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5.時計塔
そして、週末。
いよいよ、レオと約束していた日がやってきた。
今世では、友人と約束をして待ち合わせをするのなんて初めてだから少し緊張する。
今日はメイドに頼んで髪をハーフアップに結ってもらい、赤いリボンもつけてもらった。
それに、つい先日ギュスターヴに買ってもらったよそ行きの白いワンピースを着ている。
友達とお泊まり会をするくらいでおめかしをするなんて大げさかもしれないが、今世の私にとってはそれくらい一大イベントなのだ。
──それにしても、なんで時計塔の下で待ち合わせなのかしら? それに、秘密基地に泊まるって言っていたけれど……一体どこのことなんだろう。
城下町の中心にある時計塔──ここは、街のシンボルとして長らく住民から愛されてる。
なので、待ち合わせ場所として使っても別におかしくはないのだけれど……何しろ、私達は子供だ。
カップルのデートじゃあるまいし、何故こんな場所を指定したのだろうか?
「よう、早いじゃねーか」
背後から声をかけられ、思わず振り返る。
「レオ! こ、こんばんは……」
「って……何、緊張してんだよ?」
「あ、えと……友達と待ち合わせするのって……その、初めてだから……」
ぎこちない笑顔のまま、そう返す。
前世でも友人はそんなに多い方ではなかったことも手伝って、どうも固くなってしまう。
「やっぱり、面白い奴だな。お前」
「なっ……やっぱりって、一体どういう意味よ?」
「いや、こっちの話。まあ、お前ならきっとあの人も気に入ると思うよ」
「あの人……?」
小首をかしげてしまう。
あの人って……一体、誰のことだろう?
「俺の叔父さんだよ」
「お、叔父さん?」
そう返すと、レオは更に話を続けた。
「俺の叔父さん、この時計塔に住んでるんだ」
「えっ!? この時計塔に!?」
時計塔の内部に住んでいる人がいるというのは初耳だったので、驚愕した。
こう見えて、レオは男爵家の跡取り息子だ。
彼の父親には弟がいるのだが、どうやらその弟というのが結構な変わり者らしく……。
自分は爵位を継ぐ必要もないからと家を出て、それ以来ずっとこの時計塔の屋上にあるペントハウスに住んでいるのだとか。
時計塔はレンガ造りの四階建てになっており、その上に時計を動かしている機械室があるそうだ。
外観はまるで教会のような佇まいで、どことなく荘厳な雰囲気を放っている。
「──まあ、そんなわけで。甥っ子の特権で、時々泊まらせてもらっているってわけさ」
「なるほど。そういうことだったのね」
そんな会話をしながら、私達は建物の裏に回り螺旋状になっている階段を上がっていく。
正面の入り口からでも上に行けるらしいけれど、そちらは図書館側の入り口になっているため回り道になってしまうらしい。
つまり、この建物は時計塔と図書館の両方の役割りを兼ね備えているのだ。
しばらくの間、そうやって階段を上り続けていると、ようやく屋上へと繋がる扉が見えてきた。
「ふう……やっと、屋上に着いた……。い、意外と疲れるわね……」
屋上に到着するなり、私はぐったりとその場に座り込む。
「何、年寄くさいこと言ってるんだよ?」
「そりゃあ、精神的にはあなたよりもずっと大人ですから」
「はぁ? 肉体は俺と同じ六歳だろ?」
何言ってんだか、といった様子でレオは肩をすくめる。
うーん……まあ、確かに肉体は六歳なのだけれど。これでも、中身は一応十八歳なのだ。
体力が有り余っている、わんぱくな六歳児のテンションにはついていけないのが現状である。
「ほら、見ろよ。あの塔屋に俺の叔父さんが住んでいるんだ。あ、ハンスっていう名前なんだけどさ」
レオが指差した方向に視線を移すと、赤い屋根の可愛らしい塔屋が目に飛び込んできた。
「わぁっ……」
「ほら、眺めも凄くいいだろ?」
「ええ、本当に……。見事な景色ね」
感嘆の吐息を洩らしつつも、城下町の眺望を望む。
「みんなはハンスのこと変わり者って言うけど……俺はハンスがここに住みたいって思った気持ちが何となくわかる気がするんだ」
「私も、何となくその気持ちが分かるかも」
しばらくの間そうやって景色に見入っていると、突然後方からガチャリと扉が開く音がして──
「おい、てめーら。人ん家の前で乳くりあってんじゃねぇぞ。……ったく、ガキのくせに色気づきやがって」
「ハンス!?」
私と一緒に振り返ったレオが、驚いたような声を上げる。
柑子色の長髪に、鋭い赤褐色の瞳──恐らく、年齢的にはまだ二十代で若いのだろうが、野趣あふれる無精髭を生やしているせいか十歳は老けて見える。
どうやら、彼がレオの叔父で間違いないらしい。
──レオは、叔父さんのことを名前で呼んでいるのね。よほど、仲がいいのかしら……?
「って……ちげぇーよ! こいつは、ただの友達! 昨日、ハンスにも話しただろ!」
「んー?」
訝しげに目を細めたハンスは、吟味するように私を見る。
「あー、なるほど。ってことは、このチビっこが例のお嬢ちゃんか」
むむ……チビっこって言ったわね。
これでも、前世はグラマラスな令嬢として巷で有名だったんだから!
「……あの、初めまして。アメリア・クロフォードです。よろしくお願いします」
不満を言ったら面倒なことになりそうなので、とりあえず恭しく挨拶をしておく。
「というわけでさ、塔内を案内してやってくれよ。ハンス! あと、今日はここに泊まるつもりだからよろしくな!」
「はぁ? 冗談じゃねーぞ、おい。俺は、ガキどものお守りをするためにここに住んでるわけじゃねーんだ」
「とか言いつつ、本当は一人じゃ寂しいくせに」
「お前が毎週のように押しかけてくるから、仕方なく泊まらせてやってるだけだ」
掛け合いをしている二人を横目に、私は頭上にある巨大な時計を見上げる。
──この大きな時計……当たり前だけど、ちゃんと動いてるのね……。すごい。
目前に見える時計に圧巻されていると、突然背後から襟を掴まれヒョイッと持ち上げられた。
「わわっ!?」
「……てなわけで、ぼーっと突っ立ってねーで行くぞ。特別に、塔内を案内してやるから」
「は、はい……あの、でも自分で歩けます。だから、下ろしてください……」
じたばた藻掻くと、ハンスはようやく襟から手を離して下ろしてくれた。
とにもかくにも、まずは機械室に案内してもらうことになった。
先頭を切って歩いていくハンスの後を追いかけ、機械室へと続く扉を開けると、私達はそのまま階段を上った。
そして、目的の部屋に入ると──
「わぁ……!」
そこは、時計の大掛かりな仕掛けがむき出しになっている部屋だった。
ここがあの巨大時計の裏側だと思うと、何だか心が弾む。
「ここが機械室だ。どうだ、凄いからくりだろう?」
「ええ、本当に凄いわ」
「この部屋、本当はペントハウスのオーナーしか入れないんだぜ? ラッキーだったな、アメリア」
「そ、そうだったのね……」
レオはハンスの親族だからまだしも、部外者である私がこの部屋を見学できるのは相当ラッキーだ。
しばらくの間、そうやって機械室の仕掛けを見て回っていると、ハンスが声をかけてきた。
「さて、お次は展望室に行くぞ」
ハンスに連れられ、私とレオは更に階段を上がっていく。
大きな窓が複数ある展望室に到着すると、私はレオに「こっちに来いよ」と手を引かれながらバルコニーのような場所に出る。
「わっ……時計が真下にある!」
黒い防護柵に手をついて、思わず下を覗き込む。
この巨大時計をこんな間近で見ることができるのは、恐らくここだけだろう。
ふと、真下に小さな窪みのようなものがあることに気づいた。
この位置からだと中までは見えないが、何故か人一人がようやく入れるくらいの長方形の穴が空いているのだ。
──下から見上げた時は、窪みに気づかなかったけれど……修繕工事か何かの時に使っているスペースだったりするのかしら?
怪訝に思いつつも景色に見入っていると、背後からハンスに話しかけられる。
「どうだ? びっくりしただろ?」
「ええ! それに、景色もさっきより凄いわ!」
得意げに口の端を吊り上げたハンスに向かって、私はそう返す。
──そう言えば、レオにまだ招待してもらったお礼を言ってなかったわね。
お礼を言おう。そう考えた私は、さり気なく彼の隣に歩み寄る。
「あの……今日は、ありがとう。こんな素敵な場所に連れてきてくれて」
「んー? 気にすんなって。お前は、もうこの秘密基地に自由に出入りできる立派なメンバーなんだからさ。あ、ちなみに所属メンバーは俺とハンスとアメリアだけだけどな。みんな、せっかく招待してもハンスのことを怖がってメンバーになりたがらないんだよ」
「あはは……」
レオにつられて、微苦笑する。
確かに、子供からしたらあの叔父さんは怖いかもしれない。
個人的にはただ不器用なだけで、根は甥っ子思いのいい人だと思うけれども。
──ここから突き落とせば、ギュスターヴも確実に死ぬかしら。
ふと、そんなことを考える。
自分がやられた時と同じように階段から突き落としてもいいけど、それだと下手したら生き残る可能性もあるし……。
「ここから落ちれば、あの人もきっと──」
心の中で、密かにそう思ったはずだった。
けれど、その考えがうっかり口をついて出ていたことに気づく。
「え……?」
隣にいるレオが反応する。
……どうしよう。聞かれてしまった。何とか、ごまかさないと。
「あ、えーと……うちの使用人にね、凄く筋肉質で大柄な人がいるの。彼くらい頑丈な人でも、ここから落ちたらひとたまりもなく死ぬのかなぁって思って……」
苦しい言い訳かもしれない。
けれど、弁明しないよりはマシだと思い必死に取り繕う。
「別にいいんだぜ? ごまかさなくても」
「えっ……」
「──俺にも、ここから突き落としてやりたいくらい嫌いな奴がいるからさ。気持ちは分かるよ」
言って、レオは柵から手を退けて私の方に向き直る。
その深海のようなサファイアの目は決して冗談を言っている風ではなく、真剣そのものだった。
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