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お姫様/テスト/水族館
「だれよりも優先される人になりたかったんだよね」
「そんなのお姫様じゃん」
「それなの。それになりたかったの」
「なんで?」
「だれよりも優先される人が近くにいたから」
「そんなもん?」
「そんなもんよ」
ここに来て、もう家に帰らなくてよくなってどれくらいだっただろう。ユキとわたしは今日もふわふわの布団の上であくびをしながら、思いついたことをただ話す。友だちになるためでも、仲間はずれにされないためでもないそれは随分心地よく、呼吸しやすい。
「優先されるって、どんな?」
「なんだろう、ゆるされるっていうか。わたしが努力して勝ち得たものを、向こうは普通にもらえる感じ」
「かちえる」
ユキはこてんと首を傾げた。たまにわたしたちは言葉が通じなくて、それでも、あの世界にいた時のような不快感はないのだった。わたしは考えて、ユキにわかるように説明をする。
「たとえば、わたしがテストで九十点だったら、あと十点だったのにねって言われるのね」
「え、九十点もとれるのすごくない? あたしそんなにとれたことないよ」
「ユキは文字読めないんだからしかたないよ。でもね、弟が九十点とったら、九十点もとれてえらいねって言われるの」
「弟は文字読めるの?」
「読めるよ」
すっごおい、とユキは大袈裟に言って、それからひっくり返って笑った。きゃらきゃら光るその声を聞いていると、あの時の苦しかった気持ちがなんだか和らぐような、ぎゅうっとなっていたのを優しく撫でられているような、そういう感じがした。
「それに、私は水族館より動物園が好きなのに、弟が水族館好きだからそっちばっかいくとか」
「あたし、動物園のほうがすき」
「ね。魚より絶対動物の方が可愛いのに、弟が好きじゃないからーって、動物園は全然つれてってもらえないの」
水族館に限らない。カレー、肉じゃが、やきそば。わたしが好きじゃないけど、弟が好きだから食べなきゃいけないもの。ロボットアニメに虫とり。わたしが好きじゃないけど、弟が好きだから楽しまなきゃいけないもの。
「わたしはがんばって我慢してるのに、弟は何もしないでいろいろ手に入れてるってこと」
「弟のこと、きらい?」
「んーん。別に」
特に弟のことは好きでも嫌いでもなかった。いや、勝手におもちゃ使われたりするのはイヤだったけど、嫌いってほどでもなかったと思う。お母さんもお父さんも、別に嫌いじゃなかった。
ただ、あそこにいたくなかった。自分なんてどうでもいいことを思い知らされる場所だった。
たぶん全員を嫌いになったってよかった、むしろそっちの方が楽だったんだと、ここにきてやっとわかったくらいには。
ふーん、とユキは鼻を鳴らした。
「あたしはみんな嫌いだったけどな」
ユキにはお兄ちゃんと妹がいて、でも自分が一番バカだから、みんなあたしを嫌いなんだと、出会ったばかりの頃言っていた。ユキは確かに文字が読めないバカだけど、ここにいるかぎりテストも何にもないから、困ることはほとんどない。沢山あるわたしたちのための本のうち絵本しか読めないくらいだ。たまに、短い話を音読してあげるとユキはすごく喜ぶから、なんなら文字が読めないままでいてくれた方がなんて、そんなことさえ思った。
「わたしはユキのことも嫌いじゃないよ」
「え。あたしは好きなのに、そっちは『嫌いじゃない』なの?」
「んふふ、好きだよ」
「あたしも好きい」
くっついてけらけら笑う。その声を聴いてか、ママが巣穴の外からわたしたちを覗き込んだ。ぎょろりとした黄色い三つの目、ふわふわした白い毛。しゅるんと伸びてきた猫のしっぽみたいなママの腕が、わたしたちを布団ごと抱き上げて撫でる。
かわいいね、愛しいね。
ママは何にも喋らない。でも、そう言ってるのが腕から伝わってくるから、わたしたちはすっかり満たされた気持ちになって、その大きな大きな口にキスをした。
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