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序章的な話1
その日、公園のベンチで読書をしていたら話しかけられた。
話しかけて来たのは、時折この公園で顔を見る程度、会釈する程度の知り合いである高齢の老人だった。
いつものように曲がった腰、そして杖をつきながらその老人は現れた。
まさに顔見知りという言葉がピッタリはまる、そんな関係だった。
話したことはほとんどない。
せいぜい、【おはようございます】か【こんにちは】のどちらかだ。
挨拶のみの関係だ。
その老人は、いつもどおり優しく僕に挨拶してきた。
いつも思うが、この人はとても育ちが良いのだろう。
挨拶から何気ない所作から、こう優雅に感じてしまうのだ。
そして、きっと若い頃はカッコイイ人だったに違いない。
「こんにちは」
穏やかな笑みに、僕も釣られて笑みを浮かべつつ、
「こんにちは」
挨拶を返した。
いつもなら、そのまま散歩に戻るだろうお年寄りは、しかしこの時は僕の隣に座ったのだった。
「珍しい」
そして、僕の読んでいる本に目を向けてそんなことを呟いた。
「最近の子供たちは、本もテレビも、インターネットですらマンガばかり見ていると思っていたのだけれど」
子供たち。
ま、まぁ、この老人からすると高校一年の僕は孫か曾孫にあたる世代になる。
十分子供だ。
しかし、はて? と思った。
読む本がマンガばかりと言うのはわかるが、テレビまでマンガというのはどういう意味だろう??
考えて、すぐにそれがアニメのことだと理解した。
うちの死んだおばあちゃんやおじいちゃんも、アニメのことを何故かマンガと呼んでいたのだ。
おそらくこの老人は、僕の祖父母と同世代かそれより上の世代なのだろう。
僕は、読んでいた本に目を向ける。
最近古本屋で手に入れた文庫本だ。
「それに、そもそもそうやって本を読む子も久しぶりに見たから」
老人は、楽しそうにそう言ってくる。
その言葉に、僕は答える。
「いつもはタブレットで読んでるんですけど、ちょっと壊れちゃいまして」
長風呂の共として使っていたがための悲劇が、昨日起こってしまったのだ。
手が滑って水没してしまったのだ。
携帯端末でも読めるけど、そちらは充電し忘れていたのだ。
なので、今日の読書は久しぶりに文庫本となったのだった。
「なるほど」
老人は穏やかな笑みはそのままに、文庫本の表紙を見た。
「ミステリの女王の作品か。
昔、ドラマを見たことがあったかしら。
列車が悪天候で立ち往生して、そこで事件が起こる話。
孫がその話が大好きなの、それで何度か見たんだけれど」
それは、【灰色の脳細胞】で有名な探偵が活躍するシリーズの話だ。
そして、色々考えさせられる話でもある。
「孫と違って、探偵小説は読んだことはないのだけれど。
……貴方はミステリがお好きな人なの??」
そう聞かれることは、これが初めてではない。
なので、答えは決まっていた。
「普通に好きです」
語れるほど読んでいない。
本当に好きな人と比べると、たぶんそんなに好きじゃない。
嫌いでもないけど。
だから、普通に好きと答えている。
今読んでいる作品については、王道過ぎて逆に読んだことが無かったな、という理由で購入したものだった。
あと中古で安かった、というのも決め手だった。
「そう」
老人はしばらく、なにか考えるようにしていた。
やがて、こう聞いてきた。
「ねぇ、ミステリがお好き、ということは、貴方は謎解きしながら読む人なのかしらん?」
本当に世代によっては、【かしらん】って口にする人いるんだ。
僕は、昔の文豪作品や漫画作品で男性キャラがこの語尾を口にすることを知ってはいたが、まさか現実で聴けるとは思ってなかったので驚いた。
男性キャラだけでなく、現実にもいたらしいとは聞いた事がある。
でも、やっぱりこうして現実に聞けるとは思わなかった。
「んー、まぁ、それなりには」
少し感動を覚えつつ、僕は答えた。
でも推理があたったことなんてあんまりない。
なぜなら、本格ミステリと称されている作品の中には事前に知識を得ていないと解けないものがあるからだ。
まぁ、作中にそれらを事前に提示してくれる作品もあるけれど。
化学反応を使ったトリックとかは、そうやって提示してくれないと、もうお手上げだった。
あれは分かりやすく、作中で事件の起きる前に提示してもらわないとフェアではないと思ってしまう。
まぁ、作品にもよるけれど。
中には、事件を捜査していくうちに化学反応らしき現象が起きていたことがわかり、それを手がかりに探偵役のキャラが推理を進めるものもある。
「ねえ?」
老人は、笑みを消して今度はとても真剣な顔で、僕に言ってきた。
「はい?」
「明日は、ここにいるのかしらん??
読んでもらいたいものがあるんだけれど。
都合が悪ければ無理にとは言わない。
これは、私のわがままだからね」
「え、えぇ、いいですよ。
明日も日曜日で休みだし。
ここで読書の続きをする予定でしたから」
知らない人から物を貰っちゃいけない、と小さな頃から口を酸っぱくして親から言われてきた。
しかし、この老人は厳密に言えば知らない仲じゃないし。
宗教やネズミ講、マルチの勧誘をする人とも思えなかった。
もしもそう言った勧誘なら、お茶をしようと誘ってくるはずだし。
まあ、その可能性も無きにしも非ずなので、もしそうだったなら全力で逃げよう。
そう考えた。
翌日。
昨日と同じ時間に、僕は公園のベンチで読書をして老人を待っていた。
程なくして、老人は姿を現した。
その横には、もう一人、女の子が付き添っていた。
中学生くらいの、女の子だ。
少し大きめのバッグパックを背負っている。
女の子は老人をエスコートしつつ、ベンチに座る僕の前まで来ると、礼儀正しく頭を下げた。
僕も頭を下げる。
老人が女の子を紹介した。
どうやら、女の子は老人のお孫さんらしい。
「この度は、身内の我儘を聞いていただきありがとうございます」
「いえ、その、それで。
僕に読んでほしいものがあるとか。
それは、なんですか??」
僕は、二人をベンチに座るよう促しつつ、訊ねた。
女の子はバッグパックを膝の上に置くと、その中から、紙の束に手帳、日記、そして新聞を取り出した。
何気なく新聞の日付を見たら、二年前のものだった。
そして、老人に声をかけた。
「私から説明するからね」
「えぇ、お願い」
老人は、お孫さんの言葉に頷いた。
そして、お孫さんは、僕を振り返り言ってきた。
「二年前、とある島で起こった事件はご存知ですか??」
とても僕より年下の中学生とは思えない、大人びた言葉遣いに恥ずかしくなりながら、僕は返した。
「事件、ですか??」
僕は記憶をひっくり返そうとした。
しかし、その必要は無かった。
お孫さんが、先程取り出した新聞を僕に渡してくれた。
そこには、二年前に起きたという事件が載っていた。
それこそ、僕が中古で購入した文庫本のタイトル作品のような事件だとも書かれている。
事件の概要はこうだ。
離れ小島にある、昔は貴族だか華族だかの別荘として建てられた屋敷でイベントが開催された。
なんでも、そのイベントで優勝すれば賞金として一億円が手に入るとのことで、老人の孫であり、お孫さんのお姉さんもこれに参加したのだそうだ。
けれど、お姉さんは変わり果てた姿で発見された。
ほかの参加者もだ。
参加者は全員で五名。
そして主催者と、主催者に雇われた従業員が二名。
計八名だ。
ミステリ風に言うなら、主催者は富豪だろうか。
さて、その八名全員が死亡していたらしい。
しかも、真夏にそのイベントが行われたらしく、発見された時点で遺体の腐乱が酷かったらしい。
記事には、真相の究明が急がれる、というようなことが書かれていた。
「……真相が知りたいんです」
お孫さんが、声を震わせながらそう言った。
「真相って、警察が調べたんじゃ??」
科学捜査というものが、現代にはある。
だから、古典ミステリ作品のような謎解きをする要素なんてどこにもないし、不謹慎だと思う。
それに、推理小説の中の警察ならともかく、現実の警察は優秀だと聞いている。
交番のお巡りさんくらいしか、今までの人生でかかわったことないけど。
「えぇ、調べました。
そしたら、お姉ちゃんは自殺ということになったんです」
「自殺、ですか??」
お孫さんに訊ねつつ、ふとその向こうに座る老人を見ると、遠くを見る目をしていた。
お孫さんが頷いた。
「他の参加した人達に関しては、詳しいことは教えて貰えませんでした。
ただ、この後の新聞だとまるでお姉ちゃんが犯人みたいに書かれたりしたんです」
「……ということは、他の参加者は殺害されたということでしょうか?」
ブンブン、とお孫さんは頭を横に振った。
「わからないんです。
でも、事件のあと、お姉ちゃんの日記や他の参加者の方の手記が何故かうちに届いて。
中を見たら、事件のことがそれぞれ書かれてあったんです。
けれど、読めば読むほどまるでそう言った読み物のようにしか思えなくて」
真実が書かれている。
そう信じて、送られてきたそれらに目を通してみたものの、さっぱりだった。
警察に持っていこうとしたが、両親に余計なことをするなと止められた。
娘が死んで、殺人犯のように扱われているのに、これ以上その名誉が傷つくことを嫌ったらしい。
その手記や日記を燃やすか捨てようともしたらしいが、娘の形見だと思うと出来なかったらしい。
ほかの参加者の手記についても、遺族に返そうとも考えたらしいが余計なトラブルになることは目に見えていたので、結局クローゼットの奥深くに仕舞われていたのだそうだ。
「小説や漫画だったら、探偵がいて事件の全容を解き明かしてくれる。
もしくは、解答編が用意されているものですけど。
そういった、言い方はあれですけど正解が書かれた手記のようなものはなかった、ということですね?」
僕は確認のためにそう聞いた。
老人とお孫さんは、静かに頷いた。
さすがに瓶詰めで、真相の告白が浜辺に打ち上げられた、ということは無さそうだった。
「それで、ダメ元で僕に考えてほしい、と?」
これに答えたのは、老人だった。
「ごめんなさいね。不躾で非常識だと重々承知しているの。
けれど、興信所や警察はこういったお願いを聞いてくれないでしょう?
わからなければ、わからないでいい。
でも、ミステリ好きでそういった知識を持っているなら、もしかしたらって思った、と言うのが正確なところ」
何でもいいから、答えがほしいのだろう。
だから、本当にダメ元で、でも藁にもすがる思いで僕にお願いした、と。
僕は、新聞とお孫さんが膝に乗せているお姉さんの日記や、他の参加者の手記だろうと思われる紙の束を見た。
最大の疑問は、これらを誰がこの人たちに送ったのか?
ということだ。
関係者が全員死亡しているなら、誰にも送ることは不可能だろう。
そもそも警察が押収しているはずだ。
にも関わらず、そうならずに、当事者たちの手による記録はここにある。
「……つり、かな?」
僕が呟くと、お孫さんと老人が疑問符を浮かべた。
んー、演技にしてはそう見えないし。
てっきり、そういうイタズラかドッキリかなとも思ったんだけれど、違うか。
まあ、この人たちが俺に、わざわざドッキリを仕掛ける理由が無いしなぁ。
「釣りも趣味なんですか??」
お孫さんが聞いてきたので、
「こっちの話です。気にしないでください」
とりあえず、紙の束やら他の手記やらを軽く確認してみた。
素人目から見ても、それぞれ筆跡が違うようにみえる。
中身の確認には、この量だ。
今すぐに、というわけにはいかないだろう。
さて、どうするか。
しばらく考えて、とあるアイディアが出てきた。
相手もダメ元で頼ってきたなら、こっちもダメ元でこの手を使っていいか聞いてみよう。
「あの、提案なんですけど」
そう、僕は切り出した。
その提案とは、この手記や日記をとある場所で晒してもいいか、という提案だった。
それをする理由なども説明した。
考える頭は多ければ多いほどいい、というのが最大の理由だった。
反対されるかなと思いきや、二人は、それで真相がわかるならお願いしますと許可してくれたのだった。
真相、もしくは答えが出たら連絡するからと約束して、連絡先を交換した。
そして、その日、僕は家に帰ると早速、作業に取り掛かった。
準備を終えると、インターネット掲示板へスレ立てをした。
様々な板が乱立する中に、その考察板と称されるジャンルがある。
そこにスレ立てをしたのだ。
ダメ元だった。
それでも、わりとすぐに、暇を持て余していたであろう考察板を根城にするスレ民が集まってきたのだった。
そして、渡された日記の一つ。
あの老人の孫であり、女の子の姉だという【芳賀美奈】の日記に視線を落とした。
それ以外の日記や手記も、すでにデータ化をしている。
「……自分が提案したことながら、ちょっと罪悪感があるなぁ」
許可を得たものの、不特定多数の目に晒して本当にいいのだろうか?
そんな感情が沸いてきたのだ。
………まぁ、なるようにしかならないか。
僕は、罪悪感を振り切ってスレ立てまでの経緯を書き込み始めた。
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