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生きる力
これからの季節は草との戦いである。私は免疫系の持病の関係であまり無理ができないから、毎日ちょっとずつ、カマで手刈りしている。
父の葬儀からやる暇がなく、のびのびと育ってしまった畑周りの草。母が出かけているから、今日は私だけ。将来ひとりになったら、こういう感じで『リトル・フォレスト』やるんだろうなぁ……などと思いながら、せっせとカマを振った。
大きいだけの田舎の家と畑。将来私が年老いたとき、ここを管理しきれるだろうか。母が元気なうちに、同じことを私もできるようになっておかないといけない。できないとしても、「わかっている」「やったことがある」という状態にしておきたい。
母は、私の体では農業で生活するのは無理だから、別のことで生活しなさいと言う。もちろんそれは私もわかっている。母の心配もわかっている。でもだからと言って、まったくやらせようとしないのはいかがなものか。
「それじゃ私、将来何もできない子になるよ?」
そう訴えて、ようやく母も「そうだね……」と納得してくれた。
毎年必ず災害が起こるような今、田舎に暮らしていて農業をまったく知らずに生きるということが――まったく知らずにこの年まで来てしまったことが、私には怖いのだ。
幼い頃は、田んぼには行ったが、バッタを追いかけてばかりで仕事はやったことがなかった。十代の頃は、休みなく部活にだけ励んでいた。高校卒業とともに都市部へ。嫁いでからは病気がちになり、農家だったが土に触れる機会はますますなくなった。
食べ物は街で買えば済むが、それは収入があってなんぼ、災害時でも街がちゃんと機能していてなんぼという話。
私たちは2011年に、物資がまったく届かない世界を経験している。それでも内陸農村部にいたから、街の人たちよりは生活に困らなかったと思う。
井戸があったから飲み水の心配はなかった。田んぼをやっていたから米があった。畑をやっていたから野菜もあった。停電は数日続いたが、庭があったからかまどを作って湯を沸かし、なんとかお風呂にも入ることができた。ガスはプロパンだから使えたし、ガス釜があったから美味しいごはんも炊けた。
ちなみに電気とガス、両方利用するタイプのガス釜と、ポンプで汲み上げるタイプの井戸のお宅では、停電とともに使えなくなった。
万が一ばかり心配していてもなんだが、しかし今の時代は想定外のことばかり起こっている。「千年に一度」と言われた東日本大震災も、近頃また同等の地震が頻発している。またあのときと同じことが起こらないとも限らない。
私には、「生きる力」が足りない。
だからこそ、せっかく実家に戻ってきたのだから、畑のことや草刈りのことを母から学び取りたいのだ。将来、私ひとりでも生きていけるように。ひとりでも、ひとりでも――
ふと草刈りする手を止めて見上げると、すぐそばの田んぼで、上の家のご夫妻が草刈りしていた。向こうの畑でも、近所の奥様がしゃがんで野菜の世話をしている。
……みんないる。
ご近所さんたちの働く姿が見える。
なんだろう……嬉しいのかな。ホッとしたのかな。こんな広い場所に点々とだけど、見えるところにいて、私もその風景の中にいて。
将来ひとりになったとき直面するであろう問題はなんら解決していない。だけど――「幸せ」のようなものを感じた。
「今風に言うと、シェアハウスのリビングにいる感じ?」と言ったら姉に、「シェアハウスの解釈がでかい」と笑われた。
そういえば近くではないけど、この姉夫婦もいる。姉夫婦もいつも、実家のこと、私のことを気にかけてくれている。
私はもう少し、肩の力を抜いた方がいいかもしれない。草刈りで下ばかり見てないで、たまには顔を上げてみよう。見渡せば、あちらこちらに頼れる人たちはいるのだから。
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