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あれはまずいのではないか、と、ゴンドラに揺られながら私は眺めていた。
遊園地なんて、本当に久しぶりだった。小学校以来だと思う。どうせ暇でしょと幼馴染のミナミにゴールデンウィークに引っ張り出され、やれジェットコースターだの、コーヒーカップだの、メリーゴーランドだのとフリーパスで乗りまくり、それでは最後にと乗り込んだのが観覧車だった。
前の座席ではミナミが外の景色をあれこれと指さしながら一人でしゃべり続けている。あれは幼稚園のときに遠足で登り遭難しかけた山だとか、あの大型ショッピングモールは三年前にできて今度また新たな別棟が完成するのだとか、あのマンションには若い女性と犬の幽霊が出る噂があるとか。こちらのおざなりな返答など物ともしない。
現在時刻は午後六時を過ぎたところ。
逢魔が時というし、魔物なのだろうか。
そもそも魔物とはなんだろう。
「何見てるの?」
ミナミが向かいの座席からこちらの隣に移動し、私の視線を追いかける。
「ミナミさあ」
「うん?」
「魔物って、どういうものか知ってる?」
「魔物?」
ミナミがまん丸に目を見開く。腕を組み、うーんと唸り声を一つ上げてから、改めてミナミが口を開く。
「人を惑わして、人を、人にとってよくない方へ誘うもの、みたいな感じじゃなかった? 辞書的には」
「そっか」
「シューベルト作曲のおとーさーんお父さん! のやつだと、子供の魂を奪っていったね。まあこれは魔物というか魔王だけど」
「つまり、殺されるよね」
「そだねー、殺されるね」
やはり、まずいのだろう、あれは。
それは、隣のゴンドラにべったりと取り付き、巨大なアメーバのようにうねうねと動いていた。よくよく見れば、その表面は小さな目玉でびっしりと埋まっており、その目のすべてが、ゴンドラに一人乗っている子供へ向けられている。小学校低学年くらいだろうか。その子供はあからさまにそれを見、怯えていた。
その態度はまずい、と、私の勘が呟く。
こんな状況で、平常心でいろというのが無理な話であるとは十分わかってはいるのだけれども。
「念のために確認するんだけど」
「はあい」
「隣のゴンドラ、何が見える?」
「んー、高いのが怖いのかな。泣いちゃってない? あの子」
ヘドロ状になった魔物が、隣のゴンドラ内に侵入し始めている。
このままではおそらく、あの子供に良くないことが起きるのは間違いないだろう。最悪の事態だけはなんとしてでも避けたい。
まったくもって柄じゃないけれど。
今、あれをなんとかできるのは、私しかいないようなので。
よし、やる。
決意を固め、腹に力を入れた。
「う、うわあ! ミナミ、ミナミ、あそこに、あそこに何かいるよう!」
ミナミの肩を引っ掴み、もう片方の手を隣のゴンドラに、正確にはそれに取り付いている魔物に突き付ける。
大声とオーバーリアクションに反応するように、魔物の目玉が波打つようにこちらを見た。
「へ? 何? あ、『魔王』やるの? えーっと、『いやいや、坊や、あれはただの霧だよ』」
それの方向を見ながらも見えていないミナミが、明後日の方向に合わせてくる。るるるるるんるるぅ、るるるるるんるるぅと間奏と思われる部分まで調子っぱずれに歌い出し、それをBGMに私は魔物と対峙する。
ちょうどこのゴンドラが一番高いところに到達したところで、魔物がびょんと跳ねた。
ゴンドラが大きく揺れる。
「わ、すごい風」
「魔物が飛び移ってきた……」
「えーまだやるの?『可愛い坊や、あれは枯れ木が風に揺れただけだよ』」
るるるるるんるるぅ、るるるるるんるるぅと歌いながら隣でミナミが鞄をごそごそやり出したけれど、それを気にする余裕はない。
目線はあくまで魔物に向けながら、視界の端で、隣のゴンドラからこちらを見つめる子供を確認する。とりあえず無事なようだ。
さて、意識を子供から逸らすことには成功した。しかし、この後どうするかはまったくの無策である。
何せこんなことは人生で初めての経験なのだ。霊感など意識したことは、意識するような出来事はこれまで一度も起きなかったし、こんなオカルトど真ん中なものと自分が遭遇するなんて夢にも思わなかった。だいたいこういうのは、見える人には小さいころから見えていて、対処法も徐々に身に付けていくものではないのだろうか。こんな本番一発勝負みたいな状況でどうにかできる代物ではないだろう。
だから、まあ。
前途ある若者の命を救えただけでも、自分はかなり頑張った方ではないだろうか。
芽吹くように伸びた何百、いや何千という目が、包み込むように私を覗いている。
「ぱんぱかぱーん!」
目玉で覆いつくされもはやそれ以外何もない視界に、ミナミのしごく明るい声が突き刺さる。いつの間にかBGMは終了していたらしい。
「お誕生日おめでとう! これでアオイも大人の仲間入りだあ!」
あ、そうか。十八歳で大人なんだっけ。
そう思った瞬間、視界が真っ暗になった。
そして。
「おお、きれいだね、たーまやー!」
色とりどりの光の海が目に飛び込んできた。
夜のライトアップと、それと同時にパレードも始まったらしく、光とともに楽し気な音楽まで地上から流れ込んでくる。
「……花火は上がってないでしょう」
「心の持ちようだよ。それよりほら、受け取りたまえ」
「……それは何?」
「誕生日プレゼントだよ! さあ受け取りたまえ」
自信満々でじゃらり、と音を立てて差し出されたのは、菫色の玉の連なった数珠だった。
「……ありがとう。お前は天才だよ」
「まじでー?」
満面の笑みのミナミから数珠を受け取り、周囲を確認する。
魔物は姿を消していた。
観覧車から降りると、先ほどの子供が泣きながら父親と思しき人のところへ駆けていくのが見えた。その様子に、父親は笑って子供を抱き上げている。
トラウマにならなきゃいいと思うけれど、無理かもしれない。
「アオイは霊感があったの?」
「さあ」
「急に魔物がいるーなんて叫ぶからめっちゃ面白かったよ」
「うるせー」
小突くと、ふひひひひひと含み笑いをされた。
さっきは思わずミナミを褒めてしまったけれど、後悔の念が湧き上がる。
それにしても、いったいどれが効いたのだろう。
吸血鬼にニンニクみたいに、数珠が効いたとあの瞬間は思ってしまったけれど、他にも要因になりそうなことはあった。
一つは、逢魔が時ではなくなり、時間帯が夜に入ったこと。これにより、魔物は住処に帰ったのではないか。
そしてもう一つ、実はこれが一番の原因なのではないかと睨んでいるのだけれど、そうなるとだいぶ腑に落ちない事象が発生するので、本当は認めたくない。
ミナミは先月、一足早く成人を迎えた。
そして、ミナミに指摘され、私が自分を大人になったと意識した瞬間、魔物は姿を消した。
これは人間の、それも一国の中でのルールでしかない。十六歳成人の国もあれば、バンジー飛んだら大人という地域だってある。けれど、子供にしか見えない何か、というものがあるのだとすれば、そこには明確な線引きがあるはずだ。
心の持ちようだよ。
観覧車の中でミナミが何気なく言った言葉が、その答えのように思う。
しかしだ。
「私が子供判定で、お前が大人判定だっだの解せないんだけど」
「なになにー?」
無邪気な顔をした大人に不満をぶつけるため、その広いおでこにデコピンを一発かましておいた。
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