遺書

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 きっと香川康太は何か目的があって生まれた訳ではなく、だからといって実存主義を主張できるような存在でもないんです。香川康太は望んで生まれたわけでもなく、ただ、偶然生まれてしまった存在なんです。  本物と偽物、オリジナルとコピー、といった言葉は僕らの関係を表すのに適していません。ただ1つ言えるのは、江藤一は香川康太を憎んでいたということです。しかし、兄さんが僕に向けていた感情は他人に対する憎悪というよりも、自己嫌悪の類に近いものだったと思います。  江藤一という人間は、姉さんを守るためなら自分の命さえ簡単に投げ出せてしまうくらいには、姉さんのことを深く愛していました。けれども、それと同時に、江藤一こそがこの世界で最も優れていると無意識に思うくらい、自分自身のことを愛していたのです。恋心と自己愛という形の違いはあれど、きっとその愛は兄さんにとって同じくらい大きなものだったはずです。  自分とよく似た顔の少年が、自分の武勇伝を真剣に聞いて、すごいすごい、カッコいいと賛辞の声をかけるあの光景は、兄さんのその大きな自己愛を浮き彫りにしました。兄さんが照れるでもなく、謙遜するでもなく、ただ僕に武勇伝を聞かせ続けていたことを思い起こせば、十分納得できるはずです。  子供に自分のことを称賛させることで快楽を得て、それに夢中になっていたことに、彼は何かをきっかけに気がついたのでしょう、兄さんは僕に昔話をしてくれなくなりました。    あの光景が、彼の中で暖かく幸せなものから醜くおぞましいものへと変わり、香川康太が自身の醜い部分の象徴に見えたのかもしれません。だって、あの江藤一が、他人に対してあんな暴言を吐くはずがないのですから。僕に向けたあの冷たい目は、兄さんが自身へ向ける厳しさに決まっているんです。  あの日から、僕は兄さんと夢の中で顔をあわせるようになりました。その場所は学校の屋上だったり、砂浜だったり、川岸だったりと様々でしたが、決まって兄さんは綺麗な顔を苦しそうに歪ませて僕に襲いかかってきました。  ナルシストという言葉がマイナスのイメージで使われること、ドラマや小説で、顔の整った主人公が恋人に「あなたは自分が1番大切なんでしょ」と怒られる場面が少なくないこと、謙虚であることに美を感じる日本で生まれ育ったこと。これらがなければ、兄さんが壊れることはなかったかもしれません。責任感の強い兄さんにとって、腹の中にある自己愛は姉さんを守る上で邪魔でしかない、醜いものとしか思えなかったのでしょう。  だから兄さんは、僕よりもずっと大きな力で、何度も何度も僕を殺そうとしました。それは、僕を自分自身から切り離したかったからでしょう。僕はちっぽけな力で必死に抵抗しました。それは兄さんを殺すためではありません。僕がここにいて、生きているんだと認めて欲しかったからです。  僕は兄さんのもつ大きな自己愛を恥ずべきものだとは思いません。僕を含めた周囲の人間が、2人の結婚を当たり前のことだと思っていたのは、2人が強い絆と愛で結ばれていると同時に、心から幸せを願いたくなるような人格者だったからです。兄さんのもつ自己愛が他の人の持つそれよりも大きかったとしても、それは何らおかしなことではないんです。  兄さんが東京へ行ってからも僕らだけが知る秘密の攻防は続きました。  ある夜、僕と兄さんは深い谷を見下ろしていました。しかし、いつもはすぐに襲いかかってくる兄さんが、その時はただ谷を覗いて立っているだけでした。奇妙に思い、一体どうしたのかと何度か声をかけてもそのままなので、僕は少し苛立ちながら兄さんに触れました。すると、兄さんの体が傾き、そのまま静かに谷底へ落ちて行きました。落ちていく兄さんの顔はとても穏やかで、何もかも諦めてしまったような顔でした。  背中にじわっと生ぬるい汗が流れ、開いた口から何かを紡ぐこともできず、あたりに吹く風が、あの日のように不気味に鳴いていました。  その翌日、兄さんが帰省する途中、事故で亡くなったと連絡がありました。  
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