから、こいつは生き霊を飛ばす力を持っている。  私が淡路島の特別支援学校に行くことになったので、久々に蛇女の家へ電話を入れたことがあった。  どうも、この蛇は私が彼女との関係を回復したいとでも思っていると考えたのであろう。  彼女のお母さんから「今は自分のことで精一杯ですから話したくないと言っています」と言われた。元々自分のことで精一杯だったのだろうが? 今さら何をほざいているんだ と私は思った。とにかく神経症者はたちが悪い。自分を中心に世界が回っていると勘違いしているのだ。  こんな連中を助ける必要もなければ同情する必要もない。その上、働かないことはキリスト教ではれっきとした罪なのだ。  「働かざる者食うべからず」はパウロの言葉であって、マルクスの言葉ではないのである。  さあ、佐山や網田や中山や蛇女は死後にどんな世界へ行くのだろうか?私自身も死後の世界が怖い。地獄へ行く可能性があるからだ。  先ず佐山であるが、彼が洗礼を受けたか否かは私の知るところではないが、例え洗礼を受けて神を信じようが、彼は地獄へ行く可能性が高い。クリスチャンになっても地獄へ行く者は地獄へ行くのである。その理由は彼が「許して」ないからである。もし許しているのであれば、電話番号を変えたりする必要はない。しかし彼は家の電話を使えなくしている。まだ許してないからである。  私は常に彼を祝福し、祈っている。これはクリスチャンでは当然のことである。しかし彼は許していない。すなわち、地獄行きなのだ。  同様に網田も地獄行きである。彼女が洗礼を受けたことは知っている。しかし何十年も好き勝手をしてきた人間なのだ。いくらクリスチャンとは言え、彼女が天国へ行けるとは信じがたい。勿論その意味では私も地獄へ行く可能性があるが、最大の決め手は「悔い改めたか否か」ということである。彼女は何人もの男と性的関係を築いてきたが、それを悔い改めたということを聞かない。悔い改めは天国へ行ける重要要素なのである。  それから、蛇女は絶対に天国へは行けない。洗礼も受けてはいないし、キリストも受け入れてはいない。元々私が彼女のようなババアに近づいたのは、「宣教」が目的だったのである。男と女の関係なんかあるわけがない。仕事もしていないし、蛇だけあって非常に嫉妬深い。こんな蛇が天国へ入れるわけはない。  そして中山であるが、こいつは当然地獄行きである。何人もの女と関係を持ち、水子まで作っている。そして悪霊がわんさかと憑いている。こいつは、この悪霊とともに地獄行きで間違いはなかろう。
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