第十五章 溺愛という名の病

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「別に僕だって、何もかもをさらけ出せとは言わないよ。でも、樹が本当に百合香を愛しているのなら、自分の身内の話くらいは打ち明けるのが筋じゃない? それとも何? 今まですべて隠してきたのは、それが必要な秘密だからだと、……幸せでいるための秘密だからと言うつもり? ねえ、樹」  ひゅっ、と喉の鳴る音がする。  どこからも風なんて吹いていないのに、半ばまで閉じられていた扉がひとりでに開く。キィと嫌な音。差し込む光。小さく握りしめた拳が、かたかた、かたかた、震えている。 「『俺と父親は別の人間だ』と、お前は胸を張って言えるかな?」  ――桂さんの言葉が終わるより早く、樹くんはその場から駆け出した。廊下へ飛び出した椎名くんが、波留、と大声を張り上げる。  私に見ることができたのは、彼の拳がせいぜいだ。そして走り去る足音を聞きながら、それを追いかけることすらできない。  なぜなら私は――想像してしまったから。  過分な愛に狂っていく夫婦。  異常な経緯で産まれる兄弟。  そのどれもが、決して他人事ではないと……と、ほんの一瞬でも思ってしまったから。 「追えよ中原! なんで追わないんだよ!」  椎名くんに胸倉を掴まれて、私はふらふらと立ち上がる。 「お前が行かなきゃ意味がないだろ!? なあ! お前、今までどれだけ波留に愛されてきたと思ってるんだよ!?」 「……でも」 「でもじゃねえよ! さっさと行けよ! お前が行かなくて誰が行くんだよ! お前じゃなきゃ……」  がくがくと首を揺さぶる腕が、桂さんの手で止められる。  椎名くんは真っ赤な顔でしばらく桂さんを睨んでいたけど、やがて私を突き飛ばすと廊下の奥へと走っていった。 「あいつも馬鹿だね。いい加減諦めればいいのに」  私の身体を受け止めた桂さんは、涼しい顔で椎名くんの消えた方を眺めている。  彼は魂の抜けた私の身体をもう一度ソファへ座らせると、乱れた襟元を軽く正して額にそっとキスをした。 「落ち着くまでここにいればいい。僕はずっと傍にいるから」  優しく肩を抱き寄せられて、そのまま彼に寄りかかる。  桂さんの声を遥か遠くに聞きながら、私は自分のちいさな身体がどこまでも深い穴の中に落ちていくように感じた。底の見えない常闇の果てへ。深く、深く、どこまでも。
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