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1. 訪問
1.訪問
西多摩丘陵団地(仮称)は東西400メートル、南北200メートルの広大な敷地には幅10mの遊歩道が南北に3本縦断していて、5階建てが50棟あり、総戸数2000戸の住宅がある戦後の高度経済成長期に建設された巨大団地の1つです。
中央の遊歩道の両端には桜が植樹され、入学シーズンには桜のトンネルを抜けて学校に向かう児童・父兄の姿であふれていました。
50年が経過し、桜のトンネルは当時のままですが、児童の姿はほとんどありません。
当時の団地はエレベータがありませんから、足腰の弱った高齢者には『夢の団地』が『陸の孤島』のようになっています。
私は、西多摩丘陵団地C棟の3階にある中田美子様を訪ねました。
ドアフォンを押すと、「ハイ、どなた?」
「中田 美子様。お申込みをいただき、ありがとうございます。福祉センターから派遣されてまいりました」
私はモニターの前で頭を下げました。
「ああー、介護の方ね。中へどうぞ」
奥様はドアを開けて、少し腰を曲げ、老眼鏡を取り出してかけると、目を凝らして私の身分証の名前を読みました。
「橋本はるかさん」
「はい、橋本はるかと申します」
私は頭を下げました。
中田美子様のお名前、ご年齢、希望の介護内容は承知していましたが、どんなお方なのかわからないので緊張していました。
優しい口調だったので少し安心しました。
奥様は私をダイニングテーブルに座らせると、お茶を提供してくれました。
「右足が不自由なので歩く時は杖が必要なの。それに白内障も悪化して視野が狭くなって日常の買い物が大変なの。
3階から1階に降りる時は片手で手すりを掴み、片手で杖をついて降りるのよ。いつも崖を降りるようだわ。
杖をついて、団地の遊歩道を抜け県道沿いにある商店街に行くのはちょっとしたミニ旅行ね。足腰が弱る前に比べると数倍時間がかかってしまうから。
商店街から1km離れた所に大型スーパーがあるけれど、とても行く気力はないわ。
勤務時間は9時から12時で、掃除、洗濯、料理の支援、外出時の支援をお願いしたいわ。
ただし、急に体調が悪くなることもあると思うから、勤務時間外でも来てもらえるかしら? 体調が悪なってもすぐ救急車を呼ぶのはどうかと思うのよ」
「急ぎの用事がありましたら、いつでもお呼びください」
奥様は要望を伝えたので、やっと一仕事が終わったという顔をされ、私に軽食を注文されました。奥様は一人暮らしで、喜んで食べてくれる人もいないので作る張り合いもなくなり、いつも冷蔵庫の残り物で済ましていたと言いました。
私は、冷蔵庫の中の食材を確認して、9時を過ぎたばかりなので、早く提供できる朝食メニューがいいと思い、ハムエッグ、サラダ、コーヒー、パンをご用意しました。
奥様は笑顔でテーブルに着きました。
奥様はハムエッグを口に入れて顔をしかめました。続けてパンにバターを塗って一口、コーヒーを一口。奥様はため息をつきました。
「ハムも、卵もパンも私には焼きすぎて固いわ。コーヒーは熱すぎるし香りもない! もう少し、ましだと思ったけどがっかりだわ」
奥様は朝食を済ますと料理本を取り出し、好みの料理にボールペンで丸印をつけました。
「はるかさん! 私は、この本に丸印をした料理が好きなの。よく作り方を読んでくださいね! ハムエッグ、トーストすら満足に提供できないなんて信じられないわ」
奥様の声は想像以上の声量でした。
それから、掃除を始めると、
「ダメよ、部屋の角はノズルの先端で細かいゴミまで取って!」
洗濯をすると、
「ダメよ、衣類を分けてネットに入れて! まったく、どこのお嬢様なの!!」
とお怒りです。
第一印象が悪いと、人は色メガネで見てしまうのかもしれません。奥様は最初の朝食で失望したので、私のすること全てがお気に召さなかったのです。
「1週間使ってください。お願いします。どんどん指摘してください。直しますから」
私はひたすら謝りました。
1週間すると、私は家事も食事も奥様の要望に沿ったサービスを提供できるようになっていました。
ある日、奥様は私に深々と頭を下げました。
「あなたに意地悪をしてごめんなさい。お願いですから私を許してね」
「どうかされましたか? 奥様」
私はビックリしました。
「許してくれる?」
奥様は上目遣いで言いました。
「もちろんですよ。奥様! 注意されたのは私が悪かったからです」
「もう、奥様はやめて。中田、いや、美子と呼んで」
「わかりました。では、美子さん。これからもよろしくお願いします」
奥様は紙袋から2枚のエプロンを取り出しました。
「足が丈夫だった時に商店街でエプロン買っておいたの。20代の貴方には地味だと思うけど、使ってもらえないかしら」
「奥様、きれいな花柄ですね。ありがとうございます。……すいません、美子さんでした」
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