二人の病者

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二人の病者

(序)神経症と精神病    心の病は大きく分けて二種類に大別される。神経症と精神病である。この二つの病気の大きな違いは、苦痛の有無である。  精神病は、統合失調症・躁鬱病・癲癇などがそうで、これを三大精神病と言う。また、パニック障害や鬱病などは神経症に分類される。  一般に精神病には病覚がなく、自分が何かおかしいとは思っていない。従って苦しさはない。一方の神経症ははっきりとした病覚があって、大変苦しいものである。  よく誤解されるのが鬱病と躁鬱病である。鬱病は神経症で躁鬱病は精神病であり、明らかに違う病である。  ここで神経症や精神病に罹った何人かの人物を紹介するが、はっきりとした精神病の方もいれば、神経症の方もいる。みんな十把一絡げにするのはよくないが、このような精神疾患に罹った人達がどのような生活を送っているのか? また、彼らは「異常」だと言われるが、本当に「異常」なのか考察したい。  一人一人が別の人物なので、読み飛ばして頂いても結構である。   (一)作田さん  大学時代に作田という先輩がいた。この人が精神病であったのか、神経症であったのかは知らない。しかし、心の病で何度も自殺を試みていた。  当時の私は心身共に健康で、かの先輩のことが全く分からなかった。  私がいたのは武道系の部であったから、当然作田先輩も部員であった。心を病んでいても武道はできるのだ。  ところで、私から見た作田さんは極めて「まとも」な人で冗談もよく飛ばし、決して「変な人」ではなかった。  ところが、私が大学一年で作田さんが二年だった時に作田さんは自殺未遂をした。幸い下宿の同居人が見つけて救急車で運ばれて事なきを得たが、睡眠導入剤のオーバードーズで、一時は意識がなかったらしい。  病院には何人かの二年生の先輩が見舞いに行った。  その頃には作田先輩は全く元気になっていた。そして、そんなことがあってから、なぜか突然私の下宿を訪れたのである。何の用事があってきたのかはさっぱり分からなかったが、突然現れた。  作田先輩は急に病気のことを話し始めた。  「俺はなあ、もう自殺なんかしないと決めたんじゃ。周りにも迷惑かけるしなあ」  いきなり自殺の話だったので私は返す言葉に窮した。当時の私は自殺なんか考えたこともなかったのだ。否、むしろ一番怖いことは死ぬことだと思っていた。  先輩は話を続けた。  「あの胃洗浄というのは本当に苦しいぞ。何か墨のようなものを飲まされてゲーゲー上げるんじゃ」 その後、元気になった先輩を何度か見た。犬を飼っている食堂へ行って「その犬はなんちゅう犬かのう?」と言った。  「いや、雑種です」  「ほほう、ダックスフントではなさそうじゃのう」  「ダックスフントならお兄さんよりも足が長いですよ」  至極普通の会話である。 作田さんは練習にはあまり出てこなかったが、みんなでソフトボールをしたりする時には必ず顔を出していた。至極普通の人であった。---と少なくとも私は思っていた。    ある日のことである。大学にヘルメットを被った学生達が集結していた。当時は昔の過激派は影をひそめていたが、私の大学ではまだ盛んに活動を行っているセクトもいたのだ。丁度成田闘争が起こっていた時期であった。  「成田闘争の署名をお願いします」  ヘルメットを被った女性が私に言った。と思いきや作田先輩がしゃしゃり出て言った。  「成田? 僕今成田から帰ってきたところ。僕アメリカ人」  するとヘルメットの女性は困惑して言った。  「え? でも国籍は日本でしょう?」  「そんなことどうでもいいじゃろうが?」  一触即発かと思いきや、女性は不気味そうにその場を立ち去った。  先輩が去った後、後輩と私は話し合っていた。  「僕アメリカ人って?」  「ちょっと鬱のようやなあ」  さて、古武道部には少々口の悪い先輩がいた。その先輩が私の下宿へ来て語った。  「あいつ、自殺するんなら死ね! 大体鞄を盗られるなんて気が緩んでいる証拠や。隙があるんや」  「(こんな考え方をする人もいるんや)」私は思った。  そしてこの先輩が事件を起こす。二十歳を超えていたので新聞にも名前が載った。  何と、自殺しようとして自分の下宿に火を放ったのである。  一日拘置所に留め置かれ、先輩は大学を退学した。現在は故郷の今治で鉄工所に働いているそうである。 (二)ゼミにも居た 大学時代、私は授業にほとんど出席しなかったが、単位は取れた。試験がストで二回流れてレポートになったからだ。しかし、ゼミだけは真面目に出席していた。  このゼミでは年に一回飲み会が行われ、二回とも出席した。  そして二回目の飲み会で「彼」にであった。名は村田幹夫と言った。  飲み会でん何かに悩んでいそうだったので、私が声をかけた。  「何悩んでいるの?」すると彼はこちらの顔も見ずに告げた。  「わしなあ、悩みあるねん。わしなあ、親神様と結婚せなあかんねん。でも相手は百五十歳のおばんやろ、わし若い女の方がええしなあ」  「親神様って誰やねん?」  「いや、わし天理教に入ってるやろ。その教祖さんや」  彼が天理教に入っているなんて知ったことか、と思ったが、彼はそんなことはお構いなしで話を続けた。  「中山みきさんか?」  「そうや。わしなあ、幹の夫というねん。そやから親神さんと結婚せなあかんねん」  「親神様と結婚したらん何かええことでもあるんか?」  「結婚したら地球の半分もらえるねん」  そこへ同じゼミの友人の矢上が話の中に入ってきた。  「どないしたん?」  「いや、彼天理教に入ってるらしいけど、何か中山みきと結婚せなあかん言うて悩んでるらしいわ」  「ふーん。何でや?」  「わしなあ、親神様からミカン半分もろてん。ミカンいうて地球やろ。そやから親神様と結婚したら地球の半分もらえるねん」    こうして村田と矢上は私の下宿へ泊まることになった。私は疲れていたので眠ってしまったが、矢上は真剣に話を聞いているようであった。  寝る前に私は言った。  「地球の半分の中には女も入っているやないか?」  「いや、それが男だけらしいわ」  矢上が言う。  「そんなもん、女よりも地球の半分に決まってるやんか! 地球の半分貰ったら世界平和が実現するやないか。やっぱり世界平和やで」  「いや、そんでもわし、若い女の方がええもんなあ」  私は馬鹿馬鹿しくなって先に寝入ってしまった。  「(しかし矢上もこんな話聞くねんなあ。おかしいのと違うか?」  そして翌日、矢上が言った。  「あの村田という男おかしかったなあ」  矢上が真剣に話してると思ったら、彼もそう思っていたようであった。  こうして変な友達が一人増えた。 *  その後も村田との付き合いは続いた。私も宗教には興味があったので、よく三人で喫茶店へ入って話をした。  そして何を思ったのか、彼は突然ギリシア正教に入信した。宗教マニアだったのだ。彼は分厚い眼鏡をしていて異様に顔が大きく、インテリに見えた。しかし付属の出身だったようで、英語はできなかった。  付属の出身者というのは大半がお金持ちで、遊び人であったが、彼だけは違っていた。何でも、高校時代に聖書を持ち歩いていたら友達から石を投げられたらしい。  やがて村田がギリシア正教の聖歌隊にいることが分かり、矢上と私は京都のハリストス正教会へ出かけた。荘厳な建物の中で聖歌隊が歌を歌っていた。ギリシア正教では「声という楽器があるから」という理由でオルガンやピアノの伴奏はない。アカペラで歌うのだ。  その音楽に聴き入っていると、長い髪と髭を生やした男が振り向いた。村田であった。正教会では髪の毛や髭を一切切らないらしい。  一連の儀式が終わって神父と一緒に昼食をすることになった。神父はなぜかカトリックの悪口を言っていた。  その時である。村田が風呂敷に包んだ何かを取り出した。桐山靖雄の宝塔である。桐山靖雄は「間脳思考」なんかで信者を若い信者を集めていた。小乗仏教こそが本当の教えであると言って阿含宗を設立していた。それで私も矢上もまともな仏教者であると思っていた。まさかこんな子供だましの壺のような多宝塔を売っているとは露程も思っていなかった。しかし、村田はこの多宝塔を大変怖れていたのである。そこで、処分に困って矢上に「引き取ってくれないか?」ともちかけたのであった。  矢上はそんなことは信じていなかったので、引き受けた。しかしその数ヶ月後に矢上が胃潰瘍になり、村田は本当に怖れていたのだ。 それだけではなかった。村田はなぜか念法眞教の「鶯の声」という本まで持参していたのだ。よく神父から叱られなかったと思う。  やがて我々は近くの喫茶店へ入った。私と矢上と村田と、その友人のお公家さんと、あと二、三人の学生がいた。  お公家さんは我々に挨拶もしなかったどころか、自己紹介もしなかった。しかし、そのお公家さんのことは村田から聞いていた。何でも、家を出る時は必ず福足(右足)から出なければならず、今でも方違えの時には大学を休んでいたようであった。  また、古今和歌集と新古今和歌集を覚えないと家督相続権がなくなるようである。  そのお公家さんは突然奇妙なことを言い出した。  「○○さん(男)を縛り付けて鞭で叩きたい」  これには矢上も参ってしまったようであり、私に「おい、帰ろう」と言った。  帰り道、矢上が私に告げた。  「あの公家さん、怖い」  そりゃあそうである。ホモの上にSM趣味者である。こんな奴が正教会にはいるんだ、と私は思った。 *    やがて私も矢上も教員になった。しかし村田は何度も我々に電話を入れてきた。  ある日なんかは精神病院から電話を入れてきたこともあった。  「あのなあ、わしに大日如来がついてん。何か言うてる」  そして何を思ったのか、高橋信次の「心経」を読み始めた。 「我見聞し、今正法に帰依することを得たり。広遠無大な宇宙は---これ大自然大宇宙仏なり」  「おいおい、それ高橋信次の『心経』やないか?」  私が言うと間髪を入れず、彼が言った。  「そうか、大日如来さんに聞いてみる」  そして暫く経ってから彼がまた口を開いた。 「大日如来さんが『高橋信次はわしが選んだ者や』と言うてるで」 私には明日の授業がある。夜の十二時に電話されて少々迷惑であった。  「すまんけどなあ、わしこれから寝るねん。眠っておかないと明日に差し支えるからなあ」  「あのー、大日如来さんは『眠ってはいけない』と言うてるで」  「(そんなことを言う大日如来なんかどこにいるんだ?) とにかく明日の授業があるから眠らせて」  その後彼は矢上に電話して私の気が狂ってしまったと言ったらしい。私は矢上に電話を入れた。  「あいつ、あんたのこと気が狂ってしまったと言うてたで」  「狂ってるのはどっちや?」 「そうやなあ、わしのところにも夜中に電話がある。おかんが『向日町の気の狂った奴から電話やで』と言う」  その後、村田は本当に精神病院へ入院したらしい。---と言っても開放病棟らしく、よく公衆電話(当時はまだ携帯なんかなかった)なんかから私に電話がかかってきた。  「助けてくれ! 俺のために祈ってくれ!」切羽詰まった物言いである。  「何があったんや?」  「わし、これから病院へ帰らなあかんねん。病院には元過激派の奴がいてなあ、俺殺されるかも知れん」  「わし、でも祈り方なんか知らないで」  「何でもええんじゃ、とにかく祈ってくれ」  「何でもええんやな、分かった。祈る」  こうして彼のために暫く祈った。キリスト教の祈りなので、最後に「イエス様の名で祈ります」とだけ付け加えて祈ったが、何を祈ったか記憶にない。  その後、イラク戦争が起こった。直ぐにすむ戦いであったが、一時期は大戦になるかのような様相を呈していた。そしてこの時になぜか村田から電話があった。何か興奮していた。 「大変や、アメリカがイラクと戦争や。この戦争を止めてくれ」と無茶苦茶なことを言ってきた。  「そんなの直ぐに終わるよ」  私が言うと、村田はとんでもないお願いをし始めた。  「イラクの大使館とアメリカの大使館に手紙を書いてくれ。わし英語ができへんからたのむ」  「わかった。手紙書いたらええんやな」  そうして私は両大使館にすぐに戦争をやめるように英語で手紙を書いた。  結果はご存じだと思うが、フセイン大統領が見つかり、アメリカに引き渡された。  その後、数ヶ月してからまたしても村田から電話があった。留守電に記録されていた。  「あんな手紙書かせて悪かった。今から建長寺へ行って出家します」  これ以後彼からの連絡は途絶えてしまった。
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