第十四章 裏切り

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 やがて、軋んだ音を立ててベッドが少し揺れ動いた。私の背中に腰をくっつけて、彼はベッドに座ったらしい。足の揺れるかすかな振動が触れた背中から伝わってくる。 「寝たふりをするつもりなら、僕はそれでも構わない。そうやって静かに僕の話を聞いていれば良い」  かすかに聞こえるかすれた吐息。  時計の針が進む音が、やけに大きく耳に響く。 「好きだよ」  日中のうろたえようがまるで嘘だったみたいに、彼は天使のかんばせにぴったりの優しい声で言った。 「あの時、腎臓の話に結びつけて茶化した風に言ってしまったのを、ずっと後悔していたんだ。告白なんて初めてだったから、僕も少し照れてしまってね」 「…………」 「たとえ移植ができなくても、僕はお前のことが好きだ。ずっと隣にいてほしいと思う。僕がお前に与えられるものは、なんでも与えてやりたいと思う」  私は、寝ている。  何も聞いていない。  桂さんが、眠る私に向かって独り言をこぼしている。ただ、それだけ。 「夢の中の出来事として、すべて無かったことにするつもりなんだろ?」  唐突に混ざった露骨な嘲笑は、想定よりずっと間近で聞こえた。  内心驚く私の耳元に、小さく笑う桂さんの吐息がかかる。 「甘いな。お前の考えなんて僕はとっくにわかっているんだ。そうしたいなら好きにすればいい。僕だって好きにさせてもらう」  ぎし。ベッドが軋む。  私の身体の右が、左が、交互にせわしく沈んでいく。病室の橙の常夜灯のあかりが、何かあたたかいものに覆われ、陰っていく。  目を開けちゃいけない。それだけきつく自分に命じて、私は頑ななまでに寝たふりを決め込んだ。目に見えなければ、無いものと同じ。感情だってきっとそう。 (――あっ)  あまりにも、あまりにも優しく押し当てられた唇は。  固く結んだ私の唇に、ただ静かに触れただけだった。その気になれば無理やりこじ開け、中に押し入ることもできただろう。でも、彼は触れるだけ。  唇が離れていくと同時に、触れ合っていた熱がほどけて途端に胸が寒くなった。それでも私は布団を握り、最後の最後まで寝たふりを演じた。 「夢じゃ終わらせないよ」  身体を覆う熱が離れていく。  静かな足音が遠ざかり、ドアの閉まる音が聞こえてもなお、私はきつく目をつむったままその場から動けなかった。
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