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翌日、隣の部屋で寝ているあいつを叩き起こした。全然荷物の整理が終わってないが、どうでもいい。資文と合流してある場所に向かった。
「ここは?」
「ここは“鏡不鏡区”、簡単に言えば世界の狭間。ここは東でもないし、華仙郷でもない。特別な空間。だからここには時間の概念がない。千年ここに居座っても、外に出れば入ったときと同じ時間だ」
真っ白な空間に、水のような地面。歩けば波紋が広がり、墨のようなもやが現れて消える。ちゃんと物体として見えるのは出入り口用の鏡だけ。
陛下からいただいた仙術が施された木簡。それはここに来るための特殊な陣符で、陛下しか作れないもの。この場所は空間自体が歪んでいて、遠くに行けば二度と戻って来れなくなるらしい。
「少年、難しく考えなくていい。要するにあれだ、時間を止めて好きなことができるあれだ! 確か……」
「うっさい。ちょっと黙れ。今日は戦闘に必要なことを教える。といっても基礎中の基礎だがな」
袋から盃と土瓶を取り出す。物自体は普通に市場で売っているやつ。重要なのは土瓶の中身。私も最初はこれを使って修行していたけど、感覚を掴むまでが尋常じゃなく難しい。ここで挫折する人も少なくない。
ポンと栓を抜いて、地面に置いた盃に注ぐ。こっちの準備が整うまで、資文に説明を任せた。
「気というものは知ってるか?」
「五種類あるって蒲さんから聞きました」
「そうだ。厳密には水、火、木、土、金の五種類だ。さらにその気にも個人によって性質が違う。例えば同じ水徳でも人によって、“雨”や“霧”、“氷”など個性がある。生き物にはすべからくこの気がある。微弱だがな。今からやるのはその気を増幅させて制御する修行だ。気が増幅すれば身体能力が飛躍的に上がり、制御ができれば仙術という固有の技も使える」
その後も説明は続いた。
木は燃えて火となり
火は燃えて灰になって土に還る
土の中には金属があり
金属の表面には水が生じる
水がなければ木は枯れてしまう
これを“相生”という。
相生を利用して治療や能力強化をすることができる。反対に相手を討ち滅ぼす陰の関係、“相剋”がある。
木剋土、土剋水、水剋火、火剋金、金剋木。
敵と仲間の相性が戦闘で重要になってくる。それ以外にも気の相互性を利用して天気を予想している。
準備が整い、蓬木の顔を見る。抜けた魂が可視化されるほどポカンとした顔をしていた。話が難しくて覚えれないはしょうがない。私も感覚で覚えているだけで、言葉で説明できない。
「体感したら嫌でも覚えるさ。とりあえず私がやるから見てな」
その場にあぐらをかいて、頭の上に盃を乗せる。右手と左手を重ねて、親指の指先をくっつけて筒状にする。それを肩肘に力が入らないように、およそ下っ腹あたりに置く。気を増幅制御させる場所、“丹田”を意識するためだ。
背筋を伸ばして、深く呼吸する。気を全身に巡らせて、頭のてっぺんから放出させる。ある一定上の気が流れると……。
“ボコボコボコ”
「み、水が溢れ出した……!!」
「土瓶に入っていた水は“無気水”といって、その名のとおり気が一切含まれてない水なんだ。一度に大量の気に触れるとその気に変化する性質がある。私は水徳で個性は“川”。だから水が溢れて流れ出すってこと」
「ちなみに俺は火徳の火柱だ」
溢れた水は数秒後に消えてなくなる。これも無気水の特性だ。無気水が反応するほどの気を操れたら合格。一種の試験ともいえるし、その人の気と個性を見極めるのにも役に立つ。
盃を取って、無気水を注ぐ。蓬木を座らせて姿勢を確かめる。特に手の形と丹田の位置を細かく修正する。私たちみたいに慣れてればいいけど、初心者は少しずれただけで気を練ることができない。
少し離れて全体を見る。問題はなさそう。ゆっくり盃を乗せる。
「まずは呼吸に集中しろ。丹田を意識して深く吸ってゆっくり吐き出す」
そのあとは気を練って増幅、循環、放出、吸収を繰り返す。言葉や頭では簡単だが、実際やろうとしても十中八九できない。そもそも気を感じることすらできない。
かかる人は一ヶ月かけてようやく気を感じることができる。私だって無気水を変化させるのに一週間かかったし。
「焦らなくていい。まずは呼吸の仕方を……」
“バフンッ”
爆発するように緑が広がった。あのときと同じ観葉植物の蔓があっという間に地面をめぐった。なんの予兆もなく、盃に入った無気水のすべてが変化した。
呆気に取られる私と資文。まだ始まって数十秒しか経ってない。こんなことは普通ありえない。まして東の民ならなおさら。
「蓬木……お前……」
当の本人はまだ気づいていないらしい。その集中の深さは側から見てもわかった。
——特殊な気だと思っていたけど、まさかこんな……。
頭の中で情報を整理しているうちに、自分の役目を思い出した。はっとして盃を取って、蓬木に声をかける。
「蓬木、おい蓬木。もういい、戻ってこい。蓬木。よも……」
“ドスッ!!”
背中をサッカーボールみたいに蹴飛ばす。思いのほか吹っ飛んだ。転がった地面に墨のようなもやが広がる。
「なにすんの蒲さん!!」
「そうよ可哀想よ!!」
「お前も蹴っ飛ばしてやろうか……??」
ため息をついて落ち着かせる。戻ってきた蓬木にあらかた説明する。
案の定気づいてなかったらしく、「じゃああの感覚が気なんだね」といとも簡単に感想を述べた。
才能か、はたまた偶然か。それを確かめるためにもう一度やらせた。結果は同じだった。それどころか、今度は目を開けて自分の能力を確認している。「アイビー好きなんだぁ」とまるで家でテレビを見ているかのようだった。こうも簡単にされると、ちょっとだけ悔しさを感じる。
荷物を片付けて、次の修行に向かう。
「もしかして俺って才能あるのかも!」
「きっとそうだ少年!!」
「うっさ」
◯
「もしかして俺って才能ないのかも……」
「きっとそうだ少年!!」
城内にある武道場で資文が体術を教えていた。仙器の選択のまえに自分の戦闘タイプを知るためだ。人によっては戦闘をしないで支援に特化する場合がある。逆に体術をメインにする人もいる。まあ最後は結局自分の好みだけど。
道場の壁に背中をつけて座る。今日のガムは八角味。気分的に杏仁がよかったんだけど、ストックがなかったからこれで我慢。ふーっと膨らませてふたりを見守る。
「包子もやるか?」
「全体を見たいからパス」
——まあただ面倒なだけだけど。
蓬木の動きははっきり言って素人以下の以下。田舎の小学生のほうがまだ動ける。
へっぴり腰、ドタドタした足運び、反射で目を瞑る。気の制御は私らレベルだったけど、戦闘に関してはまるっきり。これじゃあ彼の目的を達成するまえに天鬼にやられてしまう。
ポケットに手を突っ込んで座ったまま声をかけた。
「戦闘は壊滅的だな。諦めて支援特化にしたほうが……」
「それじゃダメなんだ!!」
へとへとになった体から力強い声が出る。いっときの静寂が道場に広がる。膝に手をついたまま息を切らして言葉を並べる。
「ダメなんだ……。俺が……守らないと……」
呼吸を整えてすっと背筋を伸ばす。自分の右手を見て強く握った。
「この手で守るんです……才能がなくたっていい。だから、お願いします!」
頭を深く下げているのか、それともただ疲れているのか。
噛んでいたガムを吐き出した。
ポケットに手を突っ込んだまま立ち上がる。軽く背伸びをしてふたりに近寄る。
「粋だねぇ」
資文の肩をポンと叩いて出口に向かう。
「おい、もういいのか?」
「ああ、あとは蓬木次第かな」
「俺次第?」
* * *
城を離れて街に出る。しばらく歩くとすぐに目的地についた。
“武武武”
お店の奥からカンカンと金属音がする。目のつきやすいところに、包丁や鎌が置いてあった。おそらく鍛冶屋なのだろう。
「おうよくきたな。また壊したのか?」
「武二、私をなんだと思ってんの」
低くて優しい声。四十歳くらいだろうか。服の袖に腕を通さないで、上半身をはだけさせていた。ボディービルダーのような大胸筋と上腕二頭筋をまじかで見るのは初めてだ。
手には包丁を持っていた。そのガタイに合わないほど丁寧に研いでいた。
俺と目が合うと、手を止めて手ぬぐいで手を拭いた。
「こいつは蓬木、新人だ。蓬木、この人は武ニ。この店の二代目だ。ほかにも初代の武一と三代目になる予定の武三がいる。あれ、そういえば武一は?」
「父さんか? 今奥で鉄を叩いてるよ。武三に直々に伝授するって張り切ってたんだけど……」
“違う!! もっと腰を入れるんじゃ!!”
噂をしていると、奥から声が聞こえた。ちょっと気になってこっそり覗きに行くことにした。
下から蒲さん、俺、資文さんの順で頭をひょこっと出した。そこには白い髭の生えた背の低い人と自分より年下くらいの子がいた。赤くなった塊を金槌で叩いている。
「もっと力入れろ!! 鉄が冷めるじゃろ!!」
「やってるよ! じいちゃんこそ無駄口叩かないで!!」
家族喧嘩というより、子供の言い争いのような。初めて会ったけど、なぜか微笑ましく感じた。伝授って言うからもっとかしこまった感じかと思っていたけど、これを見る限りそんなことはないし、武三くんはなんだか現代っ子ぽい印象を受けた。
ふたりは俺らに気づいてなく、ひたすらに口と手を動かしていた。見かねた武ニさんが後ろからやってきた。
「父さん、客人だよ」
「客だぁ? って桃華じゃねぇか。なんだ、また壊したんか」
「だから違うって! 今日はこいつの仙器を探しに来たんだ」
そういうと、武一さんがぬっと近づいてじっと俺を観察する。つま先から頭のてっぺんまで。品定めをするように見ていた。
「なるほどな。木徳じゃな……よし、ついてこい」
武一さんについていって、工房の中を歩く。外見によらず中は広かった。親子だけでやっているかと思ったら、ほかにも従業員がいた。
「ところで仙器ってなに?」
「そういえば話してなかったな。仙器は……」
「仙器とは己の心じゃ」
蒲さんが話そうとしたとき、武一さんが割って入ってきて説明をし始めた。
「己の欲するもの、正義、真心が具現化したもの。それが仙器じゃ。意志が強ければ強いほど、仙器は本来の力を発揮できる。逆もしかりじゃ。それに仙器は人を選ぶ。魂と魂の調和を……」
「まあ要するに武器だよ」
「まとめすぎじゃわい!!」
武三くんがさらっと言ったことに、顔を赤くして怒りをあらわにする。慣れた様子で武ニさんが「まあまあ」と宥める。
そのあと、俺でもわかるように武ニさんが説明してくれた。
仙器は俺らが使う武器のこと。気や個性によって武器の種類や形状が変わるらしい。それゆえにほとんどが特注品で、他人の仙器を使おうとしても十分に力が発揮されないことが多いとのこと。
「ついたぞ」
扉を開けるとそこは小さな部屋だった。ここにいる全員は入れなさそう。蒲さんを見つめると、首を振って“行け”と合図された。
中に入ってみると、やはり狭かった。棚には丸い水晶が綺麗に並べられていた。大小はさまざまで、部屋の奥には抱き抱えるほど大きなものもあった。
「好きなの選びな」
「え、そんなこと言われても……どれがいいんだ?」
それ以上、武一さんはひと言もしゃべらなかった。ひとまず、ざっと眺める。棚の一番上の隅から足元まで。反対側にも目を向ける。どんなに近づいてみても、触ってみても、どれも同じに見えた。
“ガタン”
不注意で腕が棚にぶつかってしまい、その拍子で水晶が落ちた。地面に落ちるまえに、とっさにそれを手に取った。
「ふー、割れなくてよかった……」
安堵の息を漏らして元の位置に戻そうとした。
“リン”
ふと鈴の音が聞こえた。いや、正確に言えば、聞こえた感覚がした。水晶を置こうとした手を止めた。目の高さに持ってきて、じっとその水晶を見つめる。なんの変哲もない手のひらサイズの水晶。覗き込んでも景色が歪んで見えるだけ。それでも、なんとなくだけど、こいつな気がした。
「決まったようじゃな。それを持ったままここに立つのじゃ」
部屋の中央に立たされた。よく見てみると、床にはひと筆描きの星が描かれていた。ちょうど五角形になっている部分に足を揃える。
「この水晶に気を送り込むのじゃ。遠慮はいらん」
両手に水晶を持って、楽な高さで支える。遠慮がいらないならと、目を瞑って深く呼吸を始める。
ゆっくり、ゆっくり。
全身に、巡らせて……。
“キュイーン!!”
次の瞬間、眩い光に包まれた。
たまらず閉じた目をゆっくり開ける。
「こんな気初めてじゃわい……」
さっきの透明な水晶は淡い緑色に変化していた。
ドアがギーッと開き、「終わったみてぇだな」と言いながら蒲さんが入ってきた。
彼女に水晶を見せると、珍しく興味深そうに見ていた。普通の状態がわからないけど、部屋に飾りたいほど透き通った色だった。
「この水晶を武器に組み込むと仙器になる。安心しろ、この状態の水晶は滅多なことで割れたりしない。傷がつけば、すぐに気を取り込んで修復する。まあ私は一回壊れたけど」
最後のひと言で安心しきれない。まったくこの人は言葉が少ないんだか多いんだかわからない。
そのあと、水晶を武一さんに渡した。仙器の製造には時間を要するらしい。その期間、代用品としてひと振りの剣をくれた。鞘に入ったまっすぐな両刃の剣。持つところの先端には紐でできた穂が垂れていた。
その重量はおもちゃの比じゃなかった。刃だってちゃんとついている。人を殺めることだって簡単にできる。そう思うと、少し怖くなった。軽はずみに守ると言ったわけじゃないのに、手が震える。
——俺にやれるのか……。
“ポン”
肩を優しく叩かれた。振り返ってみると、資文さんがいた。
「その感覚、忘れるなよ。恐怖があるから己も仲間も守れる。勇気っていうのも恐怖がなければ生まれてこない。無謀と勇気、似ているようで違う」
ぎゅっと鞘を握った。心の奥から湧き出る感情に涙が出そうになった。
「セリフくっさ」
「うるせぇ」
来た道を戻って玄関に行く。金額の半分を先に支払って、製造を委託した。結構、いやものすごく高い……。残ったのは硬貨数枚だけ。主な暮らしは向こうだけど、家賃や消耗品はこっちで買わざるを得ない。
——え、任務ってお金もらえるよね??
鍛冶屋の三人に挨拶をしてここをあとにする。
「腹減ったぁ。もうこんな時間かよ。なぁ昼にしねぇか?」
「いいけど、どこ行くの」
「んー阿財とか。朝菊も来るだろ」
「え、でもお金が……」
「そんなん奢るから気にすんなって」
ご飯と決まった瞬間、ふたりは歩く速度を上げた。
手のひらで数えていたお金をしまおうとしたとき、人にぶつかった。チャランチャランと小銭が落ちた。大した数じゃないけど俺の全財産には変わらない。こんな道端でお金を拾うと人の目が気になるが、仕方がない。
最後の一枚はぶつかった人が拾ってくれた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。気をつけてね、朝菊くん」
「あ、はい!」
数を確認して巾着にしまう。もしかしたら取られるかもと思っていた自分が恥ずかしくなった。この国の人は存外優しいみたいだ。
遠くのほうでふたりが俺を呼ぶ。なんやかんやいって、やっぱり仲がいいんだな。ふたりの姿を見て資文さんが言ってた“仲間”という言葉を思い出す。自分もあの服を着る日が来るのだろうか。そんなことを密かに妄想する。
「そういえばさっきの人、なんで俺の名前を……まあいっか」
* * *
「蓬木朝菊、やっぱ双子だねぇ。ここが似てる。そう思わない? ねぇ夕菊ちゃん」
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