『不器用よさらば』  『第1話』

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『不器用よさらば』  『第1話』

 『これは、フィクションですが、事実関係の一部に、実際にあったできごとが混じっています。』         ⚒️  『教師になって30年、おまえのようなぶきっちょは、始めてみた。』  これが、中学の技術家庭科の教師のぼくに対する評価であった。  『あんたみたいなのが、高校に受かるわけがない。』  おなじ、中学の英語の先生の評価。  『あんたね、⚪📐くんは、授業中うるさいけど、あれは、勉強できるんだ。あんたは、できない。』  こちらは、数学の先生。  うるさくて、邪魔になっても、勉強できれば良いらしい。  つまり、おまえは、おとなしいだけで、役には立たないというわけ。  それでも、世の中、なんとかなるもんで、高校入試は三番あたりで通ったし(ちょっと学校のレベルは、下げたけれど。ただし、未確認。間違いかもしれない。)、担任からは『期待されてるから、頑張れ』と言われたが、そんな前向きな励ましは、最後になって初めて聞いた。  もうちょい前から、気のきいた励ましをしてくれれば良いものを、なにか言えば、おまえはだめだ、だめだ、ばかり。  それは、やはり、いやにもなるさ。  まあ、先生には先生の思いがあるだろうし、時代の流れというものもあるし、あれで、励ましていたのだろう。たぶん。  ただ、本人には、通じなかっただけさ。(先生ごめんなさい。)  それにしても、学校の授業というものは、さっぱり楽しくはなかった。  教科書は、無味乾燥で、なんの味もしなかった。  わからない生徒は、ほとんど、顧みられなかった。  そこは、自助努力しかないのである。  ぼくは、集団は苦手だ。  ついに、両親は、マンツーマンの先生を付けてくれた。  これが、高校入試には、ばっちり効果があったのだ。  しかし、高校という場所も、なかなか、聞きしに勝る場所だ。  数学という教科は、人類の絶滅くらいの苦痛を伴った。  もっとも、試験は学年で最下位でも、数学の先生から言われたのはこうだ。  『この最後の問題ができたのは、学年できみだけだった。でも、この一番難しいのに、時間を使いすぎたんだ。』  まあ、じっさいは、それだけしか解らなかったのだが。  なぜか、赤点にはならなかったのだけれども。  やはり、ぶきっちょ、なのである。  そんなのだからか、わざわざ、他のクラスからいじめに来るやつもいたが、無視した。  言葉が悪いという。  地元の言葉を使え、気に入らない、と言うわけである。  ぼくは、もともと、転校族だったし、そんなこと言われたって、すいすいできるほど、器用ではない。  いまの、どちらかの大国と、似たような言い分だ。  残念だが、説明しても、難しいから、無視させていただいた。  しかし、いまさら、文句言ってみても、ぶきっちょなのは、やはり直らないのである。  数学や物理は、まるでだめでも、相対性理論の本は読んでいた。数式は、わからない。だから、分かるわけがないのだが。  フィンランドの『カレワラ』に夢中になり、概略本を読んでいたが、森本先生の全訳本がほしくて、図書館を探し回った。  ちょうど、当時は、訳本が市場から消えていた時期だったので、本屋さんではみつからなかったのである。  ちなみに、パソコンや、ネットワークなんて、まだない時代だ。  やっと、国語の先生の助言で、ある、田舎にある、古風だが大変に歴史の深い図書館で見つけた。  戦後すぐのころの単行本だ。  上中下の3巻なのだが、なぜか、2巻がなかった。  当時の司書さんが、『中』、があるのを見落としたのかもしれないとのことだったが、これは、まさしく、衝撃のであいだった。  なら、もっと、勉強すればよいものを、そうはならないのが、やはり、ぶきっちょなのである。         🦌  で、就職してからも、35年近く、ついに、ぶきっちょなままで終わってしまった。  同期のなかで、一人だけ幹部には昇進しなかった。  まあ、これ自体は、仕方がない。  思うに、こういうのは、神様にさえ、どうしようもないものだったのかもしれない。    あの、技術家庭科の先生の見立ては、まさに、正しかったと、いまさらながらに、認めざるを得ない。  だから、ぶきっちょは、幼稚園時代も、小学校時代も同じだった。  小学校時代、こんな問題が出た。一年生の頃だと思う。  『ここに、あめが、ろっこあります。はんぶんにしたら、なんこになるでしょう?』  ぼくが、試験用紙に複雑怪奇な計算をして、出した答えは、『12個』である。(飴を、一個一個、真ん中に線を引き、わざわざ解体していったのだ。)  他の問題は覚えてないが、似たり寄ったりだったに違いない。  みごと❗ 零点だった。  ぼくは、その試験用紙を、おもちゃ箱の底に隠したが、そんなのすぐに発見される。  両親が、初めて、息子がお馬鹿だと気がついて、しばらくは、大変な事態になったのだが、あそこで、回りが慌てたのは、いかにも、まずかったのではないか?  だって、12個というのは、正解ともいえるのだから。  先生も、親も、その正当性を認めたうえで、なにを、問題で求めたのかを、じっくり説明すべきだっのだ。おしい、チャンスを逃したのである。多分ね。  いや、教えても、だめだったかも。  ぼくの場合は、今で言えば、発達障害があった可能性が高いと思う。  好きなテレビドラマや、アニメ映画のテーマソングなど、テープレコーダーで録ったみたいな感じで、頭の中に長く残っていた。いまでも。  ただし、あとから聞き直すと、あちこち、ミスして覚えている。  これが、天才とはまったく違うところだ。  いま、診ていただいている医師がおっしゃいますに、いまさら判定してもしたがないでしょう、というわけだ。  まったく、そのとおりで、仕事にも行けていない、いまさら、どうにもならないぞ。  しかし、多少、なんとかして、ぶきっちょが緩和されないものだろうか。  おはなし書くにも、あまりに、ぶきっちょすぎる。  もし、人間にはすべて見放されても、助けてくれる誰かがいるかもしれない。        ⛰️⛰️⛰️  それで、ぼくは、ある日、山の中の、あなぐま先生に相談に行った。  先生は、多種多様な生き物から、人間に至るまで、相談に乗ってくださる偉い方だ。  『ふんふん。なるほど。そうですな。ちょっと、実験してみましょう。この紙を、破線に沿って、ハサミで切ってください。』  ぼくは、なんだ、それくらい。      と、思ったが、これがなかなか難しい。  なにしろ、小さいのだ。  紙もハサミも。      『先生、人間には、ちいさいです。』  『そか。昨日来たひとは、さささっと、綺麗に切ったがね。』  『はあ〰️〰️〰️〰️😃。』  そう言われましても、なかなか、うまくは行かない。  むつかしいな。これは。もう、あせびっしょりだ。  『できたかい。あらら、なんだ。こりゃ。切ったというより、破いたんだなあ。なるほど。まあ、それも、確かにやり方ではあるけどね。悪くはない。ただ、課題の解き方としては、ちょっと、具合が良くないな。』  『はあ、やはり、だめですねぇ。』  『いやいや。いいですかな。あわてずやりましょ。はい、これ、宿題。同じように切って、来週またきてください。①から、順番にやってください。100枚ね。』  それで、かなり大量の課題を、しこしこと切り抜き、次の週、持っていった。  『はい、よく、頑張りました。ふんふん、ほら、だんだん、良くなってるでしょう。今日は50枚渡します。ちょっと、難しい。それから、計算の練習をしましょう。これも、ゆっくりね。指導は、ネズミかずえ先生がたんとうです。』  別室に入ると、ネズミさんがやってきた。  『ちゅう。こんにちちゅう。計算は、お嫌いですか。ちゅう。』  『きらいです。計算問題をみると、頭が加熱して、なにも考えられなくなります。』  『ふうん。そういう、くせになっちゅうかもしれないちゅ。試しに、簡単な試験をしましょうちゅう。』  足し算、引き算、掛け算、割り算の、問題である。  もう、頭の加熱が始まった。  足し算は、なんとかできる。  しかし……………………。  引き算から、ひっかかってしまった。  掛け算は、多少はできるが、割り算は、あらまあ、壊滅に近い。  『はい、時間でちゅ。どれどれ。なるちゅう。足し算は、まあ、なんとかできてますが、引き算から、ひっかかりましたちゅね。掛け算は、半分くらい。割り算は、ほぼだめでちゅう。 なあに、ダイジョブちゅ。計算は、こつでちゅよ。できなかったのを、一つずつ、やりまちゅよ。かならず、できるようになりまちゅ。』  ぼくは、なんでそうなるのかを、ひとつひとつ、確認しながら、ネズミ先生と、計算をやりましたのだ。  そうして、その計算の練習が、2ヶ月続いたのだ。  『たいぶ、解けるようになったちゅ。できだすと、はやいちゅよ。さすがちゅ。次は、分数をやりまちゅう。あ、で、工作の時間がはじまりましすちゅよ。しどうは、月の輪ぐまさんでちゅ。』  『ひぇ?』  『心配ない、やさしい、くまさんちゅよ。でっかいけど、ちゅう。』  それで、ついに次の週から、工作の時間がはじまったのである。  ああ、また、ああ言われるだろうな。  『みたことない、ぶきっちょだ。』  『あんたみたいなのが、できるわけない。』   はひえ〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️😭    🐁 ・・・・・・・・●● 🐻               つづく?    
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