9. 運転手付きの車

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9. 運転手付きの車

今年も衣替えの季節がやってきた。 この会社は、オフィスカジュアルな時代に 逆らって、いまだに女子社員は制服がある。 私が入社した年に、制服撤廃案が出たのだが、 お局様が「制服の方が楽よ」と言い放ち、 あっと言う間に却下された。 まぁ、制服に着替えるのは面倒だが、事務職の 割には可愛い制服なので、私的にはどちらでも 良かった。 それに、お局様に無駄な抵抗をして、 事を荒立てるメリットは無いに等しいことは 学習済みだ。 顧問のお世話係が、仕事の一環である私は、 毎日、他の女子社員より15分程早く出勤している。 いつものように、お茶と新聞を顧問室に届けに行くと、顧問が使い込まれた革製のビジネスバッグを手入れしていた。 「おはようございます」 「葉月さん、おはよう。 おっ、制服が夏物に変わったのですね」 「はい、今日から6月なので、 衣替えを致しました」 「爽やかで良いですね」 「ありがとうございます」 顧問は手慣れた手付きで、馬毛のブラシで バッグをブラッシングし、革のツヤ出しのためにクリームをつけて優しくクロスで拭いている。 「そちらの鞄、大切に使われているのですね」 「修理しながら、もう10年以上。 15年くらいは使っているかな」 そう言って、 顧問は嬉しそうに鞄について語り始めた。 この鞄との出会い、この鞄にまつわる思い出話、鞄に刻まれた傷や汚れこそ、自分を築き上げてきた歴史であり、人生の証であると...... やばい...... 想像以上にスイッチが入ってしまった。 だがしかし、この武勇伝を興味深々の表情で、 最後まで聞いてあげることで、顧問の承認欲求 は満たされ、いずれ回り回って、ボーナスアップ、福利厚生の充実などに繋がると信じて、 私は日々努力している。 「ところで、 葉月さんの銀行回りはいつですか」 「今日の午前中に行って参ります」 「あぁ、今日でしたか。 今日は私も外出する予定があるので車を使用しますが、私が使わない日は、遠慮せずに筒井に乗せて行って貰ってくださいね」 「お気遣いありがとうございます」 この会社には、運転手が2名いる。 顧問専属の筒井さんと、社長や重役が使う社用車を運転する野田さんだ。 車種は、トヨタのセンチュリー。 白いカーテンの付いた、いつもピカピカの黒塗りハイブリッド車。 何度か顧問に声を掛けられて同乗させて貰った ことがあるが、あの特別感は、高級腕時計や 最新のブランドバッグを持ち、闊歩するのと 同じくらいのステイタスを感じる事ができる。 筒井さんもとても紳士な方だから、 仲良くしておかなきゃ。
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