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2022年6月8日(没供養)
没になったものを途中なんですが供養しておきます。
声を買いとる人
声を1音5万円で買い取るという噂を聞いた時、僕は借金に追われていた。返済に窮した僕は藁にも縋る思いでその噂の店に足を運ぶ事にした。当然信じてなんかいなかったけど。
都会の喧騒から1歩道を外れ、細道を通る。秋に入っても蝉の鳴き声は健在で、長命な蝉に少しの苛立ちを抱えながら歩いた。
都会らしからぬ木造建築の家だった。見た目は昭和の木目が露わになった建物だったが地図によればこの建物らしい。僕はその建物の扉に手をかけて勢いよく押した。
「いらっしゃいませ」
中は図書館に入ったかと見間違える位の本で溢れかえっていた。季節外れの風鈴の音が辺りに鳴り響く。外観からは考えられないくらい美しい内装だった。
「本をお求めですか?」
カウンターから女性が現れる。この店の店主だろうか。手に厚い本を抱えていて無造作にまとめられた髪が美しかった。
「声を売りに来たんです」
「……分かりました」
そう言うと彼女は僕を店の奥に行くよう促した。僕は意図を伺いながらもこの店に来た目的を果たすために彼女について行った。応接間のような小部屋には2つの小さなぬいぐるみと怪しげなランプが置いてあるばかりだった。
「声は日本語にしますか?それとも英語にしますか?」
「え?」
「当店は声を1音ごとに買い取りしております。日本語ですと濁音なども同等の価値で買い取るのでお得ですよ」
彼女の目線は僕の喉に注がれていて居心地が悪い。僕はとりあえず日本語を選択した。
「売る言葉ですが『あ』から『ん』まで一律で5万円となっています。濁音や半濁音も同等です。小文字は買い取り出来ません」
「本当に売ったらどうなるんですか?」
「その言葉を声にする事が出来なくなります。文字に書くことは出来るので、全部売られた方の多くは筆談や手話がメインになりますね」
店主は物憂げそうにそう答える。きっと何十回と同じ問答をしたのだろう。
「どれだけお金に困られても売らないのが賢明だと思いますよ」
この言葉も何回も言ったのだろう。彼女はこの先の答えを知っているかのように振る舞う。
「じゃあ、『ら』と『る』をお願いします」
「……かしこまりました。では目を瞑って下さい」
僕は言われた通りに目を閉じる。彼女が椅子から立ち上がる動作が聞こえる。僕の耳元に吐息がかかり、そして━━━━━━━━
ジョキン。
鋏で髪を切ったような金属の音が聞こえた。
目を開けると彼女は鋏をポケットにしまい、元の椅子に座り直した。そして机の上に現金の10万円が置かれた。
「『ら』の入った単語を発してみてください」
「えっと……■イオン?」
声にノイズがかかって、上手く発音できない。僕は驚きを顔に張りつけたまま、彼女を見た。
「お客様の声はこちらの瓶に収納させて頂きました。またご入用でしたら、この店を訪ねて下さい」
今思えば彼女のその微笑が僕の運命を決定づけたのかも知れない。僕は自分が思考する前にその言葉を発した。
「この店ってア■バイト出来ますか?」
この店で正式に雇用が決まったがこのアルバイトは想像以上にキツかった。給料は普通に良いのだが、仕事が無さすぎる。暇が最大の敵だと言ってもいいくらいだ。細道を進んでここまでやってくる客は僕の想定以上に少なく、誰も来ない事もよくあった。
店主の名前はヨモギと言って、僕が思ったよりポンコツだった。僕の名前を全然覚えないし、本を置く位置も適当だ。
「どうやって声を切り取ってい■んですか?」
「それは企業秘密です」
ヨモギさんはよく笑う。接客の時の無表情からは考えられない位の朗らかさだ。その表情を見て恋をしない人はいないだろう。事実僕はヨモギさんの虜になっていた。
来客がある時の大半の用事はやはり声の買い取りで、僕も助手としてその場に同席する事が多かった。
1音だけ売る人。『あ』から順番に売る人。全部を一気に売り払う人。売るのを辞める人。沢山の人に巡り会ったけど殆どの人の目が死んでいるように感じられた。僕も同種だから、よく分かる。
「買い取った声はどうな■んですか?」
「発達障害などで声が満足に出せない人のために売ります」
「儲け■れ■んですか?」
「儲けが出るから商売です。あと聞き取りづらいです」
ヨモギさんは苦笑した。
僕は少しずつだが声を売っている。借金は減らないのにお腹は空くので仕方なくだ。
「これ以上売らない方がいいですよ。声が出ない事は想像以上に苦痛なんです」
そんな優しい言葉を振り払う様に僕は売り続けた。そうしないと、皆が不幸になってしまうから。
ヨモギさんと過ごす日々は本当に楽しかった。ずっとここに居たいと思った。思っただけだから、つまりそういうことだ。
「これからは筆談にしましょう」
「■■して■■■?」
「……馬鹿」
ヨモギさんは何故か泣き出してしまった。僕はまだ7割しか売っていない。全部売った人に対しても無表情だったのに。
追伸 没じゃ無くなりました。
「声を1音5万円で売っちゃった話」に改題して、投稿しました。
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