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なんの動物かわからないけど、下調べは大事だ。それにすべての情報が正しいとは限らない。判断力と見極めが試される。あらゆる手段を使って情報をかき集め、取捨選択をする。それが俺流のメゾットだ。
“おいぬのきもち”
「ばかかお前は」
頭をバシンと叩かれた。もちろんこの人だ。
「蒲さん、図書室では静かにしないと」
「このご時世にそんな薄い本だけ読むやつあるか。ググレカス」
放課後にふたりで図書室に来ていた。俺が思っていたより、犬に関する本が少なかった。あるのは今読んでいるこの本と図鑑だけ。飼い方を記したものはどこにもなかった。
パタンと本を閉じて携帯を取り出す。こうなることはなんとなく予想がついていた。休み時間に調べた複数のタブの中からよさそうなのを選ぶ。
「ていうか、富良野のときもそうだったけど……」
「ん?」
「こいつ、東の民には見えねぇんだな」
蒲さんの目線は横に傾いていた。それもそのはず。豆豆はすぐそこにいるから。
テーブルの上で気持ちよさそうにゴロゴロしていた。
俺が家に帰ってもついてくるし、学校にまでついてきた。それでも周りには見えていないらしい。いいのか悪いのかわからない。ひとつ言えるのは俺が集中できないということ。
授業中も目に入るし、ノートの上に乗っかってくるし、仙の髪の毛を食べるし……。
他の人に害はないとはいえ、学校生活に支障が出まくりだった。
「急いで仙から引き離したとき、仙のあの顔、後ろに“え、なに、まさかそっち系”って見えたもん。袋山さんも若干顔赤くしてたし」
「よかったじゃん」
「どこがだよ」
机にだらんと寝てながら携帯を見る。あまり人がいないし、クーラーがなくても涼しい。気を抜くとこのまま寝てしまいそうになる。
蒲さんも蒲さんで、漫画を読んでいた。普段のイメージが肉まんか赤点しかない。漫画も読むんだと少し親近感を感じた。そういえば普段の彼女を知らない気もする。
「あれ、蓬木くんと蒲さん?」
「ふ、袋山さん!?」
だらけているところを唐突に声をかけられた。脳が彼女がそばにいると気づくまえに、脊髄反射で姿勢を正した。恥ずかしいところを見られて、耳がほんのり熱くなる。
数冊の本を抱えて、ふふふと微笑んた。今日も聖女のように、凛とした雰囲気の彼女だった。
前回の反省を生かして、インキャを隠すように……。
「袋山さんはなに借りたの?」
「世界遺産の写真集だよ。今度の作品のヒントになるかなって。本当は直接見に行きたいんだけど、そうもいかないから。蓬木くんはなにしてたの?」
正直に全部言えるわけなく、端的に説明した。犬を飼う予定で、なにを準備したほうがいいのか。あながち間違いじゃない。まあその犬は今机の下にいるけど。絶賛靴紐でお遊び中だ。
「あ、私犬飼ってるよ。よかったらいろいろ教えよっか?」
「まじ! 助かるよ。ペット飼ったことないから不安だったんだよねぇ」
「ふふふ、私も初めはそうだったよ。それじゃあさ……い、インスト教えてくれる……?」
「あーごめん、俺やってないんだ。LAINでもいい?」
携帯を取り出してQRコードを表示する。長い髪の毛を耳にかけて、それを読み取る。
袋山さんの横顔が一枚の絵のように美しかった。美術部とい印象のせいでそう思ったのかもしれない。漂ってくるシャンプーの香りも絵の具に混ざっていた。
「じゃああとで連絡するね」
そういって図書室を去っていった。トーク画面には公式キャラクターのライオンのスタンプが押されていた。
最近ラインでやりとりしたのは朝顔だけだし、仙と頻繁に連絡なんてしない。あとあるのは通知を切っているクラスラインくらいだろう。一応蒲さんとも交換しているけど、ほぼ業務連絡用。
女の子とのライン。胸がちょっとざわつく。
「なににやけてんだよ」
「べ、別に」
読んでいた漫画をパンと閉じて、机の下に潜る。豆豆を抱えてひょこっと出てきた。じーっと俺を睨みながら頭を撫でていた。
「怒ってる?」
「怒ってない」
そのセリフがもうすでに怒っているような気がした。なにかやらかしたか? 怒らせることでもしたか? その答えがわかるわけもなく、気まずく微笑み返す。
豆豆をもふもふしながら、ゆっくりと口を開く。
「袋山、だっけか。確かにおつゆに似てたな。声も見た目も。違うのは性格くらいか」
「え、そう? ふたりとも明るくない?」
「ものが違う。袋山はひとりのときのほうが自分を出しているだろ。おつゆは逆、みんながいるときはあんな感じだけど、ひとりのときはびっくりするくらいネガティブなんだ」
そういわれて思い当たる節があった。俺が見た窓を覗き込むあの無邪気な姿、それと話しているときの態度が全然違う。単に恥ずかしいからだと思うけど、確かに明るさでいうと前者のほうが強い。
おつゆさんはいつも明るくて、いるだけで周りの人を明るくする。そんな印象だった。ひとりのときなんて見たことないし、今後も見ることはないと思う。
「陰と陽、だね」
「まあどうでもいいけど。私は帰るよ。肉まんの件、なんとかなりそうだし」
「豆豆な。てか、ありがとう。付き添ってくれて」
「あいよ。じゃあな」
図書室に残っているのは図書委員と俺と豆豆。実質ひとりの空間に浸る。もう少しここにいよう。窓から入り込む柔らかな夕日を体に浴びて。
◯
「んーこれはこれは……」
後日、おつゆさんに会いに行った。食べ物とか部屋の大きさを考えるとこっちで揃えたほうがいい。ペットを飼っていないのにペットの道具があったら不思議がるどころじゃない。
袋山さんからもらった必要リストを紙に書いた。ここだと電波繋がんないし、携帯なんてものがあるなんて知られたら文化を壊しかねない。
「どうかな……?」
「いけそう! ちょっと待ってて」
頼もしい声とともに店の裏に飛んでいった。
豆豆は地面で寝ている。ペットを飼ったことがないからわからないけど、こんなに寝るもんなのかな。基本寝ているかなにかによじ登っている。
ぼーっと眺めていると、表のほうから人が入ってきた。おそらく客だろう。
「梅子さーん、荷物どこに置いたら……って」
「阿桂さん! お久しぶりです」
数ヶ月ぶりに会ったのにも関わらず、俺のことを覚えていたようで、ハッとして口を開けていた。重そうな箱を一旦置いて俺のところに来てくれた。
あのときは十分に話す時間もなかったし、そのあとも会うことがなかった。
話をしているうちに意気投合してきた。歳は俺の一個下で、結界師を生業としているらしい。仙からチャラさを抜いた感じの人で、俺としてはとても話しやすい。
「あー残念だったね。次の昇級試験はいつ?」
「秋ごろだったっけな。今度こそ合格してやる!」
“チリン”
店にぶら下げてある風鈴が鳴る。気温は変わらないのに、その音色を聞くと自然と涼しくなる。きっと気持ちのいい風が吹いているんだろう。蓬莱仙国の天気は本当に安定している。
「こんにちは」
声のほうを向くと、店の入り口にお客さんがいた。すらっとした体型と高身長は見覚えがあった。傘を杖代わりにして、長い黒髪をなびかせている。
「あ、あのときの!」
武具屋の帰り、小銭を拾ってくれたあの人だった。異国で人にぶつかって、結構恥ずかしい思いをしたから覚えている。
そしてもうひとつ思い出した。あの人が俺の名前を覚えていたこと。
「そういえば、なんで……」
「あ、お客さんですか! ごゆっくりどうぞ」
タイミングが悪く、おつゆさんが帰ってきた。一度途切れた言葉を、もう一回言う勇気がなくて「なんでもないです」とはぐらかした。
店内を歩いて商品を手に取る。魚の形をした飴。ひと口サイズで容器も可愛い。小さい子に人気の商品だった。それをおつゆさんに渡して会計を済ませた。
「好きなんだぁ。“魚”も“飴”も。あ、そうそう。これ三人にあげるよ。じゃあね、朝菊くん」
そういうと颯爽と行ってしまった。結局名前を知っている理由を聞けなかった。
おつゆさんが受け取ったのは肉まんだった。それもちょうど三個。ひとり一個持って、三人仲良く頬張った。
「うまっ! これどこのやつだ?」
「うん、本当においしい。蒲さんにも食べさせたかったなぁ」
「ふふふ、ももちゃんなら知ってたりしてね」
風鈴が鳴り響く部屋で、まったりとした時間を過ごす。外は確かに賑やかで静かとはいえない。でも札幌のうるささと全然違う。荷車や客引きの声は映画やアニメのBGMみたいで、耳に優しい。
しばらくしたころ、阿桂が思い出したように立ち上がった。持ってきた荷物を指さして、おつゆさんの指示を仰ぐ。
「ありがとう! これがないと始まらないよねぇ」
「なに入ってるの?」
「ふふふ……」
不気味に笑って木箱の蓋を取った。
「じゃーん!」
「これは……提灯?」
箱の中には畳まれた状態の提灯が所狭しと入れられていた。
ひとつひとつ取り出して広げてみる。大きさは頭より大きいくらいの球体。全体が赤くて、下のほうに紐があしらわれている。表面には黒い字で「慶讚中元」と書かれていた。
そういえば、ここに来る途中も似たようなのを目にした。
「なんか祭りでもあるの?」
「もちろん! 七月といえば、“中元節”よ!」
中元? お中元とかのアレ?
聞いたことありそうでないイベントだった。七月と聞くと、七夕くらいしか思いつかない。俺自身そんなに日本の文化を知らないのもあるけど。
おつゆさんや阿桂、街の様子を見ると相当大きなイベントらしい。気になって聞いてみた。
「中元節は旧暦の七月十五日に行われる伝統行事なの。七月は“鬼月”、七月十五日を“鬼節”と言って、ご先祖さまが帰ってくるんだ。だからお迎えして供養するって行事」
おつゆさんの話を聞く限り、日本でいうお盆に近いものだろう。
箱の中身をすべて取り出して、組み立てる。それを紐で連ねて店先に飾る。ちょっとの装飾でもあるとないとでは雰囲気が全然違う。
手をパンパンと払って「よし」と頷く。背伸びをして飾ってあった風鈴をはずした。
「あれ、しまっちゃうの?」
「そうなの。中元節にはいくつか禁忌があるの。風鈴を飾らないとか、夜出かけないとか、すね毛を剃っちゃダメとか。まあ最近は伝統より楽しむことを優先してるから、あまり気にしなくてもいいんだけどね。商売柄、守れる伝統は守りたいの」
両手で風鈴を包み込んで店のカウンターに置いた。同い年とは思えないほどしっかりとした考えを持っていた。伝統を守るのが素晴らしいとかそういうことじゃない。目的や意味があって行動しているのが心に響いた。
そのあとも、店にあったものを飾った。ときおり、豆豆も口で咥えたり、頭に乗せて手伝ってくれた。
「「完成!!」」
小梅百貨店は見違えるほど華やかになった。これだけ灯りがあるなら夜はさぞ美しいだろう。写真を撮る趣味はないけど、撮れない状況だと無性に撮りたくなる。今は目に焼き付けておこう。
ひと汗かいたおかげで、そよ風がより一層気持ちいい。
「ふたりともありがとう。お礼にご飯作ってあげる!」
「ほんと! それじゃあお言葉に甘えて……」
「ああ、俺はこのあと用事があるんだったー! ほ、ほら朝菊も早く毛毛の家作ってやんないと、な! それじゃあ梅子さん、また今度!!」
「そっか、じゃあまたねぇ」
阿桂に無理やり背中を押されて店をあとにした。理由を聞いても「まあまあ」とはぐらかされた。そこまで知りたいわけでもなく、流されるがまま家に帰った。
食器、水入れ、シーツ、もふもふの寝床、それとトイレ用の容器。俺の部屋は簡易的なシャワーとトイレがあるだけで、広いとはいえない。それでも日当たりはいいし、タンスの収納が思っていた以上によくて結果オーライ。
豆豆のスペースを確保しても十分暮らせる。
「これでよし」
おつゆさんからいろんな種類の豆をもらっていた。豆でも好き嫌いがあるかもしれない。紅豆、緑豆、黄豆、黒豆。とりあえず、試しに全部分けて置いてみた。
ゆっくり歩き出し、口にしたのは緑豆だった。
「お前これが好きなのか?」
すると次は紅豆を食べ始めた。食べ終わると黄豆に口をつけた。どうやら豆ならどれでもいいようだ。と思っていたが、黒豆だけは食べなかった。
お腹いっぱいなのか嫌いなのか。満足げな顔をしてもふもふの寝床で丸くなった。
お腹を動かして寝ているさまに、つい口元が緩む。
「だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
突然隣の部屋から大声が聞こえてきた。ビクンッと跳ねた俺と豆豆は急いで隣の部屋へ向かった。
ノックすべきか悩んだけど、緊急性を考えてそのままドアを開けた。
「大丈夫!?」
そこにいたのは頭を抱えている蒲さんだった。
ここの部屋は俺よりも断然広くて、机なんかも置いてある。彼女はそこで唸っていた。
恐る恐る近寄ると、肉まんが数個置いてあった。
「うまくいかない……」
「ど、どうしたの」
「おう朝菊か。あと肉まんも」
「豆豆だよ。まあいいや、それでその肉まんは?」
ガムをポンと放り込んで、一服し始めた。フーッとため息をついてゆっくり話し始めた——
『ラベンダー味のソフトクリームおいしい! やっぱ一番好きだなぁ』
『まあ悪くないな。ん? まてよ? ということは——』
「ラベンダー味の肉まんが作れると思ったけど、それがうまくいかないってことね」
確かにあの任務のあと、俺らはお土産を買っていた。たくさんカゴに入れてたから、いろんな人に渡すもんだと思っていた。まさか全部自分のためだったなんて思いもしなかった。
蒲さんが作った肉まんを見てみると、ほんのり紫だった。生地にラベンダーを混ぜたのか、それらしきものが点々としていた。見た目はあまりよくない。食べてみてもラベンダーの風味がしなかった。
「着色料を使って紫を濃くして、生地はエッセンスだけ混ぜればよさそう。ラベンダー本体は中に入れる餡に使ったら……」
思ったことを独り言のように漏らした。昔からよく料理をしていたし、レストランにあるものだったら大体作れる。肉まんは作ったことないけど、餃子ならある。臭み消しに使ったり、ドライラベンダーを和えたりすればできそうと思った。
ガタンっと音を立てて立ち上がった。まっすぐ曇りのない瞳で俺を見つめる。
「それだ!!」
荷物を袋に詰め込んで部屋から飛び出した。
「ちょっと!」
自分じゃない部屋でぼっちになってしまった。
“安いよ安いよぅー、さー買った買った”
静寂に外の音が響き渡る。部屋の真ん中でため息をついた。それは蒲さんが無事なことに対しての安堵なのか、相変わらずなに考えているかわからないことに対してなのか。自分でもよくわからなかった。
あんな性格だけど、一応女の子。女子の部屋に長いはしたくない。
部屋に戻ろうとしたとき、ふと机の上のもものが目に入った。それは写真立てだった。中に入れてある写真はひどくボロボロだった。まるで水にでも浸かったような。
「家族写真かな。それじゃあこの小さいのが……ってこの場所どこかで」
「ワン」
豆豆が早く出ようとせかしてくる。確かに人のものを勝手にみるのはよくない。
写真立てを置いて、部屋を出た。
◯
豆豆の散歩がてら街の様子を眺めていた。店や家ごとに飾りが違うけど、どこの場所もすべからく準備をしていた。家に前に机を出して赤い布を敷いて、丁寧に埃を払っていた。おそらくお供物でも置くのだろう。
いつもより人通りが多く、大荷物を持った人がちらほらいた。人混みは得意じゃないし、帰ろうか悩んでいると声をかけられた。
「あ、朝菊くんじゃありませんか。ちょうどいいところにいました」
後ろを振り返ると木箱を高く積んでいる湖陽さんがいた。
話を聞くと、この荷物を香美さんのところへ運ぶらしい。これじゃあ視界が悪くて、この人混みを抜けれない。ちょうど暇だし、手伝うことにした。
木箱を持ってしばらく歩くと、香美さんのお店に着いた。ここへ来るのは二回目で、見慣れているわけじゃない。それでもわかるくらい、今日はたくさんのお客さんがいた。
「香美さん、頼まれたもの運んできましたよ」
「ありがとう。ついでで悪いんだけど、それ並べてくれるかしら」
忙しそうに客の相手をしていた。商品棚を見るとお香以外にも線香のようなものが置かれていた。
——お盆と同じだな。ていうことはこの箱も線香?
木箱を開けると、中にはお札のような紙が入っていた。淡い黄色の紙の中央には赤いインクで模様が書かれていた。
「これは“紙銭”といって、亡くなった方が使うお金なんですよ。向こうの世界でも困らないようにとこれを燃やすんです」
へーっと感心の声を漏らす。そうしている間にも客が次々と入れ変わっていた。
湖陽さんの指示に従ってすべての紙銭を並べる。その間ずっと、満員電車のように人に揉まれていた。
「ありがとうございました。ひとりだったら大変でしたよ」
「朝菊くん、ありがとうね。明日なにかお礼するわ」
湖陽さんは引き続き手伝うらしく、店の中に入っていった。ふたりに会釈して街に戻る。
「あ、朝菊だ! ちょっと手伝ってくれる?」
今度は道端で藍藍と出会った。ひとり知り合いに会ったら、もうひとり知り合いに会うってどこかで聞いたことがある。ひとりというか、大きいパンダ一匹と小パンダ三匹、あと虎も……。
「ありがとうな。ちょうど“人手”が足りなかったんだ」
李徴さんを動物として数えたのを心の中で謝った。
——てか、俺まだ手伝うとかいってない……。
あれよあれよと話が進んで、結局そのままふたりについていった。
道と道がY字に交差したところにある小さなお店。場所が場所なだけあって台形のような形をしている。見た感じ三階建てのお店で、パンダの装飾が全面に押し出されている。
「ここが藍藍のお店?」
「そうだよ! パンダ饅頭と竹細工を売ってるの。李徴って意外と手先器用なんだよ!」
横の入り口から入ってみると、そこには数多くの工芸品が売られていた。カバンやカゴ、照明器具に置物まで。
元々パンダ饅頭だけを売っていたけど、李徴が来てから竹細工の販売を始めたらしい。
手前ではパンダ饅頭を、奥では竹細工を作っている。空間もテーマ性も生かした完璧な商売だった。
「それで俺はなにを手伝えばいい?」
「それはね!」
——一時間後
「饅頭五個ください!」
「こっちにも五個!」
「白餡三つと……えっと、ちょっと待ってください」
俺が任された仕事は接客だった。後ろで藍藍がひたすらに饅頭を作っている。李徴さんは奥で竹細工の販売をしている。
こういう伝統文化がある日や祝日はひとりで回せなくなるほど繁盛するらしい。俺も食べたことあるけど、確かに美味しかった。できることなら持って帰って、朝顔に食べさせたい。
初めての接客に戸惑いながらも、なんとか無事に売り切ることができた。
「お疲れー。はい、これ今日の分の給料」
「え、もらっていいの?」
「受け取りな。労働にふさわしい対価を払っているだけだ。朝菊がいなかったら、こんな早く終わらなかったからな」
そこまで言われたら拒むこともできなかった。丁寧に布で包まれたお金はいつも以上に重たく感じた。これが労働なんだと、汗とともに体に染み渡った。
このあと休憩に入るとのことで、長居しないで帰ることにした。大きく手を振ると、藍藍が飛び跳ねて答えてくれた。李徴さんも控えめに手を振っている。
道中、パンダ饅頭を食べながら今日を振り返る。
今日あった第零班の人はみんな副業をしていた。気象師が本業なのか、お店が本業なのか。個人次第だろうけど、どっちみち兼業には変わらない。藍藍なんて俺よりも年下なのに、しっかり自分のお店を持って経営していた。
「あれ、俺ってもしかしたら無職??」
そんな言葉が横切った。もちろん東での暮らしがメインだから、ここで生計を立てる意味はない。
学生と気象師の両立。家族三人で一緒に暮らすために、目標を見失ってはいけない。
「ワン」
「お前もそう思うか」
文化と人の営みに触れて、自分の目的を再認識する。人の数だけ生き方がある。そんな壮大なことをぼんやりと学んだ。
街に出るのも悪くない。そう思った。
◯
七月十五日、今日は日曜日で学校も休み。
蓬莱仙国の朝は早かった。
玄関前に果物、紙銭、線香などを準備して配置する。俺の住んでいるところはやってないので、蒲さんと一緒におつゆさんのお店に行った。
みんなで線香を数本持ってお辞儀する。それが終わると、家の中にある仏壇でも同じくする。どうやら、時間や順番があるらしい。
キッチン、裏口と終わって、しばらく休憩する。
午後一時、店の前に出てお参りをする。それが終わると、紙銭を燃やし始めた。
鉄でできた大きな入れ物に放り込んで火をつける。もくもくと煙が立ち上り、青空へ消えていった。
「大体こんな感じかな。“普渡”は地域によるから家庭ごとに違うときもあるの」
「夜はお祭り騒ぎだから、今のうちに休んどけよ。私ら明日学校だし」
椅子にどさっと座って、腕枕をして寝ようとしていた。朝早かったせいだろう。お参りのときも、こくこくと頭を揺らしていた。
蒲さんのいう祭りがどういうのか楽しみだった。休めと言われてもこころが弾んで落ち着かない。
“ドォン!!”
外から轟音が鳴り響いた。同時にあの感覚に襲われた。そう、気の乱れだ。
急いで外に出てみると、住民が死に物狂いで走って逃げていた。彼らがやってくる方向をみると……。
「「天鬼!?」」
体長五メートルほどの天鬼が大通りに現れた。それだけじゃない。別の方角にも気の乱れを感じる。ざっと数えて三体。しかも火、水、木の三つの気だった。
通常、大気中の要素に偏りが生じて天鬼が発生する。偏りが複数あるってことは平均的に見て調和が取れているといいうこと。今日の気の状態で天鬼が発生するなんてありえない。
聞いたことないだろう。今日は晴れながら雨が降って地面が凍るでしょう、という天気予報を。
「蒲さん、もしかしてこれが祭り?」
「バカか、とりあえず仙器取りに行くぞ! ついでに服も着替えろ、大至急!!」
天鬼の位置はそれぞれ、中央広場、大通り、川辺だ。一番近いのは大通りの天鬼。しかしあいつは木徳、相性は悪い。
「グアァァァ!!」
咆哮とともに空が暗くなった。上空を見上げると、天鬼が奇襲を仕掛けてきた。狙いは俺でも蒲さんでもなかった。
「危ない!!」
身を捨てながら飛び込んだ。その場に立ち尽くしていたおつゆさんを抱えて倒れ込む。すぐに彼女の安全を目視で確認する。傷はなさそうだ。
「あ、ありがとう……」
ゆっくり立たせて、蒲さんが牽制しているうちに建物内に避難させた。
このままだと、いつ住民に被害が出るかわからない。大通りといっても、札幌の大通公園ほど広くない。それにこの人数を庇いながらとなると、とても難しい。
「どうすれば……」
“聞こえるかのう”
突然頭の中に声が聞こえてきた。その声の主は一瞬でわかった。
「陛下!?」
“今から指示を出す。各天鬼に甲級結界師を向かわせた。火徳を桃華、朝菊、湖陽。水徳を智明、無咎。木徳を李徴、大安。そのほかは第四班と第五班と合流し、住民の避難と救出にあたるのじゃ。以上、皆に天気の加護が在らんことを”
そこで声が途絶えた。迅速で的確な指示は幻聴とは思えない。近くに陛下も他の仲間もいない。ということは、見えない仲間に一斉にテレパシーを送る能力なのだろうか。まさか契約の儀で刻まれた“零”のタトゥーが関係しているのか。
陛下が戦っているところを見たことないし、見た目があんなだから全然想像がつかない。でもこの国を治めているってことは それ相応の力があるのかな。
「蓬木! なにぼさっとしてんだ。さっさと行くぞ!」
そうだ、今は集中しないと。早く討伐しないと多くの犠牲者が出る。
戦闘服の上から、左肩を触る。体全体が熱くなり、やる気に満ち溢れていた。
“カキンッ!”
「遅れてごめんよ。君たち第零班の人だよね。陛下から事情は聞いた。ここは任せて、持ち場行ってきていいよ」
天鬼を閉じ込めるように立方体の結界が形成された。この事態にも動じず、大人の余裕を見せている。彼が甲級結界師だと服装でわかった。天鬼がいくら暴れてもびくともしない結界なんて、初めて見た。
俺らが第零班ということも、俺らの持ち場が別なこともこの人は知っていた。陛下の統率力というか、透視力に脱帽した。
「ありがとうございます!」
結界師の人にあとを任せて、現場へ急ぐ。
そこからが早かった。連携の取れた動きで、住民の避難が早期に完了した。結界師がいたおかげで街への被害が少なく、こちらとしても討伐がしやすかった。
通常の任務と比べて、陛下がついているという安心感が己を奮い立たせた。どんな敵でも倒せる。天気の加護がついている。そう心から思った。
「ふたりとも、今です!」
「せいっ!!」
「おりゃぁぁぁぁぁ!!」
「無咎、そっち行ったぞ」
「わかってる!」
「合わせ技でいくぞ」
「了解。ちょっとビリってするよっ!」
異常気象発生から数十分後、すべての天鬼が消滅した。街に関しても、一部の建物が半壊した程度だった。中央公園あたりで被災者が出たが、死者はいなかった。
「ありがとう」
「さすが国家所属の気象師ね」
不特定多数の人物からお礼を言われた。公に見られながらの任務はこれれが初めて。温かい言葉をもらったのもこれが初めてだった。以前蒲さんが話していたことをふと思い出す。やはり、感謝されてようやく実感と仕事の意味を感じる。この気持ちを忘れないでおきたい。
「やったな」
目線は前を向きながら、右手を握って俺に突き出した。いつもどおり、ジャケットのポケットに手を入れて、無表情でガムを膨らませている。多分、彼女もうれしかったんだと思う。俺も胸のあたりがざわついている。
左手を握って強く握って、拳をコツンッと合わせる。
「へぇーなかなかやるじゃんあいつら」
◯
「「三、ニ、一……中元節快樂!!」」
カウントダウンで一斉に放たれる。空を彩るのは天燈。紙を袋状に接着して、竹で作った輪っかを袋の口に取り付けたランタン。下からロウソクで炙って、熱で飛んでいく。いわば気球のような原理だ。ロウソクと一緒に燃やすのはくくりつけられた紙銭。
友達と飛ばす人、カップルで飛ばす人、家族で飛ばす人。中央広場に集ったさまざまな願い。それを天燈に書いて中元節を祝う。
夜空を覆い尽くす数多の光。その数だけ死者を想う気持ちがある。世界は違うけど、俺の気持ちも届いたらいいなとぼんやり空の彼方を眺める。
「私たちのどこだろー?」
「あれじゃないっすか? あのもうそろ落ちそうなやつ」
おつゆさん、阿桂、蒲さんと俺の四人でひとつの天燈を飛ばした。作っている最中はちゃんと飛ぶか不安だったけど、無事空まで到達した。
横を見ると、蒲さんが空を見上げていた。じっと遠くの一点を見つめて目を細めている。お団子にした髪の毛、中華風の私服、ジャケットに手を突っ込んでいる姿。あまりにも絵になりすぎていて、目が離せなかった。
「あ、朝菊くん! そ、その……さっきは助けてくれてありがとう。すごくかっこよかった!」
くっと体を寄せて、上目遣いでお礼を言ってくれた。目が天燈の光でオレンジ色に輝いている。あのときはとっさに反応したせいで、あまり覚えていない。
小さい体で大きな身振りを使って感謝の言葉を連ねた。普段の様子から想像がつかないとか、そのギャップがかっこいいとか。友達が試合を見に来たときのような照れを感じる。
「朝菊!! はい、特製パンダ饅頭あげる! 昼間手伝ってくれたし、天鬼の攻撃を逸らせてくれたおかげで、避難誘導がしやすかったよ。ありがとね!」
「朝菊くん、これあげるわ。お店手伝ってくれたお礼よ。ひと焚きすれば疲れも取れるし、快眠効果もあるの。もちろん、大事なときに使うのもありよ」
「私も欲しいです」
ひとりふたりと、気づいたら周りに人が集まっていた。口々に「ありがとう」と言の葉を渡してくる。感謝されることに慣れていなく、インキャコミュ障が絶賛発動してアタフタしている。
「朝菊めっちゃモテてますね。いいなぁ俺も早く昇級してモテたいなぁ……って桃子さん? 聞いてます?」
「……」
中央広場では屋台や鍾馗の演舞など、まさにお祭り騒ぎだった。その盛り上がりは夜遅くまで続いた。
日付が変わる数分前、俺らは川にやってきた。手には水燈を持っている。天燈とは違い、四角い形をしていて、水に浮かぶ。俺らでいうところの灯籠流しだろう。
ひとりひとつそれを手に持った。この人を除いて。
「蒲さん、水燈は?」
「私はいい。見てるだけで十分」
そういって向こう岸をまっすぐ眺めていた。でもその瞼は少し重そうに垂れていた。
なにか事情があるのかと思ったとき、部屋に飾っていた写真が脳裏に浮かんだ。水でボロボロになった四人家族の写真が。
「そうだ、一緒に流さない? 天燈みたいにさ」
「は? なんで」
「ひとりだと寂しいでしょ。蒲さんが一緒にやってくれたら、父さんと母さんに届く気がするんだ」
この世界に両親はいない。そんなことわかっている。でも、もしかしたらを期待している俺がいる。特に理由はなく、ただの気休めだった。
それに、想う人が違っても、想いの方向は一緒。ひとりよりふたり。支え合うことで伝わり、今を生きれる。
「まあ本当はやったことないから不安なだけだけど」
「わかったよ。ほら、片方かせ」
ため息まじりに板の端を持ってくれた。もう片方の手はポケットに入れたまま、ゆっくりしゃがむ。倒れないように、沈まないようにそっと手を離した。
小さな波紋が広がっていった。不安定に揺れていたが、すぐにおさまった。俺らの想いを込めた光はゆっくり遠ざかっていく。
近くにいた子どもが指をさしていた。それを目で追うと、川上のほうにも光が点々としていた。おそらく、他の国や村の人が流したんだろう。幅のある大きな川はたちまち水燈で満たされた。天燈とは違って、厳かな雰囲気がした。
川の音と相まって、耳でも目でも癒されるものだった。
「届くといいな。お前の気持ち」
「うん」
ふたりで流した水燈は海を目指してどこまでも進んでいった。
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