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2022年5月3日(火)
辛い。
2022年5月4日(水)
今日も沢山嫌な事をされた。
2022年5月5日(木)
どうしていつもいつも私ばかり。
2022年5月6日(金)
苦しい。
2022年5月7日(土)
今日も沢山嫌な事をされた。
2022年5月8日(日)
辛い。
2022年5月9日(月)
辛い。
2022年5月10日(火)
辛い。
2022年5月10日(火)
2022年5月11日(水)
2022年5月12日(木)
さようなら。
次はもっと素敵な人生であります様に。
「あれー?久しぶりじゃなーいーっ!」
声を掛けられた。
深夜二時。
この辺りのこの時間、ここには誰も通らない筈なのに。
声のした方を向く。
女の人が立っていた。
街頭に照らされて。
…女の人…だと思う。
恐らく本来の体より二倍近く大きな無地のTシャツと、こちらも同じぐらい大きなスウェットを着ていて…体型がよく分からない。
声も女の人みたい…でも、若くて高めの男性の様にも感じる。
顔付きは…綺麗、というより、少しかっこいい…かも。
あとは…髪。
あの髪型…ええと…なんだっけ…そう、ドレッドヘアー。深い緑色に染まった長いドレッドヘアー。
それのせいで、より性別が分からない。
「あっ!おっひさー。元気してた?」
僅かにふらついた足取りで、その女の人は私に近付いてくる。
じりじりと、後退りする。
知らない。
私は、この人を知らない。
この人は…………この人は、誰?
「…あー…そんな警戒しないでよ。
ほらほら、あたしだよあたし、かざなぎ はるか。
貴方が良く来るコンビニの店員店員」
女の人…かざなぎさんはがさごそとポケットを漁り、何かを取り出す仕草を見せる。
「ひ…っ!」
「そんな怖がらなくても良いよ、これ個人カードだし」
かざなぎさんはたははと笑いながら、それ…顔写真の入った個人カードを私に見せた。
…確かに、顔と名前は一致している。
でも…見ず知らずの私に個人カードを見せるなんて…私が悪い人だったら、悪用されてしまうのに…。
…………少しは…少しは、信用…して、良いのかな…。
…でも…本当に、この人…かざなぎさんに心当たりが無い。
コンビニ…確かに良く行くけれど…こんな店員さんいたっけ…?
「…あっ、折角だからうちで飲もうよっ。
ほら、食べ物もたんまりあるし、袖擦り合うも何かの縁だって言うしさ」
そう言ってかざなぎさんは、手に持っていたビニル袋を広げて見せる。
中には沢山のお酒と…おつまみなのだろうか、缶詰が大量に入っていた。
「…………私…私、お酒、飲めない、です…」
「そりゃまあ未成年…というか高校生でしょ?
この間沢山ジュース貰っちゃってさー、飲み切れないんだよねー。
手伝ってくんない?」
「…で、でも…」
「それにこんな時間まで出歩いてたら補導されちゃうよ?
うちに来て朝までやり過ごせば良いよ!」
ぐいっと、かざなぎさんの手が私の手を握る。
…あったかい。
生きている人の、手。
「こんなにぴえっぴえ…こんなんじゃ風邪引いちゃうよ…。
だからうち来よ?ねっ?…………ねっ!?」
こ、この人…圧が…圧が強い…凄く切羽詰まっている様に見えた。
それに多分、どんなに断っても誘われる気がする…。
「…………分かり…ました…」
「よっしゃっ。
じゃあ早く行こ行こっ。
ほら靴履いて履いてっ」
「は、はい…」
「ほらほら上がって上がって。
ちょーっと汚れてるけど、まぁ気にしないでね」
「…ちょ…ちょっと…?」
訪れたかざなぎさんの家は、結構凄い状況だった。
六畳ぐらいの部屋には缶ビールで満たされたゴミ袋や服や小物、ハードカバーの本、何かを書いた紙が散乱している。
『深海に生きる生物―太古から生き延びた生命の原形―』…?難しそうな本を読んでいるみたい…。
かざなぎさんはずんずんと進み、部屋の中央に置かれたちゃぶ台にビニル袋を置いて、
「どしたの?…あ、もしかしてちょっと引いちゃった…?
じゃあどっかお店に…」
「あ、いえ。大丈夫です。
…失礼、します…」
「…良かった…うん、上がって上がって!」
ほっとしたかの様に表情を緩ませたかざなぎさんは、もっふもっふと座布団を置いた。
…あそこが、私の居場所。
…私がいても、良い場所…。
「はい、ジュース。
段ボールごと冷蔵庫に放り込んでたから、めっちゃキンキンに冷えてるよ!」
はいと、冷蔵庫から箱ごと取り出した段ボールから缶ジュースを手渡してくれた。
『極厚!ミックスジュース!』…な、何が極厚なのだろう…味?
「…飲んでも、良いんですか…?」
「勿論!その為に出したんだもの!」
「あ…ありがとう、ございます…」
「それじゃ!かんぱーい!」
かざなぎさんは袋から缶ビールを取り出してプルタブを開けると、こつんと、私の持つ缶ジュースに当てて、一気に煽り、
「…んぁーーーーっ!うんめーーーーっ!」
とっても気持ち良さそうな顔で缶ビールを握り潰した。豪快だ…。
「さぁてと、おっつまみおっつまみー」
少し酔いが回ったのか、ちょびっとだけ頬を赤くしたかざなぎさんはビニル袋から大量の缶詰とお箸を二本取り出し、一本を私に渡してくれた。
「…………え…っと…」
「好きに食べて良いよ。
あ、なんか苦手なのとか、食べられないのとかある?」
「あ、いえ、大丈夫です…」
「良かった良かった。
さ、遠慮しないでどんどん食べて飲んで」
私の前にお箸を置いたかざなぎさんはそう言って微笑むと、焼き鳥の缶詰を摘みながら、新しく開けた缶ビールに口を付ける。
…まだ、怯えている私だったけれど。
私も、缶ジュースのプルタブを開けて、こくりと一口、口に含む。
「…美味しい?」
「あ、は、はい」
「…良かった」
そう言って、また、ふっと微笑む。
敵意も、悪意も無い笑み。
優しい笑みだと思った。
…初めて、こんな笑みを向けて貰えたかもしれない。
「いやぁ、一人寂しく晩酌になるかなーと思ったけれど、ナンパが成功して良かったよ」
「…あの、かざなぎさ」
「はるかで良いよ。友達はそう呼んでるし」
「…良いん、ですか…?」
「勿論」
「…えと…じゃあ、はるかさん。
どうして…どうして私を、お誘いして下さったんですか…?」
縁もゆかりもないどころか、今日さっき初めて会ったばかりの、はるかさん。
…見た目からして、奔放な人だなぁとは思うけれど…私なんかを家に連れ込むなんて…。
「さっきも言ったでしょ?一人で飲むのが寂しいからナンパしたって。
…今はそれで充分だよ」
はるかさんはまた缶ビールを煽り、口を離すと缶を揺らして、新しい缶ビールのプルタブを開ける。
「…凄い勢いで飲むんですね…」
「大酒飲みなのよ、あたしは。
はい、新しいジュース」
「あ、ありがとうございます…」
「缶詰もどんどん食べて食べてー」
「は、はい…」
こくりこくりと缶ジュースを飲みながら、缶詰に手を伸ばす。
何か…何か、喋らなきゃ。
お食事に誘ってくれたんだから、何か喋らなきゃ。
でないと…でないと…。
「あっ、あのっ、ご本、読まれるんですか!?」
「うん。興味持ったジャンルだけだけどね。
なんか気になるのあった?」
「あ、はいっ。
この読みかけの本が少し…」
「ああ、これ?」
はるかさんはぱさりと本を拾い上げ、私に見せる。
「あ、はい。
…深海に興味があるんですか?」
「まぁね。
…つってもあたしあんまり頭良くないからさー、色々調べながらだけど…。
実は深海って、宇宙より行くのが難しいって知ってた?」
「え…そうなんですか…?」
「そうそう」
「でも宇宙は…その、無重力とか真空とか…」
「月までの距離は約三億八千五百万メートル、月に降り立った人類は十二人。
…けれど、たった約一万メートルのマリアナ海溝の底には誰も行った事が無いって知ってた?」
「そうなんですか…!?」
「うんうん。良い反応良い反応。
暗さや冷たさもそうだけれど、何より水圧がね…今の科学じゃ一万メートルの水圧に耐えられる、人が乗る事のできる潜水艇は作れないって話。
それに水のせいで電波や音がきちんと届かないの。
だから調べるのも一苦労で、地球最後のフロンティアなんて呼ばれている。
…まぁあたしも勉強途中だからさ、ちゃんした知識って言うのは無いんだけれど…」
はるかさんはたははと恥ずかしそうな笑みを浮かべ、頬をぽりぽりと掻いた。
…私からしてみれば、凄い知識量だと思うけれど…。
「他にも深海には色々あるよ。
人智の及ばない姿形や説明ができない巨大化をした生命体、超猛毒の煙を吐くのに多くの生命がいる熱水噴出孔、原初の地球に生息していたと思われる微生物。
他にも海底都市とかUFOの残骸とか未知の発光現象とか…もう浪漫しか無いよね!」
はるかさんはそう言って景気良く缶ビールを飲み干し、缶を握り潰した。
…良いなぁ…。
こんなにも熱中してお話ができるのって、素敵だと思う。…………良いなぁ…。
「なんか興味あるの、あったりする?
とりあえず物だけはやたらめったらある家だからさ、なんか興味あれば遠慮なく手に取ってよ」
「あ…えと…その…」
キョロキョロと辺りを見回す。
…確かに、なんだか色んな物がある。
…本当に雑多だ…なんだか、はるかさんの奔放さを象徴している気がする。
…………あ。
「これ、昔のゲームですか?」
「そうそう。今から二十年ぐらい前のかな?
何年か前に中古屋で見つけてさ、それ以来色んなソフト買い揃えているんだよね。
なんかやってみる?」
「いっ、良いんですか?」
「勿論っ。
パーティーゲームだとなんか良いのあったかなぁー。
んー…あー…これなんかどう?ミニゲーム集」
「あ、えと、なんでも大丈夫です!」
「じゃあこれにしよっか」
はるかさんはまた缶ビールを空にして握り潰し、ゲーム機を起動させる。
ゲームなんて、やった事が無い。
…うまく、できるだろうか。
下手過ぎて、つまらない思いをさせたりしないだろうか。
…その懸念は、現実の物になる。
クリアするなんて夢のまた夢、まともな操作なんて全然できない。
時間だけが、無意味に過ぎていく。
「…………ごめんなさい…」
「謝らなくて良いんだって。ゲームは楽しむ物だからね。
それに初めてプレイしてなんでもできたらそっちの方がびっくりだって。
んー…じゃあこっちのにしよう。のんびーり育成ゲーム。
もしかしたらこっちの方が向いてるかも」
はるかさんはにっこりと笑って別のゲームをセットした。
呆れた様子は無い。むしろどこか楽しそうだ。
そうして始めたゲームは、本当にのんびりとしたゲームだった。
畑を耕し、依頼をこなして、街を大きくするゲーム。
「おっけーおっけー。いっぱい採れたね。
あとはそれをこっちと合成して売ればもっとお金になるから」
「でもこっちに加工した方がより稼げると思うんです。…時間は掛かりますが…」
「…本当だ…まさか長くやっているあたしを越えるとは…!」
「お、恐れ入ります…!」
途中途中ではるかさんのアドバイスやちょっとした豆知識を貰いながら、順調に進んでいく。
楽しい。
のんびり、まったり、丁寧に、丁寧に、何かに追われる事も、切羽詰まったりする事も無い。
本当に、私に合ったゲームみたいだ。
「はるかさんは見ているだけで良いんですか?」
「ビールを飲むのに忙しいし、見てるだけで充分楽しいよ」
「…いつもそんなにお酒を飲んでいるんですか?
もうだいぶん飲んでますけれど…」
「肝臓の数値はまだ大丈夫だから多分大丈夫大丈夫」
「いえ、そういう訳では無いんですが…というかまだって自覚あるんですね…」
「摂生はしているんだけれどね…ビール美味しくてね…」
「そういう物なのですか…?」
「あ、未成年は飲んじゃ駄目だからね?はい、ジュース」
「は、はい、ありがとうございます」
そんな、他愛も無い会話もして。
…そうして、暫くした頃。
「…はるかさん」
「なぁに?」
「…どうして私を、お誘いして下さったんですか…?」
「だからそれは一人で飲むのが寂しいからナンパしたって…」
「…でもそれって…本当の理由じゃない…ですよね…?
はるかさん…自由奔放みたいに見えますが、その…きちんとした方に見えます。
高校生の私をナンパとして家に連れ込むなんて…少なくとも悪い事の為じゃない事は分かるんですけれど…どうしてという理由が分からなくて…」
「…少なくとも今この瞬間は、本当かどうかなんてどっちでも良い、理由なんてどうでも良いの。
ただただ、楽しんでいれば、それで良い」
そう言って、はるかさんはまた一本、缶を握り潰した。
「…あ、ここ、ここであのアイテムを使うと新しい作物ができるよ。
……………………?」
このゲームを始めてから、どれぐらいの時間が経っただろう。
彼女からの返答が無い。
不安になって、彼女を見る。
彼女は、コントローラーを持ったまま、ぐっと首を下に向けて、すやすや、すやりと眠りについていた。
すぅすぅ、すやすや、すや、すやり。
安らかな寝顔だ。
…それを見て、私は、ようやっと、
「…………ハァァァァァーーーー…………」
…ようやっと、大きく、しかし小さな声で、息を吐く事ができた。
ずっと…ずっとずっと、まともに呼吸ができなかった。
カシュッと缶ビールを開け、煽り、飲み干して、缶を握り潰す。
これだけ安らかな寝顔をしているのだ、もう大丈夫だろう。
……………………飛び降りる、直前だった。
人気の無い橋の上で、脱いだ靴を揃えて、欄干のすぐ傍に立っていた。
…その気配も、もう、人の物では無かった。
向こう側。彼岸。あの世。
そちら側に近い、ナニカになっていた。
鈍感と良く言われる私だって感じられたんだ、実際は相当だったと思う。
…手が、震えている。
どうにか抑えようと、手に意識を集中させる。
けれど、それでも、震えは大きくなるばかりだ。
…アルコールで脳がやられた訳じゃない事は…確かだろう。
あの橋はあの時間、人通りは無いと言って良い。
…あの時。
あの時、あの欄干に行くタイミングが少しでもずれていたら。
あの時、未成年だしと無視していたら。
あの時、この子に声を掛けなかったら。
あの時、強引にでもこの子を誘わなかったら。
あの時、少しでもこの子の死のトリガーを引いてしまったら。
あの時、私の勇気が、あと一歩、足りなかったら。
あの時、もし何か一つでも、狂っていたら。
…あの時、この子をこの欄干から引き剥がせるのは、今その場にいる私にしかできないことと、本能的に思わなかったら。
…そう考えると、恐ろしくて、手が、体が、震えてしまう。
…良かった。
あの時、あの欄干を丁度通り掛かって。
あの時、未成年だけれどと覚悟を決めて。
あの時、この子に声を掛けて。
あの時、強引にこの子を誘って。
あの時、少しでもこの子の死のトリガーを引かなくて。
あの時、私のあと一歩の勇気を奮い立たせる事ができて。
あの時、全ての事が正しく運んで。
…あの時、この子をこの欄干から引き剥がせるのは、今その場にいる私にしかできないことと、本能的に思って。
無意識のうちに、
涙が出る。
体が震える。
助けられて。
今度は、間違えなくて。
本当に。
本当に。
「…………本当に、良かった…………」
「…あの、昨日は本当にごめんなさい…!
私、いつの間にか眠ってしまって…!」
翌朝。陽が高く昇った頃。
その子と軽く朝食を済ませた後。
その子は出る間際、そう言って、何度も何度も、ペコペコと謝った。
「いやいや、ぜーんぜん気にしなくて良いんだって。
それよりも、どお?ぐっすり眠れた?」
「あ、はい。おかげさまで…」
「うんうん、良かった良かった」
あの子の顔は…うん、昨日よりかは元気そうに見える気がする。
少なくとも、昨日の様な濃密な死の臭気は感じない。
…良かった。
「…………あの…………」
「ん?どした?」
「…………私の、名前…」
「…あ。
そう…だったな…」
そうだった…そういえば聞く余裕も無くて全然聞いて無かった…。
「…………私…私の名前、あさかぜ くおんと言います」
「くおん…くおん…。
…うん、良い名前じゃない」
「…………あの、はるかさん」
「ん?」
「…………また、ここに来て良いですか?」
そう告げるその子…くおんの顔は、明らかに怯えていた。
…その一言を告げるのに、どれほどの勇気が必要か。
それは、あたしみたいな能天気には分からないぐらい…途方も無い、勇気だろう。
…まぁ、高校生が二十代前半のおねーさんの家にやたらめったら上がり込むのは…うん、この際目を瞑ろう。
どうせ一度女子少年院に入った身だ、今更罪が増えたところで痛くも痒くもない。
「いつでも来なよ。
あのゲームのセーブデータ、絶対に上書きしないから」
そう言った時の、くおんの笑顔を、あたしは絶対に忘れない。
…いつか、この笑顔を、くおんがいつでもする事ができます様に。
そんな想いと、共に。
2022年5月13日(金)
2022年5月14日(土)
2022年5月15日(日)
初めての友達ができた。
「わっ、私もはるかさんみたいにドレッドヘアーにしようと思うんですが、髪の長さはこれで大丈夫でしょうか!?」
「たー…ぶん…大丈夫…だと思う…よ?」
「なっ、なんですか今の間はっ!」
「いやー…さらさらなのに勿体無いなぁって思って」
「そ、そうですか…?」
「あたし髪で遊び過ぎて髪質滅茶苦茶だったからなぁ…。
まぁでもなりたかったらいつでも言ってよ。良いお店紹介するからさ」
「はっ、はいっ!
ありがとうございますっ!」
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