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3.カックウミカヅキ
「空を飛びたい? それはまた随分クラシックな夢だね」
満ち足りた月が望むだけスポットライトを落とす夜、拝み屋は自分の髭を爪でなぞりながらパン屋のシャッターにもたれていた。一本の髭だけが月明かりに何かを追いたそうにカールする。その向かいにはまんだらブチ柄のでっぷりした猫がせわしなくポーズで拝み屋を説得している。
「難しい事は考えられない性質なんだ。夢みることは空を飛ぶこと、だけど翼が欲しいとか、鳥になりたいってんじゃない」
っパ。
猫は四肢を中空に投げ出して舞うように飛んだ。すぐにジャリっと石畳が拍手とも嘲りともわからない音を立てる。
「俺は空を滑りたいんだ。ムササビみたいにさ。猫のままでさ」
「飛ぶ方が良くないか?」
拝み屋が言うと、猫はまた。
っパ。
「空を滑るってことは、つまり、一方通行的に落下することなんだな。それって上るとこまで上ったやつのすることだろう?」
ジャリ。今度は拍手に聴こえる。ジャリジャリ。
「言うことは小難しいじゃないか。でも、はぁ。いい気持ちだ」
シャッターが震え始める。
この星の誕生に共鳴して、シャシャシャシャシャ……。ページがめくれる。
「何処まで上るつもりだい?」
拝み屋の声が餞別に似ていた。
「勿論、あれだろうさ」
猫はまたまた、っパ。
中空を刹那舞いながら月をみていた。
「三日月なら塩梅がいいだろうな。足で蹴る前に充分力を休ませられそうだ」
ページがめくれ続ける。
拝み屋の肉球が一閃。
三日月が痛がりもしない、滑空猫のキック。
翌日。
時間が空を滑る一匹の猫に集中する。
拝み屋はいつもの指定席で時間のお裾分けを貰った。
「お相伴ゴチにゃん」
ゆっくり、ゆっくり、猫は三日月を蹴って、空を飛んだ。一方向的な下りは別れの言葉を花束にして肉体を満たしていく。四肢の先から心の方角へ。
「ただいま」
ジャリジャリ。
星中の石畳の祝福が滑空猫を讃えて、拝み屋は彼に質問した。
「随分長い時間だったけど、何がみえたかい?」
滑空猫は大の字に自分の膜を自慢げにみせながら、言った。
「にゃぁんにも」
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