第十五章 溺愛という名の病

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 夜、数か月ぶりに彼女は夫をベッドに誘った。夫は彼女がようやく自分と息子を許してくれたのかと喜び、誘いに応じる。  ところがそれは彼女の罠だった。与えられていたピルをわざと飲まずにいた彼女は、その一夜で懐妊する。念願叶って、彼女は自分の胎に子を宿すことに成功したわけだ。  今度は男が驚く番だった。多額の金をかけて産婦人科医を抱き込み、秘密裏に人工授精を行ったのも、すべては愛する妻の身体に危険な影響を及ぼさないため。  だというのに彼女は自ら妊娠し、堕胎するなら自分も一緒に死ぬと豪語する。二人は大げんかをしたが、結局胎内の子どもの成長を止めることはできず、やがて彼女は帝王切開で男児を産む。  こうしてこの歪んだ家庭に、二人の兄弟が誕生した。  弟の誕生を皮切りに、男の愛情はますます狂気を増していく。男は弟を許せなかった。妻の身体に消えない傷をつけた元凶だと考えた。  もちろん妻はそのことに気づいていた。彼女が弟を産んだ理由は、言ってしまえば夫への復讐のため。彼女は夫の異常な束縛と弟に対する敵意を恐れ、弟だけを連れ一時アメリカへと避難する。  しかし、妻に監視をつけていた男の手で連れ戻され、男は新たにベビーシッターを雇い妻と弟を引き離した。兄は……まあ、最初からシッターに育てられていたよ。妻にとって兄は他人の子どもにも劣る異物。産んだ覚えのない息子なんて、薄気味悪い存在でしかなかっただろうからねえ。  さて、物心ついた頃からアメリカで生活していた弟は、日本語がまったく喋れないまま日本の幼稚園へ放り込まれた。当然周囲に馴染むこともできず、だんだん園から足が遠のき、人の少ない遠くの公園へ通うようになる。  弟のシッターは子を取り上げられた彼の母親の憎しみを恐れ、必要以上に弟に関わろうとはしてこない。結果として、弟は常にひとりぼっちだった。  やがて弟はその公園で、一人の女の子に出会う。彼女は近所に住んでいる子で、お互い言葉はわからなかったけど、不思議と二人は馬が合った。  公園は……とても広くてね。手前側に遊具が置かれていて、奥には木がたくさん植えられた小さな森のようになっていた。二人は毎日のようにその公園で一緒に遊び、そこら中に咲く山百合を摘んでお互いの髪に差しあった。  友達はいない、兄とは疎遠、父の目があり母に甘えることすらままならない弟にとって、彼女の存在はあっという間に大きく膨れ上がっていった。
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