罪と誇り

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 美和の言わんとする事は、よくわかった。  これは、期せずして訪れた千載一遇のチャンスだ。  倒れた原因が脳卒中なのか心不全なのか、医者ではない私達に判断はつかないけれど、父が既に虫の息なのは間違いなかった。  もしこのまま見て見ぬフリをすればーー私達は何も知らず自室で寝入っていた事にさえすれば、父は自然に死を迎えるだろう。私が自ら手を下す必要も、罪に問われる言われもない。  ……いや、そうもいかないか。 「美和、手伝って」  私は思い直し、父の頭の側に回ると、両脇を抱えるようにして父の上体を持ち上げた。 「どうする気?」 「このままお風呂に沈める。そうすれば絶対に助からない。倒れた弾みで自分から浴槽に落っこちた事にすれば、バレっこないよ」 「そんな、でも……」 「もし万が一、生き残っちゃったらどうするの? 私達だっていつまでもシラを切るわけにはいかないんだから、待てるのはせいぜい朝までなんだよ。もし生き残ったりすれば、この人は自分が倒れた事を知りながら助けてくれなかったって、私達を訴えるかもしれない。私達も、お母さんみたいされちゃう」  美和ははっと目を見開いた。 「美和、早く。それともあんたは、私を刑務所に入れる気? こんなチャンス、もう二度とないのよ」  美和はくしゃっと顔をゆがめて、意を決したように父の足を抱えた。  弛緩しきった父の体は想像以上に重く、二人で力を合わせてもほとんど持ち上がらなかった。せーのと声を合わせ、ズルズルと引きずるようにして浴室に運び込む。  バスタブで溺れさせるには、さらに力を振り絞って体を完全に持ち上げなければならない。 「ねぇ、お姉ちゃん。こんなの無理だよ! これ以上上がりっこない!」 「つべこへ言わずに頑張って! せめて上半身だけでも水の中に沈めちゃえば……」  と――  私達は、魔法にかかったようにピタリと動きを止めた。  父の頬を伝う透明な液体に、目を奪われたのだ。  意識があるようにも見えず、ただただ苦悶の表情を浮かべる父の目から、はらはらと音もなく涙が流れ落ちていた。 「お姉ちゃん……」  力が抜けたように、美和の手から父の足がずり落ちる。急に支えを失って重みを増した父の体は、私の手からも滑り落ちた。どさっと鈍い音を立てて、力なく父が床に転がる。その体のどこかがレバーにぶつかって、私の頭に冷たいシャワーが降り注いだ。  バスルームに水音と、美和がすすり泣く声だけが響き渡る。  私の胸の中で、父に対する殺意が急速に冷めていった。足元に転がっているのは私にとって、今にも死にそうなくたびれた中年親父でしかなかった。  私はポケットから取り出したスマホがびしょ濡れなのを見てため息をつき、美和に言った。 「……ごめん、電話貸して。あたしのスマホ、使い物にならなさそう」           ※
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